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メディアグランプリ

「書く」という臓器提供


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:藤野 碧(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「1. 私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。
2. 私は、心臓が停止した死後に限り、移植の為に臓器を提供します。
3. 私は、臓器を提供しません。」
 
健康保険証の裏面に、こんな記載がある。
○をつけ、必要事項を記入すれば、自分の意思を表示できるというものだ。
 
臓器提供を希望し、条件が合えば、自分の死後すぐに臓器が取り出され、必要な人に移植される。誰かを助けることができるのだ。
 
私は選択肢を見つめるが、なかなか決めることができない。
「自分が死ぬ時のこと」を想像したら、胸のあたりが、すーっと寒くなった。
 
「自分が死ぬ時」を初めて真剣に想像したのは、高校3年生の時だったと思う。英語で短い作文を書く授業で、こんな課題が出た。
「あなたが3日後に死ぬとしたら、それまでの間、どう過ごしますか」
倫理でも道徳の授業でもない、単なる英作文の課題の1つとして、ポッと投げ掛けられた問いだった。
 
私はずいぶん考えて、次のような主旨のことを書いた。
「3日後に死ぬとしたら、私は3日間かけて、自分がこれまで体験したことや考えたことを、ノートに書き記します。私は志半ばです。残された家族や友人に私の意思を伝えてから、この世を去ります」
 
当時、世界は9.11同時多発テロ、その報復としての米国のアフガニスタン侵攻、イラク戦争と、暴力が暴力を産む悲惨な状況だった。10代の私は多感で純粋で、心の底から世界平和を求め、先生やクラスメイトと話し合ったり、反戦デモに参加したりしていた。今は無力かもしれないが、いつか自分の力で世界を変えるんだという、強い使命感にかられていた。3日後に死ぬわけにはいかなかった。
 
でもどうしても死ぬのだとしたら。
私は自分の思いを「残す」ことを考えた。それが「書く」ことだった。
肉体の死と共に、自分のそれまでの経験や、そこから学んだこと、考えたことが全て消えてしまうということに対して、その時初めて危機感を持ったのだ。
 
死んだら、なくなってしまう。それが悔しい。
それは、「生きた証を残したい」という欲求とはちょっと違って、「せっかくここまでやったのに、世界の、社会の、誰かの役に立てることができなくて、もったいない」という気持ちだった。
 
「将来は世界平和のために働く」私はそう決めて、国際系の大学に進んだ。
熱い思いを持つ自分が誇らしく、どこか選ばれたヒーローのように感じていた。しかし、そんな私が大学生活を通じて思い知ったのは、自分がいかに平凡で、中途半端かということだった。私より遥かに優秀で、志が高く、勤勉な学生が大勢いた。しかも彼らは具体的に動き始めていた。中東の民族対立を解決したいと願い、現地の学生と一緒に活動している人。アジアの発展途上国を豊かにすると決め、すでに何度も現場に足を運んでいる人。
 
私はといえば、具体的に自分が何をしたいかさえ、見つけられなかった。国際政治や法律など多くの授業を受け、学外のNGOの活動に参加したりもしたが、結局、どれも中途半端でやめてしまった。認めたくなかったが、私は特別な人間ではなかった。「世界を変えるのは私しかいない」だなんて、とんだ思い上がりだったのだ。あの日「書き残さねば、死ねない」とまで思った私の気持ちが、とても幼稚で、取るに足らないものに思えた。
 
そして私は国内の一般企業に就職し、普通の会社員になった。
10年働き、結婚して出産した。平凡な生活だ。
大学の同級生は、国連の職員や、外交官になった。
 
だけど、私が平凡な自分を悲観し、うじうじ過ごしているかといえば、それは違う。
「世界の問題」や「国際的な仕事」から遠ざかるにしたがって、私の意識は、より身近な物事へと向いていった。身の周りで起きる社会問題や、さらに身近な、自分の身体感覚や違和感に、目が向くようになった。
 
近くの公園で暮らしているホームレスは、どういう人たちなのか? なぜ、私は彼らに無関心なのか? 会社員は毎日働き過ぎで人間らしさを失っているけど、これでいいのか? 昼間は太陽の下でのんびりするほうが、幸せな生き方なんじゃないのか? 女性だから・男性だからという理由で「当たり前」に担わされている役割って、本当は不要なんじゃないのか? 私の家庭環境や育てられ方って、実は変だったんじゃないか? みんな自分で気づかないだけで、生きづらいまま生きてるんじゃないか?……
 
私は日々のさまざまなことに対して、時に心地よさを感じ、時に違和感を覚え、疑問を持った。実際に見に行ったり、本を読んで調べたり、実体験を振り返って言葉にしたりした。同じような問題意識を持つ友人を見つけ、議論した。
今や、自分の生活や人生そのものが、問いにあふれ、おもしろく輝き、私を待っていた。私は見つけ、感じ、考えた。
 
あ……
もしも今死んだら、全てが消えてしまう。
私の体験や思考が、誰の役にも立てないまま、「無」になってしまう。
それはとても、もったいない。
あの時の危機感がよみがえった。
書かなくてはならない。
 
そういう思いで、私は「書く」ことを始めた。
人に見せる文章を書くための、心得も、習慣もなかったので、ライティング・ゼミに入門した。
あの時とは違い、今は書いたものをインターネットにのせれば、家族や友人以外にも読んでもらうことができる。伝わりやすい文章を書ければ、本当に必要な人に届き、役立ててもらえるかもしれない。
 
書くことは、私にとっての臓器提供だ。
死んで火葬されて「無」になる前に、使える臓器を取り出しておきたい。
誰かの役に立つように、形を整え、そっと差し出したい。
 
特別な人でなくとも、誰もが臓器を提供できる。そして誰かの役に立つ。
かつて、私は自分が世界を救うヒーローではないと気づいた時、自分には書き残す価値のあるものなんて何もない、と思った。
だがそれは間違いだった、と今は思う。
 
私が感じたことや、私が考えたことには、書き残す価値がある。
あなたが感じたことや、考えたことにも、書き残す価値がある。
世界を変えるほどの大きな力は、ないかもしれない。
だけど、それを読んだどこかの誰かを勇気付けたり、温めたりする力が、きっとある。
 
書こう。そして、読んでくれる人に向けて差し出そう。
「余命3日」になってからでは、間に合わない。
心臓、肝臓、腎臓、膵臓、それから、それから……
我々の臓器は無限にあって、これからもっと増えていく。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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