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若嫁は晩婚オヤジを選ぶ


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記事:栗林弘志(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「なぁ聞いてくれよ」
 
いつものように孝夫が話しかけてきた。
 
俺たちは昭和三十一年生まれの同級生。
 
毎年の中学の同窓会の常連組だ。
 
「ん? 何だい」
 
「いや大変なんだよ」
 
「何が?」
 
「それがな、困ってんだ」
 
「だから何が?」
 
「まったくうまくいかなくてさ」
 
孝夫は昔から前置きが長くて中々本題にたどり着かない。
 
今日も相変わらず、話が見えない。
 
「そうか、うまくいかないのか、そりゃ困ったな」
 
こっちが話を合わせたのを見て孝夫が言った。
 
「実は嫁さんのことなんだよ」
 
『あー、こいつまた嫁の話か』
 
心の中で思わず声が出た。
 
孝夫は昔からイケメンで、彼女のいないときはなかった。
 
そのせいか、恋愛話ばかりで中々結婚せず、ついに年貢を収めたのは四十五歳の時だった。
 
嫁は十九歳年下の二十六歳。
 
取引先の受付嬢だった。
 
上場企業サラリーマンの孝夫は、安心して付き合える相手だと思われたらしい。
 
結婚式は、当然ながら主役は花嫁。
 
清楚だがしっかり者の印象の花嫁に対して、側に付き添ってただデレデレしていた孝夫の姿が今でも目に浮かぶ。
 
出席したクラスメートから「犯罪だ!」とやっかみの声が上がった。
 
それから毎年同窓会では、酒の肴にちょうどいい孝夫ののろけ話に、皆で付き合うのが恒例となっていた。
 
孝夫の嫁さんは、結婚後は会社を辞めて、かいがいしく孝夫の世話をしていた。
 
このころの孝夫は、会社よりも嫁が人生のすべてのような雰囲気で、誰もがつい「もっとしっかりしろよ」と言いたくなるほど、嫁以外のことはそっちのけだった。
 
二年たって若嫁が懐妊した。
 
孝夫は、もう嫁のことが心配でしかたないらしく、仕事は定時に終え、毎日まっすぐ家に帰り、体が辛そうな嫁の代わりに、家事をせっせとやっていた。
 
その三年後に二人目が生まれ、いつも四人で絵にかいたような幸せそのものの家庭生活を送っていた。
 
同窓会では「この間うちの嫁があーした、こーした」という他愛無い出来事を延々と話し続けるのが常だった。
 
しかし、今日の孝夫はどうも様子がおかしい。
 
いつもは、嫁の話をし始めた途端に顔がにやけて話したくて仕方がないはずが、何だかしかめ面をしている。
 
「実は嫁のことなんだよ」
 
「何だ、どうかしたのか?」
 
「ちょっとな。想定外のことにどうしたらいいのか戸惑ってんだ」
 
「いつも嫁さんに振り回されるのを楽しんでたじゃないか?」
 
「それがな、ダメなんだ」
 
「何がダメなんだ?」
 
「この間ケンカしちゃってな」
 
『えっ?』心の中で驚いた。
 
孝夫は温厚な性格の上に、年齢の離れた嫁さんはかわいくて仕方ないということで、どんなことも孝夫が折れてケンカにならないと聞いていた。
 
「ケンカ? 大丈夫なのか?」
 
「俺もどうしていいか分からないんだ」
 
「大げさだな。夫婦喧嘩は誰だってするし、そのうち時間が経てば自然と仲直りするもんだよ」
 
「そうか」
 
「そうだよ。で何でケンカしたんだ」
 
「いやあ言いにくいなー」
 
さっさと白状しろ、と思いながら孝夫の言葉を待った。
 
「あっちなんだよ」
 
「?」
 
「歳取ったからわかるだろう、あっちの話だ」
 
「あっちか?」
 
「うん、あっちだ」
 
「そいつは深刻だな」
 
「深刻だ。だから落ち込んでるんだよ」
 
お互い目の前の水割を同時にゴクリと飲み込んだ。
 
「ふぅー」
 
「ふぅー」
 
一緒にため息をついた。
 
周りは、がやがやとにぎやかだ。
 
ここだけ空気が止まっていた。
 
話を聞くと、孝夫の肉体の衰えが原因で、夫婦の夜の生活が変わってしまったとのこと。よくある話だし、実際クラスメートの大半は同じような状況なのだが、夫婦の歳が近ければあまり問題にならない。
 
しかし、若嫁との年齢差を考えると可哀そうな気もする。
 
「それでどうするんだ?」
 
「みんなどうしてるのかと思ってさ」
 
「普通は嫁も似たような歳だからお互い様だよ。でも孝夫のところはそうじゃないからな……」
 
「嫁が心配なんだよ」
 
「若いからな。でもちょっとうらやましい悩みだな」
 
「おい、深刻なんだぜ」
 
「で、子供はいくつになった?」
 
「長女が十六で、長男が十三だ」
 
「若いといっても嫁さんはすっかりベテラン母さんだな」
 
「そうなんだ。特に長男を溺愛してるよ」
 
「どの母親もたいてい息子が大好きなんだよなあ」
 
自分の家のことを思い出して、どこも同じだなと思った。
 
「息子を溺愛してるなら大丈夫だと思うよ」
 
「そうか?」
 
「それだけ家庭を大切にしているってことだろう?」
 
「そうだな、俺より子供優先だもんな」
 
「そりゃ当たり前だろう、夫婦で一緒に子育てするんだから」
 
「でも嫁の気持ちが離れていくようで寂しいんだよ」
 
どうやら孝夫は未だに嫁が一番らしい。
 
「ははあ、それが原因か。若い嫁をもらったからには覚悟するんだな」
 
「えっ?」
 
「心配するな。今は嫁さんの方がお前よりよほど大人になってるんじゃないのか」
 
付き合ったときの精神年齢の差は、年齢を重ねるとどんどん縮まっていく。特に子供を育てている女性は、加速度的に精神年齢が上がっていくように思われる。
 
「そうだな。たしかに嫁もすっかり逞しい母親になってるな」
 
「一人で心配してないで、嫁さんに悩みを打ち明ければいいんじゃないか。もう対等のパートナーになってるだろう」
 
「そうか、今まで嫁をそういう目で見たことがなかったな」
 
なにやらほっとした様子で、
 
「なにせうちの嫁は、若くて美人で、性格も良くて、頭もいい。最高なんだよ」
 
『なんだこいつ、いきなりいつもののろけモードに突っ込みやがった』と思いつつ、とりあえず楽しい飲み会に戻れそうだ。
 
そして、一年後、孝夫と再会した。
 
孝夫は、うっすらと笑みを浮かべていた。
 
しかしそこは同窓会ではなく、孝夫の告別式だった。
 
三か月前に感染症で入院し、一度は退院したものの再発して再入院。
 
その一か月後に亡くなった。
 
本人は「最初の入院の時に甘く見て、早く退院したのがいけなかった」と言っていたらしい。
 
あまりに突然の死。
 
悔しかっただろう。
 
孝夫の嫁さんが近づいてきた。
 
「有難うございます。主人が一年前から急に色々な相談をするようになって、私も主人にやっと一人前に認められた気がして、すごく嬉しかったんです」
 
涙にぬれた目で見つめられて、自分も涙がこみあげて止まらなくなった。
 
「私は主人と出会ってからずっと優しくしてもらって本当に幸せでした。ただ子育てをしながら人生を考えた時に、こんなにいつも主人に頼っていていいのかと思い始めたんです。そしたら急に不安になって、それから少し主人に冷たくなってしまっていたと思います」
 
「でもこの一年は自信もついてとても心が落ち着きました」
 
「主人は良いアドバイスを頂いたと、すごく感謝していました。私からもお礼を申し上げます。本当に……有難う……ございました」
 
最後の方は、奥さんの声が嗚咽で消え入るようだった。
 
「孝夫よ。悔しかっただろうな。でも嫁さんと心が通じて良かったな」
 
一段でも人生の幸せの階段を上ったことが、せめてもの救いだった。
 
『それにしても、なんで孝夫みたいな良い人間が先に逝ってしまうんだろう。何で俺みたいな出来損ないが、いつまでも残っているんだろう。神様に認められた人間から先に元の世に帰っていくんだろうか』
 
そんな思いを胸に抱きながら、
 
「なあ孝夫、いい嫁さんに選んでもらって良かったな」
 
とつぶやいた。
 
 
 
 
***

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2020-06-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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