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メディアグランプリ

忘れる、ということ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:丹下由紀(スピードライティング特講)
 
 
大阪に「船場センタービル」という大型商業施設がある。ショッピングモールとは少し――だいぶ別物。1号館から10号館まで、高速道路の下に構えたビル型問屋街と言えばいいか。東京の人なら、アメ横が3階建てのビルになって、距離を更にもうひと駅分伸ばした感じと思っていただければいいかもしれない。内装や店舗の並びのイメージには中野ブロードウェイのテイストも少し足してもいいかも。
船場センタービルは50周年を迎えたそうだ。その記念に描かれたという宣伝マンガを読んだ。
宣伝マンガと聞いてイメージするのとは、少し違っていた。
物静かで、柔らかくて、淡々としていて、少しも押し付けがましくない。
きっとこのプロジェクトに関わる人たちはこの作品を愛おしく思っているのだろう。
アニメのショートムービーも作られていた。
こちらもまた、物静かで、柔らかい。
 
もう何年も前、兵庫県尼崎市で列車の脱線事故が起きた。このかなり大きな事故のことを、私は船場センタービルで知った。私はフリーの舞台スタッフを生業としており、前日から船場に近い劇場で大阪公演の準備をしていて、足りないものを買い足しに朝から船場センタービルにある生地屋の店頭で物色していたのだ。
「なあ。あんた、どっから来たん?」
いきなり声をかけられた。振り返ると、60代くらいのザ・大阪のおばちゃんという雰囲気の女性が立っていた。唐突な問いかけだが、あまり驚かなかった。ただなぜか「東京です」と答えたくないな、と思ったことを覚えている。
「神戸です」
十代の頃から東京で暮らしているけれど、私は神戸生まれの神戸育ちだ。母の実家だってまだ神戸にある。私にとっての帰省先と言えば神戸。公演が終わったら帰る予定もあったし、まるきりのウソとは言えないはず。
私の答えに、おばちゃんは少し心配そうな表情を浮かべた。
「それやったらな、今晩は帰られへんかも知れへん。ちゃんと調べや! テレビ見ぃ、テレビ。ニュース!」
それだけ言い残し、おばちゃんはせかせかと立ち去った。
近くの店にテレビがあった。画面には事故の様子が映し出されていた。おばちゃんの問いの理由はこれか。事故を知って「大変なことになった」と沢山の人の伝えたくなったのだろうか。あっという間に見えなくなったおばちゃんに向かって、「ありがとう」と心のなかで呟いた。きっとあの人はあのあとも目についた人も声をかけ、事故のことを知らせて回っただろう。
 
こんなことがあったなんてずっと忘れていた。
船場を題材としたマンガとアニメが鍵となって、頭の奥底に眠っていた記憶を呼び覚まされた。
 
ずっと思い出さないできたことが、こんな風に蘇ることが時々ある。
きっかけはさまざまだ。自転車で走っていて転びそうになっただとか、街なかを歩いていて誰かとすれ違ったときの空気だとか、扉を開けて一歩踏み出した瞬間だとか。
4歳の頃、父が漕ぐ自転車の後ろから転げ落ちた時のこと。
昔の恋人と歩きながら喧嘩したこと。
学生時代に友人たちと歩道でゲラゲラと笑っていたら、通りすがりの男性に騒がしいと注意されたこと。
思い出そうと思ったことがあるわけでもなく、それどころか、思い出そうとしたことさえないようなささいな思い出ほど、何かのはずみで蘇る。
 
人は忘れる生き物だと聞いたことがある。忘れることで前へ進めるのだ、と。
確かに、経験したことすべてをはっきりと記憶していたら、少し生き辛いかもしれない。頭の中がすぐにパンパンになって、新たな何かをインプットすることができなくなりそうだ。
ただ実際には、完全に忘れるのではなくて、脳のどこかにある保管庫に封印されてしまうだけなのではないだろうか? だから何かのはずみで思い出すことができる。
 
昨年2月に亡くなった祖母は、最期の10年近くは認知症だった。
少しずつ少しずつ忘れていって、年に数回顔を見せるだけの孫を忘れるのは当然としても、同居して面倒を見てくれている実の娘=私の母のこともすっかり忘れた。そのくせ、ご近所さんの親友のことは忘れない。新しいことを忘れて時をさかのぼり、新婚当時くらいに戻っていたからだろう。
たくさんのことを忘れた祖母は毎日機嫌が良かった。
「毎日新しく生き直してるみたい。楽しそうで羨ましい」
と、母は笑った。
実際、祖母は楽しそうだった。
ケーキを買って訪ねれば、嬉しそうに選んで幸せそうに頬張る。テーブルに花を飾れば、気に入った1つを胸にコサージュのように差してよそいきみたいな顔をする。やることなすことが少女のようで可愛らしかった。本当の気持ちはわかりようはないけれど、少なくとも母と私には、祖母がその日その日を楽しげに過ごしているように見えた。
 
でも、祖母はすべて完全に忘れたわけではなかった。
母がある時、こんな寝言を言っていたと話してくれたのだ。
 
「由紀ちゃん、そっち行ったらあかんよ。危ないよ」
「由紀ちゃん、こっちおいで」
 
どんな夢を見たのだろう! 夢の中には幼い私がいたことだけは間違いない。今はもう消えてしまった神戸の町をふたりで歩いていたのだろうか。
夢は自分の中から生まれる。それまでの記憶の断片をつなぎ合わせて脳が見せるという。ということは、祖母の夢も祖母の記憶を元に作り出されたことになる。
だとすれば、認知症になったとしても、完全に忘れるわけではないということだ。
みんなが失くすのは鍵なのだ。記憶を引き出すための鍵。鍵がないから開けられないだけ。
すべてを失くしてしまうわけじゃない。
その後も起きている時間の中で、祖母が私たちを思い出すことはなかった。どんな存在だと認識していたのかさえわからない。それでも、祖母の中には私たちとの思い出が刻まれているはずということが私たちを安心させてくれた。
 
もしかしたら、何かのはずみで記憶が繋がった瞬間が本当はあったのかもしれない。
今となっては確かめようもないけれど。
 
偶然出会った作品から祖母のことまで思い返してしまった。
他にも、懐かしいことをいくつか。
また見返そう。
 
船場センタービル50周年記念作品『忘れたフリをして』
 
 
 
 
***
 
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2020-07-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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