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「夢」なんて追いかけてはいけない


夢なんて 蒔田さん

記事:蒔田 智之(ライティング・ラボ)

 

皆さんは、「夢」をお持ちだろうか。

しっかりとした「夢」を描いて日々頑張っている人、「夢」を探し回っている人、「夢」が見つからず苦悩している人。様々な人がいると思う。

夢を持つことは尊いことだ。

夢を追いかけることは素敵なことだ。

「夢」という言葉には、何とも言えない魅力を感じる。
とてもきらきらとした、輝いたものに見える。

しかし、「夢」というものは、本当にそうなのだろうか。

僕はどうしても、「夢」に対して、懐疑的になってしまうのだ。

子供の頃の僕は、とても夢を見がちな子供だったと思う。

中学生になるまでにあこがれた職業は、警察官、学校の教師、考古学者、探偵、プロ野球選手、俳優、地球を守る正義のチームなどなど。

ころっころっと、なりたい職業が変わっていた記憶がある。

しかし、大きくなって高校生になると、逆に自分が何になりたいのか具体的なイメージが持てなくなっていた。
将来の進路についていろいろ考えたが、結局はその頃もっとも興味があった心理学を学んでみたい、と思い、大学に進むことにした。

具体的な「夢」が描けなかったからか、大学受験で希望していた大学にはことごとく落ち、何とか滑り止めで受かった大学の心理学科に入学することにした。

大学の4年間はいろんな出会いがあり、とても充実していたと思う。
しかし、今よく考えてみれば、4年間は楽しかったけれども「人生この先どうするか」という視点は全く持ち合わせずに過ごしていたような気がする。

大学3年の後半くらいだろうか。卒業後の進路を悩む時期になっていたが、この段階でも具体的な自分の進路を描くことはできなかった。

このままではいけないと思いあれこれ考えた挙句、僕は大学院に進学する道に向けて動くことにした。当時のゼミの研究テーマがとても興味深く、この分野でもう少し掘り下げたことを学びたいという「夢」はあった。

しかし、この選択は失敗に終わる。
大学院受験の勉強を進めていく中で、あきれたことに、大学院で勉強していく「テーマ」が自分の中で全く欠落していたことに気付いてしまったのだ。
自分が何を勉強したいか、それが全く分かっていない状況で、大学院を受けようとしていたことになる。今考えると、とてもお粗末でお恥ずかしい話だ。

「テーマ」がなければ、入試問題の小論文を書くことはできない。モチベーションも上がるわけもなく、僕は大学院への進学という「夢」をあきらめた。

こうして、色々と迷走した挙句、それでも僕はなんとかとある会社に入ることができた。その後一度転職をし、今いる会社に就職した。

この頃になると、「夢」というのはあまり語らなくなっていた。
毎日、怒涛のように押し寄せる「仕事」という波にもまれて、それどころではなくなっていたからだ。

転職から数年後。

僕は、今までの人生の中で一番の正念場を迎えていた。
当時担当していたプロジェクトが佳境を迎え、仕事が忙しくなっていたのだ。

朝早くに出勤して夜遅くに帰る。そんな日々が続いていた。
家に帰っても寝るだけで、翌朝すぐに家から出なければならなかった。
それほど働いても、仕事は日に日に溜まっていく一方だった。

その頃は、職場の近くの喫茶店で朝食をとってから職場に向かう習慣がついていた。
とても広い喫茶店で、席数もかなり多かった。
そこで朝食を食べた後、手帳を取り出して一日の予定を確認し、今日のTODOリストを作成、にらめっこしてから、職場へ向かうという儀式を日課としていた。

そういう日々を過ごすうち、僕は人間観察を好んで行うようになっていた。
早朝から陰鬱な気分で手帳と向き合っていると、時としてそういう現実から逃げたくなることがある。そうした現実逃避をするのに、人間観察はちょうどいい気分転換だった。

僕は大体店の奥で壁を背にする席に座っていたので、人間観察をするときは反対側の、道路に面した窓側の席の人を見るようにしていた。そして、何日間か続けていると、「とある集団」をよく目にするようになった。

20代から30代前半くらいの若者のグループだろうか。席を寄せ合って車座のような塊になり、一人一人が立ち上がってスピーチしているようだった。

盗み聞きをするつもりはなかったが、皆快活な声を出しているため、自然と僕のところまでスピーチが聞こえてくる。

その集団は、自分の「夢」と、その実現に向けての「目標」を発表しあっていた。
後で、インターネットで調べて分かったことだが、この喫茶店は今はやりの「朝活」でよく使われているようだった。きっとどこかの朝活グループの活動だったのだろう。

僕はそのグループを、ぼやっとした目で見つめていた。

グループ員は皆、恥ずかしそうに、だけどはつらつとして自分の「夢」を語っていた。その光景はまるで、バラ色の、極彩色の、カラフルな色合いのように、僕には見えた。グループがいたのが窓側で、外の光が差していたのも、その印象を補強するのに十分役立っていた。

一方の僕は、壁際の暗いスペースに陣取って、あの憂鬱な予定表とTODOリストを抱えてうずくまっている、惨めな存在だった。色でたとえるなら、灰色。モノトーンだろう。

正直に告白すると、僕はあの朝活グループが羨ましかった。まぶしくて仕方がなかった。

自分もあんな風に生き生きとできたら。「夢」をもって充実した生活を送れたら。

今まで、散々「夢」をみながら、「夢」を掴めきれず、日々の仕事に忙殺され「夢」を見失っているだけに、なおさら羨ましく見えてくる。

自分も朝活をしたい。
あのグループを見かけるたびに、そんな感情が湧くようになっていた。

しかし、その一方で、そういう感情を疎ましく思う部分もあることに気が付いた。
もし今の自分があの集団の中に入って「夢」を語ったら、きっと人生が崩壊する。そんな予感を持った。

その時は、なぜそういう拒否反応が出るのかがわからなかった。

「夢」に対するコンプレックスなのか。それとも、長い間に自然と培われてしまった、「夢」をつかみきれない体質のせいなのか。

いや、そもそも、そこまで深く分析することを、その時の自分の脳は拒絶していた。その日課せられた厄介な業務を、どう乗り切るのかを考える方がよっぽど大切で、一大事だったからだ。

この問いについてそれなりの答えを得たのは、プロジェクトのピークが過ぎて客観的に自分を見られるようになってきた、つい先日のことだ。

「仮面ライダー555(ファイズ)」という特撮番組がある。今から約10年前に、日曜朝に放送されていた特撮番組だ。

「平成仮面ライダー」と呼ばれる一連のシリーズの中でも、かなり高い人気の作品だ。
人間の進化系となるオルフェノクという種族(番組内ではいわゆる「怪人」という扱い)と、人間との戦いや共存を描いているのが特徴で、前作の「仮面ライダー龍騎」が多数の仮面ライダーが登場しバトルを繰り広げるという派手な内容の作品であるのに対して、人間からオルフェノクに変化した者が苦悩するといった人間ドラマを描くという、地味だが重厚な作品である。番組のプロデューサーはこの2番組を比較して、「仮面ライダー龍騎は「カラフル」、仮面ライダー555は「モノトーン」と評している。

この、「仮面ライダー555」の主要テーマの一つに「夢」がある。物語の随所に「夢」というキーワードが出てくるが、その中でとても印象深いセリフがある。

音楽家になるという「夢」を交通事故によって絶たれてしまった、元ギタリストのオルフェノクが登場する回がある。

その回の中で、とある人物がこんなセリフを言う。

「夢っていうのは、呪いなんだよ。」

このセリフを初めて聞いた時、金づちで頭をガンと殴られたような衝撃を覚えた。

夢はかなわない限り見続けてしまう。このことを呪いと、このセリフは指摘している。
夢というものの重さと、夢を見ることの業について問うている印象深いセリフだ。

あの朝活を見て疎ましく思った、自分の心の動きの本質は、ここにあるんじゃないかと思う。一度「夢」を見てしまったら、叶えない限り「夢」という名の呪いは解けないんだ。

そういう恐怖を、あの時潜在的に感じていたのかもしれない。

もしあの時、自分が朝活に参加してスピーチしていたら、自分のかけた「夢」という名の呪いによって、自分の身を亡ぼしていただろう。

あの時の僕は、夢を追いかけてはいけなかった。
夢というのは魅惑的で素晴らしいものに見えるが、あの時夢にすがることはただの現実逃避で、自分の心を傷つけるだけだった。

結局僕は、朝活グループに参加することはなかった。
それよりも、目の前にある現実的な問題に目を向けることにした。
自分に課せられた責任と使命から、逃げるわけにはいかなかった。

あの時の僕にとって、「夢」を見ることは毒以外の何物でもなかった。
「夢」なんてとても持てる状況じゃなかったのだ。

しかし、「夢」を持つということは素晴らしいことだし尊いことだと、本能的に感じている。多くの自己啓発本が、「夢を持て」「目標を作れ」と力説している。

はたして、夢を持つということは悪なのだろうか。ただのたちの悪い、幻想なのだろうか。

先ほど紹介したセリフのしばらく後に、「仮面ライダー555」の主人公は、

「俺には夢がない。だけど、夢を守ることはできる。」

と言い放っている。

このセリフは、自分には夢がないけれども、夢に向かって頑張っている仲間たちを「仮面ライダー555として戦い続けることで」守ることができる、という決意表明のセリフだ。これもまた、僕にとって感慨深いものだった。

確かに「夢」はいいものだ。でも、ないなら無理にみる必要はない。
ありもしない「夢」を追いかけるのなら、呪われるだけなのだ。

夢がなければ、夢を守ればいい。
そのために、今の自分にとって大切なことを、一つ一つ全力で向き合ってこなしていくことが大事なのだ。

最近になって、このセリフの意味をこういう風に解釈できるようになった。
その瞬間、あの喫茶店で感じていたもやもやが、すべて解消された。

あの時は「夢」を見ることはできなかった。しかし、「夢」を見たいという気持ちを守ることができた。だからこうして今も、充実した毎日を過ごせているんじゃないかと思う。

あの喫茶店は、すでに閉店しており店は取り壊されている。

あの時の朝活グループのメンバーはどうしているだろうか。
夢はかなえられたのだろうか。それとも、叶えられず「夢」という名の呪いにかかってしまい、何とか叶えようと今でももがき続けているのだろうか。

僕自身はというと、叶えられた夢もあるし、叶わなかった夢もあった。
しかし、未だに確固とした「夢」は見つけられていない。

あのもやもやに気付けた今、多少なりとも価値観は変わった気はするけど、「夢」がない時点で、今でも僕の生活は相変わらず「モノトーン」な生活なのだろう。

でも僕は、それでもいいじゃないか、と思っている。
今のまま、「夢」を守っていれば、いつか本当の「夢」が見つかる気がしているのだ。

今までろくに「夢」をかなえられなかった、いや、まともな「夢」を見つけられなかった僕でも、今ようやくしっかりとした姿のある「夢」の欠片が見えつつあるのを感じている。

もし、今の自分はあの朝活グループに入ることができるか? と問われたら、答えは「ノー」だろう。到底、人様に宣言するような「夢」はまだない。でも、まだ形の見えない「夢」を守ることはできる。

今の仕事だったり、趣味だったり、自分のやりたいことだったり、やらなければいけないことだったり、そういうものと日々向き合っていく。それが「夢」を守ることにつながると、確信している。

「夢はないが夢を守ることができる」。そう語った、「仮面ライダー555」の主人公は「夢」を見ることはできたのか。

それは、もし興味があれば、作品を見て皆さん自身で確認してほしい。

 

少なくとも今の僕は、「夢を見ること」を信じている。

 

***
この記事は、ライティングラボにご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2015-10-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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