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道標


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:小池友妃子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「ゆっこちゃん、自宅が火事だって!!」
 
忘れもしない。大学2年の雪が降る寒い日のことだった。
アルバイト先の事務所に叔父が電話をかけてきた。
 
東京の大学に通いながら、将来の夢に向かって、学生生活を楽しんでいた私。
しかし、この日を境に私の人生は大きく変わることとなった。
 
「えっ!! 母は? 母は大丈夫ですか」
叔父からの電話をとった上司は、母の事を口に出してはいないが、私は母が死んだことを予知していた。
 
「お母さんは、病院に運ばれたみたいだけど大丈夫だって。とにかくすぐに実家に帰りなさい」
上司は私を不安にさせないように気を遣いながら話してくれた。
 
私は、一旦下宿先に戻り、荷物をまとめ、東京駅で母方の叔父、祖母と待ち合わせをし、実家へ少しでも早く帰るために、一番早く出発する新幹線に飛び乗った。
 
途中、どうしても母のことが気になり、新幹線の中から、父方の祖母宅へ電話を繋がるまでかけ続けた。
 
つながった……。
 
「お母さんは?」と私が聞くと
「警察病院だよ」と叔母が答えた。
 
母の死を確信した瞬間だった。
私が家族を守らなきゃと、覚悟を決め、静かに列車電話の受話器を置いた。
 
父方の祖母の実家に着くと私は
「みなさん、お忙しい中ありがとうございます」と大きな声ではっきりとした口調で挨拶をし、お仏壇の前に置いてあるお棺に手を合わせた。
 
父が
「お母さんが生きていた時の美しい姿での思い出を持ち続けて欲しいから、誰にも顔を見せてはいない。お通夜の前にお母さんを焼いてしまうけれど、焼く前におまえだけはお母さんを一目見ておくか?」
と私の右耳にささやいた。
私は、母の顔にかかった白い布へと手を伸ばしたが、布すら触ることができなかった。
怖かった……。
母の死を現実のものとして受け入れる勇気がなく、最後の母の姿を見ることができなかった。
 
葬式の時のことは、ほとんど覚えていない。
涙を出すことすら、忘れてしまっていた。
張り詰めた糸が、今にもプッチンと一気に切れそうなくらい、私の気持ちは一杯いっぱいだった。
 
葬儀が終わった日の夜、私は港まで車を一人で走らせた。
車の中で嗚咽がこみ上げてきたかと思うと、徐々に理性が働かなくなり、ハウリングを起こすほどの声で全身を震わせながら泣きじゃくった。
 
私がこの世に誕生してから、常にそばにいてくれた母の姿をもう見ることすらできない。
小学校の時、雷が怖くて泣きじゃくる私をぎゅっと抱きしめて「大丈夫だよ」と笑顔で守ってくれた母。
高校受験の時、不安で一人で寝ることができなかった時、「大丈夫だよ」と暖かい笑顔で抱きしめてくれた母。
大学受験でなかなか合格できなかった時、体調がとても悪く、自分の足で歩くことすらやっとだったのに、東京まで来てくれて、「大丈夫だから」と笑顔で励まし応援してくれた母。
どんな時も母は私を守ってくれた。
その母にもう会えないのだ。
 
「お母さん、大丈夫だよね。私、お母さんの代わりできるよね?」
姿が見えない母と何度も何度も対話を繰り返した。
母の暖かな優しい笑顔しか見えてこなかった。
 
母の突然の死から30年。
妹や弟も私も結婚をし、それぞれの人生を歩みはじめた。
そして私は、母の年齢を超えてしまった。
 
大学を卒業し、就職し、結婚し、子どもを産み、今の私がいる。
何度も母がそばにいてくれたらと思い悩むことはよくあった。
 
東京の下宿を引き払い、実家に戻る選択をした時。
弟が高校を停学になった時。
主人の両親から大反対にあいながらも結婚した時。
仕事と家事と育児に疲れ果て悩んでいた時。
いつも私は、母と対話しながら進むべき道を自分で選んできた。
思い通りにならず、しんどい時もあったが、母がいたらなんて言うのだろうと自分の心に問いかけながら生きてきた。
 
今年になり、私は、自分らしく生きたいと強く感じるようになり、できることからチャレンジし始めた私。
壁にぶちあたると前に進めなくなり、諦めようとする自分に不甲斐なく焦りいらだつことも増えてきた。
そんな時、不思議と意識すればするほど、心の中で母と対話することが、これまで以上に増えてきた。
 
母は、今も昔も私が迷わないように、向かおうとすべき方向がどこに通じているのかとか、その道のりがどんな道のりであるのかとか、私が進むべき方向として大丈夫なのかを考えることを助けてくれている。
 
子どもの時と同じように、優しい笑顔で、どんなに傷ついても、どんなに悩んでも、私が自分で覚悟して決めることができるように、ゆっくりと心の中で対話を繰り返し、道標をしてくれるのだ。
 
母がどんなときもどんな人にも黙って相手のことを気遣い、優しい笑顔で接していたその姿がいつも私の心に浮かぶのだ。
 
母の優しい笑顔。
これこそが私の道標。
 
これからもずっと母は私の道標となるだろう。
そして、これからもずっと母は私の中で生きつづける。
 
あなたにとっての道標は……。
 
 
 
 
***
 
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2020-09-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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