「愛している」と語る輩(やから)は、すべからく詐欺師である。
記事:西部 直樹(ライティング・ゼミ)
季節は冬だというのに、周りの青少年たちはなにやら桃色に染まっているらしい。
若いっていいな、季節に関係なく、恋の花が咲くのだから。
いや、人間は元々季節とは関係なく、恋とかをしてしまう生き物だったな。
わたしなどは、もう、恋とかは関係ないし、喫緊な問題は恋よりも老後である。
ただ、そんな私も、過日女優の堀北真希さんが結婚した時には、「落胆」という言葉が心を埋めたものだ。それを妻に話すと、「ふん、阿保か」といなされてしまい、娘には「あ~あ」と嘆息されたものだ。
また過日、妙齢にして佳麗な方とたまたまお茶をしていたら、彼女から「最近、別れちゃったのよね、結婚しようとしない男はダメね」という話を聞いて、心の中の私が小さくガッツポーズをしてしまったのはなぜだろう。もちろん、大人の私は「そうか、残念だったね」と静かに相づちをうったのだけれど。
若い人も、妙齢の方も、そうではない方も、「恋愛」とか好きな人との人間関係に悩んでいるようだ。
そのような、老若男女の方々に、私からひと言忠告を申し上げたい。
「愛している」と語る輩は、すべからく「詐欺師」であると。
詐欺とは、人を欺すこと、何かの錯誤に陥らせることである。
だから詐欺師とは、真実を述べない、心にもないことをいう人のこととなる。
「消防署の方から来ました」とか
「この商品を今買っておけば、儲かりますよ」とか
「あなたの七代前の先祖が十分に成仏できていない、それがあなたの幸せを妨げている。だから、この霊力あらたかな壺が必要なのです」とか
「君と結婚したいと思っているのだ。が、今の事業はちょっと資金繰りが苦しくて、君には関係のないことなんだけど、この危機を乗り越えないと、結婚も難しいかな、従業員の生活もかかっているしね、だから、君とは本当に結婚したいと思っているんだよ、愛しているんだ、心の底から。ただ、資金繰りが大変で……」
とかとか。
「愛している」と言われたら、言った人は、あなたのことをおもってやしないのだ。
心にない空虚な言葉を連ねているに過ぎないのである。
そのような相手に身も心もゆだねてはいけない。
「愛している」と言ったからといって、詐欺行為を働いているわけではないだろう、と憤る方もいるだろう。
そうなのだけれども、言葉に嘘があれば、やはり詐欺である。
「愛」とか「愛している」という言葉を口にした時、心にある思い、気持ちと言葉が、どうにもしっくりとこないのだ。
真っ赤なトマトを指して、「青くはない林檎ではない果物とも言い難いもの」と言い表しているような、心情と言葉の乖離を感じるのである。
例えば、海外の映画を見ていると、家族同士「愛しているよ」と告げている場面がある。
確執を抱えた親子、何かを切っ掛けに再会した父親とその息子、息子が「僕はお父さんのことを愛しているんだ」と語り、父親もそれに応えるように「愛しているよ」と告げるのである。父と息子の情愛あふれる場面に、涙腺がゆるむのである。
が、翻って、自分が息子(高専生2年、無精ひげを生やし、私より背が高い)に向かって、「愛しているよ、息子よ」と言えるか、となると、これは言えない。
息子から「愛しているよ、父さん」と言われても、ちょっとなあ、なんだかと思ってしまうだろう。
気恥ずかしいから、それもある。それ以上に、その「愛している」という言葉が、親子の情愛を語るにふさわしくない、うまく表現してくれないのだ。
なら、男女の間では、異性の(時には同性同士の)恋愛感情を表現するのに「愛している」はどうなんだ、と詰め寄りたくなるかもしれない。詰め寄られても、答えは同じだ。ふさわしくないのだ。
女優の堀北真希さんのことを「愛している」かと問われれば、う~ん、「愛している」というには語弊がある。
妙齢で佳麗な知人のことを「愛している」かと問われれば、う~ん、「愛している」というのはいささか難がある。
試しに、愛を辞書で引いてみると
新明解国語辞典 第7版
――個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重していきたいと願う、人間に本来備わっているととらえられる心情――
って、どういう心情なのだろう。ちょっと分からないぞ。
言葉の「語感」に焦点をあてた辞書もある、中村元氏編纂の「語感の辞典」岩波書店 によると
「愛する」は
――大切に思う相手に愛情を注ぐの意で、会話より文章に使われる表現。(中略)小説やドラマなどに「あたしのこと、今でも愛してる?」「ああ、愛してるよ」といったやりとりが出てくるが、この語をくだけた会話で使うと気障で浮ついた感じに響く――
「気障で浮ついた感じ」なのである。
ぴったりと、ふさわしい言葉ではないのだ。
さらに、語源を辿ってみよう。
語源海 杉本つとむ著 東京書籍 によれば
――あい【愛】(古)本来の日本語にはなく、古代の外来語(中国語)の一つ。(中略)中国語の愛が<愛ス>などの動詞として用いられ、日本人に日本語として独自の意味、用法を持つのは、古代語として、漢文訓読文に見える。しかしそれでも、男と女の愛情表現として<恋愛>とか<愛する>の口語的用法が一般的に用いられたのは明治以降、20世紀の日本語。現代語でも英語の I love you. に相当する表現として、<愛する>は不適当。<愛する>は<かわいがる・好む・好き、大切にする、思う>、俗には<ほれる>などの語を用いる。――
この辞典では、はっきりとI love you. に相当する表現として、<愛する>は不適当。と説いているではないか。
古く辿っても、「愛」は、外来語なのだ。
そう、
やまとことばに「愛する」はなかった。
漢語であり、大和言葉ではなく、i love you の訳語としては不適なのだ。
I Love Youを夏目漱石は「月が青いな~」と訳すのだよ、と言ったらいしい、
なぜ、「愛している」と訳さなかったのか、夏目漱石は英国留学もしていて、英語に堪能であったろう、なのに。
それは、I Love You と「愛している」が同義ではないことを知っていたからに違いない。
「愛している」という言葉に感じていた、違和感、齟齬は、そこから来ていたのだ。
外来語であることに。
「御社のイシューのソリューションをプロダクトします」なんて言われているみたいで、わかるようなわからないような、やっぱりわからない感があった。
愛している、は、空疎な言葉なのである。
自らの心情を述べていない、真実を語らない、虚偽を糊塗する言葉に他ならないのだ。
だから、「愛している」と語る輩は、すべからく「詐欺師」なのである。
堀北真希さんへの思いは、彼女のことを「愛している」わけではなく、思慕というか可愛い女性は永遠に可愛い少女のままでいて欲しいという、男のわがままな願望なのだろう。
妙齢にして佳麗な知人に対しての、老齢にして加齢臭な男性の思いは、もちろん彼女のことを「愛している」からひっそりガッツポーズをしたわけではなく、すべての女性は私のものという男性の大いなる幻想、勘違い、播種する者の本能的幻想によるものだろう。
色恋沙汰でも、相手を思う心情を的確に言い表すためには、自らの気持ちにふさわしい、ぴったりと寄り添う言葉を探し続けてゆくしかない。
ということで、私もそろそろ池袋方面に出かけなければならない。
「そろそろ池袋に出かけるよ」
――もう、いつもいつも池袋に……
「いやあ、これは、それあれだからさ、仕事みたいなもんだし……」
――お父さんは今日も夜いないの……
「ああ、ごめんね、仕事みたいなものだから、仕方ないんだ、
愛しているよ!」
――なによ、とってつけたみたいに!
――まったく、嘘臭いんだから!
ああ、やはり空疎な言葉は、届かない。
やれやれ。
***
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