メディアグランプリ

言葉の海を泳ぐ


H.Tomokoさん

 

記事:H.Tomoko(ライティング・ゼミ)

 

私には二つの海がある。
日本語と英語という二つの海だ。

アメリカに暮らす日本人、そして通訳という職業柄、私は毎日二つの言葉の海を泳ぐ。光が反射する水面をたゆたってみたり、暗褐色の海底まで深くもぐってみたり。それでも、この二つの海の水は、混じりあいそうで完全に混じることはない。

「言葉には言霊が宿る」「言葉とは記号だ」
どちらが正しいか? と聞かれれば、「そうね、どちらも」と、私は答える。

日本で生まれ育った私にとって、日本語の海は宝の海。そこにきらきらと落ちているのは、耳目から入ってきて、手足で得た体感。心に焼き付いた喜びや痛み。頭でさんざんこね回した考え。それを言語化したものが日本語ならば、教科書で覚えた英語は記号だ。どんなに語彙数を増やしたところで、体感や感動を伴わずに教科書で覚えた言葉は記号でしかない。プログラマーがプログラム言語を操るのと同様に、私は英語を使う。役には立つ。でも、どんなに使ってみても、感覚や思想を語るには、いつも感触が鈍い。たとえ他人の耳には流暢に響いていたとしても、私は英語の海の水面下で必死に水をかき、なんとか意味をなすようにと記号を組み合わせ、並べていく。

私には3人の小学生の子供がいる。夫の日本語は1才半児レベル、つまり文章を作れる能力はないので、家庭の会話はほとんど日本語にはならない。日本での体験がほぼ皆無の子供たちに、基本的な日本語を習得させようと頑張ってきた。そんな私に、時々駐在員の奥様は聞いてくる。「どうして子供に日本語を学ばせようとするの? アナタが英語で話せば全部事は足りるのじゃない? 永住予定なんでしょ?」と。

うん、そうですね、そう思っちゃいますよね。
おそらく今後彼らが、日本で暮らすこともないでしょうし。
でも、私はわが子と記号でコミュニケーションをしたいとは思わないんです。
魂の通った言葉で話をしたいんです。

親の背中から学んだ教え、子供時代に体験してきた感動、落ち込んだり、傷ついたり、泣き叫んだりして形づくってきた私なりの生き様、そういった私が親として何とか子供に伝えたい、彼らが生きていく上で少しでも役に立てて欲しいと願う思いは、私が体感でかき集めてきたもの、私の日本語の海に散らばっているものだ。まるで難破した海賊船から流れ出た宝物のように。それは日本人である私、日本という文化で育った私、日本語という言葉、それら抜きに伝えることは、容易ではない。だから私に「バイリンガルに育てたら就職に有利ですしねぇ」なんて答えを期待する方々には、言葉の海の深さをまだ見ていないのですね、としか言いようがない。外国語って、母国語をいくつもコピーして、パラレルワールドを作っていくような、そんな単純なものじゃないんだよ。

私の子供たちの日本語の海は小さい。そこにせっせと私の海から宝物を運ぶ。ただの記号ではない、母親との体験が結びついた言葉にしたくて。

そして、彼らのどんどん大きくなっていく英語の海に、私も時々は泳ぎに行く。記号以上の何かを求めて、彼らの集めた宝物をのぞかせてもらいに。

 

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2015-12-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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