メディアグランプリ

写真展はライブコンサートで写真集はCDらしいですよ


 

 

記事:金子千裕さま(ライティング・ゼミ)

 

――写真展はライブコンサートのようなもの。写真集はCDのようなもの。

こんな考え方を、写真をやっていると耳にすることがある。写真展は日程が決まっており、作者が在廊していて正に人対人の『ナマ』の『その場限り』のものに近い。それに対して写真集は手元に置いておける、写真展に行かなくてもその写真家の世界に触れることが出来る『手元に残す事が出来る』ものであるという。

 

確かにその通りだと思う。

しかし、写真展はライブコンサートと言う割には、写真展の写真家は接客のみに忙しいように見える。写真、飾ってあるだけやん的な。

観客は実際に写真が紡がれてゆく様子を見ることは出来ない。インターネットをデジタル機器が充分に普及した今、もしかしたらもっとライブ感溢れた写真展が可能なのではないかと私は思う。

 

例えばリアルタイムで撮影した画像を画廊へ送り、そこにプリント担当者が在廊しており編集を加えてプリンターで印刷して何も無い画廊にどんどん写真が増えてゆくなどライブ感が強い展示も出来ないことはない。

成長しつづける展示だ。

なんとなく、現代アートの人が好きそうなアイディアだが実現は可能だと思う。

 

あるいはもっと単純に、時間を決めてワークショップを行い、それに参加してくれた人と作品を作り上げるというのも悪く無い。

 

なぜこんなことを考えているのかというと、五月十日から十六日まで自分が(天狼院フォト部で知り合った人を中心とした)友人たちと写真展を行うからだ。

 

会場の雰囲気からしてあまり前衛的な展示は出来ないかもしれない。

しかし『何か』面白い事をしたいという意志だけはある。

 

そこで私はその写真展で使う写真は全部、その町で撮ったものに限定すると決めた。

そしてさらに、出来る限り最新のものを飾るとも。

つまり、写真展をやると決めた日から毎日のように写真展をやる町へ赴き、なんでも撮ってその中から写真展に飾る『何か』を構成してゆくと決めた。

 

写真展と言いながら、私はもしかしたら『何か』別なものを用意し始めているような予感がある。これ、写真だけれど写真だけじゃないよね? 的なものだ。

友人たちも薄々それに気づいている。

「A3の写真4枚……に縛られなくていいんじゃないかな。縛られていないよね?」

何かやらかすと期待されている。

そして、何かやらかそうと自分で動いている。情報を集めている。

 

これやっちまうのかー。自分、一番最初の写真展からやっちまうのかーというのが自分の中の葛藤としてある。

 

だが、それをやらないと、他の友人たちの足を引っ張りそうな気がする。

みんなが素晴らしい写真を展示する中、一人だけ地味でへたっぴで、さらに言えば今日性も、話題性も、面白みもない写真を展示するのは嫌だ。

 

写真家の使命というか、写真をする人間の宿命に『他人が行かないところに行ってみる』あるいは『他人がなかなかしない経験をしてみる』というものがある。

そうすれば、写真を見た人は自分もその場に行った『気分』になる。

しかし、私は腰が重い方だ。

被写体も自分の身の回りのものが多い。やはり友人たちのように海外の風景や山のてっぺんなどの見知らぬ世界に比べると『日常写真』は難しい。弱い。

 

日常を描いた人というと、画家だと熊谷守一さん。写真家だと埴沙萠さんがパッと思いつく。熊谷守一さんは池袋にあった自宅から殆ど出ることなく、多くの作品を残した。世俗から離れたその生き方は『仙人』と形容されたが、その呼び名を自分では『良し』としなかったようだ。

そうやって持ち上げる人には、必ず裏があると。

 

また写真家の埴沙萌さんも郷里の大分や自宅がある群馬を散歩しながら作品を作り上げてゆく人だ。

埴さんの写真集、例えば福音館書店の『植物記』を読むとその写真というかカメラという機械に対する造形の深さと視点の多さに驚かされる。ホウセンカの実がはじける瞬間なんてただ歩いている人には撮れない。はじけそうなホウセンカの実を見つけ出し、それに対してカメラを適切な条件でセッティングして撮影しないといけない。

ヘチマの巻きひげが、棒にまきついてゆく連続写真なんて理屈では分かるけれどそれを実行にうつし、さらにキチンと作品に仕上げるその腕に舌を巻いてしまう。

 

森山大道さんや川内倫子さんも路上や日常をテーマにした作家だが、私にはあそこまでの強い個性がまだない。突っ切れていない感がある。

もっと突っ切らなければならない。

『狂』を手にしないといけない。

 

さて今回の写真展だ。合同ということで飾れるスペースがかなり限られている分、そこでどう自分を表現できるかを考えなければいけない。そこにどのように『狂』を織り込むか……そして写真集だ。写真展と写真集は切っても切れないものだ。

写真展をやるなら、写真集を作った方が良いと私は思う。

なぜなら、それは写真展に来た記念品として『手元に残す事が出来る』ものであり、会期に訪れることが出来なかった人が、私というカメラマン/フォトグラファーを知る手がかり。いわば『宣伝ツール』にもなる。

もしかしたら、誰かの目にとまるかも知れないというわけだ。

 

それに、CDが売っていないライブ会場なんてあり得ないでしょ。

 

それに写真展やります、来て下さい。

写真展やりました。楽しかったです。

新しい友達ができました。わーい、わーい……だけだとちょっとむなしい。いや、かなりむなしい。身内だけで盛り上がるのは外からみると寒い。

締め切った部屋で温度をガンガンに上げてゆくと、中と外の温度差が開く一方になってしまう。ガスストーブと一緒でやはり適度な換気が必要だ。

それを、ある大規模展示会で私は強く感じた。

 

何かを行う以上は次、次、次……とつなげていかないといけない。

つなげてゆくことで、回転に勢いがつき、吸引力が上がる。周りを巻き込んでゆく。まるで竜巻のように。

 

風は、締め切られた部屋のような『閉じた』場所では起きない。

『開かれた』場所で温度差があってこそ初めて生まれる。

爆弾低気圧も、竜巻も、台風も、温度差があってこそだ。

 

そよ風では終わりたくはない。

できれば竜巻になりたい。

そう強く思う金子さんでした。

 
 

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2016-03-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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