メディアグランプリ

忘却を恐れるな


 

記事:小笠原 雫さま(ライティングゼミ)

 

記憶力はいい方だろうか?

 

最近、私は物忘れがひどい。物忘れだけではなく、言葉さえも出てこなくなった。リモコンを指さしながら真面目な顔で「エアコン」と言った時には、母から「大丈夫?」と笑われてしまった。

 

「だ・か・ら! そこのエアコン取ってよ!」

 

いや、正直言って大丈夫ではない話である。言い間違えて笑われるレベルならまだしも、大切な約束を忘れたりして、いつの間にか他人に迷惑をかけてしまわないだろうか、そのうち「忘れたことも忘れた(きみまろ談)」のような事態にならないだろうか、と考えながら暮らしている。

 

元々、私の記憶力は良かった。「あのとき、こういうことがあって、面白かったよね」と話しても「そんなことあったっけ?」「よく覚えてるよね」と言われることが多かった。

 

職場の同僚に、忘れっぽくて、ちょっとそそっかしい、伊藤さんという人がいる。そそっかしいと言っても、大きな問題ではなく、「△△さん宛の電話が入ったので内線118をかけようとしたら、間違えて外線118を押してさぁ、海上保安庁に繋がってしまったよ。ひたすら『間違えました! すみません!』って謝って切ったけどさぁ」とか、「あら? 私何をするんだったっけ? 電話を取ってお客様と話したら、電話の前にしようと思っていたことを忘れてしまった。小笠原さん分かる?」といったレベルで、伊藤さんは、ちょっとそそっかしいけど、憎めない人……そんな人だ。

 

5年くらい前だったか、隣の支店に□□さんという人がいた。この□□さん、以前、伊藤さんが気に障るようなことでも言ったのか、単に相性が悪いのか分からないが、伊藤さんのことを嫌っている節があった。

そんなある日、□□さんから電話がかかってきたのだが、伊藤さんが電話に出たときに、この□□さん、

「ごめんなさい、私あなたの声が嫌いなの。だから他の人に電話を代わってもらえる?」

と言ったそうだ。そこで、私が電話を代わって話を聞いたのだが、電話を切った後、「『声が嫌い』って酷くない? それに、仕事に私情を持ち込まないでよ」と思った。そして、私も□□さんとなるべく関わらないようにするために、このことを深く深く記憶にとどめておくことにした。

 

しかし最近になって、その□□さんが電話をかけてこなくなったことを思い出したのだ。そこで伊藤さんに

「最近、隣の支店の□□さん、電話してこなくなりましたよね?」

「もう退職したんでしょうか?」

「伊藤さん、最近□□さんからの電話、取った記憶ありますか?」

と聞いてみたが、そのときの伊藤さんの答えに私は驚いた。

 

「□□さんって誰だったっけ?」

 

えええええ! あんなに酷いことを言われたのに忘れたんですか!?

と言いたいところをグッと押さえつつ、この出来事を言えば思い出してくれるだろうと、「伊藤さんに『あなたの声が……』とか何とか言って私と電話を代わった人ですよ」と説明してみたのだが、伊藤さんの答えに更に驚くことになる。

 

「私、そんなこと言われたっけ?」

 

いやいやいや……私でさえ覚えているのに、言われた当の本人が忘れますか?

と思ったのだが、その話をして、自分の席に戻り、どうして伊藤さんはそんなに忘れることができるんだろう? と不思議でたまらず、ずっとそのことを考えていた(「そんなことを考える暇があったら仕事しろ」という話はこの際、横に置いといて)。

 

本当は覚えているけど、忘れたふりをしたのかな?

それとも、私にとっては「ひどいこと」だったけど、伊藤さんはもっと沢山の苦労があって、あのくらいは大したことではないのかな?

実は伊藤さんって、とてつもなく度量が大きい人だったりして!

 

更に考え込むうちに、もしかして私は記憶力がいいのではないのかもしれない、と思うようになった。記憶力がいいのではなく、他人の怒りをも自分の恨みとして抱え込んでいただけではないかと。

 

そう考えると色々合点がいく。

私は今の会社に入るまで、前の会社ではイジメられていた。変わり者だから出る杭を打たれたのか、鈍くさいから見ててイライラするのか、恐らく身から出た錆だろうとは思うが、とにかくイジメられたことは絶対に忘れないでおこうと思っていた。そして、思い出す度に、イジメていた人に対する恨み節が出ていた。

 

家族が私の恨み節を聞く度に「今はもう、その会社を辞めて、イジメた人たちとも関わらないんだから、許してあげたら?」などと諭すのだが、私は「絶対に許さない!」と息巻いていた。しかし年月が経つと、多少は恨みも薄れる。だから私は、ほんのわずかに残った恨みに蓋をして『思い出さない』ことにした。そして、『思い出さない』スタンスで数年ほど経過し、伊藤さんの忘却を見て気付いたのである。「私は『思い出してない』だけで、まだ負の感情を心のどこかに残していた」ことに。

 

マイナスにマイナスを加えると更にマイナスになるように、私の中で巣食っていた負の感情は更に負の感情を引き寄せていたのだ、背負う必要の無い他人の分まで。ならば、そんな負の記憶なんて要らないし、もっと言えば、忘却を恐れてはいけないのではないだろうか、と思った。

 

忘却と言えば、記憶喪失を思い出すが、(全ての原因がこれ、というわけではないが)ストレスが原因で、嫌なことを忘れようとするときの防衛機能として、その出来事以降の記憶が抜ける場合もある。ならば、忘却は人間が本来持っているストレス回避の最大の武器なのかもしれない。

 

 

「ペコロスの母に会いに行く」という話をご存知だろうか?

認知症でグループホームに入居した母を優しく見守りながら過ぎ去った日々に思いを馳せる話だが、この中で、原作者である岡野さんもこう言っている。

 

「ボケるとも悪か事ばかりじゃなかかもしれん」

 

ある日の深夜、テレビのチャンネルを変えていると、この映画が放送されていた。だから私も途中からしか見ておらず、最初の内容は知らないのだが、笑いあり、涙ありで、もう一度最初からきちんと見たいと思った。

 

映画が終わった後、ネットで調べてみたら、自費出版がベストセラーになり、そして映画化されたという、ちょっと変わった経歴を持つものだと知った。そして、この映画で主人公みつえ役の赤木春恵は88歳と175日(クランクイン日の2012年9月5日時点)にして本作が映画初主演となり、この出演でギネス世界記録に「世界最高齢での映画初主演女優」として認定されたことを知り、驚いた。

 

「自費出版がベストセラーってすごい! これは絶対に本を読まないと!」と決意した。

こうしてまた、私の“欲しい物リスト”に新たな本が加わった。

 

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先ほど、「この映画が放送されていた」という文章を書く際、「放送」という言葉が出てこなくて、放映・・撮影・・と苦悶したことは、早々と忘れることにする。

 

 

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2016-03-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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