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メディアグランプリ

殴りたいんなら正直に言えよ、あるいはカネをとれる物書きの作法みっつ


殴りたい

 

記事:横手モレルさま(ライティング・ゼミ)

よそさまの時間を奪う文章を書くための作法は2000ほどあって、そのなかでも個人的に一番大切なのは、「誰もあんたなんかに興味はない」ってことだと思っている。

誰もあんたなんかに興味はない。

この場合の「あんた」とは、間違いなく書き手の「わたし」のことである。

Webでも書籍であってもさほど変わらないことなのだけど、読み手がそこに足を止める、クリックする、ページをめくることの原動力とは、それまで自分になかったものをプレゼントされることだと思っている。読み手がこれまで知らなかった知識。知ってはいたけれども言葉の形にできなかった思いに輪郭をつけてさしあげること。読み手自身が持っている知識や思いを肯定して「それで合ってるんだよ」と追認してさしあげること。そうした体験を求めて、読み手はわざわざページを繰る。繰ってくださる。

きついことを言えば、そこに書き手である「わたし」の物語は1ミリも要らない。必要なのは、読み手が時間を有意義に使えたと思えるプレゼント、それのみだと思っている。逆流性食道炎に悩む読み手が目を止めたとき、ページを繰っても繰っても書き手の「わたし」の悩み話だったら困るのである。必要なのは、胃酸分泌抑制剤の何を使えば痛みがやわらぐのか、というそっけないプレゼントである。しかし予想するにたった今、逆流性食道炎で脂汗をかいている人が天狼院webを開ける余裕はないとも思う。万が一、万が一だけれども該当される方がいらっしゃるのだとしたら、非常に心苦しくはあるのだけれど、もっと知見のある方のご意見をあおいでいただきたい。申し訳ない。

気分がふさいでどうしてもゲラゲラ笑いたい、そんな読み手が「おもしろい話」というタイトルのページを繰って、文末まで書き手自身がクスクス笑っているだけでは困るのである。あんたはおもしろかったかもしれないけど、こっちはあんたを知らないし、で、あんた誰? となるわけである。このとき必要なのは、徹底的に笑える出来事、それのみである。そしてそれを書くのは、めちゃくちゃ難しいことである。

「おもしろい話」という前置きとともに始まる、よく知っている茶飲み友だちの合コン話であれば、最後まで聞いてあげる余裕が持てるかもしれない。なぜか。それは愛だ。関係性だ。もっといえば話し手そのもののキャラクターがあるからだ。それがあるから、話そのものにオチがなくても、やわらかな気持ちでうなずくことができるのである。

しかしどうだろう。初めてwebで目にする記事の読み手にとっては、書き手に対して愛など持っていない。あたりまえのことである。「あんたは愛されてなんかない」。非常にきついことかもしれないけれど、そりゃそうだ、と思っていただければよいと思う。

じゃあ「わたし」に紐づいたドキュメンタリーはどうなるのよ、と思われるかもしれないけれども、それだって徹底的に書き手自身が「わたし」のことをエンターテイメント化していたり、難しいことを考えなくてもすっと腑に落ちるキャラクターづくりが完了していなければ、鼻白む。私的でいて素晴らしいドキュメンタリー作品というのはいずれも、「書き手のわたしが何者なのか」を徹底的に客観的にとらえて、媚びずてらわずかっこつけず、書きたいテーマをスッとなじませる。「わたし」を自慢するためにドキュメンタリーを利用するのではなく、テーマをより深く伝えるため、ひたすらそれだけの素材として、書き手の「わたし」を自己紹介して読み手の前に差し出すのである。

知らないあんたのサクセスストーリーなんて、あんたが気持ちいいだけになる。じゃあ「おもしろ失敗談」を書けばよいのかといえばそれも違う。知らないあんたの失敗談は、その失敗そのものを語る文章自体がおもしろくなかったらスベってしまう。

地位も名声もある人間の小噺ならばおもしろい。それは文章を目にする前に、すでに書き手のキャラクターを理解しているから、その情報を重ね合わせておもしろく感じることができるのである。しかし世の9割がたの、「誰も知らない」あんたがおもしろいこと、失敗したことを文章として書いても、なかなか読み手の心に刺さらせることは難しいだろう。

文章が巧い人は、きっとそれでもぐいぐい読ませていく。読み手が探偵の気分になって、こいつどんな奴だろう、と想像しながら文字を目で追うようになる。そうなればしめたものだけれども、あいにくなことに、パッと開いたwebのひと記事だけで書き手の人となりにまで興味を持ってもらえることは、すごく難しいことだと思う。

だから。

世の9割がたの書き手にとって大切なのは、「こいつどんな奴だろう」と想像させることだと思っている。

つまり、書き手のキャラクターを立てること、だと思っている。

この記事を読んでくださる方のおおかたは、きっとここに目が至るまでに「そこまで言うあんたは何者なのよ」とすごくイライラされたと思う。で、あんた誰。ということになるのである。

このページを開いた99%の方は今回の書き手、横手モレルなる人物が何者なのかをご存知ないと思う。あたりまえだ。本名ではないし、仕事の名前ですらない、このwebでしか使われない記号である。そこに愛や、それはおこがましいのでとあるキャラクターを見つけてくださる方がいらっしゃるのならば、それはめちゃくちゃ珍しい方だと思う(いないかもしれない)。ありがとうございます。唾液のまじらないキッスをお送りします(いないかもしれないけど)。それはそうとして、ほかの99%の方こそが醒めた目線でこの記事を鼻白みながら読んでくださっているのだと思っている。その方にお応えするなら、この記事における「わたし」の正体は、読み手のみなさんに喧嘩を売る、牙をむいた獣である。そうだ、わたしは喧嘩がしたい。わたしはいま、この段に至って、読み手のみなさんにムカつかれる、上から目線の「あんた誰」というキャラクターを得たのである。

***

エッセイを書くうえで書き手が任じなければならない(とわたしが思っている)ことについては3点、書いた。ひとつめ、読み手にとって書き手自身を増長させるエピソードはいっこも要らない、という点。ふたつめ、読み手は書き手自身に興味なんかないのだから、であれば必要なプレゼント(情報)だけを差し出すべきだ、という点。みっつめ。それでもエッセイを書くのであれば、書き手自身を徹底的にキャラクターとして立たせるべきだ、という点。

わたしはいま、むしょうに喧嘩がしたい。穴だらけの経験則でしかないことも承知のうえでポストする。増長するキャラクターを、あしざまに笑ってくれて構わない。なぜならこの媒体では誰もわたしと喧嘩をしてくれないからだ。だから問う。読み手のみなさんにここで問う。結びのわたしにかけたい言葉はなんだろう。「喧嘩なら買ってやる」だろうか、それともあれだろうか。

「で、あんた、誰」

【了】

 

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2016-03-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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