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童貞のまま49歳で死んでしまったヒロアキおじちゃんのこと


ラム 

記事:小堺 ラム(ライティング・ゼミ)

*この文章は、「天狼院ライティング・ゼミ」の受講生が投稿したものです。
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この記事が掲載される頃、桜がたわわに咲き誇っているだろう。

桜を見たら想いだすこと、それは、学校の卒業式後、満開の桜の木の下で当時好きだった中学校の先輩から第二ボタンをもらったことや、文字通り初めてのデートで彼氏と手を繋いで桜並木を照れながら歩いたことなんかではない。

桜を見たら想いだすこと……

それは、童貞のまま49歳で死んでしまったヒロアキおじちゃんのことだ。

 

 

ヒロアキおじちゃんは母方の遠い親戚だった。

正月やお盆の本家での集まりや、法事等、ごくわずかな機会しかヒロアキおじちゃんと会ったことは無かった。

私が幼いころ、ヒロアキおじちゃんのことが大好きだったらしい。

母の話によると、まだ2歳くらいの頃、お盆にやってきたヒロアキおじちゃんを認めるやいなや、「ヒロア~ちゃん!!」と言いながら、涎だらだらの満面の笑みの私が、ヒロアキおじちゃんに突進していたらしい。

そういえば、感触だけは覚えているような……。

弾むような胸の筋肉……。

ヒロアキおじちゃんの肉厚の胸に、バフンッと顔をうずめるのが大好きだった。

ずんぐりむっくりしているヒロアキおじちゃんは、体格でいうと小太りの部類だった。

でも、工場の工員さんで体が資本だったからか、しっかりとした現実的な動ける筋肉がついている感じの体つきだった。

ヒロアキおじちゃんは、私を抱き上げると、何を話しかける訳でもなく、いつもニコニコしていた。

私はそんなヒロアキおじちゃんの胸ですやすやと眠って、両親が自宅に帰る時間になっても起きないもんだから、大いにヒロアキおじちゃんを困らせていたそうだ。

 

 

ヒロアキおじちゃんは、ネジ工場でネジを造る仕事をしていた。

工場は、社長さん以下10人でやっている小さい工場で、ネジは自動車や船などの乗り物に使用するスクリュー式のネジを造るのが得意な工場だったそうだ。

確か、私が小学校のころ工場での作業風景を聞いたことがあった。

朝8時に社長さんが工場に来て、朝礼をした後、ラジオ体操をひと通りやった後、すぐに作業にとりかかり、昼の12時でいったん終了。

自宅から持ってきたお父さんが作ってくれたお弁当を食べて、午後1時から午後5時までまたネジを造る。

注文が多くて作業が間に合わない時は、たまに残業があったようだが、ほぼこの繰り返しを月曜日から金曜日までやるということだった。

話を聞いた小学校のころは、「工場でものを造る仕事の人はすごい」という感覚があったから、特殊なネジを造るヒロアキおじちゃんのことをすごいと思っていた。

だけど、私が中学校に入って大人に近づく程に、どんどんとヒロアキおじちゃんのことが嫌いになっていった。

親戚の集まりの度に見るヒロアキおじちゃんは、相変わらずずんぐりむっくりの体型で、いつもさえないジャンパーとスラックスを着ていた。

高校を卒業してからずっと同じ、社員が10人程しかいない近所の工場に勤めていたヒロアキおじちゃん……。

あれじゃあきっと彼女もいないだろうし、結婚もできないんだろうな……。

ヒロアキおじちゃんの両手の爪は、いつも真っ黒だった。

工場でネジをつくる仕事をしているから、当然かもしれない。

だけど、思春期の私にはとてもけがらわしいものに見えた。

たまに会う親戚のおじさんは、タイトな今風のスーツを着て、髪型なんて木村拓哉みたいなちょっと伸ばした感じで……かっこよくて垢抜けた感じの人が良かったのに……

子供のころはあれほど、ヒロアキおじちゃんの胸に抱かれたがったのに、中学校以降、ヒロアキおじちゃんに話しかけることもなくなった。

そして、私は学校での勉強や部活が忙しくなったので、いつしか親戚の集まりに私がいくことも少なくなっていた。

 

 

高校2年生のある日、高校1年生の入学式が終わった午後は学校の授業もなく私は自宅でテレビを見ていた。

リビングの電話が鳴り、母がとる。

なんでも、ヒロアキおじちゃんと2日くらい連絡がとれないと、おばあちゃんが心配して電話をかけてきたらしかった。

ヒロアキおじちゃんの家とほど近い私の母が様子を見に行くことになった。

私もたまたま家にいたので一緒に行くことになった。

内心、ヒロアキおじちゃんに会うのがイヤだったけど、帰りに母はたぶんデパートに寄るだろうから、その時ケーキでもねだって、帳消しにしようというヨコシマな心で私はついていくことにした。

 

ヒロアキおじちゃんは、郊外の一軒家にお父さんと二人でずっと住んでいたらしいが、5年前にお父さんが亡くなってからは、一人で住んでいるということだった。

ヒロアキおじちゃんの家に着くと、玄関前の庭に咲いている桜が、ハラリハラリと舞い散っていた。

あー、今年の桜も今日がピークかなあ、花見にでも行けばよかった、そんなことを考えた。母がチャイムを押したけど応答がなかった。

田舎の家の風習で、玄関にカギはかかってない。

母が、ずかずかと玄関から上がり、廊下を進んでいった。

「ヒロアキさ~ん、ヒロアキさん」

母の間延びした声が静かな家に響く。

「ヒロアキさんっ!! しっかりして!!! ちょっと、救急車呼んで!!!」

先に居間に入った母の緊張した声が聞こえ、私が居間に入るとヒロアキおじちゃんは、椅子の上に腰かけて、まるで居眠りするように首をうなだれていた。

うなだれて椅子に座っているヒロアキおじちゃんの目の前のテレビは、当時大流行していたビリー隊長率いる「ビリーザブートキャンプ」が流れていた。

「ヘイ、僕の隊に入隊したからには、最後まであきらめさせないぜ!!」

マッチョなアメリカンのビリー隊長が、茶の間で励んでいる皆を鼓舞するセリフを言っていた。

そして、日本人なら3分くらいで根を上げそうな、スクワットを延々とやっていた。

「そうだ~、いいぞ!! その調子だ!」

やたら調子のいい吹き替えの男性の高らかな声とうなだれているヒロアキおじちゃんのギャップのあまりの面白さに、私は吹き出しそうになった。

「ちょっと、アンタ!! はやく119!」

母の金切り声でようやく現実を把握した私は、投げつけられた携帯電話で救急車を呼んだ。

駆け付けた救急車に母は一緒に乗っていき、私は独りヒロアキおじちゃんの家に取り残された。

 

 

ヒロアキおじちゃんは、今のテーブルセットに腰かけてテレビを見ていたらしかった。

テレビ画面のビリー隊長は、最後の総仕上げにヒンズースクワットを入隊者にやらせようとしているところだった。

あの様子だったら、ヒロアキおじちゃんは助からないかもしれない。

まだ母からの連絡はないけれど、高校生の私にさえ、救急車で運ばれていったヒロアキおじちゃんの重篤さがわかった。

椅子に座っていたままのヒロアキおじちゃんと、ビリー隊長。

ヒロアキおじちゃんが大変な時なのに、私は笑いをこらえることができなくなった。

「あはははは……」

大声で笑った。

おなかがいたくなって、涙が出た。

なんってシュールなんだろうか。

深刻な現実ほど滑稽なものはない。

笑いすぎて出てきた涙を拭くために、テーブルの上に載っていたティッシュに手を伸ばすと、開かれたノートに目が行った。

大学ノートはびっしりと隙間なく、筆圧の強い0.7径の太いボールペン時で癖のある右上がりの角ばった字で埋められていた。

写経かなあ~と思うほどに、びっちりとしていた。

手に取るとそれはすぐに、日記だとわかった。

私は最後の1ページに目を通す。

 

 

4月2日

今日もビリーをやった。ここのところ目方も減っとるし、腹も引き締まってきた。花見にはまにあわんけど、5キロ減ったら大丸に服ば買いに行こう。ほんで、恵子さんば映画に誘うったい。うまくいったらホテルに誘えるかいな。はようしたくてたまらん。

 

どうやらヒロアキおじちゃんは気になる女性がいて、そのためにビリー隊に入隊しシェイプアップに励んでいるようだった。デパートで服を新調するとも書いてある。しかも、その日のうちに大人の関係に持ち込もうとしているではないか。

ヒロアキおじちゃんが大変な時に、何、私は人の秘密を盗み見ようとしているんだ、良心は止めようとしたが、目は勝手に日記を読み進めていった。

 

3月19日

ビリーをやり続けたら腹が固くなってきた。早う引き締めて若返ってから早く恵子さんを誘いたか。

恵子さんをホテルに誘うのはいいばってん、そういうことが初めてのオレをどげん思うっちゃろうか。黙っとったらわからんやろうけど、男らしく白状してしまった方が楽かもしれん。もう49やしちゃんとできるかどうかもわからんし。

 

ヒロアキおじさんは童貞だったのか……。

私は言葉が出てこなかった。

無理もない。

高校を卒業し父親と二人で生活し、近所のネジ工場と往復する日々。

パッとしない見た目……女にもてるとは到底言えず、最近ではおせっかいな世話焼きおばさんも少なくなったから持ち込まれる縁談もなかっただろうし、口下手なヒロアキおじちゃんのことだから積極的に自分から女性を誘うということもなかっただろう。

なんという人生なのだろうか!!

ヒロアキおじちゃんは、49年間誰にも迷惑かけず正直に、一生懸命生きてきたのに、女も知らずに逝ってしまうというのか!!

切なすぎて、愛しすぎて思わず日記帳を抱きしめた。

私は日記帳を抱いた自分の胸の中に、優しい母性が宿っていることを感じた。

その瞬間、ハラハラと十数枚の紙面が日記帳の間からすり抜けて床に舞い落ちた。

それは、先ほど見た玄関前で散りゆく桜の花びらのようだった。

何だろうと思い、腰を落ろして落ちた紙面を拾う。

紙面を一枚一枚じっくりと見た。

ヒロアキおじちゃんの気持ちを受け止めるつもりで、目を見開いてじっくりと読み取った。

確認した紙面は全て、男女そのものが結び合っているところだけを、どこからか切り取ったものだった。

高校生だった私は、もちろん正真正銘の処女で、そんな情景を写真でも映像でも見たことはなかった。

ところが不思議なことに嫌な汚らわしさは全く感じなかった。

それよりも、ヒロアキおじちゃんの想いは、これで昇天したなというすがすがしい気持ちになった。

閉じ込められた行き場のないエネルギー、押し込められてどうしていいかわからない人間の欲望は、伸びやかに、健やかに周りと循環することを知らない。

そして屈折し、淀みきった沼のように腐臭を放ち、そこから出た毒素であっという間に人間そのものをダメにしてしまうだろう。

だけど、ヒロアキおじちゃんは少し違った。

思いつめられた気持ちの現れである結合写真コレクションは、偏った性愛への憧れだろうけど、私は少しも不潔に感じなかった。

女を知らないことで戸惑ってはいたみたいだけど、最後まで自分を見失わず憧れの女性のためにビリーザブートキャンプに励んでいたなんて……

ヒロアキおじちゃんのコレクションに、純粋な女性への憧れと命を繋げることへの人間の貪欲さと凄みを、まざまざと感じさせられた。

 

 

結局、ヒロアキおじちゃんは運ばれた病院で息を引き取った。

脳溢血だった。享年49歳。

童貞のまま死んだヒロアキおじちゃんは、自分の遺伝子を残すことはなかった。

でも、彼の苦悩を綴った日記帳に、密かにためていたおびただしい数の男女の結合写真が、散っていく桜の花びらのようにハラハラと床に舞っている情景を、私は今でも忘れない。

ヒロアキおじちゃんは、確実に私の記憶に残り続けていく。

桜の季節がくると、毎日ヒロアキおじちゃんの事を想いだす。

そして、同時に、人間の性への憧れと探求心、命を繋いでいくことへの欲望が確実に私の肚にもうずいていることを思い出す。

私は、ヒロアキおじちゃんのように貪欲に生きられているだろうか。

今朝も、桜並木を遅刻しそうになりながら小走りで走り抜ける出勤時に、ヒロアキおじちゃんのことを思い出しながら、もっともっと原始的に命を全うしなきゃと思った。

そして、やりきってやりきって、散っていくなら本望だ。

 

 

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*この文章は、「天狼院ライティング・ゼミ」の受講生が投稿したものです。

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2016-03-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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