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ネット中毒だった私が出会った、とある女性の話


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記事:かたPさま(ライティング・ゼミ)

件名 【重要】サービス終了のお知らせ

利用しているインターネット接続事業者から、メールが届いていた。
どうやら、接続会員向けのホームページサービスがまもなく終了するようで、その知らせであった。

私には、かつて自分で管理運営していたウェブサイトがあった。
今はもう、そのほとんどを閉鎖し、アクセスもしていない。おそらく閲覧、利用者もいないだろう。

私が、パソコンに触れるようになったのは、1996年2月のことだ。
就職活動を控え、情報交換や勉強のために、アルバイトをして貯めたお金をはたき、30万円で買ったものだ。
前年の秋に発売になったばかりのWindows95搭載、ハードディスク1GB、メモリ16MBのスペックだった。
パソコンの世帯普及率が20%、インターネットの世帯利用率が5%未満の時代だ。

ちなみに、ポータルサイトYahoo! JAPANが登場したのは、そのすぐあとの1996年4月。
インターネット関連事業企業Googleの設立は、1998年9月。
電子掲示板サイトの2ちゃんねるが誕生したのは、1999年5月。
パソコンが、一部のマニアや専門職のものから、一般消費者が使うようになりはじめた頃だ。

私は、久しぶりにそのサイトにアクセスをしてみた。
そして、そこで出会った1人の女性のことを思い出した。

*

管理人>かたPさんが入室しました。

「人が元気の出るような」そんな空間を提供できたらと思い、このサイトを立ちあげました。サイト名のNetariumとは、接尾語~arium(~に関する所の意味)にNetを付けた造語です。Planetarium(プラネタリウム)やAquarium(アクアリウム)のように、ネット上の「ホッとできるような」空間になれたらいいと思っています。それでは、どうぞごゆっくりとおくつろぎください。

こんな挨拶から始まるそのサイトを、1997年に立ち上げた。

当時、私は、インターネット上で、リアルタイムに参加者が文字入力を通してコミュニケーションを行う「チャット」に大ハマリしていた。
今で言う、FacebookのグループチャットやLINEのグループトークのようなものだ。

アプリではなく、インターネットのサイト上に、チャットのできるページがあり、そこにアクセスしてきた人と、リアルタイムに、数文字から数十文字程度の文章を書き込んで、会話を楽しんでいた。
2~5人程度で話すことが多かったが、時には、10人を超える参加者の中、会話することもあった。

まだ、出会い系サイトという言葉もなく、「性」や「お金」のニオイは極めて薄く、日常に起こった出来事や趣味の話、時には悩み事、相談事が話されている場であった。

チャットは、高速道路のサービスエリアのようなものだ。
目的地の途中にあって、休憩をし、給油をしたり、トイレに行ったりする。
参加者は、会話を楽しみながら、疲れを癒し、元気を補充し、時には悩みを打ち明けることで気持ちを軽くした。そして、皆それぞれにある現実へと戻っていくのだ。

チャットにハマルと、自分でチャットのページを持ちたくなるようで、例に漏れず私もサイトを立ち上げたのだった。

*

かたP>待機中です。良かったらチャットしましょう!

管理人>Yさんが入室しました。

ある日のことだった。
その日は、常連の参加者が少なく、チャットにはちょうど誰もいない時間だった。
そんな時には、待機して、誰かが来るのを待つのが常であった。
そして、Yという名前の、ここでは初めて見るその人が、入室してきたのだった。

Yさんは、群馬出身で東京在住、19歳のフリーターで、女性であると自己紹介をした。
真偽を確かめる術はなかったが、明るくて前向きで元気な雰囲気が感じられるその人は、大きな嘘はついてなさそうな印象であった。

話をしていくと、趣味が音楽で、バンドを組んでいるらしかった。
私も音楽は好きで、当時は、GLAY、L’Arc〜en〜Ciel、LUNA SEA、SPEED、Every Little Thingといったアーティストが全盛の時代であったなか、彼女からは、デビューしたばかりの宇多田ヒカル、椎名林檎、くるりといった名前が出てきて、私からも、こちらもデビューしたばかりだったaiko、 GRAPEVINEを紹介したり(いずれも1998年頃の日本のミュージシャンの話である)、音楽という共通の話題もあり、仲良くなるのに、さほど時間はかからなかった。

それから、彼女は、チャットにちょくちょく現れて、話をする機会は多かった。
バンド内で意見が合わないという話や、皆で揃ってなかなか練習ができないとか、スタジオ代が大変、レコーディングするにはどうしたらよいのか? そんな話題もあった。

*

Yさん>今度、路上ライブをするので、見に来てくださいよ!

彼女のバンドは、女の子ばかりの4人組だった。担当は、ボーカル&ギター。
路上では、4人揃っているときもあれば、2~3人のこともあった。
田舎からお母さんがいらしていて、じっと見守っている姿を見かけたこともあった。

チャットで話を聞いていたから、意見が対立しているのは、あのベースの彼女で、仲がいいのは、あのドラムの彼女なんだなとか、あのお母さんが、スタジオに大きなラジカセを持ち込んで録音するという騒動を起こしたのだなとかの楽しみもあったが、何より、線は細いが甘すぎない、そして、ファルセットが心地よい彼女の歌声が、私は好きだった。

ある時、夢は「プリンセス プリンセス(1990年前後にヒット曲を連発した日本のガールズバンド。女性だけのバンドとして初の日本武道館公演を行った)のようなバンドになること」と、そう話してくれた彼女。
それに呼応するように、私も「コンサートでもない、ミュージカルでも、演劇でもないけれど、歌あり踊りあり芝居ありの新しいエンターテイメントショーが創りたい」と、話をしたものだった。

夢を語る彼女は、とても美しく見えたのを覚えている。

*

その日も、私は、彼女の歌声を聴きに、路上ライブに出かけた。
他のメンバーはおらず、彼女は1人でギターを弾き、歌っていた。

1人で立っていることが、何を意味するのか、毎晩のように共にチャットしていた私には、すぐに理解できた。
そして、彼女も私が理解したことを理解したように思えました。
すると、驚くほど静かに、彼女の瞳から、涙がこぼれてきました。
路上というとても賑やかな人ごみの中で、その涙は、こぼれ続けました。

演奏が終わり、片づけを終えた彼女は、ほんの少しためらった後に、私のほうに歩いてきました。
私は、どう言ったらよいかを考えていました。
ですが、彼女のほうから、バンドメンバーが抜ける。仲のよいドラムの彼女が病気で入院する。そんな話を続けました。

もう遅い時間で、2人で駅に向かいました。
彼女は、電車のドアに倒れるようにもたれかかり、私は、そんな彼女を支えるようにし、互いの顔と、互いの瞳の中に映る自分の顔を、そして、車窓を流れる街の灯りを見つめていました。

そして、2人は迷っていました。
いやひょっとしたら、迷っていたのは私だけで、彼女は待っていたのかもしれません。
夢や希望を胸に東京に出てきたが、理想と現実のギャップに苦しみ、夢を追うことに疲れた2人が、関係を進展させるには十分な状況にあった。

据え膳食わぬは男の恥とばかりに、何を迷うことがあるのか。
そう思う一方で、もし今晩、勢いで関係を持ったら、決して2人は一夜限りの関係では終わらないだろうとも思ったのです。
そして、ふと、もう歌わない彼女が浮かんできました。ひとときの慰めが、互いに、諦めに繋がるのではないかと。
でも本当のところは、私は、覚悟を決め切れなかっただけでもあった。

電車が彼女の降りる駅に着いた時、彼女の手がすっと、私の手に伸びてきました。
その瞬間、私は、彼女に言わせてしまうのか、なんと甲斐性のないことかと思ったのでしたが、しかし、彼女の手は、私の両手を握り締め、そして「お互いがんばろうね」と言い残して、電車から降りたのでした。

*

かたP>こんばんは!

それからしばらく、彼女は、入室してくることはなかった。
その頃、私の仕事は、週に1~2日徹夜することが予め組み込まれるほどで、日々の忙しさはますます増していた。
だが、それにも関わらず、長時間インターネットにアクセスし、チャットを減らそうとしてもうまくいかず、睡眠不足にもなっていた。

チャットは、お酒のようなものだ。
「酒は百薬の長」とも言われるように、適度に楽しめば、食欲が増え、血行が良くなり、ストレスが緩和されるなど、健康によい。

チャットも、感情や考えに共感しあい、楽しい話題を共有し、本音トークでストレスを発散するなど、日常から離れて、ちょっとした気分転換になる。
だが、依存するようになると、睡眠不足や昼夜逆転になり、社会生活に問題が出てくる。
さらに、現実の状況は本当の自分ではなく、ネット上の自分こそが本当の自分であるといったような思い込みをするまでになる。
そして、現実を受け入れられずに、チャットに留まり続けてしまうのだ。

*

かたP>Yさん、お久しぶり!

ある日、久しぶりに彼女は入室してきた。
この間のことに触れることはなく、最近のお気に入りのミュージシャンの話をしたり、ライブに行って来たなど、そんな話をした。
そして、最後に、今度、ライブハウスで歌うことになったから、是非来て欲しい。
そう告げたのだった。

管理人>Yさんが退室しました。

*

仕事で少し遅れて、私は、会場に到着した。
ちょうど、曲と曲との間のトークの時間であるMCのタイミングだった。

ステージに立っている彼女は、
「こんなところで話すことじゃないかもしれない」と、前置きしながら、

「先月、母親を亡くしました」と、唐突に告げたのです。

「群馬からライブにわざわざ来てくれて、新しい曲ができると、近所の人や親戚に配ってくれたり、一番身近で私を応援してくれた人だったんです」
「そして、一番近くにいたからこそ、一番迷惑をかけた人でもあったんです」
「そんな大切な人が、急にいなくなったんです」
「しばらくは、もうどうしていいのか? これからどうするのか? 毎日泣いてばかりでした」

そう話ながら、ときおり、天を仰ぎはしたが、でも、彼女は、決して涙をこぼしませんでした。そして、

「もうね、やるしかないんです。私は歌い続けるしかないんです」

彼女はそう言いました。
そこには、強がりも、ためらいも、迷いも、まるでないようでした。

そして、次の曲の演奏が始まりました。
ギターを掻き鳴らし、想いを込めて歌う彼女は、夢を追うことにもう疲れてはいなかった。それは、すっかり消えているようでした。

*

彼女とは、あれからチャットすることも、会うこともなかった。
その後も、私は、毎晩、チャットに留まり続けました。

そして、何かのいたずらだったのか、たまたま1日だけチャットをしなかった日に、彼女は現れたようでした。
翌日、彼女の入室したログが残っているのを見つけた時の、何とも言えない胸の苦しみは忘れられない。

その後、しばらくして、私は東京から離れてしまった。

*

Googleで彼女の名前を検索してみた。
東京の小さなライブハウスのスケジュールに、たくさんの出演者の中に、その名前はあった。
母親が亡くなるというショッキングな出来事がきっかけだったとはいえ、彼女は、あの時、覚悟を決めた。
そして、彼女は、今も、歌うことを続けている。

思えば、元気が欲しかったり、ホッとしたかったのは、他の誰でもない私でした。
楽しい交流もあったのは事実だが、現実で満たされないものを無理やりチャットで埋めようとしていたこともまた事実であった。
もちろんそれは埋まるはずもなかった。
目の前のことを棚に上げて、紛らわしていた。

毎日が楽しい。それはそれでいいんじゃないか。
でも、ただ楽しいだけで本当にいいのか。
真正面から何かに取り組んで、苦しみながらも、諦めないで続けた先にある楽しさ。
覚悟を決めた人生がいいんじゃないかと。

私は、覚悟を決められるだろうか?

管理人>かたPさんが退室しました。

 

***
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2016-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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