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メディアグランプリ

父親以上、父親未満


記事:石川 高生(ライティング・ゼミ)

父親になるってなんだろう。誰もいない病院の喫煙所で、そんなことを考えていた。父親になるための資格があるとしたら、たぶん僕は持っていない。持っていないどころか知らないのかもしれない。

自然分娩を選択したため、陣痛が始まってから子どもが生まれてくるまで、4日かかった。妻の背をさする。肘枕でうたた寝をする。この繰り返しだけで、まる2日が過ぎた。
時折、看護師さんが顔を出し「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたが、2日も繰り返すと「大丈夫です」と返す気力も失せ、「大丈夫じゃないです」と悪態すらつきたくなっている自分がいた。

徹夜に近い状態で3日目を迎えると、妻の背をさする動作と、うたた寝は一体化し、背中に手を当てて寝ている時間が大半となった。あらゆる動作は緩慢となり、眠気と腕のしびれが自分のすべてを支配していた。出産に立ち会っているのだという感覚は遠のき、ここで何をしているのかが分からなくなりつつあった。もはや妻を思いやる余裕はなくなり、ひたすら眠くて、腕が痛かった。

出産に際して男ができることは、そんなに多くはない。そばにいてくれて心強かったという感想もよく聞くが、医者以上に安心感を与えられていることもないだろう。出産間際の様子をみていれば、男などあてにしていないことが良くわかる。それでも、いてくれるだけでよかったなどと言ってくれるのは、心づかい以外の何ものでもない。うたた寝をしながら背中をさするだけで感謝してもらえるのだから、男は役得だと思わなければならない。

それでも、4日の半徹夜は心身にこたえた。産む方が大変なのは十二分に分かっているつもりではあるが、うんうんと唸っている当事者を前に、ただ見守り続けるというのは、想像以上に疲れる。生涯で最も役に立たない自分を目の当たりにしながら、僕は、重い瞼と格闘を続けていた。

こうして、5月の連休をめいっぱい使って息子は生まれてきた。看護師さんに手ほどきを受けながら初めて自分の子どもを抱いた時、抱き方は正しいのか、首は大丈夫か、そんなことばかりが気になっていた。うれしいのか、うれしくないのか、正直わからなかった。
腕の中で小さく呼吸をしている子どもは、あまりにも脆く、今にも壊れそうだった。突然、不安に襲われ、僕は、すぐに子どもを妻の手に返した。あまりにも戻すのが早かったため、妻も看護師さんも、不思議そうな顔をしていた。
「ちょっと外の空気を吸ってくる」そう言って、僕は病室から逃げだした。

午前5時、僕は、病院の玄関先にある喫煙所のベンチに腰掛けていた。その日は、肌寒く、台風のように風の強い日だった。早朝だからか、強風のせいか、喫煙所には僕以外に誰もいなかった。ぼんやりと空を見上げると、ものすごい速さで雲が流れていた。頭を冷やすにはちょうどよいが、煙草に火をつけるには最悪のコンディションだった。

父親になるってなんだろう。

自分と父は、すれ違いの生活で、ほとんど顔を合わせることがなかった。父の記憶の大半が、寝ている後ろ姿と、煙草の煙だった。たまに顔を合わせても、寡黙な父は、多くを語らなかったし、父の言葉は難しく、子どもの僕にはさっぱり分からなかった。そうこうしているうちに、父はあっさりと逝ってしまった。

だからというわけでもないが、僕には、父親とは何をする生き物なのか、まったく想像がつかなかった。自分が、子どもにしてあげられることは本当にあるのか。子どもは父親に何を求めているのか。とにかく分からなかった。おむつを交換するとか、お風呂にいれるとか、そういうレベルのことは分かっている。分かっていても、自分が子どもをあやしている姿を想像することは、ひどく難しかった。

その上、僕は、感情表現が苦手で、つまらないやつだと言われ続けてきた。口下手で、引っ込み思案で、運動神経も悪い。結婚して少しはましになったけれど、普通には程遠いレベルだった。

そんな僕が父親になった。

感情表現に乏しい自分が、子どもを笑顔にできるのか。何をして遊べばいいのか。あれもしなきゃ、これはできるか。どんどんと、やるべきことが肥大化する感じがした。期待と同じくらいの不安があって、家族が増えるということが、こんなに孤独な気持ちを生むとは思ってもみなかった。増えるのだから、賑やかで、愉快で、もっと軽快な気持ちになるんだと思っていた。それよりも、親になるという重圧のほうが大きく、苦しい気持ちになった。無口に煙草、これじゃ親父と同じだな。そう思うと喫煙所にいるのが嫌になり、病室に駆け戻った。暗い気持ちの中、仮眠ベッドに横たわり眠りについた。

目が覚めたのは昼過ぎだった。妻子はよく眠っている。病室を見まわすと、カレンダーが目にとまった。僕は飛び起きると、近所のスーパーマーケットに向かった。相変わらず風は強かったが、気持ちのいい青空で、日差しは暖かいを通り越して暑いくらいだった。

分からない。どうすればよいかなんて、全然分からない。分からないけど、とりあえず鯉のぼりを買いに行こう。今日ほどそれに相応しい日はないし、それ以外に思いつくこともない。
そうして僕は、近所のスーパーマーケットで、ラムネ菓子のついた、300円の鯉のぼりを買ってきた。窓際にあった花瓶に花と一緒に生けてみると、そこそこ賑やかで、ちょっとだけ嬉しくなった。自分だけが起きている病室で、風になびく花と鯉のぼりを眺めていたら、悩むのがバカらしくなってきた。鯉のぼりのボタンを押すと、にぎやかに鯉のぼりの曲が流れたが、家族はまったく起きる様子はなく、気持ちよさそうに眠っていた。

家族の寝顔を見ているうちに、できるとか、何をするとか、そんなことは、どうでもいいことのように思えてきた。目の前にいる子どものために、できることをしよう。望むことはしてやれないかもしれない。でも、がんばってみるよ。性格があわなくて、ケンカをして出て行くかもしれない。気に入らないこともたくさんあるだろう。それでも、三度の飯と寝るところはなんとかするよ。将来は、「まあ悪くなかったな」とお互い言えるようにしようじゃないか。父業も母業も自己流だ。まわりを見ればキリがない。でも、正しく生きることだけは約束するよ。
それじゃあ、これから、がんばろうか。

毎年、5月の連休は、そんな昔話をしながら、誕生日を祝ったり、ケンカをしたりしながら過ごしている。いつまでそんな日々が続くのだろうか。あと数年かな? まあ、そんなに先のことは分からない。

300円の鯉のぼりは、音楽は鳴らなくなってしまったけれど、今年も元気に風に揺られている。
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2016-05-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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