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メディアグランプリ

虫愛づる妹にも愛せなかったある虫の話



記事:白井コダルマ(ライティング・ゼミ)

 

けだるい夏休みの午後だった。

私が麦茶を飲んでいると、猛スピードで台所に妹がかけこんできた。そして勢いよく冷蔵庫の扉を開けてドレッシングを取り出すと、そのまま、それを一気に飲み干した。

あまりのことにコップを持つ手が宙で止まる私。

ドレッシングが気管にでも入ったのか、激しく咳き込む妹。

一瞬のことだった。

 

年子の妹は、幼稚園入園あたりから丸くなり始めた。年長さんのころ、妹の体重を聞いたよそのお母さんがつぶやいたという言葉が忘れられない。

「36キロ? 私と同じだわ」

今考えれば、そのお母さんは間違いなく痩せすぎである。しかし幼稚園児と保護者の体重が同じ、というインパクトは大きかった。妹は続く小学校時代も、ぱんぱんに丸い児童として過ごしていた。決して社交的とはいえず、個人的な興味にひたすら没頭するタイプの妹は、たくわえた脂肪を鎧のようにして、自分の殻にこもっていたのかもしれない。

「みんなこわい。だから先にやってやるんだ」

小学校入学早々、クラス全員の男子を泣くまで突き飛ばした真相を、後年妹はそう語っていた。

 

とはいえ、当時の私は妹のダークな面には全く気付いていなかった。

私がぼんやりした姉だったというのもあるが、彼女が家ではひたすらに面白く、おしゃべり上手な妹だったからだ。欲望のままに振る舞い、親にも怒られてばかりいるのに、憎めない。口げんかで言い負かしたら、報復に私の学習机上のものを全て床に落とされたこともある。ショックを受けつつも、その行動の潔さになぜか笑いが出てしまった。やろうとするとわかるけれど、他人の机のものを全て落とすというのはなかなか心理的ハードルの高い攻撃なのだ。「ちくしょー!」と言いつつ迷いなくやれる、そのポップな思い切りにはかえって感心してしまう。

けんかをしてさえ面白い妹との毎日は、とにかく笑いとともに過ぎていくのが常であった。

 

ただ、妹の持つ資質の中で、どうしてもどうしても、私と相容れないものが一つあった。

――虫が好き、という点だ。

蜂、セミ、バッタなど、飛んでくる虫はなんでも大嫌いな私に対し、妹はそれらをこよなく愛していた。夏になると、虫かごいっぱい、ぎゅうぎゅうにセミを詰め込んで帰ってきては家の中で解放する。カーテンの裏、照明のかげ、あっというまに他の部屋へも飛んでいっては潜んでしまったセミに恐怖しつつ、眠れない夜を過ごしたこともある。とってきたバッタやカナブンが共有の子供部屋で行方不明になるなんて日常茶飯事。ベランダの植木鉢は「虫さんのお墓」となり、さらにそこから新たな虫が湧いてくる。

地獄のような循環が、マンションの一室に完成していたのだ。

 

そんな妹だから、思いついた計画だった。

 

中学に入ると、妹は猛然と痩せ始めた。

もともとが凝り性でストイックな性格なので、「一日15分、人生を捨ててダンベルをする」「鍋いっぱいにこんにゃくの煮物を作り、食べ続ける」「食事の代わりにチョコを食べる」など、若干、それはどうかとツッコみたくなる雰囲気はありつつも、たてた計画を厳密に実行することで体重はみるみるうちに落ちていった。入学時にあつらえたセーラー服は、最初の夏前にはぶかぶかになって、既に肩からずり落ちかけている。

 

冒頭の事件はそんな中起こったのだ。

 

妹が手に取ったのは、オレンジのキャップのドレッシングだった。玉ねぎの旨みと醤油の風味が濃厚で、刻んだオリーブが華を添える、福岡ではドレッシングの定番的存在。

ボトルを手にしたまま、流しに倒れこむように咳き込む妹に、私はこわごわと、当然の問いをした。

「なんで、ドレッシングなんか飲んでるの……?」

妹は涙ぐみながらこちらを見て、

「消毒」

と一言こたえた。

 

妹はてっとり早いダイエットを企んでいた。

『生の鶏肉にはサナダムシという寄生虫がいる』との情報をどこからか聞きつけ、早速お腹に虫を飼おうと決めたらしい。

「お腹に虫がいればさー、じゃんじゃん痩せていくらしいよ!」

わくわくしながら冷蔵庫に鶏肉が入る日を待ち、ささみ肉を見つけたのが、その、夏休みの朝であった。

パックから取り出した、ひんやりとなめらかなその肉を一気に噛み砕いて飲み下し、ほっとした瞬間、しかし今度は父の声が頭に響いてきたのだという。父は大学教授で物知りで、娘たちに対しては厳しいことこの上ない、我が家の『恐怖の知の巨人』であった。

――待てよ、そういえばお父さんがサナダムシのこと、前に言っていたような気がする。

『昔の人はほとんどお腹にサナダムシ飼ってたようなものだけれどね、たまにあれは脳まで行ったりするんだ。体の中を自由に動くんだよ。そして、脳を食い破る』

――そうだ、脳って言ってた!!!

「いやだー!」

――どうしよう、もう食べちゃったよー。

――待てよ、食べたばっかりだし、今なら消毒すればいいんじゃない?

――消毒と言えば、酢だ! 酢を飲めばいい! 殺菌してサナダムシを殺すんだ!

ぐるぐると混乱する思考の中、短絡的によくわからない結論に達した妹は、そのまま慌てて台所に駆け込んできたのであった。

「でも、せっかく飲むならおいしいほうがいいからさ、酢が入ってるおいしいものといえばドレッシングだって思ったわけ」

ギリギリの状況でも、とっさの判断でおいしさを求める。

――まさに食いしん坊の性。

聞きながら思ったものの、妹は既に清々しい顔で麦茶を手にしている。

「じゃあ、もうサナダムシはいいの?」

「うん。だいたい、ムシっていっても虫じゃないんだって。プラナリアとかの仲間なんだってよ」

「サナダムシもカブトムシも似たようなもんだと思うけど」

「全然違うよ! まあ、だから実はちょっとイヤだったんだ、最初から」

つまり『妹にとってきちんとした虫』であれば抵抗なくお腹に入れていたかもしれないのか。

虫嫌いの姉には理解できなかったが、妹の中では筋の通った話なのだろう。

 

幸い、サナダムシは妹に住み着くことはなかったようだ。

そもそも現代のスーパーの肉に、寄生虫がいるなんてことも殆どないだろうけど。

 

それから20年、今もスリム体型を保ちつつ、私の娘と一緒に嬉々としてセミ取りに精を出す妹を見ると、あの夏、彼女にさえ愛されなかった、白く長いムシのことを思い出す。

 

 

***
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2016-05-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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