メディアグランプリ

旅の途中の盗み聞き


記事:Mizuho Yamamoto(ライティング・ゼミ)

車窓いっぱいに広がる雪の残る南アルプスを背景に、1泊旅行の荷物を持った二人の昔女子が並んで座るローカル線。向かい合わせの長い1列の椅子に腰かけていると、間に立つ乗客がいないので二人の様子がよくわかる。

話し手と聞き手に役割分担された2人の会話は、自然と耳に入って来る。とりあえず、話し手をトヨさん、聞き手をトミさんとする。

「あたし82になるけど、あなたは?」

「あたしは、いくつだっけ?81かなぁ?」

「ま、同級生だし今年度には82ね」

次に、互いにこの帽子はね、この手提げはね、と持ち物の解説。どこで買ったか、誰にもらったか。

その次は家族の話。誰と住んでいて、どんな日常を送っているか。

「孫が東京の大学に行ってて、これが気が利いてて優しくてね」

「トヨさん、幸せねぇ」

「息子が結構あたしに気を遣ってくれて」

「トヨさん、幸せねぇ」

「お嫁さん、結構料理上手でさぁ」

「トヨさん、幸せねぇ」

トミさんの判で押したようなリアクションに、トミさんは幸せなのかな? と疑問符が浮かんだその瞬間だった。

急にトミさんは、トヨさんの耳に手を当てて何事かをもにょもにょと伝えた。

「え~、あなたそれは」
「え~、え~、そんなこと言われて黙ってたらだめよ」
「それは相手が子供でも言っちゃぁいけない言葉だわ。おばあちゃん邪魔だなんて。それ
はねその親のあなたの娘か、婿さんかが言っているか、言わせてるのよ」

あの~、せっかくトミさんが小声で周りに聞こえないように言ったのに、復唱されると小
声の意味がなくなるんですけど…… と思いながら次の展開を待つ。

2人の向こうに湖が開けてくる。旅館やホテルが立ち並ぶ中、キラキラ光る湖面がまぶしい。

「わかったわ、今日一晩あなたの話を聞いてあげるから、思ってること全部話しちゃいなさいよ。がまんはだめ。何かこうバシッと言えるようにあたしが考えてあげるわ」

「終点上諏訪です」のアナウンスに、立ち上がった二人は、

「ここ上諏訪よね?」

確認のまなざしを向かいに座った私に向けるので、

「はい、上諏訪ですよ」

にっこり笑って答えた。

さざ波の立つ五月の湖面を抜けて来る風はさわやかで、2人の昔女子の後ろ姿に、思わず

「トミさん、ファイト~」

心でエールを送った。

乗り換えた特急あずさで新宿へ向かう途中はほとんど眠っていて、目が覚めたら富士山が見えた。ほぼ、会話のない車内は、絶好のお昼寝時間となった。

中央線に乗り換えると、左隣に老婦人と青年。

「おばあちゃん、久しぶりに会えて僕嬉しかったよ。次の駅で先に降りるけど、気を付けて帰ってね」

「ああ、あんたも気を付けてね」

先に降りて行ったリュックを背負った青年は振り向いておばあちゃんに手を振るかな? と期待して見ていたが、一度も振り向かずに向かい側のホームの電車に乗り込んでいった。ここで青年が振り向いて、もう一度老婦人を見て手を振ると、私の感性にぴったりだったんだけどと思いつつ。それでも隣の老婦人の温かな幸せが、私にも伝わって来るような気がした。

別れた後にもう一度振り向くか、振り向かないか。昔、母がよく言っていたことを思い出した。ごまふあざらしではなく人間のごまちゃんについて。

ごまちゃんは、合田正樹とか後藤松夫みたいな名字の初めの1字「ご」と名前のそれの「ま」を合わせてできたニックネームだった。小学1年生からの長男の親友だ。

実家の近くに家を建ててから、小学校と幼稚園から帰った息子たちを母が迎えてくれるようになった。子ども好きの母が、ジュースだ、お菓子だと世話をするので、長男のクラスの男子全員が1度は我が家に遊びに来たことがあるほど人気の場所となった。

小学1年生の彼らは、キッチンのカウンターの向こうの母に、背伸びをしながら時々話しかけた。「おばあちゃま」と長男が呼ぶので、みんな母をそう呼んだ。

「ねぇ、おばあちゃま、のどかわいた」

「おばあちゃま、今日ね、ぼく100点もらったんだよ」

今でいう学童保育状態の我が家だった。保母さんになりたかったという母は、喜んで子どもたちの世話をした。そんな中で、いつもみんなの後ろにいてにこにこしているのがごまちゃんだった。

お母さんと妹と3人暮らしの彼は、どう育てたらこうなるんだろう? というほど素直で
気立てのいい子で、母のお気に入りとなるのに時間はかからなかった。

「おばあちゃまにね、ぼくこの白いおうちを建ててあげる」

「この指輪、大きくなったらおばあちゃまに買ってあげるね」

新聞広告を指さしてごまちゃんが言うのだと母が嬉しそうに教えてくれた。孫はそんなこと言ってくれたことはないのにと。

放課後の野球やサッカーで、我が家の学童保育児童が減っても、ごまちゃんだけは毎日やって来た。平和主義の長男と気が合って、けんかすることもなく粘土遊びや工作にいそしむ様子は微笑ましかった。

私が帰宅する時間には、子どもたちはみんな帰った後だったが、ある日出張先から早めに帰宅するとごまちゃんがいた。

5時になると、

「ぼく、そろそろ帰ります」

と立ち上がった彼を玄関まで送って行きながら母が、ちょっとあんたも来てごらんというのでついて行き、

「おじゃましました」

ていねいに頭を下げて、帰って行く彼を母と並んで見送った。

「みててごらん、まず隣の朝田さんちの玄関あたりで振り向くから」

母が言うと同時に振り返って手を振るごまちゃん。

「次はね、その隣の白川さんちの前でまた立ち止まって振り向くよ」

また手を振るごまちゃん。

「でね、坂を上ってこっちが見えなくなる直前に、また振り向くよ」

またまた手を振るごまちゃん。

一緒に私も手を振ると、いつまでも手を振り返して立ち去らない。1分以上手を振って、意を決して歩み出したその姿に、

「可愛いんだよねぇ、ごまちゃんは」

と母が満面の笑みで言った。
この振り返りの儀式を毎日繰り返している母とごまちゃんの友情に心が熱くなった。

長男とごまちゃんの大学進学を知ってすぐ、
亡くなった母は、その後の彼らを知らない。

ごまちゃんは、帰省すると我が家へ遊びに来
た。列車に乗ると隣に座った人がお弁当を買
ってくれるとよく話していた。荷物を持って
いる人に、

「網棚に荷物を置きましょうか?」

彼にとっては自然な行為なのだが、言われた方は嬉しくて、何かしてあげたくなるのがごまちゃんの不思議な力だ。

一緒にお酒を飲んで、大学やアルバイトの話をして、おばあちゃまの話をして、彼を見送る玄関先で、ふと振り返りのことを思い出しながらごまちゃんを見送った。

きっかり同じ場所で振り返って手を振る彼。大学生になっても、社会人になっても、変わらない。

ほんの些細な行為が、人の心を温かくすることがある。

何だかごまちゃんに会いたくなった。

 

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2016-05-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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