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メディアグランプリ

不戦勝


記事:高橋 さやか(ライティング・ゼミ)

「あなた、いらない」
正面で指揮棒を振っていた顧問の男性教師が手を止め、私の方に体を向けて冷たく言い放った。目の前が真っ白になり、自分の耳を疑った。私が固まっている間に、再び演奏が始まり、二つ年下の後輩が私の演奏パートを申し訳なさそうに吹いていた。

高校3年生の秋のことだ。

小学生の時から吹奏楽部に所属していた。楽器はフルートとピッコロ。ピッコロは、フルートを小さくした木製の黒い楽器で、吹奏楽の中で最も高音が出る。
吹奏楽には、全日本吹奏楽連盟と大手新聞社が主催する「全日本吹奏楽コンクール」というものがあり、毎年夏から秋にかけて地区大会、全道大会、全国大会がある。野球でいうところの甲子園だ。野球と違うところは、出演者の人数によって部門がわかれており、55名以内のA編成部門、35名以内のB編成部門、25名以内のC編成部門と、3つにわかれている。そのうちA編成だけ全国大会がある。

私たちの高校はB編成だったので全道大会が最上位の大会だ。高校生活最後のコンクールは、熱心な顧問の先生と、音大進学を目指すほどのメンバー、中学時代に全国大会を経験したメンバーなど好条件が揃い、全道大会で最高の金賞を獲得した。それに気を良くしたのか、本来、吹奏楽コンクールが終わればその年の大会は終了のはずだったが、顧問の先生が高文連という別の大会にも出場すると言い出した。

進学校ということもあり、3年生は残って高文連にも出場する者、引退して受験勉強に専念する者の二手に分かれた。部活が大好きだった私は、残って出場する側にまわった。受験勉強も大切だったが、部活という息抜きもまた必要だったのだ。

この日は、全道大会が終わって半月ぶりの部活。音楽室に部員全員が集まり、合奏が始まる。曲は、コンクールで演奏したものと同じだったから余裕だ……

しばらく演奏が進み、固まった。

え? 拍子が取れない……。
今どこを演奏してるの?

コンクールでは演奏しなかった箇所が追加されていたのだ。吹奏楽コンクールというのは、時間制限があり、そのため、長い長い楽曲を(クラシックの曲はだいたい45分くらいある)指揮者である先生が部分的にカットし、「おいしいとこどり」をして編曲する。
それが、今度の高文連では時間制限がコンクールよりも長いため、コンクールでカットされた箇所が追加されていたのだ。

私が固まっている間にも、どんどん演奏は進む。周りの楽器が静かになり、気がつくと隣に座っていた後輩が、私のポジションんであるはずのピッコロのソロパートを演奏していた。

続く2回目の合奏。次は、ちゃんと指揮と譜面を追うことが出来た。
そして、ピッコロのソロ部分が迫ってくる。隣で後輩も楽器を構える。一緒に吹くのは、釈然としなかったが仕方ないと心を決め、演奏した。

あれ? また、拍子が取れないーー
頭は真っ白になり、ほとんど吹くことが出来なかった。

そして、指揮をしていた先生が私に言ったのだ。「あなた、いらない」と。

私の居場所を奪われた。ほんの少しの期間、休んでいただけなのに。
今まで味わったことのない悔しさと屈辱感で心がいっぱいになった。

——奪い返してやる。そう心に決め、翌日から猛練習に取りかかった。

いつもより早く登校し、まっすぐ職員室へ向かい鍵をもらう。校舎5階の音楽室まで一気に階段を駆け上がり、譜面と向かい合ってメトロノームで拍子を刻み、黙々と練習した。

音楽室のすぐ下の4階は、後輩のいる一年生の教室だ。これ見よがしに練習する自分は嫌な先輩だろうなと思いながらも、負けず嫌いな私は奪われた座を取り戻すまで、毎日練習をつづけた。

初めての戦いだった。
今まで、一度も選抜メンバーからはずれたことはなかったのだ。

中学1年生のときは、同級生でとてつもなく上手な子が入部したが、入学してわずか1ヶ月で転校してしまい、その後3年間、私の学年でフルートは私1人だけ。もれなくコンクールのメンバー入りだった。

高校に入ると、一緒に入部した同学年の子が奏でるフルートの音色に驚愕した。
「こんなキレイな音、聞いたことない」
中学で、あんなに練習してきた自分はなんだったのだろうと、ショックを受けた。言わずもがな先輩たちはもちろん上手で、コンクールのメンバーに選ばれないんじゃないかという恐怖が常につきまとっていた。幸い、1年生の時は人数の多いA編成でコンクールに出場したため、私もメンバーに入ることが出来た。

高校1年生の冬。私はある決断をした。

2年生のフルートの先輩が全員、と言っても二人だが、部活を辞めてしまい、「ピッコロ」のポジションが空いた。ピッコロは、吹奏楽の中で1人しかいない。同期の子と相談し、私がピッコロをやると手を挙げた。これで、コンクールメンバーに選抜されない恐怖から解放される。選抜のポジションを確実なものにするための私なりの策だった。

中学も高校も、不戦勝のままメンバー入りを果たしてきた。だから、高文連でソロのパートを奪還することは、私にとって初めての戦いだったのだ。

朝練の甲斐があり、その後私は自分のポジションを取り戻し、高文連の全道大会で、私たちの高校は優秀校に選ばれ全国大会への切符を手にした。あこがれの全国大会だったが、模試の結果が伸び悩んでいたこともあり、部活を引退し、私の横で申し訳なさそうに吹いていた後輩にバトンンタッチして、私の吹奏楽生活は幕を閉じた。

今年の3月、フェイスブックで繋がった部活の先輩に声をかけてもらい、当時顧問だった先生を囲む飲み会に参加した。先生が3月で定年を迎えたのだ。
「あなた、いらない」事件は私の中で大きな衝撃だったので、そのことを先生に話すと「あれ? そんなひどい事言ったの? ごめんごめん」と全く覚えていなかった。言った本人は、そんなものなのだろう。

あの頃より少し丸くなった私は、いまも少し負けず嫌いだけれど、いつかまた吹奏楽をやることがあったら、今度は純粋に、演奏すること、みんなでひとつの音楽を作り上げることを楽しみたいと思っている。

 

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2016-06-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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