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身体の奥から奥、そのまた奥へ

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身体

記事:Sofiaさま(ライティング・ゼミ)

先日、様々な職業の方と、身体の曲線やその可能性についてがっつりと話をさせていただく機会をいただいた。
写真家、芸術家、文学者、舞踏家、ヌードモデルの方、あらゆる視点からの「身体」を聞くことができ、とてつもなく刺激的だった。
生身を、撮る側撮られる側、描く側描かれる側、観る側観られる側、触れる側触れられる側、五感ときには第六感を駆使して、その全てに我々はなりえる。

人は、人間の身体や動物・植物の曲線を、人は長い歴史の中ずっと再現しようとしている。
野生動物の目的に沿った無駄のない筋肉の付き方は、何よりも美しい。
「狩りをする為」「敵から逃げる為」「草を食む為」「子供を産み育てる為」「より抵抗なく泳ぐ為」「体力を温存させながらより高く飛ぶ為」、彼らの身体はその為に作られている。無駄がない。そして人もまた例外ではない。

身体の曲線について子どもの頃から興味のあった私は、男女の裸体を「エロい」ものとしてあまり見てこなかった。
もちろんエロティシズムが重要な要素の一つであることは言うまでもないが、造形を観察したいという欲求のほうが今も強いかもしれない。
そのままでもむろん美しいが、伸ばしたり縮めたり、ひねったりねじったり。その可能性は計り知れず、ひとつとして再現できる形はない。身体は自分の一番身近にありながら、到底理解できない代物で、とても面白い。
そうして身体を駆使する舞踊やヨガや、身体の柔軟性を見せる技芸であるコントーション等に興味を持つと、その関心は身体内部にも当然移ってくる。
「外見は身体内部の一番外側」これをより実感していくのである。

私が自分自身の身体についてより実感を深めたのは、腰をひどく痛めたときだった。
元々腰痛持ちだった私。今では「あ、今日は気をつけないとまずいな」というのが身体の些細な変化でわかるようになってしまった。

その日も腰が痛かった。いつものように整体の先生から教えてもらったストレッチをして、おとなしく横になっていた。私はそのときイタリアに住んでおり、どこに助けを求めていいかわからなかった。普通に病院に行ってもあまり意味を為さないのと、イタリアにいる整体の先生も知らなかったからである。

何も食べずに横になって休んでいたが、それが仇となった。翌朝、なんとか立ち上がった私は貧血でしりもちをついた。最悪だ。この世の地獄。あまりの痛みにしばらく声もでなかった。
そこから何とかベッドに這い上がり仰向けになったものの、そこからどうしていいかわからない。
ほぼ寝たきりの生活が始まった。ベッドの上で2cm体をずらすことすら一仕事。体の下のシーツを直すだけで全身を痛みが襲う。無意識のふとした寝返りに対し「お前は何をやっているんだ」と自分で自分にやりきれなくなる。
立ち上がるまでに15分以上かかり、立ち上がったとしても次の一歩が出ない。トイレに行くのがとにかく憂鬱なので、水分も食事もとりたくない。寝たきりの2週間の内に体重は7キロ落ちた。その間に知人から日本人の整体の先生(今では「命の恩人」と呼ばせてもらっている)を紹介してもらいなんとか治癒したのだが、何度涙で枕を濡らしたかわからない。それを拭うティッシュすら取れないのでやさぐれ度は増すばかりだ。

この時ほど、自分の身体がままならないことはなかった。自由に動かせないただの物体なのだ。寝ているだけで自分の肉体の重みを如実に感じる。頭・胸・腕・脚その全てがそれぞれ独立して重い。クッションや枕をそれらの下に敷いて、できるだけ腰への負担を軽減するがその作業だけでも一苦労だった。

そんな中でも、なんとか痛みの少ない位置を探しながら少しずつ動いたり、目を瞑ってとにかく自分の身体に集中していると、その仕組みが色々とクリアに見えてくる。

仰向けで目を瞑って、腰に集中して痛みの根源地を探していくと、そこに付随して感じていた他の痛みの感覚を和らげることができる。「あー痛みの元はここだ。ここですね」と探りながら、心に背骨や筋肉を思い浮かべている。保健体育や理科の教科書等で見る、小さい人が身体の中を探検しているイラストがイメージに近い。
そうしていると、痛みの幅がだんだん狭まってくる。痛みの強烈さは変わらないが気分が少し楽になってくる。そうしていると、「なるほど。じゃあここはこう動かしても大丈夫かな?」といった理解と技術をだんだんと習得していく。
なんとも皮肉なことだが、痛みを伴わないと自分を知ることができないのは身体も心もなんら変わらない。ここまで自分の身体と向き合ったのはこれが初めてだった。

そうして中心部の痛みが取れてくると、それによって生じていた他の痛みや骨格の歪みをだんだん認識できるようになってくる。大元の痛みによって感じられていなかった各所の痛みが一気に主張してくるのだ。それにひとつひとつ対処していく。「これは良くなってる証拠……」と自分に言いきかせつつも、痛いもんは痛い。痛みとは脳や神経といかに繋がっているかを実感する。

健康体に戻ると、こういった研ぎ澄まされた感覚は一気に薄れていく。
私はフラメンコを習っているが、ここまで身体に集中できたことは恥ずかしながらまだない。
ただ、まだまだ未熟者であるが故、踊る上で身体がいう事を聞いてくれないという事は多々感じることができる。いや、そんなことばかりだ。
「なんでできないんだー!」と思うこともれば、反復練習の成果か「あれ? 今、私できてた?」ということもある。

フラメンコの師匠はこう言う。「フラメンコはとてつもなく自然な動きでできている」と。
右足で踏んだら次は左足で踏む。内側にひねったら次は外側。上にいったら次は下。舞踊は身体にとても正直に作られており、身体が楽に動くように作られている。踊れば踊るほどにそれがよくわかる。つま先の打ち方ひとつでさえ違う動きをすると、次のポジションに移るのに無理な動きをしなくてはならない。
自分の身体を使いこなすのはとても難しい。けれど、できるようになるととても楽になることを実感するのである。

普段いかに自分の身体に無理な動きや働かせ方をしているか、我々は見逃している。
いや見ないようにしている。あえておろそかにして、気づかないようにしている。
身体は正直にシグナルを出してくれているのに、それを無視して抑え込んでいるとロクなことがない。その前兆を放っておくと、脳や内臓や血管や精神にくる。自分自身でも反省することこの上ない。

身体をつきつめていくとキリがない。先に出したヨガやコントーションの他、筋トレやダイエットもそうだし、食べること寝ること、踊ること歌うこと、つまり生きている動作の一つ一つに集中していると、おのずと身体を感じることができる。
そう。面白さが無限大なのだ。

その結果があの身体の曲線であり、それ自体が表現する個性であり美なのだと思う。
どんな曲線もその人であり他者と異なるからこそ、いつの世も人々の心を魅了してやまない。
まずはゆっくりストレッチしてみよう。

 

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2016-06-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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