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椿は首からもげる



 

 

記事:弥恵(ライティング・ゼミ)

 

幼い頃から、うちの庭には牡丹が咲いていた。私の顔ぐらいはある大きな花。それなのに、茎は細い。

私の祖父は、その花をとても可愛がっていた。とてもとても厳しい祖父だったが、本当に牡丹を可愛がっていた。それぐらい、牡丹は美しいし優雅だった。しかし牡丹という花は、自分一人では生きていけない。人の顔ほどの美しい大きな花の割に、とにかく弱い。とても弱い。祖父はその美しい花に、傘を添えてあげる。花弁が雨でばらりと落ちてしまわぬように傘を添えるのだ。そして、その花の重みで茎がぐにゃりと曲がらぬように添え木もする。牡丹は優雅ではあるが、自分一人では美しくいられないのだ。

そして、散り際がなんともおぞましい。まるで人の顔が壊れていくように、大きな花弁がぐにゃぐにゃに萎れていき、そしてバラバラになって散っていく。幼い頃から毎年この光景を目にしてきた私は、牡丹に嫌悪感を覚えてきた。あんなに優雅に咲き誇っていた牡丹が、見るも無様に散っていく姿に、情けなさと、もっと美しくそのままの姿でいられないのかと憤りを感じたりもした。私の美の基準は恐らく、幼少期の牡丹の記憶から始まっているのだと思う。

 

私は、とても「美」とはかけ離れた人生を送ってきたと思う。男兄弟の中で育ち、遊びと言えば弟たちと一緒に虫取り、野球、サッカー。同い年の女の子達が、おままごとやリカちゃん人形を集めることを楽しんでいる中で、私はそんなものに全く興味を示さなかった。幼稚園でのおままごとが本当に嫌いだった。女の子達は、おままごとでお母さんになりたがり、学芸会ではお姫様になりたがる。そんな中で私は、大抵赤ちゃんとか、ペットとかそんなもので良かった。ごっこ遊びの中で喋る言葉が思いつかないから。「おぎゃー」とか「ワン」しかセリフのない役で良かった。架空の世界の中で生きることの何が楽しいのか分からなかった。まして、リカちゃん人形……。あれに対しては、恐怖を感じていた。とにかく、目が気持ち悪い。あんな気持ち悪い人形に、洋服を着させ、髪をとかして、何が楽しいのだ。私はあの人形に憧れも何も抱かなかったし、どうにも人工的な美しさの基準が分からないでいた。全く、女の子らしいところのない子供だったと思う。

 

それが、いつからか周囲の友達に彼氏ができるようになり、私にも彼氏ができるようになったころから、「美」を意識するようになった。「女の子らしさ」がなかった私だが、「女らしさ」は備わっていたようで、男から「かわいい」と言われれば、それはそれは嬉しいのだ。彼に「かわいい」と言われる為に、メイクも勉強したし、トレンドを追いかけもした。ミニスカートをはき、ピンヒールを履いて、大人の女性を目指した。でも、私は牡丹のような女性にはなりたくなかった。あんな風にぐにゃぐにゃに散りゆく牡丹にはなりたくなかった。

桜は「散る」

牡丹は「崩れる」

椿は「落ちる」

 

こんな言葉を知ったのは、大学生になった頃。相変わらず、「美しい女性」になる為に精進していた私は、突然こんな美しい日本語に出会ってしまう。

そう、牡丹は崩れる……。だから、手塩にかけて世話をしてあげないといけない。傘をさし、添え木をしてあげないといけない。自分一人じゃ美しくいられないのだ。

あの嫌な感情を思い出す一方で、私は庭の椿を思い出した。なぜ私は、毎年咲いていた牡丹にばかり気を取られ、椿に気付かなかったんだろう。木の下に、美しいままの椿が落ちていたのを。

あれはあれで、とても気持ち悪い光景だった。深緑色の分厚い葉がついた木に、真っ赤な椿が色を添える。そして、その足元にも真っ赤な椿が、木についているそのままの形で落ちている。それもたくさん。なんだか、血が飛び散っているようで、とても気持ち悪い光景だった。それにしても、まだ散るには早いはずなのに、椿は一番美しい姿のままで、首からもげるのか。突然私は、椿がとても潔い花だと思えてきた。

昔は、その椿の終わり方に、人々は縁起が悪いと考えていたらしい。首が落ちることを連想させるので、あまり好まれる花ではなかったようだ。

だが、私はこの日から椿が愛おしくてならなくなった。椿はとても強い。特に手入れなんかしなくても、しっかりとした枝を伸ばし、毎年真っ赤な花をつける。たった一本の椿だが、ただ一人で強くそこに立っていた。そして人知れず、一番美しいときにポツリと首から落ちていく。

 

きっと私は、とても弱いのだと思う。一人で歩いて行けるほど強い人間ではない。誰かに認められることでしか、自分の存在価値を信じられない。本当はとても自信がなくて、怖がりで、周囲の目ばかり気にして生きてきた。だからこそ、幼い頃の私は牡丹に嫌悪感を抱き、そして憤っていたのだと思う。なぜ、もっと美しいままでいられないのかと。

 

社会人になり、学生の頃とは違った「美」を求めるようになった。いずれ終わってしまう美しさではなく、誰かに褒められる為の美しさではなく、ただ「弥恵」という女を生きる「美」を追求してきた。私自身が、私を認められるように。私は、誓っている。90歳のおばあちゃんになっても、私は椿でいつづけようと。そして、ポツリと美しいまま終わりたい。

 

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2016-06-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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