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暗い空間の中で、わたしは「そこ」が気になっていたんだ


空間

記事:西部直樹さま(ライティング・ゼミ)

初対面の時、まずは、そこに目がいってしまう。
異性なら、なおさらだ。
それは致し方ないことでもあるのだが、
そこがやはり気になる。
じっくりと観察したくなる。
できれば触れたい。
しかし、異性にそんなことをしてしまったら、立派なセクハラだ。
だから、そっとみることしかできない。
でも、誰も気がつかないだろう、わたしがそこが気になっていること、いつも、いつもみていることも。

なぜ、わたしが、そんなにも「そこ」が気になるのか、
みたい、触れたいと思ってしまうのか。

それは40年ほど前、暗い空間の中で醸成されたのだ。

その暗い空間の中で、
僕は、思わず「エイドリアン!」と小声で叫んでいた。
そして、「ローマ」のひと言に、彼女の万感の思いに胸を痛めた。

大学に入学し、札幌に住み始めた頃、わたしは故郷にはなかった古本屋めぐりと名画座通いをしていた。
封切り映画館に行く金のなかった学生は、場末の名画座やいまはほとんどなくなった二番館に行っていたのだ。

その頃、「ロッキー」が封切られ、感化された学生が、無駄にキャンパスの階段を駆け上がり、飛び跳ねていたりしたものだ。
また、「ローマの休日」がリバイバル上映され、それをみたわたしは、オードリー・ヘップバーンのあまりの可憐で美しい姿に、当然となってしまっていた。

そして、二つの映画を見ながら、否、ふたりの主人公、映画俳優をみながら、そこが気になっていた。

なぜ、彼は、あれで生きていけるのだろうか?
もし、彼女に実際に会うことがあったら、物差しで測りたくなってしまいそうだ。とかとか。

シルベスター・スタローンもオードリー・ヘップバーンも、東洋人種ではないから、かなり違うのだろう。
そうだけれども……。

シルベスター・スタローンの鼻にかかった声、なぜ、風邪をひいた時のような声なんだろう、と思いながらみていた。
ある場面で、彼が上を向いた時、彼の鼻が高く、そして、ずいぶん細いのに気がついた。鼻の穴が、穴というより亀裂くらいしかないのだ。あれでは、いつも鼻を摘まれたような状態だから、あのような声になるのだな、と思ったのだ。

オードリー・ヘップバーンの可憐で美しい姿に酔いしれながら、その横顔の美しさにも、心打たれていた。素晴らしい。なんとも鼻の高い、高すぎるほど高いことよ、とも思っていた。

同じ非東洋系なのに、鼻の形はずいぶん違うのだなあ、と感心をしていた。

それからだ、どうにも人の「鼻」が気になり出したのは。
電車に座席から、吊革につかまっている人の鼻を観察してみると、実にいろいろとあるのだなあ、人の鼻というのは。

その頃、大学では占いとか、いろいろおかしなことを研究する軟派なサークルに入っていた。そこで、占いには人相占いなるものもあるではないか、そこでは鼻はどう扱われているのか?
行きつけの古本屋さんで、安く人相学の本を手に入れ、読んでみると、なるほどこれほどまでに種類、形状による分類があるとは。

知れば知るほど、さらに気になる。
観察も熱心になるというものだ。

そして、ある時、気がついた。
ある種の鼻梁の形、長さ、鼻孔の形状をみると、どうにも心穏やかではいられない。
ある特定の形状に、惹かれるのである。

その形状の持ち主には、無条件で好意を寄せてしまうのだ。
それ以外は、まあ、どうでもよくても。

みんなが認める可愛いアイドルがいても、ある特定の形状を有していなければ、可愛いとは思えない。
「え、彼女可愛いじゃないの」といわれても
「う~ん、何かが違う」と、お茶を濁してしまう。
鼻の形が違う、とは、なかなか言えなかったけれど。

その当時、つきあっていた女性は、まさにその形状をしていた。素敵だった。
何かの拍子に、思わず舐めてしまった。
「可愛いので、食べてしまいたい」ということがあるが、食べてしまうと、その素敵な様子を眺めることができなくなってしまう。しかし、食べてしまいたいくらい愛おしい。というしょうもないアンビバレンツの中で、妥協的行動だったのだ。食べない、しかし、眺めるだけではない。という。
しかし、彼女からはかなり怒られてしまった。気持ちが悪いと。

好きだからといって、直截な行動は慎まなくてはいけないな、と自戒したのである。
それ以来、もっぱら見ることだけにとどめている。

眺めるだけ、見るだけでもいいのである。
好きだから。

しかし、気になる、気になるけど、実際に触れたり、味わうことができないのがもどかしい。

この感覚、もどかしさはどこかで味わったことがある。

それは、恐竜だ。

息子が小さい頃から、毎年どこかで恐竜博が開かれるようになった。恐竜好きの息子と一緒に、何度か訪れた。

恐竜はロマンだ。
もう、生きている姿を見ることも、その声を聞くことも、皮膚に触れることもできない。けれど、化石として残った骨から、その在りし日の姿を思い巡らすのだ。

だから、スタローンやヘップバーンからはじまった偏愛は、見ることはできても、触ることも、囓ることも、味わうこともできない。しかし、眺めながら、その美しさに思い巡らすのである。

偏愛はロマンなのだ。

わたしがそこを見つめていても、ロマンなのです。
変な目で観ないでくださいね。

 

***
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