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歳をとっても闘争心



記事:いんこ(ライティング・ゼミ)

闘争心。
それは、誰かを打ち負かしたい。闘う相手に勝ちたい。負けたくない。自分の強さを誰かに見せつけたい。対抗意識を燃やす。ダメな自分に打ち勝ちたい。

そんな気持ちだろうか……

最近、親父が囲碁を教えている生徒達について
「最近の子供は闘争心がない。負けたら悔しい、とか、自分で考えるから教えないでくれというなにクソ〜という気持ちがない。だから教えがいがない」という。

私にもそんな「悔し〜〜い」という気持ちは昔はいっぱいあったが、いつのまにか忘れてしまった気がする。

ただ、最近そんな闘争心がふつふつとこみあげてきて、自分でもビックリしているのだ。

小学生のとき、私は運動ばかりしていた。陸上に、水泳、スケート、バスケットボール。野球クラブは女の子がはいれないので、女子のソフトボールクラブをつくった。卓球クラブも作った。ないものは作ればいいと思っていた。

マラソンは地区では3年連続金メダルをもらった。2キロくらいの距離だが、中盤過ぎまで真ん中くらいで走っていて、後半にごぼう抜きでガンガンとばして最後には必ず優勝を勝ち取っていた。

中学はバスケ部でいつも走っていたので、長距離だけは毎年優勝。
陸上部員は、「なんであいつに負けるんだ!」とコーチに怒られていた。

そして高校時代、私は歯の矯正をしていたので部活に入らず毎日規則正しく家に帰る生活をしていた。にもかかわらず走るのだけは早かったので、校内マラソン大会では陸上部やインターハイにでる女子バスケ部の精鋭を抜かして優勝。やっぱりバスケ部員は、私に負けてコーチに怒られていた。

あまり努力をしなくても、運動神経だけで優勝できたのである。ここに、負けたくないという気持ちは起こりえなかった。

とりあえず私のルールで走りぬければよかった。

その時、私にはさらに上をという向上心が圧倒的に足りなかった。

人間やればできるんだ、という思いが常にあったのだ。集中力とやり方とやる気次第でなんとかなると……。

私は決して無気力、無感動、無関心という人間ではなかった。

その後は、大学でテニスサークルに入ったがあまり意味を見だせず、映画と本とアルバイトの毎日をすごした。どちらかというと受け身な大学生活で終わってしまった。

それでも、私は本当は1番が好きだった。
はじめは、
走って1番
お勉強で1番
という狭い世界だったが、

社会人になってからは、
会社が業界1位
会社の独自のモノづくりが日本1位
会社の業界売上が世界1位
会社の技術が同じものが2つとないという特異性で1位

個人でも団体でも、1位のヤッター感を何度も味わったことがある。

何かしら1番を目指すことが、モチベーションになっていたのかもしれない。

数年前に、蓮舫がスーパーコンピューターの開発に対して
「2位じゃだめなんですか?」
という発言をきいて、私は何を言っているんだと憤慨した。
その道で時間と努力とお金をかけてやっていることで頂点を目指さないなんて考えられないと思った。
お母さんが、うちにはお金がないから大学は私立じゃなくて国立にしてね、というのとはわけが違う。
その1番が別の技術への応用や可能性を広げることに、周りの認知度や評価に、誰もできない到達点への努力への賞賛に値するものだとは考えないのか? と……

ただ、 1番をとることは私にとっては目標ではない。通過点だと思っていた。

小学校卒業の最後の日、校庭で100メートル走の勝負をした。
私にいつも100メートル走で勝てなかったチー坊とサトウヨウコちゃんが、ヨーイ、ドン! で走って最後の最後で2人は私を負かして勝つのだ。2人は抱きあって「◯◯ちゃんに勝った〜」と目の前で泣いて喜んだのだ。
そのときの私に悔しい気持ちがないわけじゃなかった。悔しがる姿を見せるのが悔しかった。
だけど、最後で決着? 一時が万事?
最後の日のために、2人は努力を続けていたなんてわかりっこなかったから。

中学で、自分との闘いで陸上をするより、私はバスケ部に入りチームプレーを望んだ。結果は華々しいものではなかった。私はさらに努力をしなくなった。

そして、高校で歯の矯正で口の中がいつも血だらけだったので部活に入らなかった。体育は4しかもらえず、体育の先生にも意地悪をよく言われた。

私はあまり努力をしない子になった。

やればできるんだという気持ちに甘えて熱狂的に何もしなかったのである。
これしかないというものを10代の頃は何も探せなかったのだ。本当は何にもできないことに気づいて苦しむだけだった。

その意味で私はダメ人間の道まっしぐらだった。

何かしら言い訳をつけることで、自分の精一杯の努力を拒否していたのである。

そんな自惚れやの私が、どうやってその間違いに気づいていったかと言うと、それは仕事に教えられたのだと思う。

例えば、人のペースで仕事をしていたが、自分の視点で何かをみつけて、それをやり遂げたくなってそこに向かって突っ走ってやっていたら応援者ができてやり遂げることができた。

例えば、納得できないことを平気で指示する上司に対し、間違っていたといわせるために、正義を自分のやり方をやってみせてどうだ〜と見せつけて、たいして意味のないことだとはわかっていたが、とにかくガムシャラにやりとげて達成感だけは味わった。

例えば、次から次へと舞い込む仕事にしんどくてしょうがなかったが、周りが頑張って仕事してるのを目にして、「私がここでやらなきゃどこでやる!」と周りに負けずにそれ以上に休みなしで寝ないで働いた。

例えば、できないことに挑戦し、ある程度のところまでいってやめたが、また数年後にスイッチが入って同じことをそれ以上の結果を求めて再トライした。

本当に仕事には、もっともっと色々助けられ教えられてきた。
私は仕事によって、「負けたくない!」という闘争心をかなり植えつけられた。

しかし、歳をとると、こんなもんでいいか〜という甘えがでてくる。
そうやって自分を許す。甘やかす。うまくこなす、立ち回れる手段をみにつけているので一生懸命がいらなくなる。
歳をとったら既にあるものを使って判断して処理することが増えるからかもしれない。責任の範囲も大きいので、小さいことにこだわってはいられない。仕事は勝ち負け、取った取られた、だけではないという考えに落ち着いてしまうのかもしれない。

しかし、新しいものに挑戦していくにあたり、それまでのストックと日頃の情報収集と意欲と闘争心はかかせないはずだ。

ということは、私の中でその新しい挑戦が始まったということだ。
私には、今闘争心がある。
書きたいという意欲とそれに対する日常のストックと日頃の情報収集の大切さを身にしみて感じている。

いいぞ、いいぞ。私に生まれた闘争心。
私はまだまだ、働ける。若くいられる。人生楽しめる。
私は、闘争心という扱いがむずかしいやっかいなものが心に住んでることに気づかされ、なんとも愉快な気持ちになったのである。

 

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2016-07-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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