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かつて「ゴリ」と呼ばれた女児が、20余年後やっと「変顔」をさらけ出せた話


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記事:大森ちはる(ライティング・ゼミ)

 

世の中には2種類の人間がいる。

「せーの!」の発声で、カメラに向かって変顔ができる人と、できない人。

わたしは、小学校以来、「できない」側にいた。

むしろ、「できひんでええわ」と思って生きてきた。

だけど、つい先日。

一生越えるつもりのなかった線を、「できる」方に、ひょいと跨いでみたのである。

今日は、そのお話。

 

ひょいと跨いだついでに、小学校卒業以来20余年ひた隠しにしてきたことも、書いてしまおう。

中学受験以降にできた友だちや知人、彼氏、そしてもちろん夫にも黙ってきたこと。

どれだけ酔っ払っても、いまだかつて飲み会のネタにさえできなかったこと。

それは、

 

小学校高学年の3年間、男子(と一部の女子)に「ゴリ」と囃されていた

 

という黒歴史である。

「ゴリ」といえば、「SLAM DUNK(スラムダンク)」。

少年ジャンプで連載が始まったのが1990年。

わたしが小学校4年生にあがったのが1992年。

時代的に、クラス全員が「ゴリ」でイメージするのは、湘北高校バスケ部主将・赤木剛憲。

あの顔なわけで。

10代に足をつっこんだばかりの多感な女の子が「あぁ、わたしはブスなんだ」とセルフイメージをこじらせるには、十分な称号だった。

 

おそらく、顔の造形に著しく難があった……というわけではなかったんだろう。

それよりも、身体と態度がフツーよりもひとまわり大きかったのが、謂われだったんだろう。

ガッシリ体型なうえに、背の順の整列では常に1番後ろを争っていた。

日能研に通っていたので、「学校の勉強はできて当たり前」と扱われていた。

「境内」の読み方を「けいない」と間違えようものなら、鬼の首を取ったかのようにイジられる。

「デカいくせに……」「受験するくせに……」と嗤われるのが嫌で、何かにつけて肩肘張っていた。

相手に「勝ち」をあげることができない、少なくともその意味では確実に可愛げがゼロだった。

 

そんなこじらせ女児は、中高一貫の女子校に進み、身長も中2のときに162cmで頭打ちに。

勉強も身体も鎧をつける必要はなくなり、晴れて「フツー」になった。

そうして、彼女は、小学校卒業以後の人生で、もう二度と「ゴリ」と呼ばれることはなくなりましたとさ。

めでたしめでたし。

……とはならない。

ひとりだけ、しぶとくその称号を唱える奴が居たから。

わたしの中のわたし、である。

 

1995年、中1のときに、初代「プリント倶楽部」がゲームセンターに並んだ。

まだポケベルの時代だったが、やたらと交友を写真に収めたがる習性は古今東西の女子中学生に通ずるようで、その場にいる誰かしらのかばんには、だいたい「写ルンです」の類のカメラが入っていた。

最初は、まぁ、可愛い感じに撮る。

そのうち、可愛く見せることに飽きた子たちが、「変顔しよっ」と言い出す。

 

変顔とは、大辞泉曰く「俗に、見た人を笑わせるような、おかしな表情をつくること。また、その顔」。

いまや辞書にも載っている言葉である。

MicrosoftのIMEが「へんがお」を「変顔」に変換するようになったのは、2009年のことらしい。

でも、その10数年も前から、中高生たちにとって、変顔は笑いをとるツールだった。

斜に構えて言えば、変顔でウケを狙ってきた。

 

いやいやいやいや。

無理むりムリ無理。

なんせわたしは、「ゴリ」由来の「ブス」をこじらせている。

自分は決して可愛い部類には入らないし、地味顔の自覚もある。

が、その実、内心では、造形がそこまでヒドイとも思っていない。

母は、わたしに物心がついた頃から「あんたは器量よしじゃないし、華も愛嬌もないけど、至極まともそうに見えるのがいい」と評してくれた。

そう、「まとも」。

まじめであること。アホに見えないこと。相手に、こいつの話は聞くに堪えると思われること。

わたしは、この一点に、臆病な自尊心と尊大な羞恥心を抱いていたのである。

だから、笑わせているのか、笑われているのか、嗤われているのか、シュールを演じているのか、を見る側に一任する変顔なんか、できるわけがなかった。

だから、変顔をしなくて済むように、「あらあら、みんなアホやなぁ」と眺められるように、「おかん」や「貴婦人」のキャラを掴んだ。

 

そうして、現在、33歳に至る。

 

先日、あるセミナーに参加した。

以前からお会いしたかった方(が代表を務めている会社)が主催されていて、しかも、わたしのいま一番の関心事がテーマに据えられていた。

行かないわけがあろうか、いやない。

平日開催だったが、有休をとって行った。

 

Facebookページを見ていて、その会社のセミナーではどうやら変顔で集合写真を撮るらしい、というのは分かっていた。

でも、その写真を拡大してよく見ると、「していない」人も一定いる。

そりゃそうよね。

そのときたまたま一堂に会した数十人が全員「できる」人間だったら、それは怪しい。

壺の販売とか、あるかもしれない。

 

安心して、変顔する気ゼロで、「見る阿呆」側でいる気満々で、赴いた。

 

だが、しかし、2時間のセミナーの最後、例の集合写真撮影。

「じゃあ、こんな感じ(猪木風)で!」

講師の方の実演付きの変顔の音頭に乗って、表情筋の限り「踊る阿呆」になるわたしがいた。

 

心打たれたのだ。

主催の方と、講師の方の、言動の「言」と「動」が近い人特有の、「こっちは愉しいよ」感に。

「そんなコミュニティーをつくりたくて、こんな活動してんねん」

「そんな子どもを増やしたくて、こんな集まりしてんねん」

こういう方々は、決して見る側に踊ることを勧めたりはしない。

ただ、自らが踊る理由を語り、「ここで踊れるよ」と場を案内し、踊る姿をさらけ出すだけだ。

 

変顔ができる/できないを隔てる線は、「さらけ出す勇気」だ。

その勇気は、なくても生きてはいける。

だけど、もしあったなら、「できない」ことが1つ減る分、身軽になれる。

おふたりの踊る姿をナマで見て、線を跨いでみようかな、と出来心が芽生えた。

 

跨ぐのは簡単だった。

両手を前に構え、顎を思いきり前に突き出して、上目使いで宙を睨むだけ。

アタマであんなに「できひん、絶対ムリ」と拒否していたことも、いざカラダを動かしたらたったの3工程。

 

どこででも誰にでもさらけ出す勇気は、まだない。

たぶん、一生もてそうにない。

ただ、ウケ云々を度外視した踊る爽快感は、しかとカラダが覚えた。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2016-09-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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