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「キュン」のゆくえ


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記事:西部直樹さま(ライティング・ゼミ)

新宿のアルタ前を歩いていた。
新宿で行われるとある読書会に参加するのだ。
知り合いも何人か参加する。

地上の交差点の混雑を避けて、新宿駅の地下通路を通ってアルタの正面から地上に出た。
アルタ前の信号が変わった。
新宿駅から出てきた人たち、新宿の駅に向かう人たちが、
スクランブル交差点で入り乱れる。
その混雑を右に見ながら歩いていた。

「あ、東野さん!」と、わたしを呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと、同じ読書会に参加する真奈美さんがいた。
若草色のレース地の上着、下は白いショートパンツ、スラリと伸びた脚が眩しい。

彼女とは、何度か同じ読書会で顔を合わせていた。
何度か会っているうちに、話をするようになり、
読書会の後に、仲間たちと一緒に飲みにいったりするような仲になっていた。

レイモンド・チャンドラーと佐藤正午が好きだという。
小さな顔には、少年のような短い髪が似合っていた。

中年というよりは老年よりの私にとっては、二十代前半の女性と知り合い、話をできるだけで望外、幸甚の出来事だった。

近寄ってきた真奈美さんは、私の横に並んできた。
短い髪が少し揺れる、ふわりと柑橘系の香りが漂ってくる。
そして、彼女は私に向かい、小首を傾げて言うのだ。

「山手線で来たんですけど、あ、この電車に、東野さんが乗っているのかなぁ、って思っていました」
真奈美さんは、ふわりと笑う。

えっと、それはどういうこと?
何を彼女は言っているのだ。
それは……、私のことを考えていたということなのか?
そんな風に考えていたと言うことは……
いやいや、そんなことは、
まさか、まさか
「センセイの鞄」(川上弘美の小説)的なことは、期待してはいけない。

その一言で、胸がキュッと締め付けられるような気がする。この体の反応はなんなのか。
彼女の言葉から、コンマ秒の間に、さまざまな想いが頭の中を駆け巡る。
私は、混乱する頭と困惑する体をもてあます。

彼女と並んで歩きながら、私はあたふたと言う。
「ああ、今日は、仕事の帰りだから、山手線ではなくて、その、地下鉄で来たんだ。
山手線なら、鈴木くんとか井ノ下さんも、使っているんじゃないかなあ。
今日は、何人来るのかなあ」

私は、なにを話しているのだ?
何か、もっと気の利いたことを言えないのか!
情けない。

隣の真奈美さんは、ふふ、と笑うだけである。

読書会の会場は居酒屋だ。
到着順に席を埋めていく。
真奈美さんは私の隣の席に着く。
私は頭の中で、彼女の言葉を繰り返し再生している。

「あ、この電車に、東野さんが乗っているのかなぁ、って思っていました」
そして、胸がキュンとする。
と何度も。

 

 

そういえば、こんなことは、数年前にもあった。
彼女の言葉を思い浮かべながら、
よく通ったラーメン店のことを思い出した。

 

そのラーメン店は、有名でもなんでもない、街角にある、ごく普通のラーメン店だった。
ただ、麺の種類が豊富で30種類以上はあった。
寡黙な大将が作るラーメンはどれも心が籠もっていて、美味しかった。

昼時から営業をはじめ、午後の3時には一旦店を閉める。
夜の営業に備えて、仕込みをするためだ。
ある時朝早くその店の前を通ると、朝早くから仕込みをしている大将の姿があった。
「朝早くから、大変ですね」と声をかけると
「いやあ……」と大将は、あまり話をしない。

その店には、大将の他に、厨房の下働きの山本君と、アルバイトの貴理ちゃん、美香ちゃんがいた。
時々、大将の奥さんが小さな子を連れて手伝いに来ていた。

数年前、前の事務所のすぐ近くにそのラーメン店はあった。
事務所で仕事をしている時は、昼はいつも、夜もたまにそのラーメン店で済ませていた。

いつもいくので、自然と店の人たちとは言葉を交わす間柄になっていた。
店の人とも少しあいさつを交わすようになった頃、私は密かに挑戦をはじめた。
その店のメニューの右端から食べはじめ、全メニュー制覇をしようと思ったのだ。

平日の昼間のホール担当は美香ちゃんがつとめることが多かった。
彼女は、背が高く、ポニーテールにバンダナを巻き、店のエプロン姿はキリッとしていた。

メニュー制覇をはじめて数日たった時のことだ。
席に着くと私が何も頼まないのに、美香ちゃんが、
「今日は、○○を食べられるのですよね」と言ってきた。
そうだ、まさに今日は○○を食べようと思っていたのだ。
これでメニューの1/3程になる。
「注文は入ります。○○と半分餃子!」
いや、半分餃子は頼んでいないけど、頼むつもりだったけど、言葉にしていないのに。

料理が運ばれてきた時、美香ちゃんに
「なんで、分かったの?」と聞いてみた。
「だって、東野さん、メニューの右端から順に頼んでいるじゃないですか、それといつも半分餃子」
美香ちゃんは、さも当然のように言うのだった。
大将も厨房の中で笑っている。
「でも、昨日も来たけど、昨日は美香ちゃんはお休みだったし、何回か、いない日もあったのに……」
「ふふ、私が気がついて、貴理ちゃんに、東野さんは何の頼んだのか、メモしてもらっていたんですよ」
どうだと言わんばかりに、彼女は胸を張る。
「そうか、いやいや、参ったなあ」

それから、私はその店では注文を言うことが少なくなった。
貴理ちゃん――小柄で、動作が俊敏な子だった――の時は、
「え~と、東野さんは、ここまでだから、次は△△ですね」と、少しメモを見ながらの対応だったが、
美香ちゃんは、私が入るなり、
「いらっしゃい、□□と半分餃子!」とメモを見ることなく、注文と厨房に告げるのだった。

仕事で出張があったり、打ち合わせで外出したりで、毎日その店に通えるわけではなかった。
が、数ヶ月もすると、メニューの完全制覇は終わり、もう一巡しようかと悩みはじめた。
そんな頃のことだ。
いつものように、美香ちゃんは私が何も言わないのに、適切な注文を厨房に通し、
私はそれを美味しくいただき、さてと、帰りかけた。
美香ちゃんが、珍しく店の戸口まで見送りにきてくれた。
そして、
「あの~、来週の火曜日、月のはじまりの火曜日は、わたしシフトが入っています。必ず来て下さいね」
というのだ。
「あ、そう、火曜日ね、来るよ」
わたしは、気軽に答えて、店を出た。
午前中から、次の仕事のことが気にかかっていた。
美香ちゃんのひと言を確かめることもしなかった。

次の週、本来なら事務所で仕事のはずだったのだが、クライアントの要請で、関西と九州を順次回ることになってしまった。
火曜日には、神戸でクライアントと面倒な打ち合わせをしていた。

そんなこんなで、半月ほどそのラーメン店に顔を出すこともできなかった。

繁忙期を過ぎて、やっとその店に顔を出すと貴理ちゃんがいた。
「お久しぶりですね」と彼女は、「ああ、もう忘れちゃった。何にします?」
と普通に注文を聞いてくるのだった。
少し居心地の悪さを感じたけれど、やっぱりラーメンと餃子は美味しかった。

その後、何度か通うのだが、美香ちゃんを見ることはなかった。

ある日、何気なく貴理ちゃんに聞いてみた
「最近、美香ちゃん見ないけど、シフトが変わったのかな?」
「あ、知らないんですか? 彼女辞めたんですよ。月初めの火曜日が最後でした」

え、辞めちゃったの……。

彼女がいった言葉が蘇る。
「……必ず来て下さいね」

バイトの最後の日、だったのか……。

胸がキュッと締め付けられるような気がする。
体の反応はなんなのか。

いや、でも、わたしはおじさんだし……
いや、でも、わざわざ言ってきたということは……

ああ、何か、取り返しのつかないことをしたような気がする。
気がするけれども、どうしようもない。

それから数ヶ月後、事務所を別のところに構えることになった。
そのラーメン店にも行くことはなくなってしまった。

 

 

数年前のことを思い出しながら、
胸の鼓動を確かめた。速い!

あの「取り返しのつかないこと」という想いは繰り返すまい。
わたしは少し下腹に力を入れてみた。
鼓動は静まった。
平静は気持ちのままに、小さな決意をした。
なにかの力が体中に漲るのを感じた。

読書会が終わり、参加した人たちが三々五々帰りはじめた時、
わたしは真奈美さんに声をかけた。

 

「真奈美さん、一緒に帰りませんか」と。

 

 

【お話は、事実に基づいた虚構です。登場人物、団体、個人名などは架空のものです】

 

 

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2016-09-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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