娘3歳、一人称「大森」
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記事:大森ちはるさま(ライティング・ゼミ)
2012年大晦日、午前4時。
尿漏れのような感覚で、目が覚めた。
水道の蛇口がちょろーっと締まりきらない感じ、といえば伝わるだろうか。
出てるか出てないかでいうと、確実に出ている。
でも、「出てますねん!」と胸を張るほどの量ではない。
枕元のスマホに手を伸ばし、隣ですやすやと眠る夫に明かりが当たらないように、体勢を変える。
Googleの検索窓から世界の皆さんに尋ねてみる。
「破水 尿漏れ」
産院の母親学級で、「破水したら、すぐに来てくださいね」と言われていた。
出産予定日は、年明けの1月2日。
前々日の検診では、先生曰く「まだっぽいなぁ」の状態。
破水 オア ノット!?
とりあえず、これをはっきりさせなければ。
今日は大晦日。今は夜明け前。
おいそれと誰かを巻き込むのは気が引ける。
世界の皆さんから、色・量・臭いでの判別方法を教えてもらい、ベッドを抜け出てトイレへ。
……。
……。
わからん。
どうやら、おそらく、尿漏れではない様子。
かといって、いまいち「ディス イズ 破水」とも確信を持てない。
「おしるし(産院に行く段ではない陣痛の兆候)」に思えないこともない。
素人目には判断がつかなかった。
日が昇る前の真冬のトイレの極寒ぶりといったらない。
悶々を抱えながら、お腹が冷える前に寝室に戻る。
再びベッドにもぐり、答えを求めて世界の皆さんを尋ね歩いた。延々と。
結局答えは見つからず、一応世間的に「朝」といって差し支えないだろう午前8時を待って、産院に電話した。
助産婦さんの「一回来てみて」の言葉を受け、夫を起こして車で連れて行ってもらう。
破水だった。
陣痛促進剤の錠剤を渡され、「今日中に産もうな!」とやる気満々の先生。
午後になっていよいよ陣痛がはじまった。
予めスマホに入れていた陣痛アプリで陣痛の長さや間隔を記録していると、助産婦さんに止められた。
「陣痛測定器(お腹まわりにベルト状に巻く機械)をつけてるから、やらんでいいよ」
「むしろ、頭つかわんと、身体に意識を向けて。今、どう? どんな体勢がラク?」
そうして、ちょうど紅白歌合戦が始まった頃、娘・ひよこが真っ赤な顔をして産声をあげた。
***
出産後1年間の育児休業中に知り合った友人が、動物占い的な、某個性心理学を嗜んでいた。
人それぞれが生まれもった性格は、生年月日によって、十数種類のグループに分かれるらしい。
一度、その友人に診てもらったことがある。
わたしは「行動力・活力・情熱・達成力」のグループだった。
なるほど。
たしかに、きっちりやりたい、正解を得たい、といった欲求が強い自覚はある。
きっとどこかにあるはずの「最適なソリューション」を求めてしまうのだ。
「破水 オア ノット!?」を白黒つけるべく調べまくったのも、自分の陣痛を正しく把握したかったのも、そう。
そういえば、産後は産後で、助産婦さんの「2時間くらいの間隔で授乳してね」の教えに悩んだ。
それって、授乳を始めた時点から2時間? 終わってから2時間?
母親初心者マークのわたしは、1回の授乳にゆうに30分近くかかっていたので、どちらを基点にするかで、次の授乳時刻が大きく変わるのだった。
助産婦さんは、大笑いして言った。
「あなた、いろんなこと頭で考えすぎやわ。正解はないねん。もっと心と身体に任せて大丈夫だいじょうぶ!」
そんなわたしに対して、娘・ひよこが診断されたグループは、「陽気さ・変化・型にはまらない自由さ・探究」。
彼女は、生まれながらに、奔放なのだそうだ。
ともすれば理屈に傾くわたしとは、気質が大きく異なる。
「いくら母と娘でも、ちはるちゃんとひよこちゃんは、思考回路が全然ちゃうねん。ひよこちゃんの行動を『なんで? どうして?』って解釈しようとしたらあかん。彼女が動くのは『そこに山があるから』や。解釈はこじらせのもとやで」
診てくれた友人からは、こんなアドバイスを受けた。
つまるところ、個性心理学は「信じるか信じないかはあなた次第」である。
親と子どもが別人格なのは、至極当然のこと。
でも、わたしが「自分は自分、ひよこはひよこ」を頭でも心でも解せたのは、この「ホンマでっか!?」な診断結果のおかげが大きい。
「なんでそんなことするん?」「どうしてせえへんの?」とあれこれ追究したい欲求を鎮める、「最適なソリューション」として機能した。
生年月日という変えようのない巡り合わせが由縁なら、しゃあないよなぁ、と。
***
3歳で迎えたこの夏、大森ひよこは自らを「おおもり」と呼ぶようになった。
彼女の一人称は、お喋りを始めた1歳の頃から一貫して「おおもりひよちゃん(おもーりひよちゃん)」だった。
フルネーム。
保育園にもご近所にも、「ひよこ」の名を持つ子はいないのに。
保育園でのご近所でも、ほかにフルネームで自分を呼ぶ子に出会ったことはないのに。
みんなが「うずら(うずちゃん)はねぇ……」と話すなか、ひとり「おおもりひよちゃんはねぇ……」でやってきた。
ゴーイング マイ ウェイ。
ときたま大人に「フルネーム!?」とツッコまれても、「それがなにか?」然とどこ吹く風。
夫もわたしも、両家の親戚だって誰だって、彼女を呼ぶときは「ひよこ」「ひよちゃん」である。
それなのに、何がどうしてフルネームになったのか。
わからない。
わからないけれど、誰に迷惑をかけるものでもないので、わたしは面白がって放任してきた。
解釈はこじらせのもと。
友人のアドバイスをきっかけに、ひよこと向き合うとき、解釈する代わりに面白がる姿勢で臨むようになった。
発端は藪の中だ。
7月半ば、気がつくと、ひよこが3回に1回くらいの頻度で「おおもり」を繰り出すようになっていた。
ある日曜日、家族3人で朝食を囲んでいると、大皿に残る1粒のピオーネを前に、彼女は主張した。
「これ、おおもりの!」
そっちかい! 夫もわたしも、思わずツッコんでしまった。
なんと、「おおもりひよちゃん」が発展形に選んだのは、「ひよ」ではなく「おおもり」。
娘よ、ここに居るの、全員大森や。
ひよこが、頭でっかちなわたしとは似つかない「型にはまらない自由さ」を備えていることは確かなようである。
この奔放さを規定しないこと、答えを当てはめないことが、親としての努めだと思う。
答えずに、応えてみる。
「これ、おおもりの!」と言い立てるひよこに、勿体つけて話しかけた。
「実はさぁ、おとーさんとおかーさんも、『大森』やねん」
「えー! みんな、おおもり!?」と、なぜか嬉しそうなひよこ。
「せやねん。だから、『おおもりの!』じゃ、どの大森さんのものか分からへんのよ。どうしよう?」
「うーん。そうだなぁ」と彼女が編み出した解は……
一人称「おおもり」を止めることではなかった。
代わりに、「おっきいおおもり」「ちゅうくらいのおおもり」「ちっちゃいおおもり」と、からだの大中小で判別することにしたらしい。
今日も彼女は、身長100cmの小さなからだで「おおもりはねぇ……」と凛々しく名乗っている。
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