30キロの鎧を捨てて気付いた、自分の正体
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記事:永井里枝(ライティング・ゼミ)
「二の腕、プニプニしてて気持ちいいー!」
悪気のない笑顔。かわいい女の子に囲まれ、その細い指先で二の腕の肉をつままれ、果たしてちゃんと笑えていただろうか。
その頃、デブとして確かな地位を築いていた私は、周りのキラキラした女子たちを横目に、暗黒の高校時代を送った。
私が「デブ」の仲間入りをしたのは中学に入った頃だった。
それまでは小食で体が小さかったため、当時やっていた剣道の試合では場外にふっ飛ばされることが多かった。
「これではいけない!」と思った私は、体を大きくすることを考えた。
「まず横に大きくなって、それから縦に大きくなるからな」
顧問の先生のそんな言葉を鵜呑みにし、とにかくたくさん食べるようにした。
食事は1日5食。朝、昼、間食、夕、夜食、毎食しっかりと米を食べた。
背を伸ばすため、牛乳は1日1リットル飲むようにした。おかげで周りとの身長差はあまりなくなったものの、入学当時に買った運動着はすぐに窮屈になっていた。
こうしてひたすら食べ続けた私は、中学1年の間に10キロの増量に成功。試合中に場外へふっ飛ばされるようなことはなくなった。
それからも食生活は変わらず、3年生になる頃には更に8キロ増えていた。この頃になるとさすがに体がきつくなり、膝や腰に痛みを感じるようになっていた。
「ここままじゃやばい、ちょっとは痩せなきゃ」
そう思っていてもなかなか習慣は変えられず、体重は増えていく一方だった。
追い打ちをかけるように、3年の夏には部活を引退。そして高校受験を経て、私の体は更に巨大化していた。身長158センチでありながら、この頃にはおそらく70キロを突破し、ほっぺたは楊枝で刺せば「プツン」とはじけそうなくらいパンパンに膨れていたと思う。
そして、ここから私の暗黒期が始まるのである。
私の通っていた高校は県内でも優秀な生徒が集まる女子高だった。そんなところにうっかり入ってしまった私は、自分とは程遠いハイスペックな女子たちに打ちのめされる毎日だった。
まず、運の悪いことに、その高校には制服がなかった。過度に露出の高い服装は禁止されていたが、それ以外の規定はない。ほとんどの生徒がおしゃれを楽しんでいた。
しかし私は、自分の体型にあう服を見つけるのが大変だった。特にジーンズには苦労した。小さい頃からやっていた競技スキーと剣道で鍛え上げられた太ももは、その隆々とした筋肉の上に分厚い脂肪がのっており、まるで胴から二人の幼児が生えているようだった。それをすっぽり収められるだけの太さのものを探せば、行きつく先は男物しかなかった。
Tシャツだってそうだ。身長は低いのに二の腕が太く、おまけに牛乳を飲み過ぎたせいで胸は水風船のように膨れていた。ほとんどのTシャツは横に伸びてしまい、おかしな柄になっていた。
それでも、学校へは私服で通わなくてはならない。こんなことなら、しっかり採寸して作ってくれる制服があった方がマシだと何度も思った。
私が劣等感を感じたのは、服装のことだけではなかった。周りの子はみんな、自分の目標や将来の夢のために勉強したり、芸術的な才能を発揮したり、とても輝いていた。まぎれもなく「意識」の高い人達の集まる場所だった。それに引き換え、特にやりたいこともなく、ただ自立するためだけに薬剤師になろうとしている自分を情けなく感じていた。
当時の私を支配していたもの。それは「嫉妬」だった。とにかく彼女たちの全てに嫉妬していた。スタイルが良いこと。勉強ができること。彼氏がいること。字がうまいこと。友達が多いこと。いい匂いがすること。全部うらやましかった。
そして、事細かに観察し、少しでも自分より劣っていそうな点を見つけては、心の中で笑っていた。じぶんの心の醜さは見て見ぬふりをし、人のアラさがしをする。それを知ってか知らずか、変わらず接してくる彼女たちの優しさにまた嫉妬し、自己嫌悪に陥る。悪循環の毎日だった。
全ては、この醜い体のせいだ。
太っているから、全部うまくいかないんだ。
いつしかそう思うようになっていた。
「痩せれば私だって輝けるのに」と心の中で叫びながら、痩せることができずに高校卒業を迎えた。
それから10年が過ぎ、私は大幅な減量に成功していた。
大学を卒業してから徐々に体重が落ちていき、「健康体重」とよばれる範囲になっていた。しかし、高校時代の強烈なコンプレックスは「痩せて輝きたい」から「痩せないと輝けない」に変わり、やがて「痩せられない私はダメな人間」と思うようになった。
そして、生活の全てをダイエットに集中させ、最後の3カ月で10キロ、トータル30キロ近く落とした。
鏡の中に映る自分は、あの頃と比べて見違えるほどスリムになっていた。
あんなに太かった脚も細くなり、スキニージーンズが履けるようになった。
Tシャツも迷わずSサイズを買えるようになったし、フェイスラインを隠すような髪型にする必要もなくなった。
憧れた体型を手にした私は、ダメ人間を脱したのだ。そう思いたかった。
でも、現実は違った。
痩せても、何も変わっていなかった。キラキラ輝くもの全てに嫉妬し、常に周りのアラさがしをする性格は、痩せてからもずっと私の中にあった。
どんなに楽しくても心から笑うことができず、誰かとの比較級でしか幸せを感じることができなかった。
鏡の中の私は青白く、頬が落ちて実年齢よりも老けて見えた。水風船のように膨れていた胸もすっかりしぼんで、貧相な影をつくっていた。
そうか、私がダメなのは、太っていたからじゃなかったんだ。
10年かかって、30キロの減量を経て、ようやくわかった。
私がダメだったのは、自分の醜い部分を全て体型のせいにしてきたからだったのだ。
おしゃれができないのも、彼氏がいないのも、否定されるのが怖くて自己主張できないのも、全部「デブだから」だと思っていた。
いや、気づいていたはずだ。それなのに、デブな自分に逃げていたのだ。全部太っているせいにして、自分の心と向き合うことを避けてきたのだ。
そうだ、私は怖かったのだ。
自分が何もできない人間であると知ることが。
嫉妬に支配された醜い心を認めたくなかったのだ。
だからきっと、あの頃「デブ」に甘んじていたのだろう。その鎧を失った時、自分に対しての言い訳がなくなってしまうことを感じていたのだ。
でも、大学を卒業し、少しずつ自分の居場所を作ることができるようになった。弱かった私が、デブという鎧を捨てて、自分自身と向き合う強さを持ちたいと思った。
だから、ダイエットをした。太っているから輝けないのか、そもそも輝けない人間なのか。その答えに気づくまでに、低血糖で2回ほど倒れる必要があった。
そして、私はダイエットをやめた。
同時に、人と比べることをやめた。
誰かとの比較級でしか感じられない幸せなんて、本当はきっとどうでもいいことなのだと思えるようになった。
それから3年。じわじわと、また体重は増えてしまっている。
でも、私の人生が輝いていないかといえば、そうではないと思う。
こうして書いている文章が人の目に触れ、誰かを励ます可能性があるというのは、本当に素晴らしいことだ。
できることなら、もっともっと輝きたい。
そして、暗闇を生きていたあの頃の自分に、その姿を見せてあげたい。
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