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カフェスタッフが聖徳太子をめざす理由


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ペンネーム:八千子(ライティング・ゼミ)

 

「雨が降ってきて滑りやすくなるから、気を付けてお帰りくださいね」

お店のドアを開けるのを手伝いながら、いつも来てくれるおばあちゃんを笑顔でお見送りする。

 

カフェで働いていると、いろいろなお客さまが来店する。ちいさな町の裏通りにカフェはあり、お客さまは近くの会社のサラリーマンや、OLさん。おじいちゃんやおばあちゃんが寄り合いの後に「コーヒーでも飲んでいきましょう」と時々立ち寄ってくれる。

 

20席にも満たない小さなカフェは、いつも混んでいるとはお世辞にもいえない。お店の前の人通りも少なく、あまりにも暇なとき、「お店の前を通る人が何人くらいいるのか、交通量調査でもしましょうか?」と店長に冗談をいったら、「悲しい結果になることはもう分かっているから、それだけはやめて」と真剣に断られたこともある。

 

閑古鳥が巣を作って子育てしているんじゃなかろうか、と思うこともあるが、それでも活気に満ちた時間は訪れる。12時からのランチタイムだ。11時50分になると私は戦闘態勢に入り、エプロンの紐をきゅっと結び直す。

 

12時5分。サラリーマンの方、1名さまご来店。おしゃべりしながら入ってくるOLさん2名さまご来店。キッチンに立つ私は、お客さまの顔を見ただけで何を注文するか、だいたい予想できる。そう、この方々は常連さま。食べるものがいつも決まっているので、オーダーを受ける前に準備に取りかかることが出来る。サラリーマンの方はパスタ。ホットコーヒーを食後に。OLさん達はタコライスのランチにミニスイーツとアイスカフェラテ。

 

予想通りのオーダーが入り、私は気を引き締めて調理に取りかかる。パスタの茹で時間を気にしながら、タコライス用のミニトマトとレタスを切る。オフィスのお昼休憩は12時から13時までの会社が多いため、同じタイミングで来店される。オーダーを受けたものを調理し、提供する。お客さまはそれぞれ食事をして、会社に戻る時間に合わせて、会計する。カフェから徒歩5分圏内にオフィスがあるお客さまが多く、会計のタイミングがほとんど同じ。短い時間の中で、なるべくスムーズに料理を提供することが私の使命だ。

 

キッチンに立っていると、どうしても死角になってしまう席があるため、食後のコーヒーを出すタイミングが分かりづらいが、私はある方法で食事が終わりそうか判断出来るようになった。

それは、とても単純で、「音」を聞くのだ。

お皿にフォークとスプーンが当たる音。カチャカチャという音が聞こえてくると食事はおわりに近づいているので、食後のコーヒーを準備しても大丈夫。常連のお客さまの食事スピードはこの「音」を聞き取る方法でうまくいく。

 

しかし、お店が慌ただしくなると、どうしても集中力が続かなくなってしまうため、「音」は聞き取れなくなってしまう。

「テーブル1番のお客さま、ドリンク食後だったよね? ぜんぜん音が聞こえないから、タイムロスになるけれど、見に行かないと……」と慌てて確認しなければいけないことも多い。そんな時、私はいつも「ああ、聖徳太子になりたい」と心の中で強く願う。

 

聖徳太子は、まわりの10人から一度にあれやこれやと話しかけられても、きちんと一人ひとりに受け答えをしたという逸話がある。飛鳥時代に活躍した歴史上の人物だが、最近では実在しなかったとまでいわれているため、本当にあった出来事かどうかは分からない。逸話だけが一人歩きしているようにも感じるけれど、聖徳太子が10人に10通りの回答を提示している状況は、今まさに、カフェで繰り広げられていることとおなじだ。オーダーをとり、音を聞きながらタイミングを見計らい、すべてのお客さまに満足してもらえるように頭も身体もフル回転させなければならない。

聖徳太子に詰め寄った10人はいつも同じような相談を繰り返していたから、的確に回答できたのではないかと思う。それでも「あの人はちゃんと私の言ったことに答えてくれるんだよ」という顧客満足度の高い、ホスピタリティ精神にあふれた人物であることには違いない。できることなら弟子入りし、その精神を学びたい。10人のお客さまの満足度をもっと高めるため、学ばせて下さい! と直訴したいところだけど、歴史上の人物に、そんなお願いできるはずもない。

 

怒濤のランチタイムが終了し、一息ついたところにカフェの近所に住んでいるおばあちゃんが来店された。おばあちゃんは「いつものね」と注文する。ホットコーヒーをカップの半分までそそぐ。たくさんは飲めないから半分くらいがちょうどいいらしい。

「おばあちゃん、お久しぶりですね。最近見かけなかったから心配してたんですよ」

「ちょっと、ころんで足腰痛めちゃってね。入院してたんだよ。杖がないと歩くのもやっとだわ」

入院中の不便だったことや、リハビリ担当の先生が男前でドキドキしたわ、など話が弾む。ふと外を見るとぱらぱらと雨が降ってきている。

「おばあちゃん、雨降ってきたよ」

「あら、大変大変。今日はそろそろ帰るよ」

おばあちゃんは会計を済ませ、杖をつきながら入口へ向かってゆっくりと歩き出す。お店のドアは少し重いので、先回りして開けてあげる。

「雨が降ってきて滑りやすくなるから、気を付けてお帰りくださいね」

「ありがとう。いつも気がきくね。また来るよ」

 

いつも気がきく訳じゃない。おばあちゃんがどうして欲しいか、とっさに考えてドアを開けただけだ。わたしはまだ、聖徳太子見習いだけれど、これからもありがとうと言ってもらえるように日々精進あるのみだ。

 

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

 

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2016-10-26 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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