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ニューハーフのお姉さんに焦がれた夜


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:吉兼千陽(ライティング・ゼミ)

 

私の目は、ステージに釘付けになっていた。

ステージの上では、きれいなお姉さんが踊っている。露出の多い衣装を着ていて、とてもセクシーだ。薄暗い照明の下で、きめ細やかな肌がぼんやり光る。痩せているのではない、でも太っているのでもない。とても女性らしくて美しい身体つき。潤んだ瞳が、ステージの下から見上げる無数の視線を搦め捕る。

あ、とうっかり声が出そうになってあわてておさえた。カルピスを口に含んで、ゆっくりと飲み込む。私は強い憧れのような気持ちを覚えていた。それは渇いた喉を潤したいと願うような、とても自然に湧き上がってくる感情だった。憧れというより、焦がれる、と言ったほうが近いかもしれない。ステージの上で踊る彼女は、最後の一瞬、着けていた衣装をすべて取り去った。陶器のような裸体が赤い照明に浮かび、そして消えた。神々しさを感じるくらい完璧な女性の身体だった。その瞬間、私は彼女に強く焦がれた。男として生まれ、女として生きる彼女に。ニューハーフの、その人に。

 

その日仲間六人とともに訪れたのは、いわゆる「オカマバー」。ニューハーフのお姉さんたちがお喋りの相手をしてくれて、ショーを見せてくれるお店だ。そのようなお店に行くのは初めてで、私はとてもわくわくしていた。「オネエタレント」ならテレビでたくさん見たことがある。でも彼女たちはあくまで画面の向こうの存在だった。だから、実際に会ってみたかったのだ。興味があったのだ。彼女たちがなぜ「女」になることができたのかということに。

 

私は絶望的に「女らしくない」ことを自負する女である。私には色気というものがまるでない。胸もないし、身長も低い。にもかかわらずスニーカーばかり履く。だって絶望的に似合わないのだ、ハイヒールが。ハイヒールを履くとちんちくりんな幼児体型が強調されるように思えたし、ハイヒールを履いた自分を鏡にうつすたびに、高いヒールが虚栄心の象徴のように思えて、私は背中を丸くした。でもハイヒールというのはなぜだか女性のユニフォームのようになっていて、ヒールを履かない女は「女を捨てた女」として糾弾される。

私にだって、女らしくなりたいとか色気がほしいとか思う気持ちも少なからずあるのだ。ときには「色気ムンムンの大人の女になりたい」願望が季節外れの入道雲のようにモクモクと湧いて出て、ちょっとぴったりして女性らしい服を買ってみたり、ハイヒールを履いてみたりすることだってある。でもすぐに思い知らされる。幼児体型にそんな格好は似合わないのだと。結局私にはどうあがいたって色気などないのだと。鏡の中の自分が「だからオマエにはハイヒールなんて似合わないんだよ」と嘲笑う。だから結局私はスニーカーを履く。だぼっとしたズボンと、Tシャツと、スニーカー。これがいちばん楽だし、私らしい。そうやって今日も私は、秋の空高く泳ぐ鰯雲を眺めて歩く。スニーカーだから、ちょっとよそ見をしても転んだりしない。靴箱のなかのパンプスはずっときれいなままだ。スニーカーの靴底ばかりが減っていく。

結局私はほとんど諦めているのだ。「女らしい」女になることを。ほとんど、諦めているのだ。少しだけ、心の隅っこで、いつか「女らしい」女になれることを期待して。季節外れの入道雲は、いつも湧き出る隙をうかがってうごめいている。

だからこそ、興味があったのだ。どうして彼女たちは「女」になれたのだろう。生まれたときは男だったはずなのに。生まれたときから女のはずの私は、いつまでたっても「女」になれないのに。

 

そしてその日、私はとあるオカマバーを訪れた。木枯らし一号が吹いた日だった。冷たく乾いた空気が肌を刺す黄昏時、私たちは開店時間より少し前にお店に到着した。

期待に胸をふくらませて扉を開ける。おそるおそる覗き込んだ私たちを迎えてくれたのは、びっくりするくらいきれいなお姉さんたちだった。

くるくると形よく巻かれた髪。きれいなカーブを描いて上を向く、濡れたまつげ。つやつやとよく手入れされた爪。絹のような肌。すらっとした脚の先には、10センチくらいある高いピンヒール。

すげえ、というのが正直な感想だった。かつて男だったことを感じるところなんて、ちょっと低めの声くらいのものだ。あとはもう、圧倒的に、女だった。「色気ムンムンの大人の女」が、そこにいた。

 

でも違う、そうじゃないのだ。私が焦がれたのは、彼女たちの女らしさとか色気とか、そういうことじゃない。

 

私たちのテーブルについたお姉さんは、ニューハーフの世界を、身体のお直しから性生活のことまで、赤裸々に語ってくれた。彼女があんまり清々しいくらいにさっぱりした口調で語るので、私は逆にどきどきしてしまって、カルピスを飲みながら「そうなんだあ」とまぬけな相槌を打つことくらいしかできなかった。お姉さんの足元のピンヒールを盗み見ては、ナイキのスニーカーを履いた自分の足元に目を落とし、ちびちびと啜るカルピスはどんどん薄くなって、全く減らなかった。

やがて始まったニューハーフショーは、演劇あり、コメディあり、セクシーダンスありの盛りだくさんの内容だった。ステージに立つお姉さんたちはまぶしかった。私たちは笑って、驚いて、また笑って、心を攫われた。誰かがテーブルにぶつかって、すっかり薄くなったカルピスが、ナイキのスニーカーに数滴、こぼれた。

こぼれたカルピスを拭きながら、私はああと思った。ああ、彼女たちはとても素敵だ。とても女性らしい。色気があって、女らしい。でも、そこじゃない。そんなことはもう、いいのだ。だって私は気付いてしまったのだ。彼女たちが「なりたい自分」になることができた人たちであるということに。

 

「美しくなりたい」「人気者になりたい」「頭が良くなりたい」「スポーツ万能になりたい」

私たちの「こうなりたい」という欲望は尽きることがない。むしろそれらの欲望を糧に私たちは生きていると言ってもいい。でも努力したからってその欲望が叶えられるとは限らない。たいていの人は、途中で諦める。どうあがいたって「なりたい自分」になれないことに気付いて、努力することをやめてしまう。そしてそのことに自己嫌悪をかかえながら、コンプレックスをかかえながら、「なりたい自分」という夢を叶えた人たちを羨んで生きる。努力できることも才能だよねーなんて言いながら、お菓子をぼりぼりと齧る。

でも、努力できることは才能なんかじゃない。

私たちのテーブルについてくれたお姉さんの言葉が、脳裡に蘇る。

「ゲイもオカマも男が恋愛対象だけど、私たちはゲイとは違う。私たちは、女として男に愛されたいの」

とても淡々とした口調だった。でもだからこそ、私はその言葉に、彼女の今までの葛藤の大きさを感じとった。きっと彼女は過去に、うんざりするほど、痛いほど、自分が男であることを思い知らされてきただろう。そのたびに女になりたいという願いを強く、痛いほど強くしていったことだろう。彼女はその願いを叶えたのだ。そして今、ひとりの女性として、男性とお付き合いをしている。

彼女はきっととてつもない努力をして、「なりたい自分」を手に入れた。でもそれは才能なんかじゃなかったはずだ。彼女は男である自分を受け入れたのだ。認めたのだ。自分が男であるという事実を。その痛みを十分すぎるほど味わって、どうすればいいかを考えて、行動したのだ。努力したのだ。女になるために。ひとりの女性として、男性に愛されるために。

 

努力できることは才能じゃない。「なりたい自分」になるために、努力するために必要なことは、今の自分を受け入れ、認める痛みを味わうこと。「なりたい自分」からほど遠い今の自分を、痛いほど自覚すること。すべてはきっと、そこからなのだ。痛みを伴わずに「なりたい自分」になんてなれないのだ。

たとえば私がいつまでたっても「女らしく」なれないのは、そのために最大限努力することができないのは、結局、痛みが足りないからなのだ。生まれたときから女であるという事実に甘えて、妥協して、ぬるま湯につかっているからなのだ。私は女性として生まれて、自分が女性であると認識している。頑張らなくたって私は女だという甘えが常にある。だから女らしくなれないことに対してもそれほど傷つかない。だって「らしさ」以前に、私はまぎれもなく女なのだから。

もしかして私は「女らしくなりたい」とか「色気がほしい」なんて、本当に望んでいるわけではないのかもしれない。「なりたい自分」は、どこか別のところにいるのかもしれない。

季節外れの入道雲は木枯らし一号に吹き飛ばされて、ひとかけらもなくなった。

 

じゃあ私はいったい、どんな自分になりたいのだろう。

わからない。だって私は、その痛みを感じたことがない。

 

だから私は彼女たちに焦がれた。「なりたい自分」というビジョンが明確にあって、きっと身を裂かれるような痛みを乗り越えて「なりたい自分」を叶えることができた彼女たちに。もしかしたら彼女たちの「なりたい自分」にはまだ先があるのかもしれない。でも、もしそうだとしても。「なりたい自分」に向かって確実に歩んできて、今も歩みをすすめる彼女たちは、私の目にきらきらとまぶしく輝いて見える。

 

私はどんな自分になりたいのだろう?

「女らしい女」も「色気ムンムンの大人の女」も、私の本当に望む「なりたい自分」じゃない。それは誰かが望む「女」像であって、私の望む「なりたい自分」ではない。それが何なのか、今の私にはまだわからない。でも。

ステージで踊るお姉さんたち。彼女たちがきらきらしているのは、決して、「女らしい」からではない。色気があるからでもない。彼女たちの痛みが、努力が、「なりたい自分」を叶えた自信が、彼女たちを輝かせているのだ。

 

私も彼女たちのように、きらきらしていたい。だからといって、彼女たちが私の「なりたい自分」というわけではないのだけれど。私がこんなにも焦がれているのは、たぶん「なりたい自分」を叶えた彼女たちの強さなのだ。その自信に満ちた姿なのだ。まだ「なりたい自分」の姿さえわからない私にないものを、彼女たちは持っているからなのだ。

 

私の履いたスニーカーと、彼女たちの履いたピンヒール。ピンヒールは彼女たちの、強さと自信の象徴だ。今の私には、スニーカーで十分だ。私はあんなに強くないし、自信もない。もし、いつか。いつか「なりたい自分」を見つけて、そんな自分が痛いほど遠くにいたら。そのとき、私は全力で走りたい。

 

お店を出る頃には、スニーカーにこぼれたカルピスはもうすっかり乾いていた。お姉さんたちに手を振って、冷え込む夜の街へと一歩踏み出す。相棒のスニーカーで、アスファルトをしっかり踏みしめる。そうだ、スニーカーは迷える私の相棒だ。だから明日もあさっても、私はスニーカーを履いて歩く。心置きなくよそ見ができるように。「なりたい自分」を遠くのほうに小さく見つけたら、いつでも思いっきり走り出せるように。

スニーカーは私の、迷いと希望の象徴だ。

 

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2016-11-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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