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プロフェッショナル・ゼミ

針の穴からすり抜けた世界にいたのは、新しい私だった。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:和智弘子(プロフェッショナル・ゼミ)

「ねぇ、ヒロミちゃん知ってた? わたしたちの名前、本当はもう一つ候補があったらしいよ」

小学3年生のわたしは、本を読むのに夢中になっていて、姉の言葉をとっさに理解できなかった。
「えっ? なんて?」
「自分の名前の由来を、おうちの人に聞いてみよう」という宿題が出された小学6年生の姉は、帰宅するとランドセルを背負ったまま、早速母に聞きに行っていた。
簡単に教えてもらえると思っていたが、意外にも「本当はもう一つ、名前の候補があった」という初めて聞かされた事実を得意げにわたしに披露した。
「えー。そうなの? 聞いたことなかったなあ。もうひとつの名前はなんだったの?」
「いま忙しいって言われたから、あとで教えてもらうことにしたよ。ヒロミちゃんも一緒に聞こう!」
「うん! どんな名前があったんだろうね?」

姉とわたしは、レイカとか、アヤナといった、マンガにでてくるお嬢様みたいな名前だったかも! とお互いの淡い希望で胸をふくらませながら母の用事が終わるのを待っていた。
これまでに、自分の名前について考えたことがなかったわたしは、母から初めて聞く回答が楽しみだった。

「なんだったけ。お姉ちゃんの宿題は? 名前の由来を知りたいんだったかな?」
6年生にもなるとややこしい宿題出すねぇ……と、母は少しめんどくさそうに、わたしたち姉妹の前に座った。
「そう! さっき、ほかの名前になってたかも、って言ってたのも気になる!」
姉は鼻息荒く、前のめりになって母に詰め寄る。
「そうそう。おばあちゃんがお世話になっていたお寺のお坊さんに名前を付けてもらったんだよ。お姉ちゃんは、11月生まれで、その日がとっても暖かくて小春日和だったから『小春』か、もうひとつは、『やえ』っていう名前。漢字で書くと数字の八に枝。末広がりに縁起がいい名前なんだって。それで、お父さんと『八枝』はちょっと古風すぎるって意見が一致してね。お姉ちゃんは『小春』っていう名前に決まったの」

え? 
なんだか、ちょっと良くわからなかった。
ひっかかるものがあり、母に疑問を投げかける。
「わたしたちの名前、お父さんとお母さんが考えたんじゃないの?」
「まあ、そういうことになるのかな。考えたわけじゃないけど、2人の名前を決めたのはお父さんとお母さんよ」
お父さんとお母さんが考えてくれた名前じゃないんだ……。

胸の中がチクッとした。
おばあちゃんが考えてくれたわけでもない。
ぜんぜん知らない人が、わたしの名前を考えてくれたんだ……。
お姉ちゃんは、どう思ってるのかな? 気になって、ふと、横にいる姉を見てみたが、
姉は今聞いたばかりの、自分の名前の由来について宿題のプリント用紙に、真剣に書き綴っていた。
「じゃあ、わたしの名前の由来も教えて」
飲み込めない気持ちもあったけれど、ムクムクと沸き上がる好奇心を押さえることができず、母に尋ねた。
「ヒロミちゃんのときも、ヒロミか八枝のどちらかでね。二回も出てくるなんて、八枝はよっぽどいい名前なのかな、ってお父さんと話したんだけど。でもお姉ちゃんの時に断った名前だからね、ヒロミに決めたの。ヒロミの弘の漢字は弘法大師っていう、偉いお坊さんからもらったのよ」

「ふーん。そうなんだ」
そう呟いて、わたしはコタツに深く潜った。
一度もあったことのない、誰だか知らない人につけられた名前。
とても偉い人かも知れないけど、お坊さんの名前。

自分の名前の由来を聞いてから、なんだか胸がチクチクする。
聞かなきゃよかったな。
嘘でもいいから「お父さんとお母さんで色々考えたのよ」と言ってほしかった。
姉は宿題を終わらせるべく、プリントに書いた文字を確認し、ランドセルにしまっていた。

「ヒロミちゃん、弘法大師っていうお坊さんは、ものすごく字がキレイな人だっていう伝説もあるのよ。いい名前だねって、お父さんもお母さんも思ったから選んだんだからね」
母は、わたしの様子がおかしいことに気がついたのだろう。
「いい名前だよ」と熱心に伝えてきた。だけど、母の言葉は、私にあまり響かず「うん」とつぶやき、深く、コタツに潜ったままだった。

6年生のとき、この宿題があったら嫌だな。
その時は嘘を書いて宿題を済ませよう。
そう、思った。

6年生になると、「おうちの人に自分の名前の由来を聞いてみよう」と題されたプリントがわたしの手元に配られた。一番やりたくない宿題。クラスメイトは「えー、そんなの、聞いたことないから、楽しみだね」と、なんだかソワソワしている。

だけど、わたしは自分の名前の由来について聞いてしまった。その由来を、みんなに披露するのも嫌だった。
家に帰って、宿題のプリントを誰にも見られないように、こっそりと自分の部屋に持っていき、空欄の箇所をなんとか埋めた。

わたしの名前の由来は、字がきれいな弘法大師に由来したものです。

それだけを急いで書いて、プリントを小さく小さく折りたたみ、ランドセルにしまい込んだ。

「今日は宿題ないの?」
母の問いかけに「今日は宿題なかった」と、しらを切って本を読みふけるフリをした。
胸がチクリチクリと痛むのは、なんでだろう。
針山に刺さる針のように、わたしの胸にはチクリチクリと針が刺さるようだった。
嘘をついているからかな。
自分の名前が気にくわないからかな。
全然知らない人が考えた名前だなんて、口が裂けても言いたくない。
さまざまな気持ちが、グルグルとかき混ぜられていた。
絵の具を何色も溶かして濁ったバケツの水のように。
この気持ちは、誰にも気づかれたくなかった。

宿題を発表するときも、胸はチクリチクリと痛む。
クラスメイトの発表を聞いていても、胸にある針山にはチクリチクリと針が刺されてく。
ゆきちゃんは「希望があるように」という願いをこめて有希。
ケンタくんは「健康ですこやかに過ごせるように」という願いをこめて健太。
みんな、自分の名前にこめられた願いを誇らしげに発表していて、わたしはだんだんみじめになってきた。
ゆきちゃんも、ケンタくんも、みんな両親の願いや思いが込められているのに。
わたしだけ、会ったこともない人につけられた名前。
できればみんなの前で発表もしたくなかったけれど、一人だけ発表しないわけにもいかず、早口で、だれにも聞こえないような小さな声で発表してすぐに席に座った。

小学生の男子は、無邪気で、そして残酷だった。
わたしが必死でついた嘘を、平気でからかってくる。
「こいつの名前、『ボウズ』が由来だから、『ボウズ』って呼ぼうぜ」
「ボウズってさ、みんなハゲてるから『ハゲボウス』でいいんじゃねぇ?」
げらげらと大声で笑い、わたしを指差しながら、おーいハゲボウズー、とからかってくる。

泣きたい気持ちを、ぐっとこらえる。
男子のばか騒ぎなんて、いつものことだもん。
ほっとけばいいや。どうせ、そのうち飽きて他のことで騒ぎ出すに決まってるんだから。
ちらりと、騒いでいる男子達を見て、無視することに決める。

なんで、この名前なんだろう。
せめて、もうひとつの名前にしてくれれば良かったのにな。
なんだっけ? そうだ、「八枝」だ。
その名前も、決していいとは言えないし、時代遅れだし、古風な感じもするけれど。
でも、「八枝」っていう名前なら、こんないじわる、されなかったのに。
その時からわたしは、もしも私の名前が違っていたら、こんなはずじゃなかったのに、という呪いを抱えて生きていくことになった。

中学生になり、友達関係に悩んだとき。
高校生になり、大学受験に悩んだとき。
友達とも上手くやれていたはずだったのに。受験も上手くいってたはずなのに。
弘美、という名前が私の足を引っ張っている。

八枝だったら。
わたしが、縁起のいい名前の、八枝だったら。
もう少し、世の中をうまく渡って行けたんじゃないのかな……。
自分自身の傲慢な性格や、準備不足でうまくいかないことには目を背けて、わたしの名前が良くないからだ、という言い訳を自分に吐き続けた。
そのたびに胸にはチクリと針が刺さるけれど、そのチクリとした痛みには、もう慣れてしまっていた。

第一志望の大学には自分の学力が足りなかった。浪人するのもプライドが邪魔をした。わたしは自分の学力に見合った大学へ進学した。

しかし、その場所は思いのほか居心地がよかった。「この大学、滑り止めだったんだよね」と、あっけらかんと話してくれる友達ができたからなのかもしれない。
「自分の居場所を見つけられた」という安心感を得て、それなりに満足した日々を過ごすことになった。

「ねえ、文学サークルっていうのに、ちょっと興味あるんだけど、一緒に見に行ってくれない? ひとりで行くの、心細くて」
同じ学部で仲良くなったユウコが、お願いだからさー、と誘ってきた。
「ユウコ、文学サークルなんて興味あるんだ。わたしも本を読むのは好きだから、行ってみてもいいよ。めんどくさそうだったら、すぐ帰るよ?」
ありがとう! と、ユウコは逃がすまいと言わんばかりに、わたしの腕をひっぱって、サークル棟に向けて歩きだした。

文学サークル「Write」はサークルの名前通り「文章を書く」サークルだった。しかし、文章を真剣に書いているひとは少数派で、好きな作家の新刊小説を貸し借りしたり、「小説談義」と称した飲み会を開くことが一番の目的のようだった。
「わたし、このサークル入ってみようかな。ユルい感じで楽しそうだし、新刊も読めそうだし。」
ユウコに誘われてきたものの、わたしはすっかり入部する気になっていた。
文章を書いたことはなかったけれど、小さなころから本を読むことが大好きだったわたしは、ちょっと楽しそうだという自分の気持ちを信じてみた。

毎日、講義が終わるとサークルの仲間とつるむようになった。
「わたしも、なんか書いてみようかなぁ」軽い気持ちで発言してみたところ、「あ、新入部員は必ずひとつ書いてもらうっていうのは決まってるからね」
1つ年上のリュウ先輩が笑いながら言う。
リュウ先輩の名前は竜という漢字一文字で、ちょっと、かっこいい。
「えー、ひとことも聞いてませんでしたけど?」
「みんな、一年に最低一つは作品を書いて、それを年末にみんなで披露するっていう、裏テーマであるんだよ。もちろん、絶対に書かないといけないわけじゃないけどね。得意な分野でいいから。詩とかマンガ書いてもいいし。はじめは難しいと思うけど、書き始めてみると結構ハマるよ」
そうなのか。意外と、うまく書けちゃったりして。ちょっとだけ期待に胸をふくらませる。
「じゃあ、ちょっとがんばってみますー」
「気負わずに、気軽にかいてみたらいいからさ。自分の知らない一面とか出てくるかもよ」
そういって、リュウ先輩はわたしの頭をポン、と軽くたたいた。

その日の夜から、知恵熱が出そうになりながらも、何とか文章を書き始めてみた。自分のドロドロした気持ちを書いてみようと思っていたが、なぜか青春全開の恋愛小説になっていた。

なんとか短いながらも小説を書き終えた。
ペンネームを書く時に、私は「八枝」と記した。
文章を書く初めての試みには、「弘美」の名前ではなくて、もうひとりのわたしである、「八枝」として生きてみようと思った。
もうひとりの自分として、小説の中だけでも生まれ変われるのなら。

わたしは書き終えたばかりの小説、リュウ先輩に読んでもらうことにした。
「初めて書いたにしては、まとまってておもしろいよ。この女同士の、些細なことでケンカしてるっていう感じとか。中学のときって女子がなんか雰囲気悪い感じなのは分かるんだけど、男子は関わらないようにしようぜーって感覚も共感できるし」

リュウ先輩に、褒めてもらえた。
褒められたことが単純に嬉しかった。
だけど、その褒められたところは「弘美」として生きて、感じてきた気持ちを何とか言葉に表したものだった。

胸の痛みが、すこし、消えた。

ユウコも小説を書き終えていて、お互いの作品を読み、感想を言い合った。
「いやー、私が恋愛小説を書くなんて、思っても見なかったよ。ユウコ、実体験でしょ?」
「うーん。まあ、半分くらいは実話ってかんじかな。お互い、キラキラした青春ものを書くなんて、ちょっとウケるね。ヒロミちゃんのも、実体験をベースにしてるでしょ。この女子のセリフ、聞いたことあるもんね」
「ユウコも聞いたことある? やっぱりみんな同じ道を通るものなのかな。ところで、ユウコはペンネーム使わないんだね」
優しい子、とかいて優子。いい名前だもんね。
心の中でちいさく呟く。
「いや、いろいろ考えたんだけど、『おまえ、だれだよ』って感じのペンネームばっかり浮かんできてさ。武者小路アリス、とか。結局わたしが書いてるんだからもうペンネームはいらん! ってなってさ」
「そのペンネームは、こじらせてるねぇ。優子はいい名前だもん。そのままでいいじゃん」
「ヒロミちゃんはペンネームなんだね。ヒロミちゃんも『弘美』のままでいいんじゃないの。弘美って、きれいな名前だと思う」

まさか、名前を褒められるとは思いもよらず、そうかな? と曖昧に笑い、首をかしげるだけだった。

年末の発表に向けて、もっと頑張ろう! とユウコと誓い合い、帰路に着く。

「弘美」として体験したことしか、私には書けない。
「八枝」として生きていたら、分からなかったかもしれない感情。それを表現したら、褒められた。

そのとき初めて、「弘美」という名前を少しだけ認めてあげてもいいのかも。そんな気持ちが小さく顔を出してきた。

年末になり、「作品発表大会」が開催された。
場所は大学近くの居酒屋だ。恒例行事らしく、店長も「年に一回、みんなの作品読むのが楽しみなんだよ」と嬉しそう。店長特製のおでんをつつきながら発表会は始まった。

詩やポエムを書いた人は朗読して発表するのだけれど、小説を書いた人はプリントアウトして回し読みされる。
わたしは相変わらず青春恋愛小説を「八枝」の名前で書いていた。「弘美」と名乗るには、まだ自信がなかった。

リュウ先輩が、どれどれ、どんなの書いたの? と私の横に座り、真剣に読み始めた。
今回のは、ぜんぜんダメだねって言われちゃうかな……ドキドキしながら、感想を待つ。
「いやー今回も、なかなか読ませるねえ。この女の子のいじけてるところとか、うまいよ」

褒められたことが単純に嬉しかった。
その部分は、やはり「弘美」として経験した苦い思い出を言葉にしたものだった。
自分の感情を、否定しなくていいんだ。
素直にそう、思えた。

リュウ先輩は、着物をつくる女の人の話を小説にしていた。親戚のおうちが、和裁の先生をしていたらしく、そこからイメージしたのだという。ひとりの女性が丁寧に、一枚の着物を仕立て上げるまでの行程や、その女性の強い想いを描いた内容だった。

その話の中に、使い古した針を供養する「針供養」という行事について書かれていた。使いこんで曲がってしまったり、折れてしまった針を、こんにゃくに刺して供養するというものだった。

わたしの胸に刺さった針も、供養できるだろうか。
自分の気持ちを素直に受け入れることができれば。
文章を通じて、胸に刺さった針を、供養することができるなら。

私はこれまで、針の穴からのぞいているような、視野の狭い小さな世界しか見てこなかったのかもしれない。
両親が決めてくれた弘美という名前を、自分自身を、もっと好きになってみよう。

そう心に誓いながら、店長特製おでんの、じっくりと味のしみ込んだこんにゃくを噛みしめた。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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