大好きな恋人がいたにも関わらずわたしが絶対浮気をやめなかった理由《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:安達美和(プロフェッショナル・ゼミ)
わたしが生まれて初めてリアルタイムで全話観たテレビドラマ、それが話題の「逃げるは恥だが役に立つ」だった。
元々、星野源という人物がとても気になっていたこともあったし、異質なタイトルにも惹かれた。テーマ曲の「恋」もポップでありながら切なくて素敵だと思ったし、恋ダンスは自分で踊れなくても見ているだけで心が弾んだ。
しかし、結局のところ、わたしがこのドラマを最終回まで観てしまった理由はひとつしかない。
主役であるみくりと平匡が結んでいる「家事によって給料が発生する」という契約が、現在の自分にも当てはまるからである。1話目から他人事と思えず、気がつけば最終話まで全て観てしまった。ちなみにわたしは、立場としては平匡側になる。今の自分はほぼ家事をしていない。
平匡とみくりは、始めはただの雇用関係だったのが、徐々に心を通わせ恋人に発展していくが、わたし達はその逆である。元々恋人同士だったが、ある事情から家事でお給料を渡す関係性に落ち着いている。そして、彼らとわたし達が一番違う点は、平匡とみくりがたどる先には「結婚」があるが、わたし達にはその可能性はほぼゼロだということだ。
わたしは今まで、天狼院書店のライティング・ゼミで、恋愛にまつわる記事を比較的多く書いてきた。実話も創作も含めて。しかし、それらは全て一方的な片想いの話ばかりだった。こちらが相手を想うにしても、その逆にしても、結局互いの想いが通じあわない話ばかりを書いてきた。恋人が出てくる話は、意図的に避けた。なぜかって、理由は簡単だ。怖かったからだ。もし、恋人にまつわる話を書いてしまったら、これを読んだほぼ全ての人がわたしを軽蔑するだろうと思ったからだ。そして、そうされて当然だと思った。何せ、わたしは現在の恋人ができてから10年あまりのあいだ、ほぼ休むことなく浮気をくり返していたのだから。
この記事を書こうと決意して、こうして書き始めたは良いものの、実を言うとまだ怖い。自分が過去に犯してきた罪と、こころの弱さを直視せずには、この話はできないからだ。それでも書いてみようと思ったのは、なぜだろう。覚悟を決めたいからかもしれない。ちゃんと責任を負いたいと、思うからかもしれない。
現在、32歳のわたしが、恋人と初めて出会ったのは16歳の時だった。当時、わたしは高校で演劇部に所属していたが、夏休みのある日、顧問の先生が1本のビデオを持ってきた。部員を視聴覚室へ集めると、先生は暗幕を閉めてビデオデッキを操作した。
「去年の関東大会のビデオ、みんなにも観せようと思って」
周囲から、おお〜というどよめきと静かな興奮が立ち昇るのが分かった。そして、隠しきれない悔しさも。あの時大会で勝ち上がれば、そのビデオに映っていたのは自分たちだったかもしれないという気持ちが、先輩部員からうかがえた。
やがて始まった映像には、ひどくそっけない舞台装置が映し出されていた。舞台自体も真っ黒なら、その上に置かれた椅子ほどのサイズのいくつかの箱も真っ黒で、じきに出てきた役者も真っ黒の衣装を身につけていた。な、なんてシンプル……もとい地味なんだと驚いた。目が一切楽しくない。ここから本当に、心躍る世界がくり広げられるんだろうか。いぶかりながら画面を見つめた。
結果から言うと、わたしは自分の見る目のなさを恥じることになった。とんでもなく面白い舞台だった。途中から、自分たちと同じ高校生が創った舞台ということを忘れていた。もう、完璧にスターである。めろめろだ。感嘆のため息を漏らしていると、先輩部員のひとりがつぶやいた。やっぱり、面白いわ。そして、ちょっぴり自嘲気味に続けた。もう、同じ地区にこの高校がある限り、うちら県大会にも進めなくない? その時初めて、自分が今観ていた映像は、わたし達の高校と同地区の演劇強豪校の作品だと分かった。確かに、先輩がぼやくのもうなずける。勝てる気がしない。
すごいなぁ、菅野先輩……先輩部員がため息混じりにつぶやくのを聞いて、この舞台の演出を付けていたのが、その「菅野先輩」という人物と知った。
そして、その菅野先輩こそ、現在のわたしの恋人である。
ビデオを観てから2ヶ月後、その年の演劇の地区大会が行われた。わたしは会場前で受付を務めながらも、じきに開始する中間テストの勉強に必死だった。やってくる観客に大会のパンフレットを押し付けるようにして渡し会場に収めると、すぐさま英単語帳を開いて暗記に没頭した。どんな短い時間もムダにはできなかった。大会が始まる前から、「2学期の中間テストはあきらめたほうが良い」と、何人もの先輩部員から穏やかな笑みをもって言われていたが、1年生だったわたしはこの時になってやっとその意味を理解していた。舞台創りに忙しすぎて、全くと言って良いほどテスト勉強が進んでいなかった。確かに授業で習ったはずなのに、どの教科書を開いてもさっぱり記憶にない。頭の中をくまなく検索しても、なんの知識も見当たらない。そりゃそうだ、授業中は舞台の小道具を作っていたからな! ああ、わたしはとんだポンコツだ!
かすかすの頭に必死で知識を詰め込んでいると、自動ドアが開く気配がした。もうとっくに上演が始まっているのに、のんきな観客がいたものだ。わたしは機械的に大会パンフレットを手に取り、さっさとその観客を会場に押し込めようと立ち上がって顔を上げた。色白で丸顔の人物が、黒縁めがねの奥からわたしを見下ろしていた。伸びてしまった後ろ髪を、輪ゴムで適当にくくっている。いらっしゃいませ、と口にした時、会場からひとりの男性が出てきた。例の演劇強豪校の顧問だった。彼は、わたしの目の前にいる人物に気づくと、だるそうに話しかけた。
「おお、菅野、来たか」
「先生、どうもです」
え、いま菅野って言った? わたしは固まったままふたりの様子を眺めた。実のところ、わたしはこの時まで菅野先輩に会ったことがなかった。先輩はわたしの2学年上で、大抵の高校は3年生の春で部活を引退するものだから、わたし達はちょうど入れ替わりになるのだった。先輩は受験勉強の合間をぬって、地区大会に足を運んだということだった。先輩は、わたしの通う高校の名を口にして、1年生? と尋ねてきた。憧れの先輩を前に、はい! というわたしの返事が、異様なでかさでロビーに響いた。
それ以来、わたしと先輩は大会でお互いの姿を見つけると話すようになった。わたしは先輩から舞台創りの技を盗みたかったし、先輩も自分を慕ってくる下級生に悪い気はしていないようだった。わたしが高校を卒業しても、その交流は続いた。
わたし達の関係性が先輩と後輩から一気に恋人に変わったのは、わたしがはたちの時だ。その日、わたしは先輩に、自分の「ある秘密」を告白した。なぜか、この人になら話しても良いとふと思ったのだ。それに、ちょっとビックリさせてやりたいというイタズラ心もあった。先輩はどんな反応を示すのだろう。
ファストフード店の店内で向かい合わせに座り、わたしが自分の秘密を打ち明けると、菅野先輩はぽかんと口を開けた。その様子から、相当ショックを受けているのが分かった。あらら、言わない方が良かっただろうか……と自分の軽率な行動を恥じていると、先輩はよろよろと立ち上がってトイレへ入った。しばらくして席へ戻った先輩は、ショックを鎮めたいからトンカツバーガーを買おうと思う、でもお金がないから貸してくれと頼んできた。わたしは素直にお金を渡し、先輩は無言でトンカツバーガーをむさぼっていた。一気に水を飲んだ後、先輩は決意したようにわたしの目を見て言った。
「ぼくも、君と同じなんだ」
やっぱりか、と思った。そうじゃないかと思ったから、秘密を打ち明ける気になったのだ。わたしは先輩にこう言ったのだった。
過去に女の子を好きになったことがある、と。
菅野先輩は女性だった。正確に言うと違うのだが、生物学上はそうだった。「性同一性障害」という言葉を知った時、おそらく先輩はそれに当てはまると思ったが、面白いことに先輩と会った8割の人間が先輩を男性と思い、残りの2割がひょっとして女性か? といぶかしむ程度には、男性に見えた。先輩は現在、30代も半ばだが、パッと見は20代中盤の男子である。声は低いし、背も高い。173㎝という身長は、男性にしてもまぁ十分だと思う。そんな先輩は、自分の性別についてずっと悩んでいたが、わたしの告白を聞いて自分のそれも認めるきっかけになったらしかった。
互いの素性が分かったのをきっかけに、わたし達はさらに仲良くなった。自分の性別を認めた先輩は、自身が22歳の時にひどく遅い「初恋」を迎えた。過去に好きになった女の子もいたらしいが、気の迷いだろうと反射的にあきらめるよう自分で仕向けていたらしい。わたしは先輩の恋愛相談を聞いているうちに、「これは自分も絡んでいったほうが圧倒的に面白そうだ」と思って、恋人候補に名乗りを上げた。
そんなふざけたきっかけで恋人同士になった我々だったが、ふたを開けてみればびっくりするほど相性が良かった。元々、演劇という共通の趣味があったし、わたしは先輩を尊敬していたし、先輩もすぐにわたしを好きになってくれた。実を言うと、こんなに好きになるとはわたし自身思っていなかったのだ。予想に反して、先輩にどんどん惹かれていく自分を意外に感じた。そして、ふと不安に思った。でも、この時は自分が不安に感じたものの正体はつかめなかった。
22歳になった時、わたしは浮気をした。相手はひとつ年下の男の子だった。先輩とわたしの関係は続いていたが、愛情が強すぎる分だけ喧嘩が絶えなかった。こんなに好きなのに、うまくいかない。会う前は、一刻も早く会いたくて仕方ないのに、いざ会うと、すぐにでも離れたくなってしまう。自分がこんなに口汚く他人を罵れる人間だと気付いた時のショックは相当なものだった。先輩は決してわたしを悪く言わなかったが、一緒にいることに疲れているのは明らかだった。
もう別れようと決めて、何度も先輩に意思を伝えたが、先輩は絶対に首をたてに振らなかった。変わろうよ、とよく先輩は言った。うまく付き合っていけるように、お互い変わっていこうよ、と。全く正論だったが、わたしはもう別れたかったのだ。好きで仕方なかったが、別れたいのも事実だった。不安だった。別れる口実のために、浮気をしたと言っても良かったかもしれない。別に好きな人ができたからと言えば、すんなり別れられると思った。甘かった。先輩は答えは完全に予想外なものだった。こう言ったのだ。
ほかに相手がいてもかまわない、と。
耳を疑った。どういうことだ。先輩は、君にほかに相手がいてもかまわないから、とキッパリ言った。その後、しばらくの間わたしは先輩とも、もうひとりの男子とも付き合っていたが、ほどなくして男子の方と別れた。元々、遊びたかったわけじゃない。ふたりと付き合うには気力も体力も足りなかった。
わたしはその後も、ほぼ途切れることなく浮気をした。そしてその度ごとに先輩に別れたいと申告した。答えはいつも同じだった。不思議な三角関係が続き、しばらくするとわたしの気力と体力が底を尽き、結局男性の方と別れる。このくり返しだった。不安は日増しに大きくなっていった。そして、27歳のある時、わたしは認めざるを得なくなった。
自分は信じられないほど先輩が好きだ。そして、そのことこそが、わたしの不安の原因だ。
わたしは今まで、男性としか浮気をしてこなかった。なぜかというと、男性相手ならば結婚ができるからだ。わたしにはひとつの強迫観念があった。
「結婚していないと、社会的信用を得られない」
わたしにとって「結婚」とは、「社会的信用を担保してくれるもの」以外のなにものでもなかった。「既婚者」であるという事実は、自分が誰かに一生を過ごす相手としてふさわしいとお墨付きを与えられた印だと思う。すべての既婚者が人格者であるとは思わないが、ある程度年齢を重ねた大人が未婚であることで被る風当たりの強さは想像するだに辛かった。「結婚しなければ」と思った。それに、なんだかんだで「普通」のレールを降りることは怖かった。先輩と一緒に居続けることは、難しいと思っていた。
先輩と付き合う限り、どんなに好きでも結婚はできない。ならば、好きの気持ちが多少劣っても、結婚の可能性がある男性を選んだ方が良いのではないか。わたしが浮気をくり返していた理由はそれだった。
なんで付き合うことにしてしまったんだろうと、当時よく後悔した。こんなに好きになってしまうなんて。でも、後の祭りだ。
わたしがもう何度目になるか分からない浮気をした時、当然先輩の答えは、「それでもかまわない」だと思った。別れたいと思っていたにも関わらず、先輩の返答はそれ以外ないと信じ込んでいた。わたしのアパートで差し向かいに座り、別れたいと口にした時、先輩はしばらく黙った後にぽつんと言った。
良いよ、別れても。
思わず、まじまじと先輩の顔を覗きこんでしまった。
「今までずっと別れたかったんだもんね。ごめんね」
そう言ったきり、黙ってしまった。その様子を眺めていたら、いつの間にか涙が止まらなくなっていた。わたしは、今まで何度も思っては口に出すまいとしていた言葉を口走っていた。絶対に言うまいと決めていたのに。
「なんで男じゃないんだよ!」
違うんだ、こんなこと言いたいんじゃない。傷つけたいんじゃない。そもそも、男性だったら先輩に自分の秘密を打ち明けることも、仲良くなろうと思うこともなかったのは明らかなのに。好きなのに。大事な人なのに。こんなに大事な人を傷つけてまで、わたしは結婚がしたいのか? 誰と? いまの浮気相手と? そんなに好きか? 先輩よりも? 違う、だって、でも、結婚しなくちゃ。結婚しなくちゃ。
その時、違和感に気がついた。「結婚しなくちゃ」? 今までわたしが幾度となく「結婚」について考えていた時、頭の中を駆け巡っていたひとつの言葉はいつもこれだった。
「結婚しなくちゃ」
「結婚」にはセットのように「しなくちゃ」をつけていた。それ以外の言葉が付くことはなかった。つまり、「結婚したい」ではなかったのだ。常にいつでも、「結婚しなくちゃ」だったのだ。わたしは「結婚」を「願望」ではなく「義務」と思っていたのだった。
じゃあ、「結婚したい」と1度も思ったことがないかと言うと、そうではない。1度だけあった。
先輩と夜の公園を散歩している時、どちらからともなく手をつないだことがあった。街灯に照らされた横顔を見た時、自然に思った。わたしは、この人が心底好きだ。ずっと一緒にいたい。結婚したいと。もちろん、法律上の結婚はムリなことは分かっていたから、すぐに打ち消したけれど。
そうだったのか、とやっと分かった。
わたしは結婚したいのではなく、心から好きだと思える相手とずっと一緒にいたかったのだ。それで、「普通」のレールを降りることになっても。
それからしばらくして、わたしは浮気相手と別れ、先輩と一緒に暮らすようになった。先輩はいま幼稚園の先生になるため、専門学校に入り直して18歳の女の子たちに混じって勉強している。見た目が男子で30代も半ばでも、それなりにうまくやっているらしい。首席卒業のため寸暇を惜しんで勉強している先輩が、バイトをする時間がないとぼやくので、「家事給与制度」を提案してみた。「逃げ恥」の平匡さん並のお給料は払えないけれど、援助くらいにはなる。こんなやり取りをしている点でも、とっくに「普通」のレールからは降りているように思う。
わたし達は結婚はできない。少なくとも、今の日本の法律ではそうだ。かと言って、どうしても「結婚」がしたいのかと言うと、そうとも言えない。この先なにがあるかまだ分からないし、結婚している男女をうらやましく思うことだって時にはある。それでも、良いのだ。今は。
わたし達はお互いを心底大切に思っているし、ずっと一緒にいるつもりだ。それだけでとりあえず、なんとかやっていけると思うから。
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