プロフェッショナル・ゼミ

44年前の記憶、さらに、36年前の歓喜(「ガンバレ!」の代名詞)《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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 記事:山田THX将治(ライティング・ゼミ プロフェッショナルコース)

今年を総括する時期だ。

小生にとって、最も思い出に残っているのは、やはり、リオデジャネイロ・オリンピックの歓喜だ。連日、それこそほとんど不眠で、この日本から応援し続けた。
そんな中、リオデジャネイロ・オリンピックの前半に行われた水泳競技、金藤選手が金メダルを獲得した、女子200m平泳ぎ決勝のゴールの瞬間を観ながら、遠い遠い昔を想い出していた。

僕が中学二年、13歳の時、当時の西ドイツのミュンヘンで、オリンピックが開催された。前回の東京オリンピックから、僅か8年後だった。5・6歳の何でもかんでも影響されてしまう白紙状態の時に、連日東京オリンピックを観せられた僕等世代は、類を見ない“オリンピック馬鹿”に成長していた。
ミュンヘン・オリンピック前には、オリンピックの歴史に関するTV番組が、特にNHKで、連日放映されていた。僕は当然の様に、文字通り食い入って全て観ていた。

当時僕は、一貫校に通っていて、地元中学に進んだ友達が高校受験に向かっていく中、毎日遊びほうけていた。
僕は、「こんなことをしていて良いものなのかと」僅かばかりの良心が、頭をよぎっていた。
学校側も、そんな僕らを知っていてか、勉強をさせる対策として中学三年の夏休みに、“卒論”または“自叙伝”を、400字詰め原稿用紙100枚以上提出する課題が、学校の伝統となっていた。未提出の場合は、高校へ進学させてもらえないらしい。
卒論に代わる方法として、卒論に値する研究(文・理どちらでも可)を、新聞社や出版社の懸賞の様な外部に発表することが認められていた。

僕は、中学二年頃から卒論に、40,000字も文字を書く(当時は当然手書き)のは勘弁願いたかったので、某新聞社の中学生向新聞に掲示されていた、「夏の中学生研究懸賞」というところへ、応募することにした。

時に、ミュンヘン・オリンピックの開幕直前。オリンピック関連の放送が、TVで目白押しだった。そんな中で、僕が注目したのは、今回と同じドイツで1936年に開催された、ベルリン・オリンピックの模様を伝える放送に注目した。
その中でも特に、水泳女子200m平泳ぎの実況放送に注目した。
当時の平泳ぎは、200mしか種目が無く、その上なんと驚いたことに、バタフライ泳法が平泳ぎに含まれていたと、映像で確認した。
現代なら、平泳ぎとバタフライでは、明らかにタイムが違うし、キックの方法が根本的に違う。しかし当時は、平泳ぎのいわゆる“カエル型キック”に腕を同時に上下にかくだけなので、バタフライも平泳ぎの変形と解釈されていた時代らしい。
バタフライが、独立競技となるのは戦後からとのことも、TV番組で知った。

現代では、諸処の問題から「ガンバレ!」との声掛けは、あまり勧められることではない。しかし、平泳ぎで泳いでいる選手を見ていると、他のクロールやバタフライの様なスムーズさが無い為、カクカクして見える。いったん止まってしまった様で、見ている方は、思わず
「ガンバレ!」
と声援を送りたくなる。
ベルリン・オリンピック水泳女子200mの実況は、まさにそれを体現している様で、優勝した日本の前畑秀子選手を応援した、「ガンバレ!前畑!」といわれるNHKの河西アナウンサーの名実況が残っている。
興奮するのももっともだ。この金メダルは、日本人女子初の金メダルだったのだ。

そこで13歳の僕は、この前畑選手の事を、この36年前の歓喜を、もっと掘り下げて調べ懸賞に応募しようと考えた。一人では心細かったので、同じくオリンピックが大好きな友人二人を誘い共同研究とした。
先ずは図書館で、関係のある本や資料を揃え、3人で手分けして読み漁った。その内、どの本や資料も客観的な表現ばかりで、何か物足りなく思ってきた。
「こりゃ、直接聞くしかないな」
僕が呟くと
「俺もそう思う」と、友人の一人が同意した。もう一人は、
「どうやって直接、前畑選手に聞くんだい」と、言って来た。僕は、
「手紙を出せばいい」と、解決策を提案した。
一人が、質問事項を考え、僕ともう一人が、前畑選手の連絡先を探ることになった。現代なら、インターネットですぐに探せるところだが、当時はまだ、超アナログな時代だった。電話帳で、日本水泳連盟の電話番号を探し出し、前畑選手の住所(手紙の送り先)を聞くこととなった。
個人情報管理の考えがなかった当時でも、訳の分からない中学生対し、そう簡単に前畑選手の連絡先は教えてもらえなかった。ただ、個人の住所は教えられないが、勤務先の椙山(すぎやま)女学園の住所なら知らせられると言われた。また、現在の姓は兵藤であることも教わった。
勤務先であろうと構わなかったので、すぐに教わった。友人の中で最もまともな字を書ける友人が、代表して質問を書き返信用の封筒を入れ投函した。

前畑さんからの返信は、呆気ないくらいに早く届いた。ただ、期待していた程の厚みは無かった。開封してみると、一筆せんにこう書いてあった。
「申し訳無いことですが、この時期インタビューの依頼が立て混んでおり、とても返事を書く時間が御座いません。日にちを指定して大変恐縮ですが、来る7月15日の午前11時からでしたら、練習が有りませんので御逢いすることが出来ます。遠方ですが、名古屋まで来て頂けませんでしょうか」
とても中学生に対するとは思えない、丁寧な内容だった。また、大変達筆でいらっしゃった。僕らは再び、名古屋まで伺うことと、学校のどこまで行けばよいかの返信をした。今度は、時間が無かったので、学校の電話番号を勝手に書き添えた。

3日後、3時間目の英語の授業中、僕は担任から教員室に来るよう呼ばれた。クラス全員が「あいつ、また何かやらかししたな」と思ったはずだ。教員室に行くと、事務室から回された電話がつながれていた。「お前指定の電話だ」と、担任はけげんな顔をしながら言った。
電話の主は、前畑秀子さんだった。全く予想していなかったので、僕は直立不動になり、大きな声で返事をした。前畑さんは、椙山女学園の電話番号と校門を入ってすぐのところに在る、通称オリンピックオーク(樫の木)を目印にするよう、僕にメモを取らせた。
深々とお辞儀をしながら受話器を置いた僕を見ながら、教員室に居た担任と教頭が「おい、もしかしてその電話は、ガンバレ前畑からか?」と聞いてきた。
僕は「はい、そうです」と答えた。
その日の放課後、僕は友人二人と教員室に呼び出された。担任、教頭、それに今回は学年主任まで加わり、何事かと問い詰められた。僕等は、研究懸賞に応募すること、僕が言い出したこと、そして、筋を通して前畑選手に連絡したことを報告した。事のついでに、本来は禁止されている試験休み(私学だったので、中学の時から試験休みがあった)中の外出の許可を願い出た。前畑選手からの指定なので、何の障害も無く許可が下りた。担任は、喜んで学割の用紙をくれた。

学期末試験もそこそこに、僕等はインタビューの準備に入った。質問事項を再考し、失礼が無いよう注意すべき点も話し合った。これは、勉強の一環だから、仕方無いけど学校の制服・制帽を着て行こうと一致した。

1972年7月15日午前7時半、東京駅に集合した僕等は、出張するサラリーマンと共に東海道新幹線に乗り込んだ。名古屋到着後は地下鉄を乗り継ぎ、前畑選手が指定した11時より20分も早く、僕等は椙山女学園に到着した。初めて女子校の構内に入るので緊張したが、金メダリストを待たせる訳にはいかないので、校門脇の事務所に断りを入れ、オリンピックオークで待つことにした。“オリンピック”の冠が付いているということは、何か前畑選手に関係するのだろうと思い、質問の一つに加えた。とっさに、友人の一人が「金メダルを見せてもらえるかな」と言い始めた。
少し先から「こんにちは~」と、声が聞こえた。眼鏡を掛けた小太りなおばさん(失礼)が、手を振りながら小走りに僕等を見付け近寄ってきた。
小生等が初めて、生で目にした金メダリストだった。多分、事務所から連絡が入ったのだろう。
「遠い所をご苦労様」
前畑選手は、僕ら中学生に深々とお辞儀した。
「いえいえ、こちらこそお忙しい所を有難う御座います」と、挨拶を返した。
急な事で驚いたのか、友人の一人は帽子を取るのを忘れていた。
「ここでは暑いから、私の部屋に行きましょう」
前畑選手は、ニコニコと笑顔で誘ってくれた。校内で初めて男子生徒を見たのだろう、女子生徒が怪訝そうな顔で前畑選手に連れられた僕等を見ていた。途中、同僚の教師らしき女性が、前畑選手に
「あれ、今日は珍しく男の子を連れてるの?」と声を掛けて来た。前畑選手は、僕らがレポートの為、東京から訪ねて来たことを手短に説明してくれた。

大きな校舎の一階中央に、“兵藤秀子 執務室”と表札が掛かった部屋があった。
「さあ、どうぞ」前畑選手が、扉を開けてくれた。僕等に椅子を勧め、扇風機を廻してくれた。
「暑いから、麦茶で良いわね」前畑選手は、優しく僕等に尋ねてくれた。気難しい方で無くて良かったと、僕は安堵した。
僕等はノートを取り出し、写真撮影と録音の許可を願い出た。前畑選手は、写真は構わないけど、録音は遠慮してもらえないかとおっしゃった。
「今日は君達に、他では言ったこと無いことも話すから、しっかり聞いて頂戴。録音には残して欲しくないことも話したいから」
まだ子供を抜けきっていなかった僕等は、その時本意を理解出来なかったが、今となって思えば、数多いマスコミのインタビューに、ヘキヘキとしていたのだろうと思える。僕は、何か特別な事が聞けるのではと期待した。

インタビュー役の僕は、用意して来たことを順を追って聞き始めた。前畑選手は、一つ一つ丁寧に答えてくれた。「1936年当時、女性でありながらオリンピックに参加するのはどういった気持ちになるのか」「当時、日本国内の期待はどれぐらい伝わって来たのか」「金メダルを獲得した時、どんな気分になったか」と、型通りの質問から始めた。
当時書き留めたノートを見返し、要約すると次のような答えだった。
当時日本では、女性がスポーツするのは、ハシタナイ行為との風潮があった。テレビは無かったものの、新聞で期待の大きさは十分伝わってきた。金メダルを獲得して、ただただ安堵したとのことだった。
「ベルリンの前、ロスアンゼルス大会で銀メダルを獲得して、次は勝てると考えていらっしゃったのか」と、僕は続けて質問した。前畑選手の目付きが、少しきつくなった。しばしの沈黙の後、こう言い始めた。

「本当は、ロスアンゼルスの銀メダル(1位とは0.1秒差)で、もっと褒めてもらえると思ってました。でも現実は、違ってました。日本に帰国してすぐ、水泳連盟の偉い人に『0.1秒ぐらい何とかならなかったのかね』と言われました。私がどんなに苦労して練習したかなんて、この人には関係ないんだと思いました。私にはその時、両親は既に死んで居ませんでした。学校(椙山女学園)の校長先生の御好意で、水泳を続けてこられていました。もう、二度と泳ぐものかと思いました。当時私は、18歳です。戦前の日本で女性は、十代後半で結婚するものでした。特に親の無い者は当然でした。とてもとても、次のオリンピックを目指す資金も気力も有りませんでした。実際、3か月ほど学校に顔を出さず、寮でじっとしていました。心配した校長先生が『君がそれで気が済むのなら泳がなくていい。でも、もし後になって悔いが残るのならもう一度挑戦してごらん。それまで私が支援を約束する。結婚だって、とびきりの婿さんを探してあげる』と言って下さいました。金メダルは取りたいに決まってます。私は考えた挙句、この校長の言葉にだけは応えなくてはと、再び泳ぎ始めました。それからの3年半、私は休まず泳ぎました。悔しさからではなく、期待に応えなくてはと頑張りました」
と、一気に話して下さいました。ただし、この話はどこにもしてないから、発表する時は、少し省略して書いてねと注文も付けられた。実際、前畑選手は、ベルリン・オリンピック後、椙山校長の取りなしで名古屋医科大の医師と、見合い結婚し兵藤秀子となった。
メモを取るのも忘れ聞き入ってしまった僕は、次の質問が出来ないでいた。隣の友人が「あの“オリンピックオーク”は、ベルリン・オリンピックと関係が有るのですか?」と助け船を出してくれた。
笑顔に戻った前畑選手は、ベルリン・オリンピックでの表彰式の写真を取り出し、「この手に持っている木があれよ」と教えてくれた。写真を見ると、首に金メダルを掛けてもらった前畑選手は、頭に植物で作られたと思われる冠と、手には小振りな樹の鉢植えの様なものを持っていた。へぇ、と感心する僕等に、続けてこうも話してくれた。これも、他には知られていないものらしい。
「この写真で、私が手にしているのが樫の苗木なの。帰国して学校に植えたの。でもね、少し育ったその苗木は、空襲で焼けてしまったの。たまたま枝を一本、校長先生がご自宅の庭に植えて下さったらしく、根付いたそれをあの場所に植え替えたの。だから、あれは二代目なのよね。
それより、樫の木と言って渡された苗木だったけど、本当は柏の木だったのよ!
今では“オリンピックオーク”で通ってしまったから、そのままにしているの」
と、驚くべきことを話してくれた。

僕等は図に乗って、金メダルを見せてはもらえないかと頼んでみた。「良いわよ」
と、気軽に答えて下さり机の引き出しから金メダルを取り出してくれた。元々、金メダルは銀に金メッキをしたものなので、36年前の金メダルはすっかりメッキが剥げ、銀色になっていた。それでも感心して手に取る僕等に、前畑選手は再び驚くべきことを言い始めた。
「私がこの写真で掛けている金メダルじゃないの。この時の金メダルは、学校の金庫に保管していたのだけれど、空襲の時に直撃弾が当たって、金庫ごと吹き飛ばされてしまったの。戦時中の“金属供出”に取られ無い様にと、校長先生が大事に保管してくれてたのにね。それで戦後になって、葉室さん(同じくベルリン・オリンピックの金メダリスト)のメダルから複製してもらった、レプリカなのよ」
どうりで、鍵も掛からない机の引き出しにあったはずだ。

「もし勝てなかったらと考えると、怖くはなかったですか?」
少し意地悪なことも聞いてみた。もっと笑顔になった前畑選手は、手を叩き声を出して笑いながら、こう答えてくれた。
「ベルリンへ向かう列車の中で、緊張し過ぎて抑えられず、本当に神社のお札を呑んだのよ。それでも、怖くて怖くて。もし勝てなかったら、帰りの船から身を投げて死のうと決心したの。とても日本には戻れないと思って。でもね、よく考えたら私は水泳選手だから泳ぎは得意なの。だから、身投げしても死ねないって気が付いたの。これは、勝つしかないとタカをくくったの」
本当に、気さくな方だ。僕等もつられて笑ってしまった。

「では、優勝出来て本当に良かったですね」と何気に言った僕に、前畑選手は少し悲し気な表情でこう言ってくれた。
「あの時、私と競り合ったのは地元ドイツのマルタという選手だったの。もし私が、地元開催のオリンピック(実際、ベルリンの次の開催は東京に決まっていた)で優勝出来なかったらと考えるとたまらなくなるし、何だかマルタに悪いことしちゃったなぁと考える時も有るの。しかも、今マルタは東ベルリン(冷戦当時です)に居て、連絡の取り様が無いの」
後年、前畑選手がライバルだったマルタ・ゲネンゲル選手とベルリンで再会し、一緒に泳いだとのニュースを新聞で発見し、安堵したことを思い出す。
前畑選手は、優しい日本女性だと感心した。

もう一つ、聞いてみた。
「“ガンバレ!前畑”の放送を聞いて、どう思いましたか?」
「河西アナウンサーの実況は、とてもとても嬉しかったわよ。あれ以来、前畑の姓が“ガンバレ!”の代名詞になったみたいで。もっとも私は、すぐに兵藤に成ったけどね。私は、指導している選手たちに決して“ガンバレ!”とは言わないの。あの時、私が感じたプレシャーを押し付けるみたいで嫌なの。でもね、いざ試合になると興奮して“ガンバレ!”って叫んじゃうの」
前畑選手は再び、僕等を笑わせてくれた。

約束の1時間半を大きくはみ出し、昼食までごちそうになった僕等を、前畑選手は“オリンピックオーク”まで見送ってくれた。“柏の木”に留まった蝉がうるさかった。その脇には、来た時には気が付かなかった前畑選手の銅像があった。
水着姿の物だ。兵藤さんは少し照れながら、こうおっしゃった。
「これは戦後建てて頂いたものなの。戦前は、水着姿なんてとんでもなかったし、戦中なら金属が無かったし。それで、戦後になってからなのよ。戦前のことをだれも言わなくなってたから、少しスマートに造ってもらったの」
再び、声を出して笑っていた。

何度もお辞儀をし、僕等は学校を後にした。

東京に戻り、何度も書き直して、僕等は新聞社の懸賞に応募した。
『伯林(ベルリン)の歓喜』と題したそのレポートは、見事入選した。
賞品は、図書券3万円だった。

入選の報告とお礼の手紙を、前畑選手に出した。
返信の葉書が届いた。そこには、達筆な文字でこう書かれていた。

「山田さん、入選おめでとう
これであなたも、国体優勝ですね
次はオリンピックで金メダルが取れる様に、今後も精進して下さい
ガンバレ!山田!
   前畑秀子」

小生が、ちょっと自慢出来る、遠い遠い昔の想い出です。

【参考】https://www.youtube.com/watch?v=312hnBM1vZE

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この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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