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嫌いだったピアノをやめて分かったこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:あきら(ライティング・ゼミ)

僕は大学生の頃、友達とアマチュアのヘヴィメタルバンドを組んでいました。コピーしていた曲はアイアンメイデン、メタリカ、イングヴェイ・マルムスティーンなど激しくパワフルでノイジーな曲でした。マシンガンのようにザクザクと速くリズムを切るギター音、バリバリと腹をえぐるようなベース音、ドコドコと雪崩のように体に迫ってくるドラム音をバックに、僕は金切り声のようなシャウトを連発して雄たけびを上げていました。

体の中の底から湧き上がるエネルギーを力いっぱい消費して、曲を演奏しきった時の爽快感は格別なもので、ヘヴィメタルをやっているときの僕は幸福感に包まれていました。
この幸福感とともに、僕は母親に感謝の気持ちをヒシヒシと感じていました。この感謝があったからこそ、より僕はヘヴィメタルを楽しむことができていました。

そもそも僕の音楽の出会いはヘヴィメタルではなくてクラシックピアノで、幼稚園の頃から高校2年生まで習っていました。好きでクラシックピアノをやっていたのですか? と聞かれると、断じてそうではないと答えます。母親から、「練習しなさい、続けなさい」と尻を叩かれて続けたに過ぎませんでした。

「遊びに行きたいよ。ピアノ練習やめにしていい?」
「今日は〇〇くんの家にみんな集まるっていってるよ。僕も行っていいい?」
母親にそう懇願しても、「練習が終わってからにしなさい」とピシャリと言われました。小学校の頃は、学校から家に帰る時刻は夕方の3時~4時頃です。僕はどちらかと言うとノロマな子供で、家に帰ってから手を洗い服を着替え、ピアノの練習を始めるのに相当の時間を要していました。ピアノの練習は毎日1時間の練習を課せられていましたので、練習が終わるともう直ぐに夕食の時刻。とても遊びに行ける時間などありませんでした。ピアノの練習は子供の僕にとって恨めしい嫌な時間でした。

練習自体も厳しかったと思います。いやいや練習するので、ついサボったり遊んで弾いてしまったりすると、すぐに「真面目に弾きなさい! 音は間違っているしリズムはズレているし、ちゃんと楽譜通りに練習しなさい!」 と叱咤の声が飛びました。

「もうピアノやめてもいい?」
「ぼくはピアノを続けて将来何になるの? 何のためにピアノを弾くの?」
成長してきた僕は母親に何度もそう尋ねました。しかし、「ここまで習ってきたのだからとにかく続けなさい」とばっさりと切られました。頑固で強情な母親でしたので、次第に僕も諦めてやめたいとは言わなくなりました。
こうしてズルズルと高校2年生の終わ大学受験が始まるまでピアノの練習を続けました。やる気なく練習していましたが長く続けたお陰もあって、ブルグミュラー、ショパン、モーツァルトのいくつかの曲を弾けるまでにはなっていました。

大学受験が終わり、僕は晴れて大学生になることが出来ました。
さて、音楽をまたやろうか? 僕はそう考えました。物心ついたころから長くピアノをやってきたので音楽が体に染みついており、まったく音楽を消去してしまうのは寂しい気持ちでした。
どのジャンルの音楽をやろうか? 真っ先に却下したのはピアノを再開することでした。僕は、ピアノで練習したクラシックとは真逆の音楽をやろうと思いました。
小さい時から「あなたはこの道で生きなさい」と小さい頃から歌舞伎役者の跡継ぎになるように育てられた人が、全く違う道に進むような気持ちに似ているかも知れません。

当時は、テレビの深夜番組で、洋楽を紹介する番組MTVや、個性的なアマチュアバンドのオーデイション的な番組、イカ天が流行っていた時代でした。僕の周りの友達もこれらの番組でヘヴィメタルを見てその影響を受け、僕もだんだんとヘヴィメタルに興味を持つようになりました。

メロディーに欠けノイジーでうるさく、ビジュアル的にもとても悪そうなヘヴィメタルこそ、僕が探していた音楽だ! クラシックとは全く違うぞ!
ヘヴィメタルのバンドをやることを母親に告げました。あまりに対極的な音楽なので驚いたかもしれませんが、母親はもう反対しませんでした。

そして僕は友達とヘヴィメタルバンドを組んで練習をスタートさせました。ヴォーカルとベースを担当しました。とはいえ、ヘヴィメタルをバンドで演奏するということは、僕にとって初めての経験だったので、上手くできるかとても不安でした。しかし、その心配は全く不要であることに気が付きました。
曲をコピーして演奏する場合、楽譜を読むか曲を流して音を取っていく必要があります。僕は楽譜が読めましたし、曲が流れると音をとることができる音感もあることに気がつきました。また、リズム感もそれなりにあって、ほかの人の演奏にずれることなく合わせることができました。

「僕がこうしてヘヴィメタルのバンドを楽しめるのも、幼いころから長年ピアノを練習して身についた基本があったからではないか?」僕は徐々にそう感じ始めていました。
思ったより上手く演奏できるし、バンドって意外と楽しいな。もっとやれるかもしれない。僕は楽しくて楽しくてヘヴィメタルのバンドにハマっていきました。

「僕は何の為にピアノを習っていたの? まさかピアニストにさせようと思っていたわけじゃないでしょう?」
母親に再び質問を投げかけました。
「小さいときは、才能があればいいなという思いはあったけれど、ピアニストに育てようとは考えてなかったよ」
「じゃあ、何で長く続けさせたの?」
「長く続けていたら直接ものにならなかったとしても、きっと将来何かの役に立つかも知れない。そう思って続けさせたの」

僕は母の言葉に目から鱗が落ちる気持ちでした。ピアノを続けさせてくれたからこそ、こうやって今バンドを楽しむことが出来ている。母親の気持ちを全く知らずに、いやいやピアノを続けていた自分を情けなく思いました。嫌がる息子を叱咤しながら、すごく長い間ピアノを続けさせてくれた母親にとても感謝をしました。

振り返ってみるとピアノを習っていた期間は約13年、1日1時間練習をしたとすると、ざっくり見積もって約5000時間ほど練習していたことになります。ピアニストになるように真面目に練習はしていませんでしたが、一芸としてピアノを弾くには十分な練習量と思います。身を立てないにしても、この一芸というものは自分にとってはとても大切で有難いものとなりました。

ヘヴィメタルのバンドもステージこそ多く立つはありませんでしたが約5年ほど続けました。今では音楽に関わることはほとんどしていませんが、たまにバンドを楽しんだり、いろんな音楽を楽しむことにとても役に立っています。

小さなことでもいい、下手でもいい、続けていればきっと将来役に立つことに繋がり、人生を楽しむ大きな財産となる。
母親の言葉を思い出し感謝しながら、今僕は新たな思いとともに天狼院のライティングゼミを受けてこの文章を書いています。

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2017-01-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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