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プロフェッショナル・ゼミ

江藤は激怒した。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:吉田裕子(プロフェッショナル・ゼミ)

江藤は激怒した。必ず、この無為無価値の会合を除かなければならぬと決意した。江藤には町内会がわからぬ。江藤は、地域には新人である。家を離れ、海外に出向いて働いて来た。けれども非効率に対しては、人一倍に敏感であった――。

* * *

虹見ヶ丘3丁目の町内会会合に、江藤圭司が出席するようになったのは、彼が60歳を迎え、長年勤めた大手食品メーカーを退職した春からだった。

それまで38年間、精力的に働いてきた江藤である。退職してしまうと、日々時間を持て余すようになった。そんな江藤に「近所の人と顔をつないでおいた方が良い」と会合への出席を勧めたのは、妻の芳子であった。

町内会は月1回、第3火曜の午後1時から開かれている。こんな時間にやるからシニアしか来ないのか、そもそもシニアしか参加しないから、こんな時間にやっているのか、新参者の江藤は詳しく知らない。ただ言えるのは、町内会というより、敬老会という趣であるということだ。

今日6月20日も、会合は和やかに、というより、ダラダラと進んだ。

20人もの人を集めているというのに、定刻に始まらない。時間になっても、それぞれのグループのおしゃべりはやまない。親しい人のいない江藤は肩身が狭い。腕時計をチラチラ見ていると、定刻を8分ほど過ぎたところでやっと「じゃぁ、そろそろ始めましょうかね」という声がかかった。生真面目な江藤は居ずまいを正して前を見るが、60代後半の町内会長はゆったりと腰かけたまま、気の抜けた調子でしゃべり出す。

「いやぁ、皆さん。本当に蒸し暑い中こうしてお集まりいただきまして、どうもありがとうございます。虹見ヶ丘3丁目町内会、6月の会合を始めます」
パチパチパチ、とまばらな拍手。江藤は腕を組んだまま聞いている。

「さてと、皆さん、今日は何を話し合いましょうかね。えー。えー。何かある人」
江藤がイライラするのはこういうところであった。人をこんなに集めておいて、議題も整理していないとはいったい何事か、と思わずにはいられない。

「会長。8月の虹見ヶ丘夏祭りの出店の話を決めないと」
「そうでした、そうでした。えーと、あれは昨年、山田さんが仕切ってくださいましたが、今日は……」
「山田さん、本日ご欠席みたいです」
「おや、困りましたねぇ。分かる人がいらっしゃらないとは」
こうしたやり取りの間にも、どこかからひそひそと私語が聞こえてくる。江藤は眉をしかめる。ひそひそ話の片割れが突然「あらっ!」と声を上げた。そして、
「会長! 山田さん、今ご入院されてるそうですよ。何でも肺炎だそうで」
と報告する。皆が挙手もせず、自由に発言し始めるのも、江藤には落ち着かなかった。

「いやぁ、それは心配ですね。どうでしょう、町内会の有志でお見舞いに行った方が良いんではないでしょうか」
「ぜひ。市立病院だそうですよ」
町内会の話し合いはこうしていつも、本題からそれていく。

腕組みをしたままの江藤は、右手で左の二の腕をグッと握りしめる。これは彼のイライラしたときの癖であった。痛いと思うぐらいに握りしめ、自分を押さえつけていないと、衝動的に机を叩いてしまいかねなかった。
「本題に戻りましょう!」
そう叫べたら、どれだけスッキリするだろう。

こういうとき、江藤はいつも脳内で計算をする。

1人当たりの人件費を仮に1時間3,000円として、3,000円×20人×1.5時間=90,000円。こうして山田さんとやらの入院の話をしている間にも、1分当たり1,000円が無駄になっているじゃないか――。食料品メーカーの生産管理部で、国内外の工場の生産計画や原価管理を担っていた江藤らしい習性である。

その江藤の試算で、人件費が10万円を超えたころ、ようやく会合は終わった。

そそくさと、誰よりも早く会場を後にすると、夏の日はまだ高かった。あまりの蒸し暑さと、蓄積された苛立ちで頭が回らず、「これならクーラーのきいた家にいれば良かった」とばかり思っているうちに、家に着いた。

芳子はこの暑さの中、編み物に励んでいた。専業主婦の彼女は、昔から家事の合間に編み物をしていた。マフラーやセーターはもちろん、帽子、手袋、コースターなど、色々なものを作っている。今日は夏用のニットを編んでいるようだ。

彼女の成果の一部は江藤のものになった。良い出来だとは思ったが、もらっても有難いとは思わなかった。一人娘もそうだ。子どもの頃は喜んでいたが、思春期を迎える頃にはそれほど喜ばなくなったように思う。その次は幼い甥っ子・姪っ子、最近では、自分や友人の孫などにプレゼントしているようであるが、そのことを見聞きすると、江藤はあるものを思い出してしまう。

それは、『魔女の宅急便』に出てくる「ニシンのパイ」である。おばあさんは孫のために手間暇をかけて作るものの、それをキキが届けると、今風の孫娘は、
「私このパイ、嫌いなのよね」
と言い放つのである。

芳子の編み物作品も、実際、喜ばれていないのではないかと思う。腕はいいと思うし、心をこめて編んでいるのも知っている。でも、もしそれが周囲に煙たがられているとしたら、哀しい話ではないか。いったい何のために編んでいるのだろう、と思う。

実際、何年か前に訊いてみたこともある。そんなに編んで、何になるんだ――と。芳子は不思議そうな顔をして答えた。

「趣味って、そういうものでしょ」
「よく分からないことを言う」
「まぁ、お父さんには分からないでしょうね」
「何だ、その言い方は」
「お父さんは、仕事が趣味みたいな人だから」

このセリフは、このときに限らず、何度か言われたことがあった。かつて、それに対する江藤の返事は決まっていた。

「悪いか。他に何があるんだ」である。

ただし、今の江藤は「悪いか」と強くは言えなくなっていた。仕事だけが生き甲斐というような日々を重ねてきた結果として、退職で何もかもがなくなってしまったのだ。

毎日は退屈だが、かといって新しいものに入っていくのは何だかおっくうだった。楽器だとか、登山だとか、趣味を楽しむ友人たちを見ると、多くは20代、30代の頃からそれをたしなんでいた。この年になって全く新しいものに飛び込む、みずみずしい好奇心は失われていた。

思えば、60歳の定年後、嘱託社員として残る道も残されていた。それまでの役職を離れ、簡単な業務に配置転換され、65歳までの日々を過ごす。多くの者はその道を選んだが、江藤はそれを選ばず、潔く退職したのだった。

会社に頼み込んで、お情けで置いてもらっている。そんな感じがして嫌だったのである。人一倍、生産性に気を払ってきた江藤は、自分自身が大した価値を生まない人材として残留することを認め難かった。

――でも、時々思う。残っておけば良かったか、と。

* * *

7月の会合後、江藤は呼び止められた。

「芳子さんの旦那さん!」

江藤はギョッとする。周囲がよく使うこの呼称も、町内会での居心地の悪さの原因であった。もちろん、理解はしている。長年この地域に根ざして暮らし、町内会の会合にも出席していた芳子の方が存在感を持っていることを。しかし、何だろう。この居心地の悪さは。定年後の自分の居場所のなさを、自分の存在価値のなさを思い知らされるような感じがする。

内心の不機嫌さを押し殺しながら、「はぁ、何でしょう」と答えると、町内会の副会長を務めるその女性は、元気よくしゃべり出した。

「良かった、今日あなたがつかまってね。ご存知かどうか分からないけど、うちの町会ではね、定年退職とかで新しく加わった方に、会長をしてもらってるのよ。その方が、顔が売れていいと思うのね」
「それは、わたしが会長をやるということですか?」
「任期は9月からの1年間。来月の会でお披露目するから、あいさつ、考えといてくださいな。よろしく」

にっこり笑うと、副会長は去って行く。どうも、本人の意思を問う前に、結論は出ていたらしい。そういう強引なやり方はどうなのか、と呆れながらも、江藤は少し機嫌をよくした。自分が会長になれば、この会合のやり方を変えられる。もっと有意義な会にできる。

江藤はその日から動き始めた。現会長から過去数年分の議事録を借り受け、各月に検討すべきことは何なのかなどを整理し始めた。話し合わなくてはいけないことを忘れていて、後で慌てて役員が集まったこともあると聞く。そういう抜け漏れのないよう、各月の議題表を作っておこうと思った。

芳子は久しぶりに、パソコンに向かう江藤を見た。熱心に何かを打ち込んだり図表を作ったりしている江藤は、良い表情をしていた。それがどんな仕事なのかを特に説明しないのは、定年前と同じであった。芳子は長年、そんな江藤のそばで、静かに編み物をしていたのであった。

8月の会合前日、江藤は、納得の行くプレゼン資料を作り上げた。人数分印刷し、ホッチキス止めをしていると、翌日が楽しみになってきた。

一方では「持ち回りの会長職をこんなに熱心にやろうとするのも自分ぐらいだろうな」と自嘲したが、それは裏返せば、得意な笑いでもあった。大きな工場をいくつもマネジメントしてきた自分なのだから、町内会の改革提案など容易いことであった。

その8月の会合の主な議題は、夏祭りの出店の反省であった。肺炎から復帰した山田さんが、「手伝えなくて、ご迷惑をおかけしました」としきりに謝るのをなだめているうちに、ダラダラと1時間が経過した。本来、8月の会合では、9月の町内総出の草刈りについて話し合いをしなくてはならないのだが、その話が始まる気配はなかった。そしてとうとう、その話の出ないまま、会は終わろうとしていた。

そのとき、件の副会長の女性が「恒例の夏祭りが終わると、町内会の会長交代の時期です。今日は、次の会長を紹介して終わりましょう」と言い、江藤は前に立つよう導かれた。

「皆さん、こんにちは。次期会長を務めることになりました江藤圭司です。どうぞよろしくお願いいたします」
はきはきとしたあいさつであった。つい最近まで現役で働いていたことを感じさせる如才のなさである。皆が拍手をするのに気を良くした江藤は、準備してきた資料を配った。

「私が会長を務めるにあたって、この会合のあり方を変えようと思っています。例えば、今日本当は、秋の草刈りの話をしないといけないのに、忘れたまま終わろうとしてますよね。こういうのをなくしたいんです。皆さんもせっかく来てくださっているのですから、集まったのが無駄足ではもったいない。きちんと話し合うべきことを話し合って、ぱっと終わる。全員にご足労いただくまでのない話は役員だけで決めるとかね、もっと効率良くしていきたいと思ってるんですよ」

皆が江藤を注視する。

「詳しくはそちらの資料に書いてあります。読めば分かるようにまとめていますから、次月までに皆さん読んでいただいて、ご意見などありましたらね、最後に書いてあるアドレスにメールをください。それを踏まえて次月の会合を準備しますから。あ、役員の皆さんは全体の会の30分前にいらしてください。議題を共有して、スムースに話を進められるようにしたいと思いますからね。では、今日はこの辺りで終わりましょう。草刈りの件は、後でご連絡しますから。では、現会長に最後、しめていただきましょう」

「あ、私? えー、あー、いやぁー、江藤さんは頼もしいですね。さすが、一部上場企業のお偉いさんだっただけのことはありますなぁ。そんな江藤さんとね、違ってね、頼りない私でしたが、皆さん、1年間ありがとうございました。さて、これからの1年も、こちらの江藤さんのもとね、虹見ヶ丘3丁目の皆で頑張っていきましょう」

現会長が話し終わると、彼をねぎらってか、江藤を励ましてか、拍手が起こった。そして、伝えるべきことを伝えた達成感とともに、江藤は意気揚々と帰宅した。早速、エクセルで草刈りの担当者名簿を作り、回覧板で周知する手はずを整えた。

* * *

そうして、翌月の12時30分のことである。江藤が時刻通りに集会所に出向いたところ、前期から継続して副会長・書記・会計を務める3役員が江藤を待ち受けていた。これは前回、江藤が伝えた「30分前にいらしてください。議題を共有して、スムースに話を……」という提案がきちんと伝わっていた証拠である。江藤はホッとしながら、「皆さん、お早いですね。改めてよろしくお願いしますよ」とあいさつをする。

江藤のその言葉を聞くや否や、副会長が口火を切った。

「江藤さん。私思うんだけどね、あなたのやり方はちょっと違うんじゃないかしら」
「効率化、とかね、そういうの求めてるんじゃないのよ」
「今までのやり方を急に変えられると、皆困るのよね」
「そういえば、いつも、腕組みして怖い顔して聞いていらしたでしょう。きっとご優秀な江藤さんだから、私たちみたいな庶民の町内会のテンポに合わないのよ。ねぇ。次からやっぱり、芳子さんが来てもらえないかしら」
「会長、無理してやっていただかなくていいのよ」

江藤は一言も口を挟む機会がなかった。

こうして、正式に町内会会長になる前に、江藤は罷免されてしまったのだった。

そのまま会合に出る気にはなれず、1時過ぎに家に帰ると、編み物をしていた芳子が手を止めて出迎えてくれた。普段は目を向けるくらいで、粛々と編み続けているにも関わらず、である。まなざしにも、いたわるような温かさを感じた。もしかして芳子はあらかじめ解任される旨を知っていたのではないか――江藤はそう考えた。

「あの人たちは町内会が趣味なのよ。それを奪われるような気がしたんじゃないかしら」
と、芳子は半ば独り言のようにつぶやく。

「別に奪いやしないだろ」
「趣味ってね、時間を食べてくれるものなのよ。私の編み物と同じ」
「時間を食べる?」
「今のお父さんなら少し分かるんじゃない? 毎日毎日、人生は続いてて、時間はそう簡単には過ぎてくれない。そんなとき、時間を食べてくれるような趣味があったらラク。何もしない退屈が一番つらいものね。だから、趣味は、時間とか手間とかが、かかればかかっただけ良いわけ」
「だから、効率化しないままがいい、と――」
「そうか」
にわかに江藤はつぶやいた。
「俺も趣味、やるか」
「へぇ、何をやるの」
「仕事だよ。他に何があるんだ」
いつものセリフを言うと、江藤は悪戯っぽく笑った。
「よし、手始めに、お母さんの編み物を売るネットショップでも作るか」
江藤はそう言うそばからもうパソコンを立ち上げていた。仕事となると、行動の速い江藤である。
「俺思うんだけどね、お母さんの編み物はもっと評価されていい。欲しい人のところに届いて、1番喜んでもらえるようにしたいよな」
画面を覗き込みながら、真面目な顔をして言う。編み物をほめられ、芳子は少し照れた様子である。

「あっ……」
「どうした」
「販売してくれるのは結構なんだけど、『増産しろ』とか『効率良く編め』とか、言ってきたりしないわよね?」
自分の思考の癖を見透かされ、江藤は、赤面した。

***

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