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プロフェッショナル・ゼミ

夏目漱石『こころ』のあとがきを考えてみた《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:吉田裕子(プロフェッショナル・ゼミ)

18歳から11年間、塾講師をしてきた私は、29歳の春、教員免許を取りました。そして、とある女子校で教壇に立ち始めました。塾と学校。国語を教えるという点では同じ仕事なのですが、やはり違う点もあります。

学校で教え始めて、1番新鮮だったのは、小説をじっくり読む授業を担当することでした。

高1であれば『羅生門』、高2であれば『山月記』『こころ』、高3であれば『舞姫』を読む学校が多いでしょうか。

高校生のほとんどが、自分自身で手にとることはないであろう近代文学の名作たち。現代文の授業は、それらとの出会いの機会になるのです。

作家の生い立ちを追ってみたり、朗読劇をやらせてみたり、ポップを書(描)かせてみたり、いろいろ自分なりに工夫をしてみましたが、やはり、学習のまとめとしては、定番の感想文。全員に書かせて文集にまとめました。

文字通り、感想を書き連ねた文章もありました。「なぜ〇〇は△△したのか」などの問いを立てた、小論文形式のものもありました。その中で面白かったのが、小説の形で感想文を提出してきた生徒たちでした。後日談、主人公以外の目線で語り直したもの、脇役のエピソードを考えたものなど、その小説から自分で膨らませた物語を書いてきた子たちが複数いたのです。

それに触発され、私も『こころ』から発想した短編小説を書いてみることにしました。

この『こころ』という小説は、もちろん小説家 夏目漱石が書いたわけですが、作品内の世界としては、「私」が一人称で語る「上」・「中」、「先生」の遺書である「下」から成っています。

「上」を「私はその人を常に先生と呼んでいた。」と、過去形で語り始める「私」は、「先生」の死後に振り返るスタイルで語っています。あれは、いつ、何のために語っているのだろう? その素朴な疑問から小説を書きました。

「私」は『こころ』を出版した。その「あとがき」として、本編の後日談を綴った。――という設定のもとに書いております。

* * *

墓場まで持って行く秘密、というものがある。私が今回書き綴った話も、本来はそういう類のものかもしれない。しかし、私は書かずにはいられなかった。そして、公にした。どうしてそのような真似をしたのか。いささかの弁明のつもりで、この「あとがき」の欄に書き付けておく。

最期のときを迎える実の父を置いて、私が東京に駆け付けたときには、既に先生は帰らぬ人となっていた。

「私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです」――先生は宣言通り、静かに亡くなっていた。表立った症状のあらわれにくい毒薬か何かを呑んだものと思われ、奥さんも、まさか自殺だとは考えていないようだった。

「まだお若くていらっしゃるのに、こんな風に頓死なさるとはなぁ。奥様、ご愁傷様でございます」

 医者も先生の望み通りの診断を下して、帰って行った。奥さんは、先生の死因が何であるかという詮索の前に、先生という人間の喪失にただひたすらうちひしがれているような状況であった。青白い顔をして震えている奥さんの代わりに、私は、葬儀や埋葬の一切を取り仕切ったのだった。(その最中に、父の亡くなった実家の方でも、同様のことが進行していたようである。)

先生が死んだ理由を、奥さんは、何らかの病であると理解していた。「きっと、内臓が悪くていらしたんだわ。我慢強い人だから、ちょっとばかり痛みがあっても、黙っていらしたんでしょう」と。遺書の存在を知らない奥さんは、最期までそう思っていた。

――最期、そう、奥さんも既に亡くなったのである。

何から話せば、読者に親切か。そんな配慮もできないまま、書き進めることをご容赦願いたい。

実家と縁の切れていた先生の墓には、雑司が谷の墓地を選んだ。あの、Kの墓のある墓地である。四十九日までには無事、手筈が整い、先生のお骨を納めた。さすがに隣ではなかったが、Kの墓の程近くに、先生の墓が設けられた。少しやつれた奥さんは、手を合わせたまま、「これなら、さびしくないわねぇ」と微笑みかけた。

私は、いたたまれない気持ちになった。

そして――不謹慎なことを重々承知で白状すると――私はこのときに、奥さんという一人の女性を愛おしく思うようになったのである。

奥さんという人間は、Kや先生から何も知らされていない状況に無頓着でいられるほど、阿呆な女ではない。しかし、そのことに癇癪を起こすほど、幼稚な女でもない。哀しい孤独を抱えながらも、心を濁らせてしまうことなく、優しく、美しく生きてきた女性なのだった。

先生は奥さんを「純白」と評したが、それは、無垢の「白」というより、全てを呑み込んだ結果としての「白」だったのではないか。

特に友人との交際のなかった奥さんは、やはり心細いらしく、私が訪れるのを歓迎した。下女にも暇をやったため、家の中はひっそりとしていた。一人のために食事をつくるのは気が進まないが、二人分なら張り合いが出る、と語る奥さんの淋しげな笑顔は、社交辞令とは無縁のように感じられた。実際、寒さの厳しく、夜の長い期間を独りで明かし暮らすことは、身も心も凍えるような思いであったに違いない。

春の足音の聞こえてくる頃、私は、奥さんのところ(先生のところと言った方が正確かもしれない)に、居候させてもらうようになった。それはまるで、先生やKが、奥さん達の家に下宿に来たように、である。

この居候は、実父の最期や葬式に立ち会わなかった不義理を理由に実家から勘当されていた私にとっては、誠にありがたい話であった。

卒業後、半年以上経っていたが、私はまだ定職には就いていなかった。労働それ自体が嫌であったというより、職を求めるに当たり、気を遣う相手に数多く会わねばならないことの心理的負荷が、そのときの自分には耐えられそうになかったのである。

官吏になった友人に、実務的な資料の翻訳をいくらか融通してもらっていたものの、それだけでは到底、生計の立つものではなかった。

夏が過ぎ、秋を迎え、先生の一周忌の弔いをした帰り道、私は奥さんに恋を告白した。

奥さんの驚きは、とても静かなもので、同時に優しいものであった。

私からの申し出は光栄であり、特に異存はないこと。前途洋々の帝大卒業生が年上の未亡人をもらうということに、実家は反対しないのかということ。自分の側にはもう係累はないということ。事情をよく分かった私なら安心で、自分としては助かるということ。

一連の回答からは、奥さん本人が私という男にどのような感情を抱いているかはうかがえなかったが、そのときの私は、実際的の成果が得られたことで十分だった。

 若かった私は、告白の受け入れられたその日の夜、早速に想いを遂げた。

先生と十年以上の結婚生活を送っていた、三十歳過ぎの奥さんが純潔であったということの知れたときの、私の驚きはいかばかりであったか。

「子どもはいつまで経ったって出来っこないよ」――かつての先生の言葉の真意を、私はそのとき初めて知ったのである。そのとき先生が「天罰だからさ」と言ったのを、私は、前時代の人間らしい宿命論だと思ったが、そういう意味ではなかったのである。

先生を貫いた黒い光は、社会的活動のみならず、家庭的活動さえ、先生に禁じたのである。

 私は驚愕すると同時に、奥さんが大変あわれになった。「子どもでもあるとよいんですがね」と漏らした奥さんに、「一人もらってやろうか」と言った先生の顔を思い出した。「もらいっ子じゃ、ねえあなた」と私に助けを求めた奥さんの、苦しい女の瞳を思い出した。

 この人に、健康な幸せをあげたい。――それが、その後の私の行動の指針となった。

健康な幸せには、正常な手続きが不可欠である。

私はただちに求職活動を始めた。華々しくはないが、いたって穏当な肩書きを得た。そのことを一つのきっかけにして、勘当されていた実家にも連絡を取った。正当な結婚には、実家の理解を欠くことはできなかった。

兄は呆れかえっていたが、父なしの独り暮らしの生活で気弱になった母は、私の方から熱心な連絡が来たことに感激したらしかった。二、三の手紙のやり取りの後、私は奥さんを連れ立って短い帰省をして、結婚の承諾を得た。

いまや家長となった兄は、母を東京に引き取ることを、結婚の条件として突き付けた。幸い、夫婦二人の暮らしだけなら、先生の遺した財産で賄えたため、私の稼ぎで近所の家を借りて母を住まわせた。

奥さん――いや、ここに至って、奥さんは私の妻になったのだから、日頃呼んでいたように「静(しず)さん」と書こう。「静さんに、健康な幸せをあげたい」。この指針は、思った以上の効力を持った。

崇高な形而上学やシニカルな姿勢に惹かれていた学生時代の私からは考えられないほど、愚直に、精力的に、働いた。大学やそれまでの課程で修めた学問と、自分の業務とは、特に何の関連もなかった。しかし、それが何だと言うだろうか。

静さんはやがて、子どもを産んだ。そして、翌々年にも。どちらも男の子で、この二人の孫の成長は、晩年の母の大きな楽しみとなったようだ。

程なくして母は亡くなったのだが、孫二人が泣きじゃくる中で往生を迎えた母の最期は、「健康な幸せ」を体現するものであったと言って良い。

奥さんは私より六つ上であったため、いわゆる姉さん女房であった。そのこと以外には、何の変哲もない、退屈なほどの幸せを我々はしばらく謳歌した。

三回忌、七回忌、十三回忌。年忌法要や毎年のお盆には、先生のことを思い出したが、二十三回忌の頃には、先生はすっかり後景に退いていた。「静さんと私とが知り合うことになったきっかけの人である」という以上の思いは薄れ、消えかけていた。

その頃、世界は本格的な戦争に突入し、中国との長い戦争を続けていた日本も、昭和十六年十二月、連合国との戦争に本格参入した。

間の悪いことに、開戦の年、上の子は二十六歳で、下の子は二十四歳だった。

二人の青年は、戦地に赴き、散った。

遺骨すら帰らない二人の戦死が、静さんに与えた衝撃は尋常ならざるものであった。「健康な幸せ」は、唐突に幕切れを迎えたのである。

憔悴した静さんは、実年齢よりも老け込み、六十二の秋、とうとう力尽きてしまった。先生の三十三回忌の頃である。

静さんは私と結婚したことで、幸せになったのかどうか。答えの出ない問いを抱えながら、私は、静さんの骨を先生と同じ墓に入れた。

静さんの死から一年と少しして戦争は終わったが、私は絶望の只中にいた。戦争に絶望したというのではなかろう。静さんの死、あるいは、「健康な幸せをあげたい」という目標の挫折したときから、私は、活力を奪われた木偶の坊であった。

悲しみや憤りを抱えていたものは多かったことだろうが、皆、そうした感情に打ちひしがれている暇もないほどに、今日明日を生き抜いていくということに精一杯であった。もはや私は自分の生存にこだわりもなかったが、存外死なないものであった。

昨年(昭和二十二年)の年末、太宰治氏が『斜陽』という小説を発表し、程なくしてベストセラーとなった。滅びゆく日本の貴族階級を描いた物語は、「斜陽族」という流行語を生んだ。私もこの作にいたく感銘を受けた一人である。

戦後何もかもが刷新されようとする中で、先生や私の過ごしたような学生生活も、過去のものとなりつつあった。財閥は解体され、地主から土地が取り上げられることが決まった。昨年末の民法改正は「家」を解体するものである。先生のような、いわゆる「高等遊民」は、日本から消えようとしている。当時ですら稀有であったKのような求道者は、今日には存在しない。

そうした時世の中、滅びゆくものが人々の記憶の中に残っているうちに、はっきりと書き記しておくことが重要なのではないかと思うようになった。もちろん、誰かに頼まれたわけでもないし、私には太宰氏のような仕事は無理である。ただ、記録を残すことに使命感を覚えた。それが第一の執筆動機である。

そもそも、先生が私に託した人生の教訓は、静さんの死後――先生は、妻が生きている限りは秘密にしておいてくれと書いていた――息子たちに話してやろうと考えていた。しかし、彼らはいなくなってしまった。還暦を迎え、私自身の人生の残り時間も気にかかる。この真面目な教訓を誰かに受け継がずして終わってしまって良いのだろうか。それも執筆の理由である。

昨年、新しい憲法が施行されたのは皆さんもご存知の通りである。あすこに書かれたことが真実となるのなら、日本はきっと、健康で進歩的な国家となるだろう。その社会にすっととけ込めなかった人などに、この小説が有効なのではないかと思う。

昭和二十三年九月

***

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