プロフェッショナル・ゼミ

最初で最後かもしれない父とふたりきりのランチ《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中村 美香(プロフェッショナル・ゼミ)

「まだ時間あるんだったら、お昼ご飯でも一緒に食べないか?」
思いがけず、父にランチに誘われた。
内心、迷った。

あの時、やっぱりランチしておけばよかった……と思いたくないから
「うん。いいよ」
と、言った。

もしかすると、初めてかもしれない。
そして、最後かもしれない。

***
「美香、火曜日、空いてる?」
その、2日くらい前に、母から電話があった。
手帳を確認すると、特に予定は入っていなかったので、どうしたのか聞くと、父の病院につきそってほしいと言う。
「私ね、腰の筋をおかしくしちゃって、つきそいたいんだけど、自信がなくて……忙しいところ悪いけど、頼めないかと思って」
我慢強い母が、わざわざ頼んでくるなんて、よっぽど痛いんだと思って、私はその依頼を引き受けた。

父の病院通いは、昨年の秋に、癌の疑いで検査をしたことから始まった。
健康診断で、肝臓の数値が少し高いとわかり、精密検査をした。
その結果、癌の疑いはあるけれど、今は、まだ小さいので、年明けに再検査をしましょうと、言われたのだった。
一週間ほど前に、再検査をして、その結果を聞きに行く日が、火曜日だったのだ。

前回の精密検査の結果を聞きに行った時については、以前、プロフェッショナル・ゼミの記事『父が癌だと聞いて感じた、実家との距離と温度差』に書いたとおりだけれど、家族総出で最悪の結果を覚悟しながら、聞きに行ったら、一刻を争うような状態ではないと知りホッとしたのだった。

その後、実家では、心配性の兄の管理の元、食事に気をつけた生活をしているみたいだけれど、父は、特に悪い症状もなく元気に過ごしているようなので、私としては、すっかり安心して、半ば、癌の疑いのことなど、忘れているほどだった。

そんなに元気なら、結果くらい一人で聞きに行けるんじゃないかな? なんて、またもや、冷たい思いが浮かんでしまって、ハッとした。
だけど、私が行くことで、母の腰も少しでも良くなればいいと思って、息子と旦那を、学校と会社に送り出すと、急いで洗濯物を干し、駅に向かった。

私が乗った電車が、父との待ち合わせの駅のホームに入った。
ホームで待つ父と目が合って、私のいる車両に、笑顔で乗り込んできた。
「忙しいところ、ごめんな。今日はありがとう」
「うん。大丈夫だよ。そう言えば、お母さんは?」
面と向かって、父にお礼を言われると、なんとなく照れくさかった。
それに、父にも母にも、「忙しい」と思われていることが、心苦しい。
決して暇じゃないけれど、だいたいが、自分の好きなことに時間を使っているからかもしれない。
その日も、天狼院書店のリーディング&ライティング講座のアウトプットの課題に取り組む予定だった。
本の紹介記事を書くために、読書をしようとしていたから、予定が崩れて、がっかりしている気持ちも確かにあった。
それが、もし、顔に出ていたのだとしたら申し訳ないと思った。

電車とバスを乗り継いて、30分弱で病院に着いた。
母の腰の話や、息子の学校の話など、話は途切れなかった。
中でも嬉しかったのは、父が、私の旦那のことをほめてくれたことだった。
「俺たちにもいろいろと気を使ってよくしてくれてありがたいよ。いい人と結婚したね」
何かの話の流れで、父がさらっと言ってくれたその言葉が、心に沁みた。

バスを降りると、父は一目散に、病院の受付に向かった。
ああ、これか……
母がよく
「お父さんは、私のことなんか気にしないで、どんどん先に行っちゃうのよ」
と、言っていたことを思い出した。
ちょっと、困ったけれど、それ以上に微笑ましかった。
行く場所は、だいたいわかっていたので、私は私で、マイペースで歩いていると、だいぶ離れてから、思い出したように、父が振り返った。
「悪いな」
きっと、いつもは、母には謝らないのだろう。
そして、私には、気を使っているのだろう。

慣れたように、自動受付機に診察券を入れ、出てきた予約票を受け取って、受付に進んだ。
80歳にしては、しゃんとしていて、頼もしい。

「ここに座ろう」
どう見ても、ひとりと半分くらいしかない長椅子のスペースに座り、隣に座るように促す父。
こういったところは、年寄り臭い。
案の定、両端の数人ずつを、私が座る場所を作るために、じりじりと移動させてしまった。
「申し訳ありません。助かりました。ありがとうございます」
できるだけ申し訳なさそうな顔をして、丁寧にお礼を言った。
横に座ると、父は、満足気だった。

しばらくすると、父の順番が呼ばれた。
父の後ろについて、診察室に入った。
「よろしくお願いします」
と、父が言って、
「娘です。よろしくお願いします」
と、私が続けた。
医師は、私を、チラッと見て、軽く会釈してくれた。
広くない診察室で、私は、所在なさを感じながら、父の後ろに立っていた。
医師は、パソコンの中の、文字や画像のデータを確認しながら、脳内の数分前の患者のデータとの入れ替えを、急ピッチでしているようだった。
お医者さんて、大変だな……
しばらく間、私たちは黙って待った。
「大きくはなってないみたいだね」
「あ、そうですか」
父はホッとしたようにそう言った。
父の肝臓にある腫瘍は、去年の秋から、大きな変化はないらしい。
「また、1か月後に検査して、大きくなっていたら、治療しましょうか?」
医師は、父ではなく、私に向かってそう言った。
「あ、はい」
こうして、だんだんと、人は、年寄り扱いされていくのだなと、少し寂しくなった。
それと同時に、医師が私に話しかけたことで、せっかく来たので、聞きたいことは聞いて帰ろうと、私にもスイッチが入った。
「治療というのは、どんな選択肢があるのですか?」
「手術できると思うよ。おそらく、悪性なんだと思うからね。ただね、今すぐには、小さすぎて、探しきれないと思うんだ」
秋と同じことを言っていたけれど、癌が大きくなるのを待つのも皮肉なものだなと、思った。
「ひとまず、1か月後の検査の予約を入れるね」
そう言って、パソコンをいじったり、内線で、どこかの部署に電話をしていた。
「じゃあ、そういうことでよろしく」
電話を切った後、
「お元気そうに見えたけど、結構、お年行っておられるんですね!」
今度は、父を見て、医師は言った。
「ははは」
父は嬉しそうだった。
「だったら、切らない治療の方がいいかもしれないね。個人差はあるけれど、80歳というのは一応のラインだから。切りたくないでしょ?」
「まあ、そうですね、できたら」
そう言って、父は、また笑っていた。
「そうすると、抗がん剤になるのですか?」
私は、手術しない方法が知りたくて、聞いてみた。
「おそらく、ドウミャクソクセンジュツという方法が、いいんじゃないかと思うよ」
「ドウミャクソクセンジュツっていうのが、あるんですね?」
詳しく知りたかったけれど、診察が長引くのも悪いから、急いでメモをした。
後で、調べよう!
「じゃあ、1か月後に。それについては、外で説明しますから」
「はい。ありがとうございました」
「ありがとうございました」

その後、看護師さんに、検査の説明を受け、会計をした。

病院の外に、自動販売機とベンチがあって、父が
「なんか飲もう。ごちそうするよ」
と、嬉しそうに言った。
そういえば、こんな風に、ジュースを買ってもらうことって、記憶になかった。
「じゃあ、これにする。ありがとう。いただきます」
ホットのカフェオレのボタンを押した。
父は、コーヒーを買っていた。

ベンチに座って、カフェオレを飲みながら、スマホの電源を入れて、早速、ドウミャクソクセンジュツを検索した。

ドウミャクソクセンジュツは、動脈塞栓術だった。
これは、癌の腫瘍に栄養を送っている動脈を一時的に塞ぎ、癌に栄養を送らないようにすることで、癌を縮小させたり消滅させたりする方法で、比較的新しい治療法らしい。
一言で言うと、癌を「兵糧攻め」するということだそうだ。
手術に比べて、肉体的な負担が少なく、副作用も少ないと知った。

その説明を父にもした上で
「80歳を越えると、体力的に手術はきついんだろうね。もし、この動脈塞栓術ができたらいいね」
と、言うと
「そうか、体力的な問題なんだな。俺は、余命幾ばくもないから、手術してもしょうがないのかと思ってたよ」
と、言ったのでびっくりした。
「え? そんなんじゃないよ」
と、言って笑ったけれど、そんな風に考えていたんだなと、少し、切なくなった。

「まだ時間あるんだったら、お昼ご飯でも一緒に食べないか?」
思いがけず、父にランチに誘われた。
内心、迷った。
できたら、すぐに帰って、記事を書くための読書の続きをしたかったからだ。
だけど……もしかすると、ふたりでこうやってご飯を食べる機会は、この先あまりないかもしれないと思った。
父の健康面も心配だけれど、おそらく、母の腰がよくなれば、ここに母も入り、3人の行動になるだろう。
母とふたりで会うことはあっても、母を差し置いて、父とふたりで会うことは、そうあるものじゃない。
あの時、やっぱり、ランチしておけばよかった……と思いたくないから
「うん。いいよ」
と、言った。
実家の最寄りの駅の、うどん屋に入った。
「何でも好きなのを頼めよ」
そう言って、メニューを渡してくれた。
父は、長崎ちゃんぽんを、私は、皿うどんを頼んだ。
「やっぱり、お父さんとふたりで食事をすることってなかなかないね」
そう言いながら、思い返してみても、とうとう、ふたりきりの食事を、思い出せなかった。
もしかすると、初めてかもしれない。
そして、最後かもしれない。

「とりあえず、よかったね」
大きな手術をしなくても大丈夫かもしれないことを喜びながら、私の子育ての話になった。
「真面目すぎを心配していたら、今度は、マイペースすぎてハラハラするよ」
とか
「自分ができたことをできないと、『なぜできないんだ』とつい思っちゃうけれど、さすがに、その言葉は飲み込んでいるんだ」
なんて、私が話すのを、相づちを打ちながら黙って聞いてくれた。
私は、つい熱くなって、アドラー心理学の話まで持ち出して、子育てには、俯瞰と課題の分離が大切なんだと、言ったり、子どもと親は、別人格だから、価値観を押しつけちゃいけないと思っているなどと、言ったりした。
そして、ふと気がつくと、父がしょんぼりしていて、あ、まずかったかな? と思った。

決して、親の子育てを批判したわけではなくて、自分のことを話しただけだった。
だけど、もしかすると、私の話を聞きながら、父は、私や兄が小さい頃の自分の子育てをなぞっていたのかもしれないと、思った。

「難しいよな」
父が、ぼそっと、言った。
「自分が子どもの頃はさ、なんで、こんなこと大人はわからないんだと思ったけれど、実際に、自分が親になってみて、自分なりに、いいと思ってやってもさ、今度は、子どもに、なんでこうしたんだと思われることもあるしな」
父は、自分が子どもの頃まで、遡っていたようだった。
そして、父にとって、悩みの種は、兄から言われた言葉のようだった。

お父さんも悩みながら子育てしてきたんだな……なんだかジーンとした。

目の前の皿うどんを平らげた頃
「これから、難しい年ごろになるだろ。甘すぎても、厳しすぎてもよくないだろうしな。難しいけど、どうにかやっていかないといけないからな」
と父が、しみじみ言っていた。
「うん。そうだね」

現在、小学2年生の息子は、少し生意気になってきたくらいだけれど、これからいろんなことがあるんだなと、気が遠くなるのと同時に、父とこんな話をしていることが不思議でならなかった。

せっかく、ふたりで食事をしたんだから、もっと別のことを聞けばよかったかもしれないなと、少しだけ後悔した。

「そろそろ行くか」
レジで私の分も支払ってくれた。
「ごちそうさま」
「こちらこそ、ありがとうな」

私が買い物したいスーパーと実家への分かれ道で、
「じゃあ、またね」
「ありがとな」
手を振り合って別れた。

家に帰ってから、母に、その日の、医師の説明をひと通りしたら
「美香が一緒に行ってくれて本当によかった。お父さんたら、よくわからなかったって言ってるし」
と、母が少し、呆れて言っていた。
「役に立てたらよかったよ。お母さん、腰、大事にしてね」

夕方、兄の携帯からも電話がかかってきて、今日、つきそってくれてありがとうと、わざわざ言われた。
なんか、実家に戻ったみたいな感じがして、こそばゆかった。

おそらく、父の肝臓には、小さな癌があって、手術はしないまでも、治療はするし、母の腰の調子も悪い。
兄には、父に対して、子どもの頃こうしてほしかったという思いがあって、私も、息子の子育ては、いつも手探りだ。
だけど、お互いに、役に立ったり、お礼を言ったりしている。
ここにこうして、今、生きていることに感謝して、平気に、今日という日を過ごそうと思う。

***

この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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