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プロフェッショナル・ゼミ

また一人、行きずりの男が私を通り過ぎていった~新宿ゴールデン街に息づくあの人は紛れもなく「退廃」そのものだった《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:小堺ラム(プロフェッショナル・ライティング)

またオトコが一人私の中を通り過ぎていった。
新宿ゴールデン街からほどなく歩いた所にあるホテルから出て、私はやれやれと首をすくめた。
「おねえさん、ありがとう!」
彼はそう言って長い腕を私の下腹部に回してきた。
最近ねっとりと脂がのってきた私の腰に、彼の前腕の骨が直接触れるように食い込んだ。
栄養が行き届いていないのだろうか。
新聞配達だけじゃ、食っていけないだろうなあ。
ゴールデン街から新宿駅前に分かれる大きな大きな交差点。
彼は西側の交差点に立った。
私はそのまま駅前に行きたかったから、ここでお別れの瞬間だった。
子供のように強く抱き着いてこられて、手を回された私の腰が痛かった。
胸が苦しかった。
焼けつくように苦しかった。
それは別れの哀しさとは違った。
願っても願っても叶わないことがわかった時の感覚……
絶望といえばこんな感じなのかなあと感じたことだけ、朧げに覚えてる。

この日私は、会議で東京に出張していた。
出張費の範囲内で宿泊できる新宿駅前のホテルを予約していた。
会議が終了したのが午後4時30分。
このままホテルに帰るのもなあ~。
まだ夜になるまで早かった。
あ、そうだ。
この機会に落語、見ようかなあ。
地方都市在住の私は文化的な催しに若干飢えているところがあった。
グーグル先生に頼りながら、ホントにこの道でいいちゃろうか……と不安になりながらやっとのことで末廣亭にたどりつく。
夜の部を一席購入し、靴を脱いで桟敷で観劇。
講談、落語、そして曲芸。
様々な演目が出てくる。
どれもこれも面白かったが、特に終焉間際のベテラン勢の芸には目を見張るものがあった。
師匠の域になると40年以上、この道一筋ってところだろう。
毎日の稽古の積み重ねでこの域に達しているのだろう。
高座にあがった瞬間に寄席の雰囲気がガラリと変わる。
ある時は緩やかに、程よく気が抜けたように。
そしてまたある時は、キリリとそしてどこか毒気のあるようなもので刺されるような刺激がある感じに。
どうやったらこんな雰囲気がだせるのかなあ。
果たして芸が人を創るのか。
それとも人が芸を創るのか。
まるで鶏が先か卵が先かという問題みたいだなあと思いながら、私は最近空いた時間で何気なく始めた小説の世界に今回の体験がなんとかして生かせないものかと考えあぐねていた。
小学生のころ江戸川乱歩に夢中になって以来、小説は読むものであって、まさか自分が書くことになろうとは思いもしなかった。
小説を書くようになってから痛感したことが一つある。
面白い作品を書く作者に実際会って話してみると、その人そのものが、ずばぬけて面白いのである。
だから私は、「人となり」がそのまま書くものに反映されるんだろうなあと理解していた。
面白い人が書くものは面白い。
そして面白くない人が書くものは面白くないのだった。
当たり前といえば当たり前なんだけど、この大原則に初めて気が付いたのである。
この時の私は、人としてどこか終わっているような世界観だけど、どうしても惹きつけられる怪しげな文章を書きたくて仕方がなかった。
そのためには、まず自分自身が妙に人目を惹くようなそんな存在にならないといけないんだ!と思い込んでいた。
でもどうすれば?
私はただのサラリーマン。
少しばかり世間とずれたところはあるかもしれないけど、その辺どこにでもいるような、もう少しで中年に突入する寸前の女だった。
あ~あ。
こりゃ逆立ちしたって色気のある文章が醸し出せるような人物に急になれるもんでもなさそうだ。
トホホ。
色気のある人物これからなろうとするよりも、色気のある文章を書くために地道に積み重ねていった方が早いかもしれない。
仕方ないけど、私にはその道しかなさそうだ。
夢ばかり見ないでさっさと時間を書くことに費やそう。
さっさとホテルに戻って週末提出予定の記事をかかなきゃ。
新宿駅方向のホテルにとぼとぼと向かい始めた。
落語を感じて爽快になったはずの気分がなんだか盛り上がらない。
あのようなところまで到達するための努力を私は続けることができるだろうか、もともと何の才能も面白味もない日常に埋没している中年の私に、人の心を引き付けるような小説を書けるだろうか。
一流の芸を目の当たりにして、ちょっとした覚悟と決断を迫られていた。
いかんいかん!
こんなしみったれた気分でホテルに帰り小説を書き始めても、出来上がるものはたかが知れている。
これは一発景気づけしないとなあ。
沈んだ心を消毒消毒!!
九州の人ならわかってくれるかもしれないが、弱っている時、力が出ない時、酒は力を授けてくれる飲み物であり、邪気を払う聖水のようなものであると私は思っている。
だから、辛気臭い考えを一掃するために、かなり以前から心惹かれていた新宿ゴールデン街で心のガソリンとも言える酒を、わが身に一発投入することにしたのだった。

うわあ~、ここがゴールデン街かあ。
生まれて初めて見るゴールデン街。
迷路のような路地の両脇に個性的なバーや昭和スナックのような店が乱立している。
狭い路地には、既に出来上がった状態で肩組みながら歩いている若者、二軒目を物色しているらしい外国人カップル、飲みすぎて千鳥足の若い女性、思い思いに入り乱れていた。
サラリーマンが仕事帰りに同僚と連れ立って飲みに行くような割り切っていてアッサリとした主張の少ない飲み屋街とは違っていた。
一度入りこんだら抜け出せないような、そんな生ぬるく気だるいエンドレスな混沌がそこには流れていた。
う~ん。さすがに入り口ドアが開いていてお店の中が確認できるような感じだと、イチゲンの客でも入りやすいのだが、窓もなくドアが閉じている店は、入りづらい。
しかし、オープンな店に入ったってただ飲んだだけで終わってしまう。
何といっても私は、カオスな雰囲気だけでも体験しないことには意味がない。
ただ飲みに来たはずなのに、なんだかとてつもない使命感を発動した私は、安全そうだけどカオス的な香りもわずかに感じるようなお店を外面からリサーチしていった。
あ、そうだ。扉が開いてお客さんが出てきたときに、どんなお客さんか見て雰囲気で判断しよう。
そう思った私は、ゆっくりと路地を歩いた。
一軒のかわいらしい白い洋装のバーに目をとめた。
文壇バーと書いてあった。
何やらミステリアスで孤高の香り。
小説を書いている私にぴったりだ。
その瞬間、ドアが開いて飲み終わったお客さんが出てきた。
カジュアルな感じの若い女性が一人。
女性一人でも大丈夫そうだ。
私は意を決して、出てきた女性と入れ替わりでそのバーの敷居をまたいだ。
7人掛けのカウンターバーで二つ席が空いていた。
入り口入って手前の席と、奥から三番目の席。
バーテンダーは手前の席に座るように私に勧めてきた。
でも、私は奥から三番目の席に座った。
吸い寄せられるように座ってしまった。
隣にキレイな男が座っていたから。
あまりにもキレイすぎて女かと見間違えるような男だった。
髪の毛は栗色で、内巻きのボブ。
細身のスキニージーンズに、ざっくりとした白いニットを着ていた。
横髪で顔がよく見えなかったから、私のオーダーしたグラスが来たのを幸いに、イチゲン客のくせに強引に乾杯をせがんだ。
彼は結局正真正銘の男子で、この店の常連だった。
本を読むのが好きで、たまに読書会などをやっているこのバーに通っているそうだ。
年齢は27歳。
仕事は新聞配達。
朝は午前2時起きで朝刊を配達し、午後2時から夕刊も配達している。
そして、寝床は配達員の住込み寮。
関西にある島に生まれ育ち、高校を卒業後は大阪に出て就職したけど、あまりにもブラックな会社すぎて仕事が続かず、2年で地元に帰り、しばらく地元の島に引きこもっていたという。
地元の島には仕事はなかった。
実家に引きこもり酒に浸る日々。
これじゃやばいと思って一念発起して、東京に出てきたものの、経歴も何もない高卒の男に世間は厳しかった。
住まいも見つけられず用意してきた金が底をつきそうになってきたので、スポーツ新聞に載っていた住み込みの新聞配達の仕事に就いたらしい。
給料は月に15万円ほど。
そこから寮費を引かれると手元に残るお金は7万円程度だった。
食費など生きていくのに必要なお金を除くと自由に使えるお金はごくわずか。
彼はそこから、大好きな本を買うお金と、人恋しさを埋めるために通っているバー
の酒代を払うと次の給料日までは毎日ゆで卵2個の食事で飢えを凌がないといけない有様なのだった。
27歳というと、日本では多くの男性が職場で社会的信用を担い、家庭を持とうとしているころではないだろうか。
私の隣で、私のおごりである山崎の水割りが入ったロックグラスを傾けているこの男は、
ステレオタイプな日本の27歳男性とはかけ離れた生活を送っていた。
雨の日も風の日も暗い中で新聞配達をこの先何年続けたところで、昇給はしないし、たった15万円ほどの稼ぎでは結婚しようにも妻子を養っていくこともできない。
彼はそんな現実から逃れるように、本の世界に没頭し、酒に浸ることで時間を忘れ、小さな絶望をなかったことにしようとしていた。
あまりにも美しい女のような男がゴールデン街なんかのバーに座っているから、なんとも怪しげな雰囲気に仕上がっているのか、それともこの男のこれまでの人生がこの男を虚ろげな色気を醸し出させているのか。
「おねえさん、もう一軒行こうよ」
「そうね」
この怪しげな魅力にもうしばらくの間包まれたくて、深夜近くになろうとしていたのに私の口は彼のあっけらかんとした誘いを快諾していた。
二軒目のお店は特に特徴のない和風のバーだった。
お店のことなんてどうでもよくて、ただ私は彼のどうしようもなく終わっている感じに見とれていた。
近づいてよく見れば荒れている肌。
お金がなくて自分で切り揃えているというちょっと斜めなボブカット。
全てが切なかったが、様になっていた。
彼は、新聞配達だけでは厳しいから、カラオケ店でアルバイトをしてみたけど、他のアルバイターが20歳前後で全く噛み合わなくてやめてしまったこと、新宿ゴールデン街が好きなので、もっと飲みに来たいけどお金がないから週に一回で我慢していることを私に話した。
そして、これからの生活が漠然と不安であることも伏し目がちにこっそりと言った。
生活をきちんとしたいっていう願望もあるんだろうけど、そんなことしたら彼のこの魅力が台無しになるんじゃないかと私は思った。
だから、まともな職を探しなよというありきたりのアドバイスはあえてしなかった。
ゴールデン街がそんなに好きなら、どこかのお店で店番をさせてもらったらいいじゃないのと将来性があまりないようなことを無責任に言ってみた。
彼は、店番の提案に関してたいそう喜んだ。
店番だったら毎日ゴールデン街で飲めるねと言って、はにかんで、私のおごりのハイボールをお代わりした。
「おねえさんと話すの、楽しい」
そう言って、千鳥足の彼は私の手を引いてゴールデン街を出たところにあるホテルにグイグイ入って行く。
この後どんな展開になるんだろうというなぜか第三者的な好奇心と、なし崩し的にセックスはするかもしれないけど、さすがに殺されることはないだろうという破綻した危機管理意識しか持ち合わせていない私は、何ら抵抗することなくついて行った。
適当に部屋を選び、雑にドアを開けた彼は、私がいるのも忘れている様子で、バタンとダブルベッドに倒れ込んだ。
飲みすぎたんだろうなあ、やれやれ。
寝息を立てて寝ている彼の顔を見る。
優美なマスクに荒れた肌。
美しさに同居する閉塞感と破綻。
ただ定型的に美しいだけではない彼の魅力は、まさしく退廃そのものだった。
それは彼自身のこれまでの歴史と今の生活が作り出したもので、一長一短に真似できるものではなかった。
私が逆立ちしても出せない色気を彼は放っている。
彼がもし物語を書いたら、ものすごく優美で人を惑わすものが書けるのではないか。
こんな人こそ、物語を書くべきなのだ。
私なんて、話を語るのには平凡すぎる人生で、普通すぎる日常を送っている。
人ととして、取り立てて人目を惹く魅力もない。
ごく地味に真っ当に世の中を生きているけど。
だけどそれって、面白くないってことだよね?
面白くない人生を送っている私から紡ぎ出される物語よりも、彼のような人として終わっている女のような男が話を書けば、圧倒的なものができるのではないか。
明日、彼が起きたら物語を書くことを勧めてみよう、そんなことを思いながら私もいつのまにか寝てしまった。

「寝てしまったね、おねえさん、帰ろう。朝だよ」
子供のような笑顔の彼から揺り起こされてホテルから出る。
ゴールデン街から新宿駅前に分かれる大きな大きな交差点。
彼は西側の交差点に立った。
「おねえさん、ありがとう!」
彼はそう言って長い腕を私の下腹部に回してきた。
最近ねっとりと脂がのってきた私の腰に、彼の前腕の骨が直接触れるように食い込んだ。
私はそのまま駅前に行く予定だったから、ここでお別れだった。
子供のように強く抱き着いてこられて、手を回された私の腰が痛かった。
「あんたさあ、小説でも書いてみたら。本読むの好きでしょ」
真逆に歩き出した彼に向けて言った。
彼は私に背を向けたまま大きく手を振った。

それから半年後。
小説好きなら誰もが知っているような文学賞に彼が書いた物語が入選したことを、私はライティングを勉強している書店で知った。
これから小説を書き続けることについて、かろうじて保っている希望や可能性までことごとく打ちのめされそうだったから、彼の作品は読みたくなかった。
だけども、同時に読まずにはおられなかった。
女みたいな美しすぎる男が、あんなに美しいのにギリギリの貧しい生活を都会で送っているギャップばかり抱えた男が、どれほどアンバランスな作品を書いたのか、あの夜床を共にした者としては確認せずにはいられなかった。
息も瞬きもするのを忘れて私は彼の作品を読んだ。
それはもう、見事に爛れまくった物語だった。
世界の底の底の底の、その寸前でかろうじて止まっている、そんな感じだった。
見事に完成された破綻と崩壊がそこに存在していた。
かなわない。
憧れでも嫉妬でも無い、それは、何をしたってあそこには届かないだろうという絶望に似た気持ちだったと思う。
面白い人が書く物語は面白い。
面白く無い人が書く物語は面白く無い。
ただそれだけのことなのだ。
いや、そうかもしれないけど、人としてはさほど面白く無い私だからこそ、せめて作り出したものだけでも少しは面白いものにしたい。
既に完成されたような退廃を身につけている彼の作品には及ばないかもしれない。
憧れている退廃そのものに向かって、私は少しずつ風化しながら崩れていくしかないのか。
道は遠そうだ。
だけど、これが私。
そして、道は遠そうだけど、続きを歩いて行けば何かに到達する道筋は見えているようだ。
こうやって人間は深みを増していくのかな。
そんなことを真剣に考えながらも、頭の半分ではあの日、ただ健全に男と横に並んで睡眠をとっただけの一夜を思い出して、しまった!もったいなかった!という後悔が浮かんで来た。
そして、その考えが脳内を占拠するのにさほど時間はかからなかった。

***

この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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