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ほろ苦くて甘い、私のホームタウンの味


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事 : 鼓星(ライティング・ゼミ)

7年前、この町に引っ越してきた時、私はかなり滅入っていた。
15年間を共にしたパートナーに一方的に別れを告げられたのだ。一緒に暮らしていた街からはできるだけ離れたかった。知人が誰もいない場所に住みたかった。そう思ってフラリと降りた駅で最初に目に入った不動産屋に入り、「1カ月以内に入居できるところ」を紹介してもらった。5~6件の候補物件が出てきたが、あまりに無気力で、最初に内覧したマンションで「ここにします」と決めてしまった。

別れのショックから立ち直るにつれて、投げやりに引っ越したことを後悔した。駅近物件で通勤には最高に便利だが、始発電車は朝5時前、終電は深夜1時。電車の行き来や駅の構内放送がすぐそばに聞こえる。月に何度かは終電後の保線のため、重低音の作業が明け方まで続く。終電が過ぎても、駅前の居酒屋やバーは賑わっていて、羽目を外した若者が叫ぶ声が5階の部屋まで届く。オートロックが無いため、週末にはしばしば新興宗教の勧誘がやってくる。

そんな中、唯一、「良かった」と思えたのはマンションの裏手の徒歩1分のところにパン屋があったことだ。マンションを出た瞬間、いつでもフワッとパンが焼きあがる匂いが漂ってくる。それだけで元気に一日を過ごせるような気分になるから不思議。ネットで調べてみるとなかなかの人気店で、店内には食事パンやサンドイッチ類、ペストリーなど50種類以上が並んでいた。店内がいつもお客さんで溢れているのは、地元で愛されている証拠だろう。食事用のシンプルなパンは国産素材にこだわっていて、小麦の力強い味わいが印象的。フォカッチャはオリーブオイルの香りと塩加減が絶妙。私はすっかりファンになって、秘かに「裏のパン屋」と愛称を付けて、週に2~3度は通うようになった。

「裏のパン屋」で不動の人気を誇るのが「珈琲あんパン」だ。こんもりと丸く、どっしりと重たい。中には隙間なくぎっしりとあんことクリームが入っている。あんこにエスプレッソシロップを練りこんでいるため、一口噛むと、濃い目のほろ苦いコーヒーの味が口いっぱいに広がる。そこにほんのり甘い生クリームが加わり、まるでカプチーノのような味わいになるのが面白い。私は、勝手に「珈琲あんパンエバンジェリスト」を名乗って、友人の家に遊びに行くとの手土産にしたり、会社におやつとして差し入れたりして、あちこちで配りまくった。

ところが、3年ほど前から「裏のパン屋」では値上げの嵐が吹き始めた。最初は270円だったパン・ドゥミが300円に。半年ぐらいすると330円に。さらに半年すると370円に。都内ならさもありなんという価格だが、横浜のハズレの地味な街にしては、かなり高価だ。大好きだった珈琲あんパンも、引っ越してきたばかり頃は140円のお手ごろ価格だったのに、気がつけば190円。消費税込みで200円を超えると、籠に入れるのも躊躇してしまう。

何よりガッカリしたのが値上げと同時に、微妙にサイズが小さくなっていくことだった。「不誠実だな」、そう思ったとたんに「裏のパン屋」に足が向かわなくなった。駅ナカにもパン屋さんはあるし、会社の近くのデパ地下には有名なベーカリーが何軒も入っている。選択肢が一つ減ったところで、私は少しも困らないのだ!

「裏のパン屋」に行かなくなってから1年ほど経った頃のことだ。仕事の都合で、半年ほど朝6時半頃に家を出ることになった。その初日、マンションを出て駅に向かおうとすると、「裏のパン屋」のスタッフ5~6人が、ホウキとチリトリを手に私のマンションの入口を掃除していた。「裏パン屋」からマンションは1分ほどの距離があり、しかも、角を曲がった筋違い。「えっ、どうして?」と驚きながらも、電車の時間があったので事情を聴くこともできず、「お早うございます」とあいさつだけして、慌てて駅に向かった。

その次の日も、その次の日も、6時半の街角には、必ず裏のパン屋のスタッフがいた。カラスに荒らされたごみ収集場所や、自動販売機の前でたむろしていた若者が放置したタバコの吸殻や飲みかけのペットボトルも丁寧に片づけている。若いスタッフに混じって、時折、店主もゴミ袋を手に、清掃活動に加わっていた。7時半開店直前の忙しい時間帯、雨の日も、夏のうだるような暑さの日にも変わらず清掃活動は続いていた。

「裏のパン屋」にとっては、店の入口さえキレイに片付いていればいいわけではないのだ。近所の人が気持ちよく暮らせる街であるように、誰も気づかないような時間帯に、小さな努力を毎朝積み重ねていることに頭が下がった。そう思うと、値上げに腹を立てて、すっかり足が遠のいていた自分が心の狭さが恥ずかしくなった。

久しぶりに「裏のパン屋」に行ってみると、店内は近所の人で溢れていて相変わらずの賑わいだった。レジ脇の棚に控えめに小さなカードが貼ってあった。「小麦・バター等、原料価格の高騰に伴い、お客さまにご迷惑をお掛けすることをお詫びします」。

「裏のパン屋」だって好きこのんで値上げしたわけではないのだ。やむにやまれぬ思いだったのだろう。そして、厳しいコスト環境の中でも、スタッフの大切な時間を、近所の人がほとんど気づかない時間帯に、清掃活動に充て続けている。

久々に買った190円のコーヒーあんパンを一口齧ると、ほろ苦さの後に優しい甘さが広がった。やっぱりこれがホームタウンの味。投げやりに引っ越してきたこの町だけど、今は私にとって愛着のある町。他のパン屋に浮気するのはやめて、私は「裏のパン屋」に戻った。

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2017-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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