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プロフェッショナル・ゼミ

5時間10,000円でレンタルされた女《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《平日コース》

記事:市岡 弥恵(プロフェッショナル・ゼミ)

櫛田神社に入り、私は手水舎に向かった。
冬の水は冷たい。
しかし、お櫛田さんにお参りをするのだ。ちゃんとこうして清めなければ。

冷たい水で手と口を清め、私は切れるような手をハンカチで拭った。ピンと顔が引っ張られるように寒い。しかし、こんな寒い日こそ、ここは神々しいように感じる。

ゆっくりと参道を歩き、本殿の前に立つ。
賽銭を入れ、ガラガラと鈴を鳴らす。
2礼し、パンパンと手を鳴らした。

——よう来んしゃったね。

なんとなく、あのおじいさんがそう言っている気がした。

***

『5時間で10,000円です』

冗談でそう言ったのが始まりだった。
まだ、20代だったころ、私は変なおじいさんと出会った。毎日、家と職場の行き帰りだった私。たまに、仕事帰りにふらりと立ち寄る屋台があるぐらい。
あぁ、博多女子って、結構屋台に一人で入れる子が多い。そりゃ、最初は屋台に女一人で入ることに抵抗があった。
しかし、一度入ってしまえば何のことはない。
そんな屋台で、私はあのおじいさんに出会ったのだ。

「おぉ、おかえり」

そう言って、いつも通り大将が迎えてくれる。

夏でも冬でも、外の屋台。
夏場はクーラーもない中で、すぐ近くで寸胴をグツグツやっているガスが点いているんだから、汗が噴き出してくる。
冬は逆に、これが結構ありがたかったりする。
もちろん、豚骨のむせかえるような臭いがするんだから、苦手な人は苦手だろうけど。

ただ、私にとっては、この匂いも、大将の汗と同じぐらい好きだ。
ラーメン屋のイケメンって、白いタオルを巻いていて、それが格好よく見えたりする。しかし、ここの大将はタオルの巻き方が古い。グリグリと捻ったタオルを、ハチマキみたいに巻いているのだ。大将曰く、この巻き方が一番、垂れてきた汗を吸収してくれるらしい。

長方形の屋台のカウンターは、7人掛け。一番長いところに3人、両辺に2人づつ座れる。
今日は、長いところにビジネスマンの2人組、短い方におじいさんが1人で熱燗を飲んでいた。

「飯食ったとや?」
「まだ。さっき仕事終わったもん」
「そげんね。ならラーメン作るばい」

大将はそう言って、鍋の蓋を開け、ボコボコと沸騰しているお湯の中に、麺の束を投げ混んだ。
屋台の骨組みには、ところ狭しと名刺が貼り付けられている。地元の人間の名刺はもちろん、日本各地からの名刺がズラリ。
油と蒸気で、茶色くふにゃふにゃと変形した名刺をぼんやりと見ながら、おじいさんとは反対側の席に座った。

「お姉ちゃんは、博多の人?」
長い方の椅子に座っていたビジネスマン2人に声をかけられた。

「そうですよー」
女が1人で屋台に入ってくると、出張で福岡に来ている男性は驚く。中洲で遊んで、締めの一杯を食べにくる男性たちは、たいてい饒舌だ。

「おぉ、博多女子! おごるよ!」
「ありがとうございまーす」

こうして、屋台に1人で入ると、たいていおじ様たちが奢ってくれるのだ。そうは言っても、ラーメンとビール一杯で1,000円ぐらいなんだけれども。

「お姉ちゃん、ちょっとお願いが!」
「なんでしょう?」
「好いとーよって、言ってくれない?」
「……」

これは、博多女子のあるあるだ。博多弁で会話をしたいおじ様達に、こうして声をかけられるのだ。

「お客さん、ここでナンパはいかんばい!」
大将が笑いながら、ビジネスマンに、がははははと話しかけてくれる。パシッパシッと湯切りをしながら、大将は顔だけ客の方に向ける。しかも、口にはタバコをくわえている。
ですよねぇと、これまた、がははははと笑いながら男達は笑い合う。屋台って、平和で楽しいところだ。

「一回だけ!」
そう言って、駄々をこねるビジネスマンに、私は満面の笑みで言ってみせる。

「好いとーよ」

こんな場面でなければ、使ったこともない言葉を、特大のハートマーク付きで言うのだ。「好いとーよ」なんて、普段使うことはない。普通に「好き」としか言わないから、果たしてイントネーションがこれで合っているのか、博多女子の私でもよく分からない……。

大将が、どんぶりに並々になったラーメンを私の前に、ドンっと置いた。どんぶりは、スープでベトっとしている。でも、子供の頃からこんなラーメンを食べているので、私は特に気にもせず、レンゲをスープの中に入れた。白濁したスープがくるくると渦を巻きながら、レンゲの中に流れ混んでくる。
背脂でてらっとしたスープを、私はそっと口に運んだ。

「んー、大将美味しい!」
「当たり前くさ。俺の汗が入っとるけんね」
「……」

こういうやり取りも好きだ。もちろん、大将の汗なんて入ってない。

「ところで、お姉ちゃん」
また、先ほどのビジネスマンだ。

「明日、おじさんとデートしない?」
「あらっ、嬉しい」
「おっ、いいねぇ。どこで待ち合わせ?!」
「んー、5時間10,000円で。それならいいですよー」

がはははは!

先に笑ったのは、大将の方だ。

「お客さん! 博多のおなごはタダじゃ無理ばい!」
「で、ですよねぇ?!」

そう言って、また男3人で笑い合っていた。

「おっ、じーさん、もう一本、熱燗あがったばい」
大将は私と反対側に座っていたおじいさんに、おでんの横で温めていた熱燗を渡した。

洒落たおじいさんだった。
1人で熱燗を飲みながら、文庫を読んでいた。綺麗な白髪で、お髭も白い。
体にぴったりと合ったジャケットは、カシミヤ? インナーのシャツとも、すごく合っている。

「テンキューテンキュー」
そう言って、おじいさんは大将から熱燗を受け取った。
なんだか、少し飄々としたところのある、おじいさんだ。

「常連さんですか?」
先ほどのビジネスマン達が、おじいさんに話しかけた。私も、よくこの屋台には来ているが、初めてこのおじいさんを見かけた。

「常連も常連。俺が、この屋台を前の女将から継いだ時にはおんしゃった」
「えっ、この屋台、前は女性がやってたの?」
私は、大将から初めて聞く、この屋台の歴史に興味を持った。

「そーばい、お嬢ちゃん。時子さんは、べっぴんさんやったとよ」
白髪のおじいさんは続ける。

「時子さんの時代は良かったばい。中洲ばハシゴしてから、こげんして最後にここに来ると。どげなべっぴんさんの中洲のお姉ちゃんよりも、やっぱり時子さんたい。時子さんは、みんなのお姉さんやったけんね。博多のおなごは、良かでしょうが?」

そう言って、おじいさんはビジネスマンに話を振る。

「よかです、よかです!」
ビジネスマン達は、おじいさんの口調に合わせて、博多弁を使った。

「そげんでしょうが。博多のおなごは、腹が据わっとる。どげな男が来ても、どーんと構えとる。それが、博多のおなごですよ。そん中でも、時子さんは、いっちゃん(一番)良かった」
「がはははは! じーさん、時子さんに面倒みてもらいよったもんね。金が無か時は、ここに来てから」
「そーたい。時子さんには、よう食べさしてもろた。やけん、今こげんして、お前に金ば落としよろうが!」
「ありがとうございます!」
大将は、そう言って、おじいさんの徳利に酒を注いだ。

ひとしきり、男達が博多の女について語り終えると、ビジネスマン達は帰って行った。
名刺を置いて。

私は大将に、名刺を渡し、おじいさんの横に座りに行った。

「ねぇねぇ、おじいさん。時子さん、そげん美人やったと?」
私は、その時子さんという女性のことが気になっていた。おそらく、70代も後半なんじゃないかと思われる、おじいさん。そのおじいさんが若い時に通ったんなら、戦後すぐぐらいの話だ。なんとなく、この土地を支えてきた女性の話に、むくりむくりと私の好奇心が頭を持たげたのだ。

「美人てもんじゃなか。女優さんかと思うぐらいべっぴんさんやった。それやのに、可哀想な人やったねぇ」
「可哀想?」
「空襲たい」
「福岡大空襲?」
「そう。時子さんは子供もおんしゃったとよ。旦那さんは戦地から帰ってこんかったって聞いとる。時子さんは、未亡人やったげな。戦争が終わって、食料不足やったこの町で、屋台は始まったつたい」
「そっか……」
「時子さんは、良か人やった。みーんな、時子さん時子さん言うて、ここに集まるったい。博多は大きくなったろうが。こげんして、博多の男ば育ててきたのは、時子さんみたいな、おなごがおったけんたい」

私は、屋台の骨組みに所狭しと並ぶ名刺を改めて見た。
ここに貼り付けられた名刺のように、男達がこうして集まってきていたんだ。

「そいけんね、お嬢ちゃん。5時間で10,000円やったね。そしたら、明日お願いしようかね」
「えっ?!」
「明日、5時間付き合わんね。レンタルたい、レンタル」
「レンタル?! いや、おじいちゃん、あれ冗談よ!」
「よかけん、付き合いんしゃい。時子さんが言いよんしゃった。若いおなごは、あんた達が育てんしゃいって」

「おぉ、じいさん、冥土の土産や?! 元気かねー!」
大将は、そう言いながら、口にくわえたタバコから灰をパラパラ落としていた。

「デートたい、デート」
おじいさんは、そう言ってニコニコしながら白い髭をつまんだ。

***

「まずは、お櫛田さんから、お参りたい!」

翌日の夕方から、私の5時間レンタルは始まった。
おじいちゃんは、ほれっと言いながら、自分の左腕を三角に差し出す。腕を組めということなのだろう。私はなんだか、おじいちゃんが可愛くなってしまい、素直に腕を組んだ。

「ねぇねぇ、おじいちゃん」
「なんね?」
「なんか、あたし、おじいちゃんを介護しよるように見えてないかね?」
「なんば言いよっとね! デートたい、デート!」
「あはは! そやね、デートやね」

おじいちゃんは、思いの外シャキシャキと歩き、私を櫛田神社まで連れて行った。

「こげんして、時子さんとも、お櫛田さんにお参りしたねぇ」
「時子さんとも、デートしよったと?」
私は笑いながら、おじいちゃんに聞いた。

「そうばい。時子さんには世話になったけんね。俺が稼げるようになってからは、時子さんば、ようデートに誘ったばい。あっ、こら! まずは、手ば清めるとたい!」
「あっ、そっか。あっ、おじいちゃん、はい、ハンカチ」
「おぉ、ハンカチを出すおなごは、良かおなごばい」
「そやろ? ちゃんと持っとるとよ」

そうして、本殿の前でお参りをする。
おじいちゃんは、しばらくじーっとお参りをしていた。私は、なんだかおじいちゃんより先に頭を上げるのが悪い気がして、おじいちゃんが頭を上げるまで待った。

すうっと息を吸いながら、おじいちゃんはやっと頭を上げた。

「さぁ、行くばい!」
おじいちゃんは、そうしてまた腕を三角に作って、櫛田神社から博多座まで続く川端商店街をシャキシャキと歩いた。途中、お店の中から、何人かおじいちゃんに話しかけてくる。

「あら、キヨさん、今日は若い子連れてからぁ。あら、お孫さんね?」
「なんば言いよっとね! デートたい、デート!」
おじいちゃんは、キヨさんと呼ばれているらしい。

おじいちゃんが、大好きだという演歌歌手が出ているお芝居を見て、近くの割烹料理屋でご馳走になった。

「ねぇ、おじいちゃん」
「なんね?」
「時子さんは、なんでおじいちゃんに、若い子を育てろって言ったと?」

おじいちゃんは、ずずっとお茶をすすりながら、しばらく黙っていた。

「時子さんはね、俺らば弟や子供のごつ思っとったとよ。俺らだけじゃなか。女の子達のことも、そげな風に思っとった」
「うん……」
「時子さんは、いろーんな女の子も見てきとるとたい」
「うん……」
「男は女を守るもんたい。そげんして、俺らに言いよった」
「うん……。でも女を育てるって、どういうこと?」

おじいちゃんは、またお茶をずずっとすすった。

「こげなことたい。よかもんば見て、よかもんば食べて。よか男ば見んしゃい。そういうことたい。見てみらな分からんめーが、本当に良かもんが何か」

私は、こくりとうなずき、黙り込んでしまった。

「こげんして、繋げていくとたい。誰かに世話になった分、若い人たちに繋げていくとたい。よかね? あんたが大人になったら、こげんして若い子達ば連れてくるとぞ」

私は、じっとおじいさんの目を見て、こくりとまた頷いた。

「俺、ジェントルやろ?」
「ぷっ! あはははは! おじいちゃん、自分で言うとー?」
「こら! 良かおなごは、ここで、素直にはいって言うとたい!」
「はい!」

***

おじいちゃんは、こうして私を何度もデートに誘ってくれた。もちろん、レンタルじゃない。私は素直に、おじいちゃんに付いて行った。だって、面白かったんだもの。
あれからも、私をスナックに連れて行ってくれたり、お座敷に連れて行ってくれたり、美味しいご飯を食べに連れて行ってくれた。
どこに行っても、素敵な女性が切り盛りしていた。

「見てんやい。こげんして博多が元気なのは、おなごが元気に笑いよるけんたい」

そうして、おじいちゃんは白い髭をつまむのだ。

冬の櫛田神社は、空気がピンとして神々しい。
お賽銭を入れ、鈴をガラガラと鳴らす。
2礼し、パンパンと手を鳴らした。

——よう、来んしゃったね。
——うん。だって、まずはお櫛田さんにお参りやもんね。

こうして、お櫛田さんにお参りをすると、隣でおじいちゃんがまだ頭を下げているのではないかと思う。だから私は、こうしてゆっくりお櫛田さんに、ありがとうございますと言う。今日も元気に笑えてますって。

※この物語はフィクションです。

***

この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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