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可能性としての殺意


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ありのり(ライティング・ゼミ)

かつて私の心を支配した殺意について語ろう。その殺意は可能性だった。

素晴らしい女性がいた。私はあこがれと純粋な好意から、無邪気に彼女に近づいた。そして、近づきすぎた。近くで接した彼女は当時の私にとってあまりにまぶしかった。
その輝きに、私は火傷をした。
当時の私の生活は、扉で何重にも閉じられた塔の中で、外の世界を小さな窓から爪を噛みながら眺めているような状況だった。かつて自由に羽ばたき謳歌していたそこは、いくつもの頑丈な扉を突破しなければ出られない気がしていた。
そして、それは、絶望的に不可能に思えた。
独身時代は深夜までよく働き、そのまま仕事仲間と朝まで飲んだ。
仕事はオフィスに閉じこもる種類のものではなかった。自由裁量が多い当時の仕事が好きだった。仕事の範囲は市外へ、県外へ、海外へ伸びた。広く、大きく駆け回ることは性に合っていた。だから、結婚後も仕事を持つことを希望した。

幸い、結婚後は独立をしてささやかな仕事を持つことはできた。しかし、自由は限られた。
夫は家族の世話を脇においてまで私が仕事をすることを、面白く思わなかった。

平日の限られた時間以外は、家族を置いて出かけることをあきらめた。同業者らが集い情報交換する場に行くことも、スキルアップのための研修に参加することもあきらめた。
存分に学べぬ自分はいつまでも半人前な気がして仕事に自信が持てなかった。自分を半人前と感じることは、どこか自分を卑屈にしていった。

「仕方がない。子どもがいる。家族がいる。能力など伸ばせるわけがない。能力がない自分にふさわしい範囲で細々とやろう。そう、仕方がないのだから」と自分に言い聞かせた。情熱と好奇心を抑えつけ、制限の中に自らの身をねじ込もうと葛藤した。

その葛藤は凄まじかった。長いあいだ悶え苦しんだ。しかし、いつしか私は葛藤を感じなくなった。乗り越えたわけではなかった。苦しさのあまり麻痺化が起きたのだ。無力感と呼ばれるものである。
扉を開いて外へ出ることに対して、無力感を持つことで、私は葛藤の苦しみから逃れた。私の中のどこかが仮死した。
ある日、彼女に出会った。7歳年上の彼女はとても魅力的で、穏やかな好ましい人柄だった。私は一目で彼女が大好きになり、姉のように慕った。

なんども話しているうちにわかってきた。彼女は自由だった。環境も、そして自分自身からも彼女は完全に自由だった。素直にのびやかに、失敗することへの恐れなど彼女の中に存在しないかのように、軽やかに自分の探求心や向学心を満たし、自分の信じたやり方で様々な発信をしていた。

気が付いた時にはもう遅かった。私は彼女に近づきすぎた。私は彼女の輝きにひどい火傷を負った。嫉妬である。

嫉妬は、自分を押さえつけているパワーと比例する。麻痺化させ仮死していた私の激しいエネルギーが醜い形でよみがえった。

屈託のない彼女の笑顔が憎らしく感じる。彼女のブログの発信を直視できなくなる。彼女の失敗を密かに願い、彼女のささやかなヘマを喜び、「お願い、もう活躍しないで」と、願うエゴイスティックな感情が次々に立ち上がる。ついには、誰かと彼女の話題が出たとき、ダメだ、ダメだと思いつつチクチクと何か嫌味が混じってしまう。

嫉妬から起こすこれらの行為は、妙な快楽をもたらした。嫉妬が激しいほど、その快楽に溺れそうになった。それをもっと味わうための正当な理由を見つけ出そうとさえした。

例えば、彼女の愛すべき個性を取り上げて「彼女はこういうところがあるけど、普通は、そうじゃなくて、こうするわよね」と言う。
「普通こうするわよね」は、簡単にひとを罪な存在にできる。そして、攻撃の手を強める正当な理由を得た気になった。

嫉妬というものが、どれほど筋違いで残酷なものか思い知らされた。そして、そのたび私は自分を責めて卑下する感情にも襲われた。私の内側はひどく荒れた。

私のそんな拗ねた内面など知らず、彼女は変わらず親切に接してくれていた。
私は自分の醜い感情に気づかれまいと必死になった。彼女の前では、わずかに挙動不審になった。声がうわずり、変にお世辞を言いたくなる。罪悪感がそうさせてしまうのだ。私は自分の激情を持て余した。そんな日々が続いた。

あるとき図書館で、とある心理学系の学習ビデオを見る機会があった。画面の向こうで、講師が雑談まじりにこう語った。
「嫉妬という感情は、理不尽な殺意なのですよ」
私は打ちのめされた。確かにこれは殺意だった。彼女の存在を抹殺したい衝動だった。

しかし、消すべきは潔白な彼女ではない。私が抹殺したいのは、私の中で私を抑えてつけているもう一人の私だ。
ああ、もう抱えられない、と思った。

私はとうとう本人に打ち明けた。私は嫉妬から彼女を否定しながらも、尊敬し信じていた。この期に及んで彼女の度量に甘えたのだ。どこまでも私は未熟だった。

「あなたのそばにいると、うらやましくて、私は、とても、苦しいのです。そして、今はこの気持ちを、どうしたらいいか……わからないのです」
私は声を途切れさせながら告白した。親しみを込めた笑顔の下に隠してきた彼女への攻撃心や、自分の薄汚さが透けて見えてしまう恐れに震えていた。

彼女はいったん私から視線をそらした。そしてまた私を眺め、少し寂し気な瞳でそっと微笑んで、「そうなのですね」と言った。

「すこし、離れさせてください」
「ええ、いいですよ。またいつかお会いしましょう」
私は彼女から離れた。

彼女から去った私の中に、安堵感と小さな火が残った。その火は時間とともに徐々に大きくなっていった。私の何かが動き出した。

私は頑丈に見えた扉に体当たりをし始めた。自由な時間を求めて夫と何度も話し合った。夫は、自分が見守ることができる範囲から飛び出そうとする妻の申し出に抵抗した。大事に思うゆえの束縛だとわかるから、私はつらかった。

ふと、彼女の話を思い出した。彼女はかつて、そのような束縛から傷つきながら生家を飛び出した過去があった。その話を聴いた当時、嫉妬でゆがんでいた私は、「彼女が強い人間だからできたことだ」と思った。

しかし、決してそうではないことが分かった。私と同じように情熱に突き動かされ、そうせざるを得なかったのだ。そして、私と同じように誰かの愛に応えられないことに傷ついたのだ。この痛みは、彼女が超えてきた痛みなのだ。自分に向き合って初めて気が付いた。

さらに、私は新しい人々との出会いの場へ出かけた。そして、新しい仕事を得よう、新しい発信をしようと動き出した。そのたびに自分の小ささを思い知らされた。でも、その劣等感や羞恥心を引き受けながら、私は進むしかなかった。進みたい気持ちを抑えてはいけなかった。

何度も失敗をし、何度も落胆し、恥をかいた。やがて、小さい自分を許せるようになってきた。小さいじぶんのままでも平気になってきた。自分の小ささと和解したのだ。
私は私から自由になった。
10年以上がたったある日、私は彼女と再会した。数年前に結婚して外国で暮らす彼女が一時帰国するというので、皆で集まることになったのだ。

彼女は、相変わらずのびやかで優しかった。50歳を超えた今も、少女のようなさわやかな美しさにつつまれていた。

大いに盛り上がる宴会の席で、私は自分のグラスをもって彼女の隣へ移動した。近況報告をしたあと、私はそっと切り出した。

「あのとき、うらやましいなんて言って、ごめんなさい。ご気分を悪くされたでしょう」
以前と変わらず澄んだ目で私を見つめてくれる彼女と話していたら、あの時のことをあやまらないではいられない気がした。

すると彼女はこう言った。
「覚えていますよ。でも、本当に不快ではなかったのですよ。わだかまりも残っていない。まっすぐ言ってくれたからでしょうね」

私は許された気がした。

「でもね……」と彼女は続けた。「ただ、やっぱりさみしいものよね。仕方ないのだけれど」

彼女はこの手のさみしさにどこか慣れているようだった。それは、自分に正直に生きる人が引き受けているさみしさだと思った。

そして、ふと思いついたようにこう言った。
「ところで、こんどこんなイベントを考えているの。ちょっと出張になっちゃうけど、あなた、一緒にやらない?」それは、胸躍る提案だった。
「はい! 夫に聞いてみます。きっと応援してくれます」
私はもう何にも縛られていない。こうして、彼女と私の新しいつきあいが始まった。
いま、私はある女性から嫉妬を受けている。親しそうに笑顔をくれるが、鬱屈した感情を抱え接してくるひとの、独特のぎこちなさがある。かつての自分を見ているようだ。

彼女は環境と自分自身に縛られていた。彼女が漏らさまいと必死で抑えつけている殺意は、ちらちらとこぼれて私に刺さる。痛い。痛いけれど、私は知っている。それは彼女の可能性なのだ。

そして、誰かの嫉妬を感じたとき、目の前に選択肢は2つある。
ひとつは、その嫉妬という殺意を恐れて自分の動きを止めること。しかし、私はそれを選ばない。誰かの何かを気にして自分を押さえつけることは、歪んだ殺意を世にひとつ増やすだけだと思い知ったからだ。

だから、もうひとつを選択する。
それは、その誰かの嫉妬をさみしく見過ごし、ただ自分の進みたい方向だけを見つめて邁進し続けることだ。
やがて彼女が自分の殺意を前進のエネルギーに変え、勇気を出して自らの扉を開いたとき、「待っていたよ! あっちにおもしろいものがあるの。一緒に行こう」と手を引くために。

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2017-03-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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