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地獄の底から飛び跳ねた雑魚


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:牛丸ショーヌ(ライティング・ゼミ)

「瀬戸くんの電話で間違いなかったかな?」
「あ、はい。瀬戸ですけど」
仕事が休みの日曜日。
日ごろの疲れが溜まっていたこともあり昼まで寝ていた僕は、携帯電話に見知らぬ番号からの着信があったため出てみた。
「美音の父親なんだけど……いま、産まれたから」
「はい?」
美しい音と書いて「みね」と言う。
美音は僕の付き合っている彼女だ。
彼女とは2年近くの付き合いになる。
突然かかってきた美音の父親から、子供が生まれたと告げられた。
23歳の夏。
これは、僕がこれから地獄の底をさまようことになる始まりの合図だったのかもしれない。

電話を受けて、自宅に帰った僕は、自分の両親に今後の対応を相談した。
付き合っている彼女が自分の子供を妊娠し、さきほど産まれたということを伝えた。
両親は子供を妊娠していたことを知らされていないことに対して訝しがったが、産まれた事実に変わりはないと、僕に男としての「けじめ」をつけることを後押ししてくれた。

その日の夜遅い時間に僕は美音の両親宅を訪れた。
美音の父は「どういう付き合いをしているかは聞いている。これから、どうするかを訊きたい」と僕の決心を確かめた。
「もちろん、結婚させていただきます」

翌日、僕は美音が入院する産婦人科病院に行き、我が子を抱き上げた。
美音が子供を産んだという事実は正直、半信半疑だった。
美音は世間一般的にいうと太っている。
見た目が太っている女性は、たとえ妊娠して、お腹が膨れたとしても気づかないことが往々にしてある。
仕事が忙しく、肉体的にも疲れが溜まる職場だったこともあり、休みの日は自宅でゆっくりすることが多くなっていたため、美音とは1ヵ月に1度くらいしか会わなくなっていた。
それでも、妊娠していることに気づかなかった自分を恥じたし、美音には失礼だが、本当に自分との子供なのかどうかを疑ってしまった。
しかし、我が子の顔をみて、すぐに自分の子供だと分かった。
僕の顔にそっくりだった。
「だって、妊娠したことを知ったら、源ちゃんは堕ろせって言うかもしれないと思ったから」
僕の顔をみて、美音は気まずそうに微笑んだ。

8月も終わりに近づいていたが、まだまだ残暑が厳しい季節。
美音が退院してからすぐに入籍し、翌月には僕の実家から近くのアパートを借りて、引っ越した。
僕は社会人一年目の23歳、美音は21歳。
こうして準備も心構えもないまま僕は「父親」として生きていくことになった。

僕が大学を卒業してから勤めたのは地元のスーパーの会社だった。
そこで最初に配属されたのは鮮魚部。
鮮魚を調達して包丁でさばき、パッケージングして商品にする。
朝が勝負の仕事だ。
そこで僕はイジメに遭っていた。

学校でも職場でも、世間で起こっているイジメの原因と言うのは小さなことだ。
僕の場合は、鮮魚部を仕切る35歳くらいのチーフに嫌われたことが原因だった。
30歳のパック詰めをしているパート社員で佐伯さんという女性がいた。
バツイチの佐伯さんは誰がみても美人のお姉さんだ。
僕は新入社員ということもあり、佐伯さんから可愛がられた。
チーフが佐伯さんのことを好きらしいという噂も知っていた。
チーフは佐伯さんと仲良く会話する僕が気に食わなかったのだろう。
通常、職場では時間差で昼の食事休憩をとるのに、僕だけ休憩をとれないこともあった。
「源太、悪いな。俺も昔はそうだったけど、忙しいときは新人が休憩なしで仕事してもらうことになってるから」
チーフはもっともらしい理由で僕を言いくるめたつもりだったのだろう。
僕だけ16時から15分だけ休憩をもらい、昼食をかきこむ。

疲れ果てて帰宅すれば妻と子供がいる。
それだけが日々の中で唯一の癒される時間だった。
最初の一カ月は楽しい結婚生活を送れたような気がする。
妻の美音が本性を現し始めたのはそれからだった。

ある夜、僕はチーフからの露骨な嫌がらせや、職場内の陰険なイジメで肉体的にも精神的にもくたくたになって仕事から帰宅した。
玄関のドアを開けて「ただいま」と言ったが、美音からの返事はなかった。
リビングでテレビをみてゲラゲラと笑う美音の声が聞こえる。
「あ、おつかれ」
僕の顔を見ずに面倒くさそうな声音だった。
手を洗って、部屋着に着替えるも美音はテレビに観入ったままだ。
テーブルのうえには食べ物が何も準備されていない。
「めしは?」
「あー、作ってないから、何かテキトウに作って食べといて」
その日から帰宅して、自分の夜ご飯を自分で作る自炊生活が始まった。

美音は孫を見せるという目的で自分の実家と僕の実家を交互に訪れては、夕食を一緒に食べていたのだ。
そして、僕の帰宅時間に合わせて帰ってきていた。
「少しはオレのこと、考えろよ!」
「はぁ? ワタシは子供ことで精一杯なんですけど」

口喧嘩がヒートアップしてお互いが声を荒げることも多くなった。
時にはペットボトルを投げ付けられたこともあった。
僕は子供のことを第一に考えないとならないと、自分に言いきかせ、悪くないと思っていても必ず先に謝るようにした。
ピリピリした空気を子供は敏感に察知し、ストレスが伝わってしまう。
子供の教育上、絶対によくない。
僕は我慢することにした。
職場と家庭に僕の居場所はない。
ただ、過ぎていく毎日をひたすら耐える。
気がつくと、結婚して1年で僕の体重は12キロも減っていた。

結婚してから2年が経過したころだったと記憶している。
僕宛に請求書が届くようになった。
それが、封も開けずに放置されていることが多くなった。
よくテレビCMで目にする有名な消費者金融の会社からだった。
中身を確認すると、振込用紙が同封されており3万円という金額が印字されている。
振込期限は一昨日だ。

最初は何かの間違いかと思った。
僕はお金を借りたこともない。
「オレあてのこの請求書は何? 借りた覚えないんだけど……」
「はぁ? ワタシは知らんよ。借りたこと忘れたんじゃない?」

僕は消費者金融からどうやってお金を借りるかも知らなかった。
その後に電話と督促状が届いたこともあり、美音が僕の身分証を使って勝手にカードを作り、お金を借りていることを知る。
夫婦生活はとっくに冷え切っていた。
だけど、僕は離婚するつもりはない。
子供のことを考えたら、絶対に離婚はしたくないと本気で思っていた。
そんな結婚生活の終焉が突然やってくることになる。

子供が4歳の誕生日を迎える8月。
これは、入籍してからちょうど4年が経過することと同じことを意味する。
その日、仕事が終わり帰宅すると、ダイニングテーブルの上に書類が置いてあるのが見えた。
「もう、源太さんとはやっていけないから。離婚してもらうね」
付き合って今まで源ちゃんと僕のことを呼んでいたのに、急によそよそしく軽い調子で言い放つ。
そこには、僕の署名と印鑑を押すだけで離婚できる準備が整えられていた。
僕はそのとき、ついに観念した。
子供のためにと必死で耐えてきた4年間。
こうもあっさりと美音の方から離婚を切り出されるとは。
その後の離婚調停の場で、慰謝料は要らないが子供の親権は手放すことが条件として提示された。

離婚する直前のことはうっすらとしか記憶が残っていないが、部屋の中はゴミや、子供のおもちゃが散乱していて、足の踏み場がないほどだった。
荒れた生活という言葉がぴったりだった。
美音に子供を任せることが果たして子供の将来にとって良いことか、僕は悩んだ。
それでも仕事が忙しくて、世話をできる時間は夜か休みの日と限られている現状を考えると、僕にはどうしようもなかった。
まだ幼い子供にとっては母親と暮らすことが幸せのはずだ。

お互いの親に報告することなく翌日に離婚届は提出された。
翌月の中旬に僕は荷物を持って、実家に引き揚げた。
その月の下旬には美音が子供を連れて、別のアパートに移った。
のちに不動産の管理会社から清算金の請求書がきたので見てみると、100万円だった。
敷金で相殺されるどころではなく、手出し費用が100万円。
たった2LDKの間取りのアパートで、一体どれだけ汚せばこうなるのか不思議だったが、明細には床の補修、ゴミの撤去、消毒と書かれていた。
電子レンジの中でウジが湧いていたことを考えると、僕の知らない部屋のあちこちがとんでもないことになっていたのは容易に想像がつく。
結局、この費用も僕が払うことになる。

離婚してから、僕は借金を背負うことになった。
その額は約500万円。
結婚生活中、財布は美音が握っていて最低限の食費代以外に小遣いすら貰ったことがなかった。
それなのに、美音は僕の両親にも借金をしていたことが判明した。
「ちょっと、生活費が足りなくて……」
かわいい孫を連れてきた息子の嫁に、そう切り出されたら生活費の足しにとお金を渡さないわけにはいかない。
1度に5万円程度。
そうやって4年間で借りた額は累計で100万円ほどになっていたらしい。
「お前の給料が少なくて苦労させていると思うと、美音ちゃんに申し訳なくてな」
僕が実家に帰ってから、父は心情を吐露した。

僕の給料は決して多くはなかったとはいえ、節約して生活すれば家族三人で何とかやっていけたはずだ。
なぜ、多額の借金までする必要があったのか。

僕は離婚して数カ月が経ってから、美音との共通の知人から衝撃的な話を聞くことになる。
「源太は知らんかったの? 彼女はいま、元カレと寄りを戻して同棲してるみたいよ」

あくまで噂で聞いたことではあるが、美音は結婚している間、僕の身分証で借金を重ね、元カレと会っていたらしい。
今、思い返すとこそこそと携帯電話を触っていることがあった。
あれは浮気相手の男の影だったのだろう。
それが本当なら、子供を親に預けて、浮気相手の男と不倫をしていたのだ。
しかも、これだけのお金を何に使っていたのか、男に貢いでいたこと以外に考えられない。
美音と別れて僕に残ったのは、借金と空っぽの「こころ」だけだった。

それから僕は多重債務となった借金を返済することができず、体制を立て直すため破産宣告を受けることになる。
破産宣告で免責を受けると、全ての債務を免除することができるが、以後7年間にわたり金融面での信用を失うことになる。

融資、ローンはもちろんのこと、クレジットカード1枚を作ることも許されなかった。
何年か前から過払い金の返還請求というものをよく聞くが、借りたものは返すという人間としての当たり前の約束は守るべきだ。
たとえそれが違法な金利だとしても、納得して借りたのなら後になってつべこべ言うべきではないと僕は思う。
たとえ妻が勝手にやったとしても、夫婦とはともに暮らしている一心同体の存在だ。
妻のやったことは僕の責任になる。
借りたものを返せない。
僕は忸怩たる思いで、破産に踏み切ったのだ。
これくらいの罰を受けるのは当然だと思う。

離婚してから10年が経った。
僕はようやく社会的な信用を回復することができた。
美音が借りていた僕の親への借金も全て返済することができた。
晴れて、自由の身に戻ったのだ。

子供は14歳になった。
早いもので、来年は高校入試を受ける年齢になる。
美音は離婚してからすぐに同棲していた男と再婚したと聞いたので、僕はあれから一度も子供に会っていない。
たまに送られてくる写真を見て、成長を確認している。
だんだん僕の顔に似てきている。

地元が同じ狭い町ということもあり、美音の動向はイヤでも噂話で聞こえてくる。
PTA会費を盗んだ疑惑をかけられているだの、子供の習い事の月謝を1年間滞納しているだの。
ときどき、僕はひどく後悔の念に襲われることがある。
なぜ、美音を好きになったのだろうと。
だけど、今さら過去を悔やんでもどうしようもない。

産まれてきた子供には罪はない。
僕は養育費を払って、父親としての義務を全うするだけだ。
人生は勉強だ。
常に何かを学んで、生きていくのだ。
僕は彼女との出会いから別れを「高い勉強代を払った」と考えるようにした。

あの地獄のような4年間は、記憶もおぼろげだ。
死んだように生きていたのだろう。
僕はいま幸せだ。
ほんの些細な出来事が嬉しいし、他人の小さな優しさに「ぬくもり」を感じることができる。
そして何より、心から笑うことができるようになった。

それから僕はいろいろな職を転々として、結局またスーパーの魚屋で働いている。
毎朝4時に起きて、包丁を手に取り、魚をさばく日々。
体力的には厳しい年齢になってきたが、あのときより生き生きと仕事に臨んでいる。

僕は魚の中では、商品価値の低い雑魚だ。
だけど、地獄の底から飛び跳ねて、地上に出てきたのだ。
雑魚のような小物にも、小物なりの人生がある。
せっかく底から飛び跳ねたのだから、あとは地上であがくしかない。
僕の考え方ひとつで、世界の見え方はどうにでも変わるはずだ。

※この物語は事実に基づいている。

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2017-03-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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