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ぶらり(痴漢で)途中下車


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:牛丸ショーヌ(ライティング・ゼミ)

 

「ちょっ、ちょっとすいません」

前にいた女性が急に後ろを振り向き、僕と眼が合った。

ショートカットでボーイッシュな髪形の女性だ。

吊り上がった目元が女優の剛力彩芽に似ている。

ちょっと怒って不機嫌そうな表情がまた魅力的だ。

いやいやいや、なぜ僕に怒っているんだ。

「あの、さっきからおシリ触ってますよね? これ痴漢ですよね?」

「は、はい?」

僕は一瞬で凍りついた。

思考停止状態だ。

いや、正確には僕の脳内では未来予測の明確なイメージが浮かび上がっていた、

人は死の危険性に直面すると、今まで生きてきた記憶が一瞬で浮かんでくるいわゆる「走馬灯」現象があると聞く。

僕の場合はその真逆で、自分が今後どのようになっていくのかが、リアルな感覚を伴って浮かんできた。

逮捕、起訴されて裁判に膨大な時間がかかり、その間に会社をクビになり、路頭に迷う姿。

痴漢で起訴されたら、ほぼ100%近くの確率で有罪になるということは知っていた。

何年か前に観た「それでもボクはやってない」という映画で主人公が痴漢冤罪で逮捕・起訴されて、過酷な運命を辿る姿が僕の脳裏によみがえる。。

そのときから「痴漢」だと一度、疑われたら「人生終わりだ」という認識が僕の中にあった。

 

ここは、JR中央・総武線の車両内。

福岡出身の僕は、会社の転勤で2年前から東京勤務になった。

住居は千葉県の船橋市だったため、最寄りの船橋駅から各駅停車で御茶ノ水駅まで行き、

そこから中央線の快速に乗り換えて、会社がある四ツ谷駅まで。

自宅から駅、駅から会社までの徒歩時間と乗車時間を合わせて1時間ほどが僕の通勤時間だった。

 

事件は船橋駅から御茶ノ水駅に向かう途中の亀戸駅過ぎたところで起きた。

現実世界に意識をもどした僕は、眼前で鋭く睨む女性に対して、弱々しい声で「ち、違いますよ」としか言い返せなかった。

こんなときは、はっきりと断言することが重要だと聞いたことがある。

地元の福岡でも、通勤時間に身体と身体が触れるくらいに混み合うこともあった。

だけど、東京にきてから噂には聞いていた通勤ラッシュを実際に体験したときは、この異常な空間が毎朝あるのかと考えると憂鬱になったものだ。

ただ、それから総武線は曜日によっては空いていたり、座れる日もあるのだと分かってからは、通勤を苦に感じる気持ちも段々と萎んでいた。

乗車時間は、たかが40分だ。

立ちっぱなしは多少疲れるが、音楽でも聴いていればあっという間だろう。

 

この日は不運にも混んでいる日だった。

「絶対、触ってましたよね。前の駅から何回か触ってたじゃないですか」

「い、いや、だから僕じゃないですよ」

僕は必死に否定する。

そんなに大きな声の会話ではなかったが、混んでいる車内で周りにいた人たちが僕らのほうに顔を傾け始めた。

朝の通勤時。

誰もが面倒なことに巻き込まれたくないというのが本音か。

テレビなどで電車の痴漢事件があると、必ず車内にいる親切な協力者が鉄道警察に突き出すという話を聞くが、今は皆が見て見ないふりをしているようだ。

触った触ってないのやりとりを何度かしていたら電車は錦糸町駅に着いた。

 

「あの、ちょっと降りませんか?」

僕はいたたまれなくなって提案する。

彼女は何も言わず先に下車した僕を追って、ホームに降りてきた。

 

降りる人と乗る人が溢れかえるホームの中で、人が少ない場所を探して移動する。

彼女も後をついてきた。

テレビで弁護士が言ってたっけ……。

痴漢容疑をかけられたら、逃げるのが最良の方法だと。

もしくは、名刺を渡して身分を明らかにしたうえでその場を立ち去るのだとも。

まさか、自分が当事者になるとは思ってもいなかったため、記憶はおぼろげだ。

 

電車が発車したため、ホームにいる人は少なくなった。

彼女と向き合う。

年齢は20代の後半か。

容姿からOLというより、美容関係の勤め人かなぁなどと勝手に想像する。

「あの、僕は触ってないし、痴漢じゃないですよ」

「位置的にみて、あなたしかいませんよ。しらばっくれるんですか?」

彼女は感情的になる様子はなく、あくまで冷静な声音だった。

 

「触られたかは分かりませんが、そうだとしても、ぼ、僕じゃないですよ」

彼女は痴漢の被害に遭ったのは事実なのだろう。

でも、犯人は別の人で僕ではない。

早く誤解を解かなければならない。

僕は心に決めた。

まずは正々堂々とやってないことを主張すること、そして逃げ出さないこと。

会社に少し遅れるかもしれないが、何とでも言い訳はできる。

 

こんな状況に遭う前に僕は映画を観て、痴漢冤罪に対して恐怖感を持っていた。

もし自分がこのような状況になったらどうするか。

冷静に判断しなければならない状況であっても、絶対にこれだけは言わないと気が済まない言葉があった。

それは「あんたみたいなブスに痴漢するか!」だ。

ものすごく暴力的で相手の女性を侮辱する言葉であることには間違いないが、こちらは冤罪で人生を狂わされるのだ。

これくらいの「怒りの捨てゼリフ」は言っても許されるだろう。

 

しかし、そのときの僕は自分でも驚くくらい冷静だったし、何より相手がどう客観的にみても「美しい」としか言いようのない容姿だったのだ。

もしこの世の中で彼女に対して「ブス」と言う男がいたら、余程の偏屈者だろう。

さて、困った。

「電車内は混んでましたから、誰か他の人じゃなかったんですか?」

彼女は僕の眼をみて、考えるような素振りで目線を下げた。

そのときだった。

「どうしました?」

僕らが向かい合っていた時間が長かったからか、誰かがご丁寧に呼んだのかは分からないが、制服をきた駅員が声をかけてきた。

「はい、えっと……、ち、痴漢されたんです」

「あ、いや、僕はやってないんですよ」

僕は彼女の言葉に被せ気味に弁解した。

 

「あー、痴漢ですか。じゃあ、ちょっとここは混みますから、事務所のほうに行きましょうか」

いや、ちょっと待てよ。

これは絶対、行ったらダメなパターンだ。

事務所に連れていかれたら鉄道警察を呼ばれて、仮に逮捕されないにしろ長期間拘留されるのが目に見えている。

テレビで弁護士が言っていた「痴漢冤罪に巻き込まれた時の対処法」が頭をよぎる。

逃げないと決めたけど……駅員がでてきたとなると状況は非常にまずい。

何もかもを無視して、走って逃げだすか。

名刺を渡して、身分を明らかにしてその場を去るか。

事務所に一度でも行けば、ほぼ100%は逃れられないだろう。

 

判断が下せない。

どうしよう、どうしよう。

いざ、窮地になると足が動かない。

いや、本気で自分は逃げ出そうと思っていないのだろうか。

さっきまでは「話せば誤認だったと認めてくれるはず」だと根拠のない自信があり、妙に現実感が伴っていなかったが、駅員が登場したことにより急に焦りだした。

やばい、やばい。

どうしよう、どうしよう。

逃げないと、早く。

逃げないと、逃げないと、逃げないと。

僕はなぜか、むかし観たアニメの主人公を想い出した。

 

でも、説明すれば分かってくれるかも……。

思考が堂々巡りだ。

完全に混乱している。

人間は選択肢が多すぎると思考停止状態になるという。

この場合はいつくかある選択肢を中で何が最善か、選ぶことができないのだ。

 

僕は無言で駅員と女性の後を僕はついていく。

駅員は駅員室のドアを開けて、僕と彼女を中に入れてくれた。

「じゃ、この椅子に座って待ってくれますか」

椅子を勧めてきた。

僕らは腰を下ろす。

僕らを招いた駅員が別の人間に状況を報告している。

どうやら駅長らしい。

年配のベテランらしい風貌だ。

 

「痴漢で間違いないですか?」

僕らが二人で大人しく座っていたためか、訝しげだ。

「あ、でも痴漢した覚えはないんです」

僕は冷静に否定する。

「ずっとおシリを触られていました」

「あ、痴漢に遭ったんですね」

「僕じゃあ、ないですよ」

今度は少し大きめの声で否定する。

 

「えーと、おたくの名前は?」

駅長から名前を訊かれた。

一瞬、言うべきか迷った。

しかし、この状況では名前を教えないほうが悪印象だろう。

「和久田です」

「どういう字?」

「平和の”和”に”久しい”と、田んぼの”田”です」

彼女のほうにも名前を訊いていた。

苗字は「大石」というらしい。

「で、ワクダさんはやってないんですね?」

「はい、僕は痴漢してないです」

「大石さんはこの方が触ったのをみたんですか?」

「はい、私の後ろでしたし、そう思うのですが……」

彼女は小さい声で答えた。

 

「えーと、そうですね。そこに交番あるし、普通はすぐに警察に来てもらうんですがね……」

僕は目の前が真っ暗になる錯覚をおぼえた。

年末のテレビ番組で観た鉄道警察が痴漢を現行犯逮捕するシーンが浮かぶ。

「ただ、お二人が落ち着いた感じだったものですから」

僕はここぞとばかりに勝負をかけた。

「あの、二人で話してもいいですか?」

「えっと、それは痴漢を認めて示談するということですか?」

「いえ、違います。だから、痴漢はやってないんですって!」

「二人で話すなら、警察に来てもらいましょうかね」

「ちょ、ちょっと待ってください」

警察がきたら、人生終わりだ。

何としても食い止める必要がある。

彼女は俯いて黙ったままだ。

 

「やった、やってないってのは、警察を呼ぶからそこで話してくれますか?」

「え、で、でも……やってないのに……」

そのときだった。

外から駅員が入ってきた。

さきほど、僕らをここに連れてきた人だ。

駅長が「どうした?」と近づき、何やら二人で話し込んでいる。

言葉の節々が聞こえたが、会話の内容は分からない。

 

駅長がこちらを向いた。

「あ、ちょっと待ってて下さいね」

駅員が再び外に出たかと思ったら、すぐに知らない男性を連れてきた。

見知らぬ顔。

平日の朝の通勤時間なのに、私服を着ている。

見た感じ、年齢は僕よりも若そうだ。

20代の後半くらいだろうか。

すると、隣に座っていた大石さんが顔をあげ、その男を見て「えっ」と短く呟いた。

男も大石さんを見つめている。

そして近寄ってきた。

「ヒロコごめん!」

その男が大石さんに向かって頭を下げた。

僕は何が起こっているのか分からない。

 

「ワクダさん、あのね。この方が痴漢を、つまり大石さんを触ったって出頭してきたんです」

「え?」と声に出たか、出てないか。

僕は駅長のその言葉を聞いて唖然として固まった。

思考がうまく働かない。

た、助かった。

それだけは、直感した。

 

「ごめん、本当にごめんヒロコ。オレ、あんな別れ方したから……耐えきれなくて」

「何で……なんてことしたのよ」

大石さんはその後の言葉を紡げなかった。

 

その後、駅長から事の顛末を聞いた。

大石さんと付き合っていた男が別れ話に納得できず、彼女をつけ回して電車の車両内で後ろから痴漢行為を働いたということだった。

大石さんへの当てつけか、嫌がらせなのかは分からない。

錦糸町駅で僕が大石さんから痴漢と間違えられて下車した後、男も降りてからずっと僕らの様子を窺っていたらしい。

こういう痴情のもつれは殺人にまで発展するとテレビのニュースで聞く。

痴漢で済んだのは大石さんにとっては不幸中の幸いか。

 

それにしても、男が駅員室で僕に謝罪しなかったことに対しては心底、怒りを感じた。

まず真っ先に謝罪する相手は彼女ではなく、疑いをかけられた僕に対してだろう。

僕はあやうく、人生を詰んでしまうところだったというのに。

 

ただ僕はそのとき、まるで映画やドラマのような展開で窮地を脱出できたことへの驚きと、これで逮捕や拘留されることがなくなったという安堵感で脱力してしまい、無感情な状態になってしまっていた。

 

思考をフル回転させたからか、身体全体がまるで筋トレをした直後のように強張った。

よかった。

本当によかった。

無意識に妻や実家の両親の顔が想い浮かんだ。

 

結局、大石さんは元カレということと、事を大きくして彼のプライドをさらに傷つけることによる報復を恐れたのか、この件を不問に付すことにしたらしい。

 

僕が駅事務所から立ち去ろうとしたとき、大石さんが僕のほうに歩いてきた。

「あの、この度は申し訳ありませんでした」

つむじが見えるくらい頭を下げる。

彼女も被害者だ。

僕と誤認しただけで、あの状況ならば間違っても仕方ない。

それに彼女の性格からなのか、大声で騒ぎ立てる事もなかったし、恨んだりはしていない。

 

「もし、よかったら……ワタシ、ここに勤めています」

彼女から渡された名刺には、美容室と彼女の名前があった。

オオイシヒロコさんね。

剛力彩芽似の彼女が顔をあげた。

その口元がうっすら緩んだように見えた。

 

その後、痴漢冤罪の対策法として逃走することや、身分を明らかにしてその場を去るといった方法はテレビで弁護士が主張した一つの意見に過ぎないことを知った。

実際に痴漢冤罪の疑いをかけられた場合は、名誉棄損で告訴すると伝える、相手の主張を録音する、目撃者を確保する、手のひらを洗わないなどとやることが多く、潔白を証明するためのハードルが高いのは変わらない。

 

こんな災難は、もう二度と経験したくない。

僕は自らの体験から、電車内の「痴漢冤罪」に対する司法の問題点を知ってしまった。

この問題は根が深い。

僕がどうこうできる話ではない。

今日も日本のどこかで、このような間違いが起こらないことを願うばかりだ。

そして何よりも、痴漢行為をする真の犯罪者が減るために、僕ら一人一人が社会の歪みを正し、より良い社会にしていかなければならないなどと志高いことを本気で考えている。

 

今回のこのとんでもない冤罪未遂事件で、1つだけ、まぎれもない真実がある。

「僕は痴漢をやってない」

これだけは、天に誓って断言できる。

 

※本内容は事実を元にしたフィクションです。

 

参考:「それでもボクは(セクハラを)やってない」

 

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2017-03-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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