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彼女の歌声が消えるとき≪フィクション≫


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:長谷川 賀子(ライティング・ゼミ)
※このお話はフィクションです。

彼女の唇が、ふわっと、咲いた。

そして、その唇の隙間から、歌が零れた。

零れて、そよ風みたいに流れていく。
シャボン玉みたいな音たちが、皐月の空で踊っている。

彼女の声は、空気に溶け込んでしまうくらい透明で、ハープの音色みたいに滑らかで、心地よく耳の奥の方まで届いてくれる。そっと、心を撫でてくれる。

僕は、彼女のこの歌声が、好きだった。

そして、彼女のことが、大好きだった。

ずっと、小さい時から、彼女のことを見ていた。彼女の歌声に、耳をすませていた。幼稚園のきらきら星のかわいらしい声も、小学生の幼女と少女の間のつかめない歌声も、讃美歌を覚えた中学生のませた声も、僕は全部知っている。誰もいない夕暮れの音楽室で、こっそりピアノを弾きながら歌う横顔。河原でギターを奏でる優しい指。歌の景色が見えているようなきらきらした瞳。そして、今、僕の隣にいる、大学生になった彼女の柔らかな髪。リズムを刻む彼女に合わせて、ふわふわと揺れている。僕は、彼女の全部を知りたかった。好きで、好きで、たまらなかった。

僕の幼稚園からの片思いは、ずっと続いて、何となく過ごしていた。幼い頃から一緒だった僕たちは、当たり前のように一緒にいて、でも、それは、兄弟のようだった。僕の、こっそりと望んでいた彼女への思いとは、かけ離れていた。いつか、叶え。そう思いながらも、僕は、一歩を踏み出せなかった。だって、僕が思いを伝えなければ、きっとこのままでいられると、思ったから。当たり前のように、彼女の傍にいられると、当たり前のように、彼女の笑顔を見ていられると、そう、思っていたから。まるで、彼女がいれば、歌が流れるように。彼女の唇が開けば、きらきらとした音があたりを包むように。すべてが当たり前にそこにあると、思っていた。というより、僕自身が、信じたかったのかも、しれない。

彼女が歌って、そして彼女がそこにいる。このことが当たり前であってほしい。でも、そんな僕の思いは、ただの幻想にすぎなかった。ただの、僕の我儘に、思い込みなのだ。今の僕は、そのことを、知っていた。ちょうど6年前、あの出来事が、あったから。

彼女の歌が、消えた。

僕の大好きな彼女の笑顔が、消えてしまった。

6年前の5月のことだった。僕らはその時、中学生だった。まだ、中学に入ったばかり。僕の学生服はぶかぶかで、彼女のセーラー服も、なんだか襟の大きさが彼女の体とちぐはぐだった。

僕らは、中学という新しい世界に、胸を弾ませていた。彼女は、合唱部に入るのだと、張り切っていた。

入学式の日だって、僕がグダグダしてたら、明るい彼女は、もう「部活の先輩」とやらをつくっていた。合唱部に入りたいという友達を探して喋ったりもしていた。そして相変わらず、放課後や休みの日には、隣に住む彼女の部屋から僕の好きな歌声が聞こえてきた。時々河原や公園で、僕らは一緒に座った。彼女が歌って、僕が聴く。変わったことは、僕らが中学生になったことと、彼女が合唱部に入ったこと、それくらいだった。今までの日常は、確かに僕らに、あったのだ。

でも、その日は、違った。

いつも彼女が鼻歌を歌っているベンチのところ。校舎裏の木の下だった。まだ、柔らかい緑の葉っぱに夕日があたって綺麗だった。彼女は、今日もそこに、座っていた。でも、彼女の唇は固く閉じられて、柔らかいはずの頬は、硬く強張っていた。きらきらといつも空を見上げている瞳は下を向いて、長いまつ毛の先が、うっすらと濡れていた。

ただ、じっと、彼女はそこに、座っていた。

僕は、彼女のいるところの2つ隣の木の影から、こっそりと見ていた。見守っていた。
まあ、落ち込む時もあるか。そう思いながらも。心のどこかに引っかかる。

だって、こんな彼女、見たことなかったんだもの。

今日は、部活もあるはずだ。彼女が部活をさぼるなんてありえないし、それよりなにより、あんなに寂しそうな、深刻そうな顔をして、外に座っている彼女を見たことがなかったのだ。木の傍にいる時、風がそよぐ時、天気がいい時、夕日がとてもきれいな時。その時と彼女の笑顔は、僕の記憶の中で結びついていた。

だから、僕は、心配で仕方なかった。きっと、彼女には、何か、あったんだ。

でも、その日の、その時は、僕はどうすることも、できなかった。彼女への声のかけ方が、わからなかった。あんなにいつも一緒にいるのに。彼女のことを、たくさん見てきて、そして、たくさん知っていると、思っていたのに。僕は、彼女といた、という時間に甘えた。本当は彼女が大丈夫でないことを悟りながらも、気が付かないふりをしてしまった。当たり前に中に、心配を、埋もれさせてしまった。

けれど、次の日になっても、彼女の笑顔は戻らなかった。彼女の歌も、聞こえない。

次の日も、その次の日も、一週間経っても、彼女の歌は、聞こえてこなかった。

彼女は部活にも行っていないみたいだった。いつも彼女がいる時間に河原に行ってみても、彼女の姿は見つけられなかった。彼女の部屋の窓ガラスと僕の部屋の窓ガラス。その2枚のガラスを挟んだ隣からも、何も聞こえてこなかった。

彼女の歌が、聞こえない。

僕は、これは、明らかにおかしい。そう思った。
というより、もっとはやく、この事実を認めるべきだったんだ。認めて、彼女に、大丈夫と声をかけるべきだったんだ。

彼女は笑わなくなったし、歌わなくもなったけれど、学校には、来ていた。淡々と登校していた。クラスの違う彼女の教室を覗きにいくと、彼女は、なんとなく友達がいるように振る舞い、似合わないつくり笑いを必死でしていた。

僕は、やっと、気が付いた。

こんなにやさしい彼女に、こんなにも残酷な世界が押し寄せてくるなんて、想像もしていなかった。隣のクラスで、楽しく過ごしているに違いないと、決めつけていた。

現実は、もっと、残酷だった。
そうだ、現実は、残酷なんだ。

楽しい世界の片隅に、悲しい感情が埋もれていて、騒がしい世界の中に、冷酷な世界が潜んでいる。

たくさんの子供たちが集まって、賑やかにお喋りをして、グランドにはボールやらが飛んでいて、廊下の片隅でじゃれ合っている。

そんな風に見える学校の中、一見楽しそうに見える教室の中。その中を、目を凝らしてじっと見ると、冷たい空気の漂うところが見えてくる。助けてと叫ぶ声が聞こえてくる。必死にこらえる涙の気配がする。

彼女のいるところも、そうだった。

一見楽しそうに冗談を言い合っているように見えるのに、目を凝らすと、小さな棘を投げつけているみたいだった。

小さな棘は、人の心を、どこかちょっぴりおかしくさせる。
でも、投げてる本人たちは、それがどんなに冷酷な武器なのか、気が付かない。棘を投げてるとさえ、気が付かない時だって、ある。
だから、棘は、無くならない。棘を投げる手は、消えてくれない。
小さな棘もたくさん刺されば、大きく心をえぐってしまう。
毎日それが積み重なれば、大切なものが、消えてしまう。大事な心が、なくなってしまうんだ。

彼女の大切なもの。消えてしまったものが、歌と笑顔だった。

僕は、悲しくて、たまらなかった。大事な彼女を傷つけられたことも、そして、こうなる前に、僕が気が付いてやれなかったことも、全部、悲しかった。そして大好きな歌を笑顔で歌えない彼女がきっと一番悲しいんだろうと思うと、本当に、悲しくなった。

だから、僕はそれからは、彼女の教室をやたらと覗きにいった。彼女が数人に囲まれているときは、用のあるふりをして、彼女を連れ出した。小さい頃みたいにお菓子をもって彼女の家に遊びに行ったり、一緒に帰ったりもした。

そんなふうにして、1カ月ほどがたった。彼女は歌わないし、笑顔も、少なかった。

でも、僕といる時、時々、笑ってくれた。

ある日、河原に座っている時だった。彼女が僕の方を向いた。目が、とても寂しそうだった。

僕はもう、彼女のこんな顔、見たくなかった。大好きな彼女に、こんなに苦しい思いをしてほしくなかった。

僕は、こうして横にいてあげられるけれど、彼女の棘を投げつけてくる奴らを変えることはできないし、四六時中ずっと助けてあげられない。

もしかしたら、僕がいない時に、彼女の心を誰かが刺すかもしれない。

彼女がいなくなったら、どうしよう。

彼女は確かに横にいるのに、彼女の瞳は目の前にあるのに、脳裏に彼女が谷底に堕ちていくような、そんな光景が横切っていく。

嫌だ。
彼女の歌を、聞きたい。

僕は必死に言葉を探した。闇に堕ちかけた彼女の手を探すみたいに。

「僕は、君といるから」

無意識だった。勝手に言葉が、でていた。

「僕は、傍にいるからね。だから、嫌なことなんて、捨てちゃったらいい。なくなっちゃいけないものは、なくならないんだから」

ああ、こんな言葉でよかったのか。もっと、なにか、言ってあげられたんじゃないのか。言ってしまってから、言葉がぐるぐる回っている。

「うん」

目の前の彼女が、頬を緩めた。

「えっ」

彼女が、笑う。
「わたしね、きっと、大丈夫。大丈夫だよ。だからね、傍で、見てて」

僕は、その言葉を、信じることにした。それから、僕の言葉を本当にした。

でも、彼女はその後も、淡々と、過ごしているように見えた。大丈夫なんだろうか。僕の心は、痛かった。

だけど、ちょっとづつ、彼女の歌が、聞こえてきた。河原や隣の家の彼女の部屋から、優しい声が、聞こえてくる。

それから彼女は、何やら忙しそうになった。

彼女の目の奥が、強く光っていた。

僕は、彼女を信じた。そして、傍に、いた。それしかできなかったけど、それができることだと、思ったから。

そんな日々が、続いた。

彼女の制服がブレザーになった、僕の背は高くなった。
僕らは電車で1時間のところの、高校生になっていた。ちょっと遠い街。僕らのことを知らない街。

帰り、駅に向かう途中で、彼女が振り返った。
「ねえ、ちょっと、寄り道しない?」

それから僕らは公園に行って、ベンチに座った。
「今度ね、この曲、歌うんだ」
彼女は、ギターを手にとって、指が優しく弦に触れた。彼女の唇が、開く。

歌が、零れた。

きらきら空気に溶け込んで、優しく心に響いてくる。

ああ、僕は彼女の歌が、やっぱり好きだ。

彼女の歌は、ずっと上手になっていた。
彼女の横顔は、ずっと綺麗に、なっていた。
彼女の瞳には、強い光が、宿っている。

「よかった」

僕は言った。すると彼女は、可笑しそうに笑った。

「ありがとう、ね」

その顔は、あまりにも可愛くて、そして、愛おしかった。

「言ったでしょ、大丈夫だって。あの時、そう思えたのは、君が、いてくれたからなんだ。嫌なことは、捨てちゃったらいいんだって思えたら、楽になったんだ」

僕の必死に探した無意識の言葉は、ちゃんと彼女に、届いていた。

「わたしね、捨てちゃおうって、思ったんだ。そうしたら、歌も勉強も、頑張ることにつながったんだ。嫌だったものが、来れないところに、言ったらいい。君がいてくれたから、その時間を、待てたんだよ」

やっぱり、僕は、彼女が、好きだ。

あんなにもつらい思いをしたのに、僕の思いつかないようなことを、彼女はやってのけた。
つらい思いを乗り越えて強くなれる、なんて、そんなきれいごとは、絶対言わない。そんなことあっていいはず、ないんだから。
けど、彼女は、待てたんだ。つらくて苦しい時間の終止符を自分で打てる日まで、待てたんだ。歌声が消えたあの日を、もっと素敵な世界へ行ける、そのための始まりにできたんだ

彼女は、僕が傍にいてくれたからだと、言ってくれた。僕が、支えになれていたら、それは嬉しい。だって、そのために、していたんだから。

だけど、傍にいてくれたのは、彼女の方だ。僕が見守っていたんじゃない。彼女が、僕の傍にいてくれた。僕が強くいられるように、彼女は僕を、信じてくれた。そして、今もこうして笑ってくれる。

僕に、歌声を、届けてくれる。

この、特別で、かけがえのない、このことが、幸せでたまらない。

ゆらゆらと揺れながら楽しそうな彼女を、僕はぎゅっと、抱きしめた。

「好きだよ」

今日も彼女の唇が、咲く。きらきらと、歌が零れる。

これから先も、このかけがえのない当たり前が、ずっと、続きますように。

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2017-03-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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