メディアグランプリ

名も無きストリートミュージシャンが辿り着いた、「上手さ」と「魅力」の違い。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講申込みページ/東京・福岡・京都・全国通信】人生を変える!「天狼院ライティング・ゼミ」《日曜コース》〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
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記事:unai makotoki (ライティング・ゼミ)

「もう今日は歌うのをやめよう。誰も足を止めてくれない」
ギターを弾く手を止めて、誰に言うでもなくつぶやいた。

初めて降りた、大きくも小さくもない駅にあるロータリー。
寒空の下、5時間近く歌い続けたらしい、
時計の針は、19時を回っていた。
会社帰りらしき男性や女性、高校生、塾帰りの子ども達、
それにいくつものカップル……。

ぼくの前で足を止めてくれる人は、一人もいなかった。
最初から、歌を聴いてもらえないことを覚悟していた。
誰一人知り合いのいない、つい先日まで、この駅の存在さえ
知らなかったわけだし。アウェーで戦いにサポーターは誰一人いない。
ただ、この街で、想像以上の寒さを感じたのは、
冬のせいだけじゃないはずだ。

ロータリーの向こうには、1本の通りが見える。
そこでは、見知らぬ男がぼくと同じように歌っていた。
とてもゆったりとしたリズムで規則的に体をスイングしている。
バラードか何か、スローな曲を歌っているのだろう。
寒さに小さな震えを感じながら、彼のそばへ視線を移すと、
座り込んでいる人たちが見えた。彼の歌を聞いているのだろう。
1、2、3、4、5人……。
人数を数えながら、また視線を動かすと、
立ってみている人たちも目に入った。
全部で25人、いや、30人くらい。誰もがじっと聞き入っている。

同じコンディションで歌っているのに、どうしてこんなに差がつくのだろう。
ぼくは、彼の歌が聞いてみたいと思うのと、ほぼ同時にぜったい聞きたくないと思った。
聞き入ってしまうほどの歌声の秘密が知りたい、という好奇心と
寒空の中、5時間歌って、誰も聴いてくれない、というくやしさが
葛藤した。両者が全力でぶつかりあった結果、今日は帰ることにした。

「たまたま足を止めやすい場所で歌っているのかもしれない、
立地の問題なら、仕方ないか」

また、一人つぶやいた。そんな問題ではないはずないのに。
とにかく今は真っ先に「彼の曲を聞きたい」という思いを
沈めてしまいたかった。
オーディエンスの数が、少し増えたようだ。
本当は、ぼく自身の問題なのだ。彼には何の関係もない。
だんだんと自分を攻め始めていることに気がつき、
その場を足早に立ち去った。

ぼくが音楽と出会ったのは、高校1年生の秋だった。
中学時代のぼくは成績が良く、卒業後、県内有数の進学校へ入学した。
成績トップを目指し、部活もバイトも遊びも、そして恋愛も、
邪魔になりそうなことは全て封印していた。
一人っ子のぼくは、両親からの期待とプレッシャーを
一身に集め、その中でもがいていたのだ。
父親は警察官、母親は学校の先生という、誤解を恐れずに言えば、
人生に間違いを許されない、一家に生まれた。
それがゆえ、両親は息子に対して様々な面で「完璧」を求めた。
特に勉強には厳しく、テストで99点とっても、
1点失ったことを許さない。
そんな教育方針は、今思えば、窮屈で退屈なだけだが
当時のぼくは、100点を目指す以外の術を知らなかった。
自分の中では、これ以上無いと思えるほど、勉強していた。
毎日、授業時間を除いても平日は8時間、休日は15時間以上も
勉強していたと思う。
それでも成績トップには届かず、クラスの中の上くらい。
両親からのプレッシャーは日増しに高まり、
だんだんと自分には何か欠陥があるのではないかと
自分で自分を信じられなくなっていった。

ある日の放課後、軽音楽部の友人が
部室でエレキギターを弾いているのを偶然見かけた。
彼はクラスでは目立たない方で、休み時間は教室の端っこで
いかにも暗そうな連中とひっそりつるんでいた。
成績も、スポーツも今ひとつだった。
だが、ギターを引いている姿は、別人だった。
彼の奏でるメロディは、普段決して人には見せない
喜怒哀楽を代弁していた。
教室では見たことの無い恍惚とした表情。
胸を揺さぶられるような迫力。
ぼくは目を奪われ、戸惑い、吸い込まれるように
聞き入ってしまった。
彼は自由そのものだった。

数日後、ぼくは両親には何の相談もせず、
軽音楽部へ入部した。
それまで貯めていた小遣いとお年玉をかき集めて
ギターとアンプを買った。
合わせて30万円を超えていたと思う。
楽器屋の一言が、ぼくに決意を促した。

「安物買ってもうまくならないよ。
トランペットだってトロンボーンだって
これくらいの値段はするんだから。
部活で使うには平均的な値段だよ」

自宅には絶対に持ち帰れないため、
部室へ置きっぱなしにした。
必然的に部室で過ごす時間が増えた。
それに比例するように成績は、じりじりと下がり続けた。
両親には何も説明しなかった。
その代わり、同学年には天才がたくさんいること。
そして、天才が死ぬほど努力しているから
勝てるはずが無いと説き続けた。
両親は悲しみ、ぼくの能力の低さに嘆き、
成果の見られない努力に対して、
容赦なく罵倒した。
嵐が過ぎ去るのを待ち続けた。
高校も卒業に近づいた2月、
ようやく、両親は折れた。
最後に父親は言った。

「お前は能力があるのに勉強しない。
努力しない奴には、社会に居場所が無いだろう。
せめて、人さまにそして両親に迷惑をかけるな。
それから、高校を卒業したら一人で生きろ。
両親からは、援助しない。
その代わり、お前の人生に一切の口出しもしない」

両親との戦いはこうして幕を閉じた。

高校卒業後の進路は、何も考えていなかった。
両親はぎりぎりまで大学受験を諦めていなかったけど、
ぼくは受験する気なんてさらさら無かった。
それでいて就職活動も全くしていなかった。
将来は、「音楽で食べていければ」くらいの
ぼんやりしたイメージを描く程度だった。

そんなぼくを見かねた軽音部の先輩が
ひとりの部活のOB、といってもずいぶんと
年上な男性を紹介していれた。
経営するスタジオで受付や雑用を頼める人間を
探しているらしい。
給料は時給900円で身分はバイトだったが、
仕事の空き時間は自由にスタジオを
使えるということだった。
あてもなく、貯金も3万円くらいしかなかったので
音楽が続けられる環境の保証だけを頼りに、
世話になることを決めた。

数日後、彼のスタジオではじめて彼に会った。
マスターと呼ばれている男は、歳が50歳くらい。
肩まで伸びた長髪に、サングラス、口ひげ。
遠めからピントをぼかして彼を見ると
ジョニー・デップに見えなくもない、
そんなルックスだった。
口調からのんびりとした性格が伝わってくるようだった。
音楽に関わっている割には、オーラを感じられなかった。

ただ、本人曰く、本業はプロのスタジオミュージシャンらしい。
クライアントは小田和正や松任谷由実といった超大御所をはじめ、
小林武や亀田誠治といった名プロデューサーなど、
プロの中のプロばかりと仕事をしていると話していた。

話のスケールと彼のルックスや性格にギャップを感じて、
初対面にも関わらず疑いの眼差しを向けてしまった。

「本物なら、ぼくの歌やギターをどう評価するだろう?」

興味半分で、見て欲しいとお願いした。
そして選曲はB’Zだ。

ぼくは歌とギターに自信があった。
高校時代、部室で自分の好きなアーティストの
コピーをしまくった。
歌もギターもテクニックを追求し続けた。
結果、軽音部で一番、街で対バンなんかをしても、
負けることは無かった。

ぼくは、日本で3本指に入るであろう稲葉浩志の
ボーカルと松本孝弘ギタープレイを再現してみせた。

聞き終わったマスターは、何も言わず、
ただ、ぼくが弾いていたギターを渡すように促した。
ギターを肩にかけると、彼もB’Zを再現し始めた。

聞き終わってしばらくは放心したまま、
鳥肌が止まらなかった。
感動を通り越して、圧倒的な実力差に恐怖感すら覚えた。
怒りにも似た激しさと強さ、聞き手を包み込む優しさと繊細さ、
そんな相反する感情が溶け合った、それでいて、
メロディやリズムは機械のように正確に刻まれた。
楽譜には決して載っていない、いくつもの音符が奏でられているように
マスターの歌声とギタープレイは、どこまでもハーモニーとグループが
折り重なっていた。
オリジナル同様、いやそれ以上にマスターオリジナルの
B’Zが仕上がっていた。

弾き終えると、マスターは静かに言った。
「君の筋は悪くない。でも、まだ人の心に届かない。
街へ出て、たくさんの人に歌を聴いてもらうんだ
君の音楽と聞き手の心の距離感を感じてほしい」
こうして、ストリートデビューが決まった。

ストリートで歌いはじめた頃、ぼくは夢を見ていた。
上手くいけば、生活費の足しになるかもしれない。
ファンができれば、プロデビューが現実になるかもしれない。
スタジオの仕事の合間に、知らない街へ出かけては
ギター片手に歌う日々がはじまった。
でも、現実はそんなに甘くなかった。
歌っても、歌っても、誰も足を止めてくれない。
来る日も、来る日も。
小さな街も、大きな街も。
ぼくの目の前を歩いている人たちが、
わざと避けているのではないかと
思わずにはいられなかった。
それはまるでぼくが透明人間かのように。

自分の得意な曲を一生懸命歌えば、
聴いてもらえると思っていた。
高校時代に、人気のあった曲でさえ
不思議なほど、受けなかった。
何よりも音楽的なテクニックでは
決して、他のストリートミュージシャンにだって
引けを取らない自身があったのに……。

時々、本当に時々、足を止めて、
お金を置いていってくれる人がいた。
でもそれは、ぼくの音楽に感動したのではない。
路上で物乞いする人に情けをかけるように
淡々と財布を開き、小銭を探し心ばかりの額を
置いていく。決して、ぼくの目を見ないようにしながら。
これでもぼくは、プロを目指す一人のミュージシャンだ。
その行為は。ひどくぼくのプライドを傷つけた。
出口の見えないトンネルは、ずっと続いていた。
春にデビューして季節はもう冬を迎えていた。

ある夜、ぼくが歌っている場所から、
100mほどの場所で歌う準備を
始めた女の子がいた。

ストリートミュージシャンに縄張りは無いけれど
こんなに近い場所で歌う人も珍しい。
彼女が歌いはじめると30分もしないうちに、
人が集まりはじめた。
何を歌っているのか、ここからは聞こえない。
でも、集まった人々の表情はやわらかく、
聞き入っている雰囲気が伝わってきた。
時々、MCを挟んでいる様子も見えた。
長いと15分くらいやっていた。
素人のMCがよくそんなに持つものだ。

ぼくは不思議に思い、彼女に質問してみたくなった。
彼女のライブが終わるのを待って、思い切って話しかけた。

「すいません。ちょっと話かけてもいいですか?」
「ごめんなさい。今日はもう、ライブは終わりなんです」

ギターをケースにしまいながら、彼女は背中越しに言った。

「いや。あなたのファンじゃないんです。
実は、ぼくも近くで歌っていたんだけど、あなたには
ずいぶんとオーディエンスが集まっていたみたいだから
少し話が聞きたくて」

彼女は、片付ける手を止め、振り返ると、こう言った。

「あ、ごめんなさい。あなたが先に歌っていることに
気づいてたんだけど、どうしてもこの場所が気に入っちゃって」
すまない気持ちがあったのだろう。
笑顔で話を聞くことを承知してくれた。

「ライブ中に、MCの入れてますよね? 長い時で15分くらいだったかな? 
あれ、何を話してるんですか?」

「あぁ、はじめてのお客さん達だし、どんな曲が響くのか分からないから
好みを探ってたのよ。天気の話とか、あたりさわりないところから入って、
いろんな話題を振ってみるの。その反応によって、ノリのいい曲が
受けるな、とか、メロディ重視のバラードだな、とか、要望みたいなものに
だいたいのあたりをつけてから選曲してるわけ。慣れれば、手に取るように
分かってくるものよ」

「え? でも、どんな曲がリクエストされるのか
分からないじゃないですか? 
持ち歌ってどれくらい準備してるんですか?」

ストリートでは、文字通り老若男女が相手だ。
好きな曲は、みなバラバラのため、予め全ての要望に
答えるように準備するのは事実上不可能である。

「そうね。常時300曲くらいはレパートリーがあるのよ。
もちろんリクエストに応えられない時も多いけど、
まぁ、300もあれば、似たような曲があるはずだし、
そうやっていつも何とかしてますよ」

彼女の答えにハッとした。
当時のぼくは、自分が自信のある曲を一生懸命歌えば
人の心に届くと思い込み、相手のことなんて正直
気にも留めていなかった。

そうなのだ。相手は人間だ、その時の気分だってあるだろう。
和食が食べたいのに、こってりの中華を食べさせようとする、
そんな乱暴なことをしては、お店に客は寄り付かない。
言われてみればしごくあたり前のことだった。

まずは、リクエストに応えられるよう曲を覚えよう。
足を止めたくなるようなメロディを
たくさん歌えるようにしよう。
ストリートデビューの前にマスターが言っていた
人の心に届かない、という意味が
やっと理解できたように思えた。

それから1ヶ月程度、ストリートで歌うのを休んだ。
代わりに仕事の合間を見ては、レパートリーを増やした。
最新のヒット曲にはじまり、往年の昭和歌謡や演歌、
ビートルズなど洋楽のメジャーな曲に加えて、
クラシックやジャズといったインストさえもカバーした。

今まで耳にしたことも無い曲、食わず嫌いというか
とにかく敬遠してた曲、それらを覚えるたびに、
自分の音楽観の広がりを感じることができた。
人々が様々な音楽を求める気持ちを理解でき、
なんだか心にも余裕が持てた。
ストリートに出ないぼくに対して、
マスターは何も言わなかった。
いつも静かに見守っているようだった。

目標の300曲を歌えるめどが立とうとしていた。
さぁ、もう一度街に出よう。

再び挑んだストリートでの景色は
それまでとは一変していた。
あれほど足を止めてくれなかった人々が
ぼくの前で足を止めた、ぼくの歌を聞いてくれた。
一人ひとりの気分や思いを感じとろうとした。
声をかけ、言葉を交わしながら
リクエストを聞き出した。
レパートリーをどんどん披露した。
出来ない曲も、時にはその場で即興の
アレンジをして歌ってみせたりもした。
10人、20人、30人、40人、50人……。
オーディエンスのリクエストがレパートリーを増やし
レパートリーがオーディエンスを呼ぶという
好循環が生まれていた。
そして、ぼくの歌はお金を生み始めていた。
一晩で1万円くらいになる日もあった。
デビューした頃と違って、あきらかに
うまくいっている、手応えも感じている。
今度こそだいじょうぶだと思っていたが
1点ひっかかることがあった。

最後まで聞いていってくれる人が
ほとんどいないのだ。
偶然にライブの終盤で足を止めて、
最後まで聞いてくれる人もいた。
でも、そんな人も最後の曲が終わった瞬間に、
足早に立ち去ってしまう。
忙しい中、それでも足を止めてくれた、
ということなのだろう。みんなそれどころではないのだ。
自分なりに原因の仮説を構築してみた。
それに対して納得しながらも、
なにか物足りなさを感じていた。
今までは、誰も聞いてくれなかった。
聞いてくれる人が増えた分、悩みのステージが
一段レベルアップした。成長しているがゆえの
必然的なことなのだろうか……。

ぼくの悩みは、心の中でくすぶり続けていた。
時間が解決してくれるという可能性に期待した。
でも、3ヶ月経っても、半年経っても、
状況に変化はなかった。
そこで、ぼくは、ぼくの曲を聴いてくれた人が
実際にどう感じているのか聞いてみることにした。
このもどかしさを解決するヒントが見つかるかもしれない。

「すいません。今日は、ぼくの歌を聞いていただき
本当にありがとうございました。ぼくの歌をお聞きいただいて
いかがでしたか? 聞きたいと思われている曲を
お届けできていましたか?」

「こちらこそ、ありがとうございます。
青春の頃に良く聞いていた曲を
久しぶりに思い出しました。」

お客さんの反応は悪くない。
少しほっとする。

「もし、またあなたの歌を聞く機会があったら
今度は別の曲をリクエストしたいと思います。
最近忙しくて音楽を聞く機会が無いから
ちょうど良かったんですよ」

やはり反応は悪くない……?

いや、そうじゃない。一つの言葉が
魚の骨のように心に引っかかった。

「音楽を聞く機会が無い……」
心の中で反芻する。

音楽を聞く機会が無いから、
思い出の1曲を聞けて良かった……?

そうだ。そうなのだ。

聞けたことが嬉しかったのだ。
ぼくの歌を聞いたことが嬉しかったんじゃない。
ぼくの歌を通して、オリジナルの楽曲を
思い出していただけなのだ……。

曲が終わると足早に帰る様子が思いだされた。
足を止めくれる人が増えても
ぼくのファンは誰ひとりいなかったのだ……。

「喜んでいただけたみたいで、ありがとうございます。
また、聞いていただける機会があったら、
ぜひ、お立ち寄りください」

その人とは笑顔で別れた。

ぼくは、思いもよらない悩みの核心に
驚くと同時に、悲しくなった。

ストリートでのぼくは、最初、一人よがりだった。
自分自身のために歌っていた。
今度は、それをあらためて、人の期待に応えたくて歌った。
ただ、正解はそのどちらでも無かった。

「ぼくに足りないものは、いったい何なんだろう……」
以前、マスターに言われた
「君の音楽と聞き手の心の距離感」という言葉を
思い出しながら、家路についた。

ぼくは、しばらく街で歌うのを
休むことにした。
スタジオの仕事を淡々とこなし、
その後は、あてもなく街をぶらぶらする
毎日を過ごした。
誰のために歌うことが正解なのか。
考えても、答えは見つからなかった。
音楽は、ぼくに自由を与えてくれるはずだった。
でも、今は重荷となってぼくの自由を奪っていた。
あの日の勉強のように。

ある日、マスターから話があると呼び出された。
街へ歌いに出なくなって3ヶ月経っていた。
その間、淡々とスタジオの仕事をこなしていた。
ぼくの姿に対して、違和感を抱いているに違いない。
マスターは普段、何も言わない人だ。
話があるということは、よほどのことなのだろう。
「仕事はこなしているけど、街で歌う、という
約束を守れていない。怒られるのかな? 
話が違うとクビにされたらどうしよう。
最悪、日雇いバイトで食いつなぐか?」
よくない妄想ばかりが頭を巡っていた。

「最近、街で歌ってる? 
元気無いみたいだけど、何かあった?」

マスターの声はいつもフラットだ。
語りかけてくるひとつひとつ言葉は、
ぼくの心を探っている。
でも、声の響きだけ聞いていると
探る気持ちは一切感じられない。
本当に不思議な声だ。

「お約束を守れていなくてすいません。
最近、外で歌えていません」

マスターの思いを先回りするように
まずはお詫びした。質問には直接答えていない。

「いや。責めてるわけじゃないんだ。
音楽に取り組む上で、何かあったんじゃないの?」

マスターは、ぼくを気遣ってくれている。
責められてクビされることまで
勝手に妄想していたことを思い出した。
自分のことしか考えられていないことに、
心底恥ずかしくなった。

マスターには正直に話したほうが良さそうだ。
思い切って胸の内を告白した。

「何を目指せば良いか分からなくなったんです。
ストリートにデビューした頃、自分の思いを
がむしゃらに歌ってました。誰も歌を聞いてくれませんでした。
今度は、聞いてくれる人のことを思って、歌いました。
聞いてくれる人は増えました。でも、その人たちは
ぼくの歌が聞きたいんじゃなかったんです。
昔、聞いてた曲を思い出し、
その思い出に浸っているだけだった。
ぼくの歌はある意味、コピーでしかないんです」

胸につかえていた思いを
一息で吐き出した。
最後のほうは、息が続かなくなり
声が大きくなっていた。

マスターは、ぼくの言葉を噛みしめるように
聞いていた。その後、それを反芻するかのように
思いをめぐらしていた。
そして、頭の中に浮かんだであろう
言葉をゆっくりトレースするように語りだした。

「はじめて君のギターを聞いたとき、
筋は悪くない、って伝えたことを覚えている? 
君はたしかに良いものを持っている。
でも、それに気がつかず、欠点ばかりが
目についているようだね。

野球のピッチャーに例えると、
150kmのストレートを武器にしていたのが以前の君。
その後、投げられなかった変化球をいくつも覚えて、
ピッチングの幅を広げたつもりだった。
ただ、その結果、ストレートは130kmしか出なくなった。
少しカタチは悪いけど、所々、するどく、とんがっていた君の歌は
ずいぶんと丸くなった。聞きやすくなったけど、特徴が無くなった……」

マスターの言葉は、ぼくが、モヤモヤとカタチにできない
思いを的確に言い合わしていた。マスターは続ける。

「君は、一人のミュージシャンとして確実に成長している。
上手くなっているよ。でも、上手さと、魅力は別物だ。
歌が上手ければ上手いほど、人を感動させられるわけじゃない。
今の君の曲を、以前の君が聞いたら、
また聞きたい、と思うだろうか?」

マスターの言葉を聞きながら、
ぼくは、高校時代のことを思い出していた。
テストの中でたった1点を間違えないよう、
がむしゃらに勉強した。
きっかけは、両親の教育にあったかもしれない。
怒られることは嫌だったし、うるさかった。
でも多分それだけの問題で
1点にこだわったわけじゃない。
両親へのあてつけを理由にして
自分で自分を追い込み、完璧主義を貫いていた。
1点落とした自分を認めることができなかった。
励ますことができなかった……。

最初は、自分の歌を聞いてもらえなかった。
聞いてもらうために、人々のリクエストに応えようと、
そのつもりになっていた。

リクエストに応えるという思いの底には、
完璧主義という我欲が横たわっていた。

歌を聞いてくれない人に対して、
その思いに応えようという行為は、
一見、人と向き合っているように見える。

でも、根底では、カタチをかえて、
自分自身の完璧主義を満たそうとしていただけではないか? 

たくさんの人が曲を聴いてくれれば、
あの日に失った1点を取り返せるとでも思っていたのだろう。
音楽は過去へのリベンジのために存在するのではない。

涙がとめどなく溢れてきた。
悲しいから泣いているのではない。

自分自身の本当の思いに気がついた結果、
過去も今も間違っていたということにも気がついた。

この涙がそんな全ての過去を洗いながしてくれるような気がした。
しばらく、マスターがいることも忘れて、涙を流し続けた。

それから10日ほど経った。
何を目指して音楽に取り組むべきか、
それには未だ答えが出ていない。
でも、ストリートにもう一度
チャレンジしたいという思いが
芽生えてきた。

何もかもストリートに答えがあるのではないか。
自分自身とオーディエンスに真摯に向き合えば
何か見えてくるのではないか。
漠然としたそんな思いが、もう一度街へ出る勇気になった。

海に近い、小さな駅を選んだ。
人口は分からないが、市という単位で
ぎりぎり成立できる、そんな感じの規模の街だった。

0からやり直す気持ちで、ずいぶんと遠くの駅を選んだ。
駅前のロータリーの中に小さな広場がある。
駅を利用する人は、必ずそこを通らなければいけない。
ぼくはそこで歌うことを決めた。

歌う準備を整え、最初の曲へと
気持ちを切り替える。
大きく深呼吸をしながら、ただ目の前の人と
歌のことだけに集中することにした。

不思議な感覚を感じていた。
ぼくの頭の中は驚くほど澄み切っていた。
それでいて、心の中には熱い思いがみなぎってきた。

メロディとリズムが完璧にコントロールできている。
それでいて、歌と伴奏は、曲の世界観以上に
ぼく自身の感情や思いがのっている。

ぼくの前を通る人たちの表情やしぐさから
何かを感じ取っている。それに対して、
ぼくの思いを歌にのせて届けている。
歌を介して、気持ちを
キャッチボールしているようだった。

気がつくと、目の前には
たくさんのオーディエンスが見えた。
その表情は誰もが穏やかそうだ。
曲が終わると、周囲から拍手が湧き上がってきた。
10人、20人、いや50人以上集まっていた。
そして、曲が終わっても誰一人、その場を離れない。
ぼくは、その日の不思議な感覚を忘れないように
いや、研ぎ澄ますように歌い続けた……。

あの日以来、あの不思議な感覚は
二度と感じられていない。
でも、ファンと呼べる人たちが、
一人、またひとりと増えていった。

歌に対して、一つの答えが出ていた。
誰かに歌を届けるために、
ひとりよがりに歌ってもダメだ。
でも、相手に寄り添うだけでもダメだ。
等身大の自分自身を愛すること。
相手の気持ちに思い至ること。
相手が望んでいること以上の何かを
自分の歌を通じて相手に届けること。

「上手い」と「魅力」は違うから。

***

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2017-03-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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