プロフェッショナル・ゼミ

嘘をついた私が、逃げずに向き合えたこと。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:和智弘子(プロフェッショナル・ゼミ)

「先生、お腹痛いんやけど……」

とっさに、嘘をついた。
お腹なんて、これっぽっちも痛くなかった。
ただ、体育の授業を休みたいだけだった。

私が覚えているかぎりで、いちばん昔についた嘘は、幼稚園の年少のころのものだ。

私は子供のころから、運動神経がとても悪かった。
太っていたことも、運動神経を鈍くさせる一因だったのだろう。
大人になった今でも、運動神経はかなり悪いほうだと思う。
けれど、大人になったいまでは「体育の授業」は無くなった。健康を気にして運動するにしたって、自分のペースでやればいい。

しかし、幼稚園ではそういうわけにはいかない。
幼稚園で毎日過ごす時間の中に「体育の授業」は組み込まれているの。
いやだから、体育なんて、やりません、と幼稚園児には絶対に言えない。
走らせても一番遅いし、お遊戯なんかでも一人だけテンポがずれていて、周りに合わせられない。もたもたと手足を動かすばかりだった。なわとびも上手く飛べない。ボールで遊びも上手にできなかった。

中でも、一番嫌いだったのは、鉄棒だった。
鉄の棒に、腕の力だけでつかまって、ぐるっと回ることがどうしてもできなかった。前回りは、なんとか勢いをつけて、えいやっと回ってしまえばいい。だけど、その、前に回ることすら恐怖に感じていた。

なんで、鉄の棒を回らなきゃいけないの?
そもそも、何のためにこの競技があるの?
子どもながらに不思議におもっていた。
走ったり、踊ったりするのは、やらなきゃいけないことだ、なんとなく分かる気がしていたけれど、鉄棒はなんでやらなきゃいけないのか、全然分からなかった。
「やりたくない」といっても、「弘子ちゃん、それはわがままやで。みんな授業でやってるんやから」と先生に怒られた。
泣きベソをかきながら、いつも「早くこの時間が過ぎ去ればいいのに……」と考えて過ごしていた。
鉄棒の時間が過ぎると、手のひらがじんじんとして、鉄の臭いニオイがついているのも嫌だった。しつこいぐらいに手を洗った。手のひらのニオイを嗅いでみては、石けんのニオイがするまで何度も手を洗った。

体育の授業では、一度鉄棒を行うと、2回か3回くらいは鉄棒の授業が続くことがほとんどだった。
これは鉄棒じゃなくても、跳び箱でも、マット運動でも、なんでもそうだったと思う。一度始まってしまったら「ああ、あと2回か3回はこの授業を乗り切らなきゃいけないんだ……」とこれから続く修行のような日々を耐えるしかなかった。

だけど、私は鉄棒に関してだけは、どうしても耐えられなかった。なんとかして、やらずにすむ方法はないかと、小さい頭ながらで考えたあげく、嘘をつくことにしたのだった。

「先生、お腹が痛いんやけど……」
体育の授業が始まるちょっと前に、嘘をついた。
鉄棒に対する恐怖心と、嘘をついている緊張感からうまれる、シクシクとしたお腹の痛みは感じていた。けれど、お腹を壊しているかもしれないから、体育はできません、というアピールをして私は先生を騙して鉄棒の授業を見学することに成功した。

はじめは嬉しかった。
大嫌いな鉄棒を、やらなくてもいいんだ。
ちょっぴり勝ち誇った気持ちですら、いた。
だけど、ぼんやりと園庭を眺めていると、私はものすごく悪いことをしたんじゃないかと、真っ黒い気持ちがポコポコと沸き上がってきた。
その罪悪感からか、また、シクシクとお腹が痛みだしたので、「いや、お腹が痛いのは、嘘じゃないもん」と自分は悪くない、と思うようにした。
帰るときに幼稚園の先生から、母に「弘子ちゃん、今日お腹が痛くなったので、おうちでも様子を見てあげてくださいね」と報告されていた。
母は、特に疑うこともなく、「分かりました。ご心配おかけしました」と先生に頭を下げていた。その様子を見て、胸の内に真っ黒い渦がグルグルと回りだしたけれど、ぐっとこらえていた。嘘をついたことは、黙っていた。

嘘をついて体育の授業を休んだことは小学生になってからもあった。
その時も、どうしても鉄棒が嫌だった。
「こんな勉強して、大人になって何の役に立つんやろう?」と、難しい算数や理科の授業で言うクラスメイトがいたけれど、私は「それを言うなら、鉄棒の授業は何のためにやるんや! 大人になってから、絶対役にたたへんやろ!」と叫びたかった。

鉄棒の、なにがそんなに嫌なのかは、分からない。
けれど、どうしようもなく怖いのだ。
鉄の棒に身体を預けることも怖いし、手で身体を支えることも怖い。
鉄棒の授業を考えただけでも、恐怖で身体が震え、顔は青ざめてくるのだった。
怖いと思うから、怖いんやで! と先生に言われてむりやり頑張ってみたこともあったけれど、前に回ることは無理矢理できるようになっても、逆上がりは到底できない。途中で棒から手を話してしまって地面に落ちてしまうこともあった。なんどか頭を打って、たんこぶをこしらえたこともある。

あまりにも鉄棒の授業が嫌だったので、体育の日は休んでやると心に決めた。小学4年生のときだった。
体育の授業は木曜日に行われていたので、私は、しめしめと思っていた。
木曜日は、母が頼りにしているかかりつけの病院がお休みだったからだ。
学校を休まなければいけないほど、具合が悪いなら、病院にいかなきゃいけない。だけど、病院に行ったら、仮病だとバレてしまう。嘘をついていることがバレてしまう。それはまずい。けれど、木曜日なら病院はお休みだし、「じゃあ、他の病院にいこう」とまで、母は言わないことを知っていた。

私は水曜日の夜から、具合が悪そうなフリをして、学校を休む準備にとりかかっていた。母は、「寝たら治ると思うけどなあ。明日は病院もお休みやし、ひどくなったらややこしいねえ」と心配してくれていた。
嘘をついていることで、胸がチクチクした。灰色の後ろ暗い感情が毛布のようになって私に覆い被さってきた。けれど、どうしても、鉄棒はやりたくなかったので、「私は具合が悪いんや」と自分を思い込ませるようにして翌朝を迎えた。
朝になっても、体調はなにも問題ない。お腹もいたくないし、頭もいたくない。熱なんて、出てもいない。けれど、私は嘘をついて「やっぱり、なんか頭痛いんやけど……」とダルそうに母に訴えた。母は体温計で熱を計って「熱は無さそうやけどねえ」といいながらも「まあ、朝から頭痛いんやったら、学校でしんどくなるかもしれへんし、今日は休み」と言ってくれた。

良かった。嘘をついたことがばれなくて、ホッとした。
布団に横たわりながら、雨戸を半分ぐらい閉めた薄暗い部屋で、私はじっとしていた。
外はいい天気だ。青空が広がっていて、本当なら私も外に出て元気に学校に向かっている時間だ。
だけど、私は嘘をついて、しんどいフリをして眠るんだ。
ずっしと、重く、黒い気持ちが私の心に錨のように沈んでいく。その錨は鉄のかたまりのように硬く、赤黒いサビがこびりついていた。

嘘をついたら、泥棒の始まりだっていわれてるから、私はもう、泥棒なんやろうか……? 死んだら閻魔大王に舌を抜かれるんやろうか……?
とりとめもない心配事で頭がいっぱいになって、本当に頭痛がしてきた。
やっぱり頭も痛くなってきたし、学校休んで良かったわ……。
なるべく自分を正当化したくて、そう考えるようにした。

体育の授業は来週もある。けれど、毎週木曜日になると具合が悪くなるのは、だれが考えても仮病だと思うだろう。仕方なしに、翌週は鉄棒の授業を受けることにした。

雨が降ればいいのにと思っても、まったく雨が降る様子はない。私の心は土砂降りなのに、悔しいくらいの晴天だった。校庭に隕石でも落ちてきて、鉄棒が壊れてしまえ、とも思ったけれど、そんなことはおきるはずもなかった。
だらだらと体操服に着替えて、体育の授業へと向かう。
鉄棒は、校庭の隅に、壊れることなんてなくて、すっくとそびえ立っていた。

逆上がりの授業だった。
太っていることもあって、ぜんぜん足が上がらない。
「太っててケツが重いから、足が上がらへんねん!」ひそひそ声で笑いながら、私を見ているクラスメイトがいた。何度やってみても、バタバタと惨めに足を地面に打ちつけてばかりだった。上手くできない私をみて、クラスメイトは皆大笑いしているし、先生は呆れているようだった。

……悔しい。
何のためにこんなこと、やらないといけないんだろう?
涙がこみ上げてきたと同時に、怒りにも似た感情が沸き上がってくる。
でも、泣いてしまいたい、とは思わなかった。
ただただ、悔しかった。
できないからと言って、クラスメイトに笑われる筋合いはない。
ハッキリ言って、鉄棒で回れないことで、これから何か困ることはあるのか?  体育の授業の成績が悪くなるのは、別に私は困らない。通知表に「もっとがんばりましょう」と書かれてもいい。
もう、鉄棒なんて、一生やりたくない。
硬く心に決めた。

放課後に、クラスメイトが私に話しかけてきた。いじめっ子の祐介君だった。祐介君は運動神経が取っても良くて、リレーでも、ドッチボールでも、なんでも上手くできる。私が上手く鉄棒を回れないことを、バカにしてやろうって思ってるんやな……。そう思うとうんざりした。
「なあ、ちょっと、鉄棒練習してみいひん? おれなー、なんでお前がうまくできひんのか、分かってん!」
祐介君はキラキラと目を輝かせて私に提案してきた。
「は? うちはもう、鉄棒なんか、二度と触らへんって決めてん! やる意味ないやん!」
私はイライラとした気持ちを祐介君に思い切りぶつけた。けれど祐介君はめげてる様子はない。
「でもなー、お前さっき、めっちゃ悔しそうやったから。さっきはお前のこと笑ったけど、なんか悪いことしたなって思ってん。でな、なんで俺は回れて、お前ができひんのか考えてみてん。せやから一回練習してみいひん?」

悔しかった。
確かに私は、さっき、出来なくて、笑われて、悔しかった。
本当は、上手に出来るようになりたいって、思っていた。
……でも。

「でも、たぶんできひんから。時間の無駄やで?」
今からやって、出来るはずなんてない。これまで散々、出来なかったんだから。
そうしたら、また、「こいつ、ぜんぜん出来ひんねんでー!」って笑い者にされるに決まってる。
「でも、俺の考えが合ってたら、たぶん出来ると思うねん! 一回試してみてくれへん?」
祐介君は私に手を合わせて、お願いしている。
普通、逆やろう。出来ない人が、出来る人に「教えて!」って頼むようなことやのに。なんでか知らんけど、一生懸命うちに教えてくれようとしてる……。

「……わかった。じゃあ、ちょっとだけやで」
「よっしゃ!」

そういって、放課後の鉄棒で特訓が始まった。

祐介君は「お前は、いつも、腕がだらーんって伸びきってるねん。それがなあ、問題やと思うねん」
そういって、逆上がりをくるりと回って私に見せてくれた。
「逆上がりは、身体と鉄棒が離れてたら、ぜったいに回られへんから! 腕をまげるねん! ほら、やってみ!」
「えー……。うまくできるかな?」
私は何度か、挑戦してみるけれど、鉄棒に対する恐怖心が勝ってしまい、どうしても祐介君の教えてくれる通りには、できなかった。

「なんでやろなあ? もうちょっとやと思うんやけど」
「うち、もういいわ。できひんでも。鉄棒できひんからって、大人になって困ることないと思うし」
私は諦めようとしたけれど、祐介君はこう言った。
「でもなー、おまえ、先週の鉄棒、ずる休みしたやろ?」

……やばい。
ずる休みしたのが、ばれてる。
「それがなに?」
私は精一杯、「悪いことなんかしてないけど?」というそぶりで、返事をした。
「おれもな、ずる休みしたことあるねん。体育ちゃうで、算数の、七の段のかけ算の発表のとき」
思いがけない告白で、わたしはビックリした。「えっ、そうなん?」
「うん。ほんまに嫌で。でもな、休んで家にいるとき、どうしていいか、分からんかった。寝たふりしてても、しんどかった」
「……それは、うちもそうやった」
「せやろ? やっぱり、ずるしたらあかんし、自分がしんどくなるだけなんやって思ってん。嫌なことでも、やっぱりずるしたらあかんなって」

祐介君の言葉に、私はハッとした。
鉄棒から、嫌なことから、逃げている。
きちんとした理由もなく、逃げている。
わたしはただ、ずるいだけなんだ。
向き合って、出来るかどうかは分からないけれど、向き合おうともしていなかった。
きちんと向き合った結果、出来ないものは仕方ない。
けれど、何もしないまま諦めている今の自分は惨めだった。嘘をついて、大丈夫なふりをしていた自分のことが、大嫌いだった。

「わかった。出来るようにはならへんかもしれんけど、もうちょっと逆上がりやってみる」
「そうやで! 俺も、算数は苦手なままや」
祐介君は、日に焼けた浅黒い肌に、ニカッと白い歯を見せて笑ってくれた。
「まあ、でも、俺様の特訓は今日だけやからな! 特訓料金払ってもらわなあかんからな」そう言って、照れくさそうに笑いながら、練習に付き合ってくれた。

その後も、私は一人で逆上がりの練習を続けた。職員室で見ていた先生が、協力してくれたこともあった。
先生がぐいっとお尻を持ち上げてくれれば、逆上がりはできたけれど、一人では回ることは出来なかった。祐介君のアドバイスどおり、腕を曲げるように意識してみたけど、やっぱり出来なかった。手のひらにマメができて、ジンジンと痛かったけれど、その痛みも気にはならなかった。

翌週の体育の授業でも、結局一度も逆上がりは成功できずにいた。だけど、クラスメイトはみんな私が放課後に残って練習していたことを知っていて、失敗してもだれ一人笑わずにいてくれた。
そうして、私は逆上がりが出来ないままで、鉄棒の授業は終わってしまった。

結果的に、私は今でも鉄棒が怖くて仕方ない。鉄棒に対する恐怖はいまも胸の中にある。
けれど、いまでも困難に立ち向かうたびに鉄棒から逃げずに立ち向かった放課後の練習を思い出す。嘘をついて、逃げたことで感じた惨めな気持ち。嘘をついて、逃げてばかりいた自分を脱ぎ捨てて、勇気を出した時の力強い気持ち。結果は出せなかったけれど、逃げずに立ち向かえた記憶。そのすべてが今、私の力になっているのだろう。

***

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