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プロフェッショナル・ゼミ

過去の恋に期待することは、未来の自分を信じることと、似ているのかもしれない《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:長谷川 賀子(プロフェッショナル・ゼミ)

「後ろを振り返るためじゃない。前を向くために、昔の恋に期待するのも、案外、いいのかも、しれないな」
私は、そう思った。
友達が話すのを聞きながら、大事なことに、気が付いたから。
昔の恋に期待するのは、前を向くことと、似ているような気がしたから。

昔の恋。過去の恋人。かつて憧れだった、片思いの人。
誰しも、忘れられない、あるいは忘れたくない恋の思い出をもっている。
別れてから、あの人がやっぱり良かったと気が付いたり、想いを伝えられずにさようならをした、そんな相手をいつまでも想っていたり。今の恋人がいても、前の人の方がよかったなーなんて思ったり。同窓会なんかがあったら、あの時好きだった人に、会えるかなー、綺麗になったって言われないかなー、と、考えてみたり。みんなそれぞれ、かたちは違えど、昔の恋に想いを馳せてしまう時って、きっと、あるんじゃないかと、思うんだ。

そしてそれは、前を向こう、そう思っている時にこそ、皮肉にもその瞬間が訪れたりする。

今は仕事に打ち込もう。やりたかったことをやってみよう。気持ちを切り替え、頑張っている時。できたことが、あの時好きだった人が、「頑張れ」と言ってくれたものだったことに気が付いてしまう。
気分転換に街を歩こう。買い物にでも行こう。ただ楽しむつもりで行ったのに、お店に流れる曲が、ちょうど思い出のあの曲で、見つけた洋服は、「似合いそう」とあの人が言ってくれそうなもの。
恋の傷を癒すのは新しい恋、なんていうじゃない。新しい出会いを探したり、好きな人を見つけたり、次に進もうとしている時。ちらりちらりと、あの人の面影やくれた言葉が浮かんできて……。
悪いことも、そう。
あの人はこうだったから、今度はそうじゃない人がいい。
ああいう癖が嫌いだったけど、なぜだかあの人のことは、許せたんだ……。

どっちにしろ、前を向こうとするのを邪魔して、過去がひょこひょこと顔を出す。

そして、私も、そうだった。
片思いがほとんどで、なんとなく自分の気持ちを終わらせてきた私は、なおさらそう、と言った方が、いいのかもしれない。

忘れた頃になって、ふとした瞬間に思い出して。
暗い一人の部屋で、天井を見ながら、「あのひと、どうしてるかなー」なんて、考えてみたり。
新しい恋もしてなくて、好きな人もいるわけじゃない。そんなときほど、まるで過去に甘えるように、昔の恋を思い出から引きずり出す。
引きずり出してみると、今の時間が、過去の気持ちと繋がってしまう。切れたはずのものが、今の私に繋がってしまう。
今好きなものは、まったく興味がないくせにやり始めたあの人のもの。あの時あの人のためにできるようになりたかったものが、今更できるようになっていたり。「自分のもの」みたいになってるメイクの仕方は、昔の恋がくれたもので。
あの時これができていれば。もう一度、会えたらいいな。
なぜか、そんなことも、たまに思ってみたりする。

そして私は、そういう自分は、嫌だった。
過去の恋に期待するなんて、そんなことはしたくない、そう思っていた。

純粋に前を向きたいだけなのに、ちらちらと邪魔をして、面倒くさい。
私は、後ろを振り返るなんて、したくないのに。

だから、私は、決め事をしていた。

昔の恋を思い出す時は、おとぎ話を楽しむ時、と。

昔の恋を思い出すのは、昔の恋に期待するのは、誰にだってあること。
だけど、期待が叶うことって、ほとんどないって思うから。
それに、前を向いて、今を認めて、強く生きていたいから。

だって、昔の恋って、結局はおとぎ話でしょ。
記憶は、現実のそのままじゃない。そのときの言葉や気持ちや表情をそのまま閉じ込めたタイムカプセルじゃないんだから。石ころが川で流されて、時間をかけて削られていくうちに、角が取れて、丸くなる。もっと流されて、磨かれて。それから小さい手に拾われて、誰かの宝物になるみたいに。記憶も、時間に流され、頭の中で転がって、綺麗なかたちに磨かれて、心の中の宝物になる。
しかも、それは大抵、一番素敵な時間のかたまり。一番好きだった時。一番仲良しだった時。一番嬉しい言葉をくれた時。真実であるけれど、切り取られた特定の場面が、まるでその全てのように、記憶として残っている。真実は、そうでは、ないのに。
1年か、もうちょっと前にやっていたドラマだったと思う。結婚できないんじゃなくてしないんですと言っているキャリアウーマンが、たまたま行ったお店のシェフに恋愛指導を受けながら、偶然再会した昔の片思いの相手との結婚を目指していくお話。その中で、片思いの相手が、その女の人に言っていた。きっと、今初めて出会っていたら、君は僕のこと好きにはならないよ。昔の思い出がなかったら、僕たち、こうはなっていなかったと思う。今の自分の気持ちは? というようなことだった。
結局、そうなんだと、この時思った。
一番の時間が、さらに磨かれて、それに期待したって、「現実」にはつながらない。
あの時の「好き」が、さらに膨らんでできた「好き」を、現実が超えることなんて、きっとできない。

だから、期待なんて、しちゃいけない。
今と記憶と比べちゃいけない。

前を向いて、強く生きていくには、過去に甘えたりしては、だめなんだ。

ただ、思い出に癒されることは、たくさんある。それは事実で、しかたない。
寂しい時、つらい時、優しい記憶は、心をそっと癒してくれる。記憶だからこそ、時が止まったものだからこそ、心がざわつくこともなく、変にこじれることもなく、気持ちが穏やかになっていく。最高の時間の塊な上に、磨きあげられたものだからこそ、現実に疲れた心を慰めてくれるのかもしれない。

だから、過去の恋の、思い出も記憶も、おとぎ話にすればいい。おとぎ話だとわかったうえで、少しの間、楽しめばいい。
そうしたら、期待もせずに、後ろも向かずに、記憶と思い出を抱えながら生きていける。上手に付き合いながら、前を向ける。そう思うから。

だけど、なんだろう。
どうしてなんだろう。
本当にそう思えているのなら、昔の恋の意味なんて、いちいち考えたりしないはず。わざわざ「おとぎ話」なんていう、言い訳を考えてまで、思い出すことに執着なんてしないはず。

世の中でだって、ドラマになるくらいで、普段の会話でだって、頻繁ではなくても、初恋の話や昔の恋バナは定番である。

だから、ちょっと不安になったのだ。
私がこうまでして、「過去の恋に期待しない」ようにしていることは、本当に正しいことなのか。もしかしたら、言い聞かせているだけなんじゃないか。
自分が前を向いて、強く生きていくためにしていたことは、本当は無駄なことだったのかもしれない。そう、疑問に思ったのだ。

そんな疑問は、ふつふつと膨らみ、期待をしないための私の中の「過去の恋」論争は、むしろ執着を促していく。
はあ、困った。どうしたことか。

私がしてきたことは、もしかしたら、間違っていたのかもしれない。

そんな考えが、頭に、浮かんだ。

でも、自分の中で、この疑問を転がしたところで、答えの音は聞こえてこない。

なんだか寂しくなってくる。
前を向くことだけでなく、後ろを振り返り思い出に慰めてもらうことさえも、素直に出来なくなるなんて。しかも、自分が決めたことが、そうさせるなんて。

私は、答えが、欲しかった。
もっと素直に、私の心を諭せる何かが、欲しかったのかもしれない。

でも、そんなもやもやを抱えながら過ごしていたある日のこと。友達と話していた時、答えのヒントが転がってきた。
その友達が、言ったんだ。
「でも、何年後かの自分がどうなってるかなんて、想像されたくないよね」
と。
ああ、わたし、とんでもないことを聞いてしまったかもしれない。聞かなかったら、私のもやもやの本当の理由なんて、気が付かずにすんだんだ。
もちろん、私は、知りたかった。昔の恋に期待したくなるわけも。私がしてきたことが正しかったのかも。でも、この答えに気が付いた時、私はもっと、いや、昔の恋を思い出す人はきっと、もっと大変になってしまうのだと、思ったから。

私は何気なく聞いたつもりだった。
その友達とは、勉強の話とか、最近面白かったこととか、進路の話とか、そういう話をよくしていた。そういう類の話について意見を深めるのには助けてもらっていたし、信頼していたから、友達どうしの会話だけれど、堅めの話も多かった。
私はその場でいつも、恋愛の話をするつもりなんてなかったし、そもそも私はあまりそういう話をしない。
けど、その時は、少し聞いてみたかった。勉強とかそういう話に紛れ込ませれば、問題を解決するように、答えが見えるかもしれないと思ったから。恋の問題にせずに、論理とかそういったものにしてしまったら、もやもやは消えるかもしれないと思ったから。それから、その友達、異性に聞いたら、まあ人によりよりけりなのかもしれないけれど、違ったものが見えてくるかもしれないと思ったから。
だから、聞いてみた。
「ねえ、昔好きだった人にもう一度会って、好きになることって、あると思う?」
と。「ないんじゃない」。そういう答えを強要する含みを持たせて、恐る恐る聞いてみる。
そうしたら私の求めていた答えが、返ってきた。
「信じられないくらい、その人が成長してない限り、ないんじゃない」
でも、その後に、続けたんだ。
「でも、何年後かの自分がどうなってるかなんて、想像されたくないよね」
と。

これで、私は、わかった。
過去の恋に期待することは、未来の自分を信じることと、似ているのかもしれない、って。

だって、過去の恋に本当に会いたい、もう一度会って、叶えたい。そう思うということは、相手のおとぎ話を超えなきゃいけないって、ことだから。
昔の恋に期待をしている間、自分の想像するおとぎ話の中にいる自分も、きっとはるか理想の自分だから。

本当にもう一度会った時、結局、どうなるか、どうするかは、わからない。
でも、それでも、そこにたどり着こうとした自分、たどり着いた自分は、きっと現実の自分を超えてくれる。

それに、思い起こしてみれば、過去の恋からつながる今は、前よりずっと、成長していた。
興味の無かったものが、好きなものになり、そこからまた新しい出会いに繋がっていた。
できるようになったことは、あの恋には間に合わなかったかもしれないけれど、私の夢には十分すぎるくらいに、役立っている。
同窓会であった時、綺麗になったねって言われたいな。そういうのも、同じことなのかもしれない。
結婚できないんじゃなくてしないんですの女の人も、結局、昔の恋があったから、頑張れる自分がいて、変われる自分がいたのだと思う。昔の恋に期待しなかったら、きっと、片思いの相手からの言葉も得られなかったし、本当の自分の気持ちもわからなかったし、結婚するために頑張る自分もいなかったと、そう思う。

現実の恋じゃない。あるかどうかわからないおとぎ話。もし、どこかで会えた時……。「もし」の世界を心の片隅に思っておくことは、素直に自然に頑張る力をくれるのかもしれない。
現実では、一喜一憂し、心がざわざわしてしまうけど、おとぎ話の国は、ただきらきらと素敵な理想が瞬くだけ。だから、まっすぐに進めるのかもしれない。

私たちは、過去の恋を振り返るつもりが、もしかしたら、うっかり前を向いているのかもしれない。
私たちが、昔の恋、過去の恋人、かつて憧れだった、片思いの人、そういうものを思い出す時は、本当に前を向こうとしている時なのかもしれない。
過去に甘えていると見せかけて、乗り越える壁を自分で高くしているのかもしれない。

かつての恋に期待して、それが叶うと信じることは、未来の自分が理想の自分になっていると、信じて頑張ることと、同じなのかもしれない。

そして私はこの時思った。
わからなくなって、寂しくなったのは、未来の自分を信じることができなくなったからなんだ、と。

だったら、素直に、おとぎ話を信じたらいい。
おとぎ話が現実になったら、とても素敵だと思うから。
おとぎ話が現実にならなくても、信じていれば、理想の自分が、未来できっと、待っているから。

どこかの道端、カフェのランチ、会社帰りのワインの横で、昔の恋のあれこれが転がっていたら、きっと未来の世界は、ささやかな幸せに溢れている。
きっと、未来の恋に、繋がっている。

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