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ふるさとグランプリ

桜をきれいだと思わなくなったこと《ふるさとグランプリ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:かほり(ライティング・ゼミ)

 

桜の季節になると毎年訪れる場所がある。

奈良のとある病院に隣接する公園である。高台にあり、近くの寺の五重塔と池が見下ろせる。

太い桜の木がたくさんあって、遠くから見ると、桜色の巨大なブロッコリーが、ぼんっと埋まっているみたいだ。

観光地っぽい華やかさや、花見客の賑わいはなく、ただただ大量の桜が咲いているだけの公園だが、私は小さい頃からこの場所が好きだった。桜が咲くと必ず家族や友人とここに来た。四方八方どこを見渡しても夥しい数の桜。胸がざわざわとするほどきれいだと思った。

この公園で、友達とドーナツを食べたり、鬼ごっこをしたりした。家族と集合写真も撮った。隣の病院で入院生活をしている子と友達になって、桜の花びらをかき集めては、かけあった。

あまり知られていないのか、地元の人たちがぽつぽつ訪れるだけで、落ち着いている。バーベキューなどで賑わう川沿いの桜や、木の下をビニールシートで埋め尽くされてしまった桜はあんまり得意ではなかったが、この公園の桜は心にしっくりとはまった。こんな名所、みんな知らないなんてもったいないな、と思いながら、私もこの場所のことはなるべく秘密にしておきたくて、簡単には人に教えないようにしていた。

しかし、ここ数年この場所を訪れて、無数に咲く満開の桜を見ても、特別きれいだと思わなくなってきた。前みたいに、桜を見た時に胸の中からこみ上げるような感動がなくなってきたのである。数年前から、この公園に来ても「あれ、桜ってこんなもんだっけ?」と思うようになった。

「ああ、また咲いたのか」と思うだけの自分になってしまったことに気づいたのは、たしか去年のことだったと思う。それは、週に一回のペースで夕ご飯にカレーが出て来たときの「ああ、またか」の感覚である。

ああ、またカレーか。

ああ、また桜か。

私は焦りを感じた。桜を見てぞくぞくしていたあの感覚はどこに行ってしまったのだろう、あんなに大好きな場所だったのに、こんな満開の桜を見てもなんとも思わないんだろう。なんで? なんで? 事態は深刻である。幼いころのこの公園での思い出が、どんどん消え失せていくような気がした。かつて純真無垢だった心が年齢を重ねて、滅んでいったと思った。

例えるなら、「魔女の宅急便」でキキが突然ほうきで空を飛べなくなったときの焦りである。キキは、魔法が使えなくなった自分を、「何の取り柄もなくなっちゃう」とオソノさんにこぼす。

キキよりも10歳年上の私がキュートな魔法少女になりきるつもりはまるでないのだが、キキの焦りは自分のそれと似ていると思う。自分のことなのに自分のことがわからない。絶望に暮れている。

私は居てもたってもいられず、ついに昨年母に、桜を見ても全く感動しない旨を打ち明けた。すると、母はぽつりと「それは桜を見せたいと思う人がいないからやろね」と言った。最初は何を言っているのかわからなかった。とりあえずロマンチックなことを言っているんだな、と思っていた。

しかし、あとでよく考えてみるとたしかに、桜を見せたいと思う人がいればこの桜は美しく映るのか、大切な人と食べるご飯は美味しく感じるのと同じで、大切な人を思い浮かべて見る桜はきれいなのかな、と半ば納得した。桜がきれいだと思うから人に見せたい、のではなく、見せたい人がいるからきれいだと感じる、という発想にじわじわと衝撃を受けた。

私には今、桜を見せたい、と思う人がいるのだろうか。かつてはそんな人がいたから、桜がきれいだと思えていたのか。

いや、正直なところ私は今まで、大切な人を思い浮かべながら桜の木を見上げたことなんてなかった。自分の中から湧き上がる昂揚に酔いしれていただけであった。

しかし、今はそんな酔いも覚めてしまった。

きっと大切な人を思って見る桜の美しさは、私のこの直感的な味わいとは違う種類なのだろう。

私は、桜に対して純粋に感動しなくなったのは、きっと成長した証だ、と思うことにした。大人になって、小学校を再び訪れた時に当時使っていた机や椅子がやけに小さく感じるのと同じだ。

私は大きくなったのだ。

今は自分の感覚で桜を見てワクワクする時代は終わった。私が抱いていた、この公園の桜をみて感じた、震えるような感覚を、今度は誰かに分けてあげる時が来たのだ。一年に一度だけ訪れる束の間の桜の美しさを誰かと共有すべき時が来たのだ。桜人生第二章の幕開けである。

こうやって、私は桜を見て純粋にきれいだ、と感じない自分を受け入れた。

しかし私にも、誰かを思って、誰かに見せたいと願って、桜をきれいだと思える日が来るのだろうか……。魔法が使えなくなっていたキキが、トンボを助けるために、デッキブラシで空を飛べたみたいに。

今年は、まだ、あの公園に行っていない。ここ数日雨が多かった。もう散ってしまっただろうか。

でも、あの公園なら、私がふたたび桜をきれい、と思えるまで、気長に待ってくれている気がする。そんなふうに甘えてしまう。

***

この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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