ふるさとグランプリ

ふるさとがない《ふるさとグランプリ》


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記事:なみ(ライティング・ゼミ平日コース)

 

 

「出身はどこですか?」

よくこんなフレーズを聞くことはないだろうか。

初対面の人と仲良くなるとき、仕事関係の人とのビジネストークで。

今までの人生の様々な場面で、この言葉を聞いてきた。

 

 

私が、大学の授業を受けていた時の話だ。

先生が授業のネタにするため、私を指して質問をしてきた。

 

「あなたの出身はどこ?」

 

答えが決まっている簡単な質問なのに、不自然なほど、しばしの沈黙が流れる。

みんなが何かあったのか、戸惑い始めた頃になってやっと私は答えた。

 

「埼玉県です」

 

嘘だった。

私は嘘をついた。

 

本当の答えは「東京都です」

そう答えなければならなかった。

 

しかし、その後に東京都のどこ? 周りに何があった? どんな遊びをしたの?

そんな、詳細を聞かれて授業の腰を折るのを恐れて、埼玉県です、と言ったのだ。

 

 

私が生まれたのは東京都板橋区だ。

先祖代々のお墓も都内にあり、一応江戸っ子の血が私の体にも流れている。

しかし、初めて生まれた住所を見た時に、何の愛着もわいてこなかった。

 

そりゃそうだ、私が埼玉県に引っ越して来たのは一歳の時。

まだ鼻を垂らしてただただ泣くのを生業としていた頃だ。

 

 

私の東京都で過ごした記憶は一切ない。

だから、出身地はどこ? と聞かれても、東京都から話を広げることができない。

 

子供の頃からそれが寂しかった。

周りの子供は、出身地、つまりふるさとが埼玉県の子ばかりだ。

出身地もふるさとも隔てがない、埼玉県に生まれて埼玉県に育っている同級生たち、西武ライオンズや浦和レッズを熱く語る同級生たちを横目に見ていた

埼玉にいながらも、どこか埼玉県民になり切れていない自分がいた。

ださいたまでも羨ましかった。

私は胸を張って言えるふるさとが欲しかったのだ。

 

 

そんな思いを抱えたまま、話を大学時代に進める。

私はひょんなことから、図書館でアルバイトをすることになった。

 

図書館の所在地は、なんと自分の出生地。

生まれてから19年経って、初めて、出身地の地を踏むことになったのだ。

 

しかし、いざアルバイトを始めてみると、自分の出身地だからと言って働いていれば、そんなこと気にもせず、あっという間に、4年もの歳月が過ぎてしまった。

 

ずっと面倒を見てくれた先輩は、大学院の博士課程まで進み、結局4年間を共にすることになった。そんな先輩とは、必然的に気楽な関係になっていた。

 

 

ある日、仕事が終わって図書館の戸締りをしている時のことだ。

 

「今日、どうですか」

 

先輩が他のアルバイト内でもお気に入りになっている、中華屋に誘ってきた。

 

この4年間、お互いに時間の余裕があるときはラーメン屋に行くのが、ちょっとした楽しみになっていた。

 

「行きます!」

必ずと言って、二つ返事で返したものだ。

 

 

池袋から埼玉を駆け抜ける東武東上線、東京都板橋区に位置する大山駅の商店街を抜けたところに、その中華屋はある。

末っ子。

そう書かれた看板は、中華料理の煙に燻されて年季を感じる。

 

老夫婦で営むこのお店は、とにかくタンメンと餃子が絶品なのだ。

先輩が頼んだ紹興酒を少し、味見しながらタンメンと餃子を楽しんだ。

 

楽しいひと時の残り時間は、タンメンの残量と比例した。

 

タンメンの器が空になると、デザートにしょうもない話を添えてから、名残惜しくもレジに向かった。

 

店は夫婦二人で切り盛りしているが、奥さんはどうやら馴染みのお客さんと談笑中で、近くにいる人といえば中華一筋、いかにも頑固オヤジ、といった風貌の、レジ裏の厨房にいる旦那さんだった。

料理中であったからより、声をかけ辛くて、わざわざ遠くにいる奥さんを呼んだ。

そして奥さんがレジに来るまでの時間、それは起きた。

 

 

「2000万円ね」

 

突然聞こえた男の人の声。店の男性は、あの頑固オヤジしかいないはずだ。

声は確かに厨房から聞こえた。

 

厨房を見やると、頑固オヤジが笑いもせず、渾身のギャグの手応えを待っているではないか。

 

私は急いで笑った。

少し待たせてしまった分、やり過ぎなくらい大声で笑った。

 

その横でちょっとだけ笑った先輩は、

「出世払いで」と気の利いた切り返しをした。

 

それがオヤジには気に入ったらしい。

頑張ってよ、確かそんなことを言ったと思う。

 

けれども、言葉よりも今でも鮮明に残るのは、優しい笑顔だ。

 

 

なんてことない日常。ちょっとしたお客さんとの会話。

店主にとってはそうだったのだろう。

 

しかし私にとっては、特別な一日になった。

気軽に接してくれた中華屋の夫婦に、人の温かさを感じた。

まるで何年も通っている店、ずっと成長を見守ってきてくれたような。

人生の大先輩の大きな懐に抱いてもらったような、それはまるで祖父母の家に帰ってきたような感覚だった。

 

 

 

図書館で働くというと、子供への読み書きかせや、来館者に合う本を一緒に探したり、地元の人たちとの交流を持ったり。そんな想像をされるのではないだろうか。

もちろん、一緒に本を探すことはあったが、相手に合わせて本をお勧めしたり、そんなことは一度もなかった。

 

なぜなら、蔵書の全てが医学書だったからだ。

図書館の利用者は、一般の人はいない、全て看護学生や大学生、先生達だった。

そのため、ほとんどが東京都板橋区と地縁のない人ばかりだ。

 

そんな状況だったため、地元の人との繋がりが出来たのが、その日が初めてだった。

また行きたい場所、いや、また帰ってきたい場所。

今でも末っ子は、そんな位置にいる。

 

 

 

ふるさとは、生まれた場所?

いやいや、それだけではない。

 

ふるさととは、自分と人との繋がりが、生まれた場所のことを言うのだと、私は思う。

 

 

そこにふと思い出して穏やかな気持ちになる、そんな人がいれば、どんな場所だってふるさとになる。

 

自分の出身地で気付かされたのだ。

ふるさとがない、そんなの嘘だ。

私はすでに、素晴らしいふるさとを持っているではないかと。

 

たくさんの同級生たち、育ててくれた人たち。

いろんな思い出が、私の心を穏やかにさせる。

 

これからは、出身地を聞かれた時に、私は胸を張って言うだろう。

埼玉県です、と。

 

 

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