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転職したらスライムだった件


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:牛丸ショーヌ(ライティング・ゼミ)

「会社を……」で一旦、止めてその後は一気に吐き出した。
「辞めさせてもらおうと、思ってます」
本来、会社を辞めるかどうかは自由意志のはずだ。
もちろん就業規則にあるように「最低でも1ヵ月前に会社に申し出る」というルールさえ守っていればの話ではあるが。
しかし、僕が言いよどんだのにはワケがあった。
タイミングが悪すぎたのだ。

僕が東京の中枢にある支店の課長という管理職を拝命されて1年半が経った。
部下との関係も良好になり、チームとしてまとまりが出てきたと感じ始めた。
それでも僕は「会社を辞める」と決意したのだ。
なぜなら、このタイミングで転職先の会社から内定がでたから。

「和久田課長さぁ、本気で言ってるの?」
「は、はい。もちろんです」
相手は支店の橋爪副支店長だった。
僕の勤めている会社の支店内はトップを支店長とすると、その次に副支店長、次長、課長と管理職が続く。
地方の小さな支店であれば、課長の上がすぐに支店長のこともあるので、その距離感は近いが、僕のいる大きな支店は支店長の間に2名いるため、課長の立場でも気軽に話すことは難しい。
何か仕事中の相談事は必ず支店長に直接ではなく直属の次長か副支店長を通さないとならないため、意思決定のスピードは遅い。
これが組織で働くうえのジレンマだ。
僕がそう感じるのだから、部下は僕以上だろう。
僕の直属の上司は橋爪副支店長だった。

「それで、理由はなんでなの?」
さすがに「転職です!」とは言えない。
「実は地元の福岡に帰らないといけない理由ができまして……」
「それは、もう決めたの?」
「はい、決めました」
予想外ではあるが、事がスムーズに運ぶのではないかと期待感が湧いてきた。
18時をまわった時間帯で、大抵の社員は営業から戻ってきて事務処理に勤しんでいる。
応接室は2階にあるため、1階にいる社員は管理職どうしの単なる打ち合わせ程度にしか思わないだろう。

「それで、何月で辞めるの?」
「はい、さすがに今月末までとはいかないかと思いますので、来月末までを」
今日は6月2日だった。
つまり、7月末までの退職を望んだのだ。

「まだ上期が始まったばかりだしさぁ。せめて9月までは頑張るつもりはないの?」
「はい、もう決めました。こんな気持ちのまま長引いても周りに迷惑をかけると思いまして……」
「よし、分かった。決意は理解した。でも、辞める時期についてはもう少し考えてくれるかな? また1週間後に話しよう」
なんやかんやで1時間程度、慰留されてしまった。
もう意思を決めているのに、今さら頭を冷やす時間など必要ない。
それが本音だった。
ただ、新入社員からお世話になった会社だ。
嫌な気持ちでの退職だけは避けたいと思って1週間待った。

6月9日の夕方に時期を見計らって僕から副支店長を応接室に誘った。
「1週間考えましたが、気持ちは変わりません」
「よし、分かった。とりあえずは、ちょっと飲みに行こう」
「は、はい」
僕の支店で管理職が18時台に退社することは珍しい。
たとえば誰かとの会食がある場合も開始は19時か19時30分というのが通例だ。

自分の席に戻り、すぐに帰る準備をした。
部下を含めた周りが「何だろう?」と不信に思わないか気になりつつ、橋爪副支店長と一緒に退社した。

電車に乗り、橋爪副支店長の自宅近くの最寄り駅で降りた。
「ここだったら、誰かに会うこともないしね」
外観だけで高級そうな焼き鳥屋だった。
カウンターに2人で座る。
「とりあえず生2つ、あとはお任せで」

僕が転職先の会社と約束した入社日は8月1日。
時間はまだ十分にある。
理想は今月末まで出社して、1ヵ月を有給休暇の消化にする。
ただ、タイミングや時期を考えるとうまくはいかないだろう。
せめて、7月の上旬まで出社か。
まずは、橋爪副支店長を突破しなければならない。
僕は気合いを入れて臨むことにした。

いままで、何十人も会社を辞める人間を見てきた。
事前に聞いていた場合もあるが、いきなり聞かされることがほとんどだ。
営業会社である以上は次の後任者への「引継ぎ」がある。
いきなり「実は今週いっぱいで会社辞めるんです」はなかった。
それでも、身近で誰かが「会社を辞める」は周りに多大な影響を与える。
僕が今までそうだったからだ。
「和久田、お前も会社の限界が見えたときが辞めどきだぞ」
尊敬する先輩がそう言って会社を去っていった。
自分と親しかった先輩や同期、後輩が同じ職場で退職したときの、この何とも言い難い気持ち。
一時的に仕事に対するモチベーションが下がる経験を何度もしてきた。
僕が管理職である以上は、部下がそう感じないように努めなければならないことははっきりと自覚していた。

「で、さぁ。和久田課長も課長になって、1年半だっけ?」
橋爪副支店長は普段からフランクで話しやすい性格だ。
僕と年齢もそう離れていないこともあり、今まで良好な人間関係を保ってきた。
「そうですね」
「課長になって、ちょうど慣れてきた頃だし、今がいちばん良いときでしょう?」
「は、はぁ」
「部下たちはさ、和久田課長を父としたら子供なわけよ」
「は、はぁ」
「それがさ、お父ちゃんが突然いなくなったら、子供たちは路頭に迷ってしまうよね」
「ま、まぁそうですね」
「かわいい子供たちじゃない。みんなお父さんを頼りにしているわけよ」
「……」
正直、僕は「何だ、この心に響かない喩えは!」と思った。
副支店長が僕の退職を素直に受け入れたのか、それともまだ慰留してくるのか態度を探っていたがどうやら後者らしいと確信した。

「それでも、お父ちゃんは出ていくと決めたら、出ていかなければなりません」
僕はこの上手くない喩え話に乗ることにした。

生ビールはハイボールに変わり、1時間半が経過した。
僕は何度も「すぐに辞める」とはっきり明言したのに、「辞めるならせめて9月まで」で返されてしまう。
確かにそれは僕も申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
僕の会社は3月と9月に人事異動の辞令が出るため、僕が7月などという中途半端な時期に退職すると、僕の代わりに新しい後任がすぐに来ることが考えにくい。
つまり、9月まではいま支店にいるメンバーが誰か代わりを務めなければならない。
可能性があるのは橋爪副支店長だ。

仕事量が増えるのが目に見えるのだろう。
だからこそ、橋爪副支店長は必死なのだ。
結局その日、店を出てから帰り際に「明日、支店長に言っておくから」との言葉があり、長かったがようやく受け入れられたのかと胸をなでおろした。

翌日、朝から支店長と副支店長が1時間ばかり応接室に閉じこもっていた。
僕が退職したあとのことでも話し合っているのだろうか。
とりあえずは第一関門突破。
あとは、いつを最終出社日にするかだ。
今までに会社を辞めていった同期や後輩らから辞める際のアドバイスを聞いたが、ここまで時間を要するとは考えてもいなかった。
やはり、管理職になって辞めるのは、役がついていない状態で辞めるのとは違うのか。

6月11日。
僕が退職する意向を伝えてから9日が経過した。
支店長からの呼び出しはない。
普通は支店長から「聞いたぞ、分かった」とあってもよいのに。
僕はとてつもないストレスを感じていた。
会社を辞めると決めたのに、いつ辞めるか(辞めさせてくれるか)が決まらない。
ちょうど前々から計画していた有給休暇を消化して妻の実家に帰省した。
そして次に出社したのは16日だった。
まだ、何もない。
おかしい。
僕は焦り始めた。
どうなってるんだ。

僕は橋爪副支店長に確認した。
「支店長にはあの翌日に伝えた。何も話がないのは分からないから直接、言ってくれるかな?」
本当に伝えてくれたのだろうか、僕は訝しんだ。
「退職願」も書いて鞄に入れて、いつ提出してもいいように準備しているのに、一体どうなっているのか。

翌日は支店長が休みだったため、18日に僕のほうから支店長に打診した。
「支店長、聞いてらっしゃるとは思いますが……」
「おお、辞める話やな。聞いてる。オレは去るものは追わずの考えだから、辞めると決めたのなら仕方ないな」
その後、少し僕の今後を心配してくれる言葉があったがわずか30分であっさりと終了。
良かった。
やっと、受け入れてもらえた。
9月まで2カ月あるため、支店に迷惑はかけることになるが、開き直ることも重要だ。
自分には自分の人生がある。
辞めると決めたのなら前向きにならなければならない。

これで7月末に退職する道筋は立った。
次に重要なのはいつを最終出社にするかだ。
それは自分自身で残った仕事の処理状況とタイミングを考えて、はっきりと申し伝えなければならない。
自宅では地元に戻ってからの家をネットで探し始めた。
5年ぶりの地元。
候補の物件の間取りを見ながら妻とどこに住もうか話した。

6月24日。
翌日に賞与を控えて、支店長と面談することになった。
辞めることに対してはきちんと理解して頂いているようで好意的に感じた。
辞めるまでの間、ぎこちなくなるのは宜しくない。
「辞めるまではきちんと職務を全うしていけよ」
兄貴的な口調の支店長から愛のある言葉を貰ったと嬉しかった。
10年以上も働いた会社だ。
最期まできちんとやるべきことはやってやろう! 再びモチベーションが上がってきた。

6月26日。
退職届が受理された。
これが本社に提出される。
正式に会社を辞めることが決まったのだ。
何だか、自分のことではないような不思議な感覚だった。

7月に入った。
この会社での在籍はあと1ヵ月になった。
6月末までにやらないとならない営業ノルマや、退職に伴うストレスが原因か、体調を壊したりしたが、気持ちは穏やかだった。

7月2日。
橋爪支店長から呼び出しがあった。
「結局、最終出社はいつにするか決めた?」
「はい、18日でお願いしようと思います」
課長職をやっている以上、できるだけ会社に迷惑をかけたくない。
思い悩んだ結果、本音は11日としたかったが、1週間遅らせて18日に決めたのだった。
これは有給休暇40日あるのにたった8日しか使用しないことになる。
悔しいが、僕自身が決めたことだ。
「は? 18日?」
「はい」
「支店長からは、和久田はギリギリまで働いて引越しの数日だけ休みをもらいますというようなことを聞いていたけど?」
「僕はそんなことは言った記憶はありません」
一体、どこでそんな話になったのか。
確かに支店長の前ではなるべく会社に迷惑をかけないようにしますとは言ったが、なぜそれがぎりぎりまで働くということになるのか。
一体どこまで会社に尽くせばいいのか。
そこまで、義理を果たす価値のある会社なのか。
僕は呆れ果てたが、18日が最終出社というのは譲れなかった。
「分かった」
この一言が聞きたかった。
全てが終わった。
何て長かったのだろう。

実は僕が最初に退職の意思を伝えた6月2日の数日後に、別の支店にいる同期が同じく退職すると上司に話したらしい。
事はトントン拍子に進み、6月11日には7月末が最終出社で、8月はまるまる1ヵ月間有給休暇を取得することが決まっていた。
同じ会社なのにこの差は何だろうか。
確かに僕が課長職という役職だったのはあるが、明確な意思を伝えているのに、長々とここまで引っ張られたのは人の巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。

その翌日7月3日。
橋爪副支店長から話しかけられた。
「和久田さん、支店長に18日最終出社日を伝えたら、聞いていたのとは違うって言ってたよ」
「昨日も言いましたが、支店長とは具体的に最終出社日の話はしてません」
「ま、結局は分かったと言っていたけどね」
もう勘弁してほしかった。
これで、本当の本当に最後にしてほしい。

7月4日
支店内の全体会議で僕の退職が皆に伝えられた。
管理職は皆が事前に知っていただろうが、直下の部下や他のメンバーは初めて聞いたためか、店内がザワついた。

7月7日。
あと会社に出勤するのは11日だ。
このカウントダウンは背負っていた重みが少しずつ軽くなるような感覚を感じる。
日中、最も若手の部下である池本から携帯に連絡があった。
「課長の送別会をやろうと思ってます。何日が空いてますか?」
迷惑をかけることになる部下が催してくれるのは有難いし、嬉しかった。
「送別会尽くしで、唯一空いているのは15日だけど……」
「分かりました。その日で企画します」
部下は3名いたため、彼らも参加してくれるらしい。
「それで、課長、この送別会なんですが……
「ん? どうした?」
「実は、橋爪副支店長からは和久田課長の送別会とかやるなと言われてます。でも、僕らはお世話になった課長を送りたいので、こっそりやります。だから、内密にしてください」

僕は複雑な気持ちになった。
会社で行う送別会には2種類ある。
人事異動で動く人を送る場合と、自己都合で退職する人を送る場合。
僕は自己都合で退職する人を送る会は有志だけでやればいい、という考えを徹底してきた。
当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
だから、副支店長の気持ちも分からなくもない。
それでも事前に「やるな」とはあんまりではないか。
僕は寂しくなった。
別に送別会をやってほしいなどとは全く思っていなかった。
どんなに自分を成長させてくれて恩義がある会社で、楽しい思い出があったとしても、最後の印象が悪ければ全ての良いことが覆ってしまう。

7月15日。
部下たち3人が送別会を開いてくれた。
席上では辞める経緯とざっくばらんな話をした。
そして、約2カ月の期間、迷惑をかけることになり済まないという謝罪もした。
盛り上がっているところで、池本の携帯電話が鳴った。
着信は橋爪副支店長からだ。
「いいよ。無視して」
僕は今までの一連のことがあり、副支店長とは口をききたくなかった。
すると別の部下の携帯が鳴りだし、最後には僕の携帯に着信があった。
今は別れの場。
仕事外だし、出る必要はない。
それから30分が経った。
再び幹事をやってくれた池本の携帯が鳴り出した。
「しつこいな。出てみて」
会が始まり1時間半が経過したこともあり、池本に今初めて気付いた体で出ることを勧めた。
池本の声が漏れ聞こえる。
僕らがいるこの場所を教えているようだ。
悪い予感がした。
「課長、支店長と副支店長が今からここに来ると言ってます」
「はぁ?」

予感は的中した。
ワケが分からなかった。

15分後に現れた2人は、アルコールを急ピッチで体内に摂り入れ、僕らに追いついてきた。
「俺はさ、お前らが送別会を、もしやらなかったら、はっきり言ってその程度の人間としか思わなかったぞ。短い間でも、お世話になった人に対してはこういう場を設けて、感謝の気持ちを伝えないとな」
支店長が誇らしげにそう言う隣で、橋爪副支店長が深く頷く。
どの口が言うのか。
送別会をやるなと指示を出しておきながら、「指示を守らずに送別会を行うお前らを信じていた」という美談を信じる気は僕にはさらさらなかった。

18日、僕は最終出社を無事に迎えた。
会社を退職する際に、社内、社外問わず今までお世話になった人たちみんなに「退職の報告」と「感謝の意」を伝えるメールを一斉送信するのがもはや常識になっているが、僕にはそんなことを行う時間は1分もなかった。

普通は最終日なんて、荷整理や書類手続きなどの事務手続きを行い、定時退社時刻にはすんなりと帰れるものだと思っていた。
ところが、最終日の19時半まで社内の稟議書類の作成をしていた。
決して、事務処理が遅いわけではない。
大量に残っていて、誰かに託すことができないからだ。
全てを放って、逃げ出すこともできた。
でも、僕には責任があった。
20時から同じ社宅の友人たちが送別会を催してくれていたのだが、1時間も遅刻してしまった。
結局、「最期の日」を噛みしめて、感慨にふける時間的な余裕など僕にはなかったのだ。
なんだか、気持ちがフワフワとしていて「本当に辞めたのだろうか?」と思うこともある。
でも、僕は会社を退職したのだ。
これは真実だ。

13日間の休みを経て、8月1日から僕は地元に戻り、新しい会社で働き始めた。
そこで僕は気づくことになる。
「転職したらスライムになってしまった」ということに。
「スライム」とはRPGゲームのドラクエでおそらく冒険に出て初めに遭遇するモンスターであり、最も弱いということで認知度が高い。
僕は30代の半ばを過ぎていたのに、新しい職場では最年少だったのだ。
そして、もちろんこの会社では経験もスキルもないのだから最弱なのは間違いない。

だから僕は言いたい。
こんなに僕みたいに苦労して会社を辞めて、転職で次の会社に行ったとしても「スライム」になる可能性があるということを。
人生という「RPGゲーム」の主人公である僕は、せっかく「勇者」からスタートしたのだから、転職せずにそのまま経験値を貯めて、レベルを上げたほうがよいのかもしれない。
誰もが転職してすぐに「賢者」になれるわけではないのだ。
しかし、喩えスライムだったとしても、経験値を積めば、何かとてつもないモノに化ける可能性だってあるのだ。

※本内容は事実を元にしたフィクションです。

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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2017-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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