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富士山を登ると、自分がいま「人生」の何合目まできたのかを考えてしまう。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:牛丸ショーヌ(ライティング・ゼミ平日コース)

僕には「死ぬまでにしたいことリスト」なるものがある。
このリストは「死ぬまでにしたい10のこと」という映画を観てから思いついた。
「これ、いいなぁ。よし、自分でもやってみよう!」
そこに強い意志があるわけでもなく、軽いノリだった。
映画の内容はすっかり忘れてしまったが、とにかくやりたいことが多すぎる性分の僕は、きちんと紙に落とし込んで、実行可能かどうかを熟考してみようと試みたのだ。
リストと言っても、ノートに「したいこと」を書き連ねた落書き帳のようなお粗末なもの。
1つ1つ実現させて、横線で消していくときは快楽を感じた。
そのリストに書きこんだ「したいこと」の1つに、「富士山を登る」というものがあった。

福岡出身の僕が関東に出てきて3年が経過しようとしたときのこと。
今まで2年から2年半で転勤していたことを考えると、いつ動いても不思議じゃない。
関東から離れる可能性も十分にある。
「関東でやり残したことをやろう」という想いと、リストに書いた「富士山を登る」という願望が合致した。
季節は9月で、富士山を登れるのは最後の時期。
全ての条件が整った。
これで登らない理由がなくなった。
すぐに会社の後輩を誘い、レンタル会社で道具一式をそろえて、1週間後に強行することに決めた。

僕の周りには富士山を登った人が多いわけではなかったが、「アメトーク」というバラエティ番組で「富士山芸人」という特集があった回を観た。
そのときに、ある芸人が「登った人にしか分からないが、人生を富士山の登山に喩えた話がある」というのを覚えていて、自分も知りたいという欲求があった。

「登山」は昔から「海」と並んでよく人間の「人生」に喩えられる。
人がこの世に生まれて老いて死んでいく時間は、山を登って頂上に到達し、そして降りていく一連のときの流れに重なる。
僕は「登山」を趣味としているわけではないし、山に登ったことなど一度もなかった。
だから、登山というよりも世界的に有名な「富士山」を登ることに意義を見出していた。

登山当日。
バスで5合目まで連れてこられた。
ここはすでに標高2305メートル。
ツアーだったため、ガイド含めて全員で20名ほどいたが、年齢も性別もさまざまだった。
どうやら、初心者用の「吉田口登山ルート」という道順を辿るらしい。
9月とはいえ残暑で気温も高く、まだまだ暑い日だった。

当時は格闘技やマラソンもしていたため、足腰と体力には自信があったので、登ることへの不安は全くなかった。
むしろ、モヤシのような体型をした後輩が気になった。
彼は社会人になって運動らしいことをしたのは、「スノボー」しかないという。
「辛くなったらいつでも下山していいからな」
「はい、遠慮なく!」
僕らは軽妙な会話を繰り返しながら列に連なって歩を進めていく。
同じ職場に勤めていると会社や職場の人間関係のことに話題が広がる。
もともと真剣に「仕事」や「人生」について深く語り合う間柄じゃないこともあり、常に「笑い」を交えることを忘れずに登り続けた。

途中でびっくりするような岩場があり、険しい勾配もあった。
手をつき、脚を折り曲げる。
ゆっくりと落ちついて登る。
僕の両親とそんなに変わらない年齢とおぼしき夫婦もいたが、難なくクリアーしていく。
登山はマラソンと同じで年齢に関係ないものなんだなぁと驚いた。

昼の12時過ぎに登り始めたが、気が付くと17時になっていた。
山腹まで来て振り返ってみると、雲が僕らよりも下にあった。
妙な光景だった。
そして、見渡す限りの絶景。
随分と遠くまできたなぁと感じた。

何度か休憩時間があったが、トイレにも極力行かないようにした。
有料だし、列をなしている。
行きたくないと思う意志は、ある程度まで身体の生理機能を抑えることができる。

そうこうしていると、なんとなく、なんとなくだが頭に違和感があった。
頭痛というほどのものではない。
こめかみの辺りがむずがゆい。
親指でこめかみの少し上あたりをギュっと押してみる。
「高山病」という言葉を聞いていたが、どうやらその症状だろうか。
時間の経過とともに車酔いしたような何とも我慢できない気分の悪さになってきた。
少し座り込んで休憩をとる。
自分が情けない。

「大丈夫っすか? もっと休んだほうがいいんじゃないですか?」
後輩は気づかってくれたが、僕がこんなに苦しんでいるのに、どうしてお前は平然としているのか?
そういえば、僕は昔から車酔いが激しかった。
飛行機の離陸のときに耳が痛くなる。
新幹線でトンネルに入ったときにも同じ症状になる。
気圧の変化に身体がめっぽう弱いのだ。
自覚していた。
これだけはどんなに肉体を鍛えていてもかなわない。
気圧の変化に強い体質の人はまるでどうもないのだ。
悔しいがどうすることもできない。

売店で酸素を購入しようかと考えもしたが、何とかなるさと楽観視した。
頭痛を気にしていたら、足取りも重くなる。
後輩もさすがに疲れてきたのか、口数も減ってきた。
話題も尽きてきたのことも大きい。
会話していると気が紛れて時間の経過も忘れるはずなのに、役に立たない奴だと本人に愚痴りながら何とか8合目まできた。
ここは標高3100メートル。
山小屋で夕食と仮眠をとる予定だ。

カレーを食べた。
なぜ、外で食べるカレーはこんなに美味しいのだろうか?
何の隠し味もないカレーだった。
環境が人間の味覚を変えるのだろう。
ピクニックも同じ理論だ。
そして屋台も同じだと思っている。

すぐに食べ終えた僕らは二階の寝室へ。
布団がすでに敷かれており、荷物を置いて場所を確保した。
風呂には入れないので快適とは言えないが、明日は朝の3時には起きなければならない。
身体を横にして眼を閉じると、疲れていることもありすぐに眠りに落ちた。
意識を失う感覚に近い。

聞いてはいたが、一人に一畳もスペースはない状況でいわゆる雑魚寝だった。
全く知らないおっさんの顔が25センチくらいの距離にあり、寝息が顔にかかって気持ち悪い。
なるほど、横を向いて寝るタイプか。
僕は上を向いて眠る標準タイプで、寝相も美しいと定評があるが、その僕の顔に寝息が届くとはどれだけ荒いのか。
加えて、カエルの鳴き声のようなイビキも聞こえてきて、うるさくて何度も目が覚めてしまった。
オナラ、イビキ、寝息に加え、何かがうごめいているような得たいの知れない音。
こうやって耳を澄ますと、人間とは常に何かしらの音を発する動物なんだなぁとしみじみと感じた。
一つの部屋に総勢20人くらいで寝ていたのだろうか。
見知らぬおっさんとこんなにも密接して寝ることは今後、人生においてないだろう。
仮にお金を貰っても、御免こうむりたい。
ただ、貴重な体験には間違いない。
何だよ、この状況は? 
めちゃくちゃ面白いと愉しみながらも再び眠りに入る。

何時間か経ったのだろうか?
ほんの数分前に眠りについたような寝起きの悪さ。
もうすでに起きている人たちがゴソゴソと荷物を漁っている。
足腰が重い。
そしてまず感じたのは寒い。
これが、標高3100メートルの気温か。

何年か前に短パンとサンダルで富士山を登ろうとした若者が途中で救助されたというニュースをみた。
「バカだなぁ、山を舐め過ぎているととんでもないことになる」とつぶやいていたっけ。
そして、自分は?
レンタルの中に入っていたフリースの下に着ていたのは、ロングのTシャツと下着のみ。
その若者とは大違い……の、はずだった。
いやいや、寒い。
おそろしく寒い。
もともと代謝がよくて寒さには強い体質であるが、震える寒さだ。
「先輩、それはヤバイっしょ」
後輩が軽口をたたく。
彼は僕より2枚ほど着込んでいるらしい。
そして、眠さと寒さの中で頂上を目指す列が進みだした。

「低体温症」という症状を僕は知っていた。
自律的な体温調節の限界を超えて寒冷環境に曝さ続けた場合、身体機能にさまざまな支障が生じるという。
僕の場合は身体の震えが止まらなくて、思考が鈍くなってきた。
帰ろうかな、進もうかな。
帰ろうかな、進もうかな。
歩を進めながら考えていることはこれだけになった。

ここまで来て、挫折するの?
情けない。
しかも、陸ではあんなに身体を鍛えているくせに。
心の声が聞こえてくる。
いや、進もう。
進まなければならない。

今思うと、本当に危なかったのかもしれない。
歩きながら眠かったのだ。
よく映画やドラマの凍死しそうな場面でみる「眠っちゃダメだ!」というセリフ。
こういうことか。
ヤバい、本当に眠い。
身体が震える。
でも、耐える。
そして、進む。

気が付くとうっすらと夜が明けてきた。
この時間に頂上へ向かうのは「日の出」を見るためだ。
高山で見る荘厳な日の出の景観を「御来光(ごらいこう」と呼ぶことを初めて知った。

九合目を過ぎる。
標高3600メートル。
そしてついに山頂の十合目に到達。
夜が明けるに従い、気温が上がってきたのだろうか。
身体の震えが少し治まってきた。

御来光は残念ながら雲の影響で見れなかったが、何分後かに美しい太陽を拝むことができた。
待っている間も小刻みな震えが止まらなかったが、太陽が姿を現し、辺りを照れし始めるとさらに気温が上がってきたのを感じた。
いつの間にか震えも完全に治まって、体調もよくなってきた。
しばらく、山頂の景色を楽しんだ後は自由解散だった。
僕らは滑りながら下山した。
比喩ではなく文字通り、滑りながら降りた。
山道が螺旋状に続いているが、低い崖を滑ることによりショートカットするのだ。
おそらく、下山選手権があったら結構なタイムでフィニッシュできたのではなかろうか。
わずが2時間でスタート地点の五合目まで降りてきた。

これが僕の最初で最後の富士山の登山体験だ。
もう二度と登るか、そのとき僕は固く誓った。
それに僕のような軽薄な人間が神聖な「山」を登ること自体が失礼だ、そう思った。
しかし、この体験から多くの気づきを得ることができた。

まず、テレビの芸人が言っていた「登った人にしか分からないが、人生を富士山の登山に喩えた話」というのが理解できた。
富士山は登っている人間が何合目を明確に把握することができる。
僕らは生まれたからには山を登るしかないのだ。
これは、加齢の喩え。
母の胎内に引き返すことはできない。

そして最も苦しかった八合目。
頂上を人生のピークとするならば、ここはその一歩手前というところか。
この八合目をどういう心境で迎えることができるのか?
楽に登ってきたのか。
苦しみながら登ってきたのか。
人それぞれであるし、登った人間にしか理解できない。

一休みした後でその先には山頂が待っている。
自分の人生で最も良いときだ。
価値観はさまざまであるが、僕は苦しみ抜いて山頂を迎えたいと思う。
そのほうが、頂上からの景色も一層、美しいような気がする。
どれくらいの時間、山頂にいれるのだろうか。
いや、どれくらいの早い時期に山頂に辿りつけるのだろうか。
早ければ良いというものではない。
いつまでも山頂に居続ける人間は選ばれた人間だ。
その後には必ず、下山が待っている。
それは置かれた状況のことかもしれないし、肉体的なことかもしれない。

このように登山は「人間の人生」そのものだ。
登った人にしか分からないこの感覚。
福岡に住んでいることもあり、富士山に登ったことがある人とは今のところ出会ったことはないが、いつか会えたならば「富士山トーク」をしたいと思っている。
「いま、人生の何合目まできた?」
そう訊かれたとき、僕はどう答えるだろう。
下山の早さには自信があるが、まだそのときではないことは確かだ。

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2017-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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