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メディアグランプリ

精根尽き果てた彼女がもらったものは


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:うらん(ライティング・ゼミ)

友人が他県のマラソン大会に参加した。山梨県の『桃源郷マラソン大会』という。
そこは彼女の故郷ではない。“咲き誇る桃の花を見ながら走ろう”というキャッチフレーズに惹かれてエントリーした。だから、知人は誰もいない。
彼女は、これまでいくつかのマラソン大会を経験しているので、完走する自信はあった。富士山を眺めながら温泉に浸かってから帰ろう。そんな胸算用までしていたくらいだ。

当日は、ちょうど桃の花の満開時で、今年は開花の遅かった桜も同時に咲いている。スタートしてしばらくは、そんな景色を愛でながら走った。
ところが、中盤にさしかかったあたりから、身体がバテてくる。どうしたことだろう。そういえば、このところずっと走っていないしな。そんなことを思いながらも、何とか走り続ける。時々ふくらはぎが痙攣をおこした。呼吸も苦しくなってくる。足を前へ運んでいるつもりなのに、進んでいる感じがしない。小雨も降ってきた。急に身体が冷えてくる。前にも後ろにもランナーがいない。苦しくてもうだめだ。もはや桃の花どころじゃない。その場にへたり込みそうになる。いっそのこと棄権してしまおうか。ゴールまで残すところあと1、2キロだ。でも、もうへろへろ。もう限界。

その時だった。
「そこのお姉さん、頑張ってぇー!」
誰かの声援が聞こえた。
声のする方を見ると、知らない人たちが自分を応援してくれている。
ふいに力が湧いた。
ありったけの力をふりしぼって、そちらに向かって答える。
「ありがとうございますぅー」
すると、もっと大きな声で返ってきた。
「こっちこそ、ありがとうー!」

見れば、沿道にいる人たちが、右側からも左側からも、自分に声をかけてくれている。小さな子どもが傘をさして、こちらに手を振っている。

友人に、俄然ちからが湧いてきた。
そして、また走り始めた。
ついさっきまでは棄権すら考えていたのに、自分の中にまだこんな力が残っていたのかと驚くくらい、足は前へ前へと進む。気落ちも前へ向かった。

「ゴールしたあと、ボランティアの人が入れてくれた麦茶の美味しかったこと!」
そう話す友人の目が、斜め遠くを見つめている。まるで、その時のことを頭の中でもう一度味わっているようだった。

言葉は力を持つ。
もう力が尽きたと思っていた彼女を再び走らせたのは、ポカリスエットではなかった。バナナでもなかった。ましてや彼女の意地でもない。
それは、沿道の人からの言葉だった。
見ず知らずの人たちから送られた応援の言葉が、ほとんど諦めかけていた彼女の心に再び火を灯したのだ。

ああ。これだった。これだった。私がライティングを始めた動機はこれだった。こいうことが、原点なのだった。
この頃は、そのことを見失いがちになっていた。どんな内容なら注意をひくかな。どんな書き方をすれば読んでもらえるだろう。そんなレトリックにばかり気を取られていた。
だが、そうやって上手く書いたところで、その文章が、読む人の心に何かを語りかけるとは思えない。それは、書いている私が絞り出した心からの言葉ではないからだ。

「頑張って」なんて、ありきたりな言葉かもしれない。
でも、それが使われる「時」と「場」によっては、深い意味を持つ。
言葉はこの世にあまたある。だが、例えば、つい最近母親を亡くした人がいたとして、その人は母親が作る卵焼きが天下一品だと思っていたとしたら、つい先日までの「卵焼き」という言葉と今日の「卵焼き」という言葉とでは、その人にとってその言葉のもつ響きは違ってくるだろう。
こんなとき、言葉に意味が宿る。言葉が力をもつのは、そこに気持ちが込められているときだ。決して、格言めいた言葉や聞こえのよい言葉ばかりが、人のこころを打つとは限らない。
「頑張って」という言葉も、この日この時の彼女には、消え入りそうな心に息吹を吹き込む珠玉のような響きをもったものだったに違いない。

私がライティングを始めたのは、まさにそういう言葉を紡ぎ出したいからだった。
自分の書くもので、誰かが心を動かしたり共感してくれたりしたら、どんなに嬉しいだろう。ときには、私が書いたものが、萎えた心を癒す安息所であったり、渇いた心を潤わせる泉であったら、こんな幸せなことはない。
それは、決して決して、皆を幸せにしてあげようなどと驕った気持ちから言っているのではなく。
沿道で応援していた人たちが、甦ったランナーの「ありがとう」の言葉に「こちらこそありがとう」と呼応したように、自分の発した言葉で相手の心に火が灯るのを見るのは、言葉を発した側にとって、大きな、大きな喜びとなるからだ。

心が挫けてしまったとき、何かに打ちひしがれているときでも、ひとつの言葉に救われる思いをすることがある。それほど言葉というのは価値のあるものなのだ。

書くことで、読む人の心に火を灯したい。
それは、まわりまわって、私の心を灯す炎となる。

***

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2017-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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