社会人1年やったら、「大人」になるのをやめたくなった。
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記事:かほり(ライティング・ゼミ日曜コース)
満員電車を想像してみてほしい。見知らぬ人同士、密着し合って揺られながら、駅に到着するのをじっと待っている。逃げ出したくなっても、電車は止まってくれない。暴れたくなって暴れても、周囲に迷惑をかけるだけで、状況は変わらない。じっと立って、待つしか方法がない。足を踏まれても、押されても、我慢。これだけ密着し合っていても、お互い言葉を交わすことはない。人を人と思ってはいけないのだ。できるだけ無心でいることを心掛ける。自分の感情に左右されていては、駅に着くまでにくたくたに疲れるだけである。
仕事とは、こんな世界だと思っていた。
社会とは、満員電車。
それに揺られるのが大人。
お金を稼いで食べていくためには、我慢は当たり前だ。
嫌なことがあっても、仕事を放り出してはいけない。
喜怒哀楽に任せて行動したら、仕事にならない。
理性を働かせて、冷静にふるまうのが大人。
学生の私は、社会とはこういう世界だと思っていた。
高校一年生の1学期のこと。念願の学校に入学したが、クラスに上手くなじめず、学校に行くのが苦痛で仕方がなかった。毎朝憂鬱で、登校するまでの長い上り坂を、重い足を引きずりながら無理やり登校していた。ましてや進学校だったから、周りの生徒は勉強ができて、自分はそれについていけなかった。まともに友達を作ることもできない、中学であれほど得意だった勉強に今はまるでついていけない。劣等感に押しつぶされそうだった。一学期終わりの個人面談で、私の赤点だらけの成績表を見た担任は、「こんな点数の取り方、教師に失礼や」と吐き捨てた。私はこの時幻滅した。大人という生き物に失望したのである。教師に失礼のないようにいい成績をとるのが生徒の本分か。毎日クラスで息苦しい思いをしている生徒がいるのに、そんな奴の気持ちは無視か、と。私は、教師という大人は生徒のことを生徒として見ていない、成績表に映る数値として見ているのだ、と思った。
大学時代、パン屋でアルバイトをしていた時のこと。地元の主要駅の構内のパン屋だったので、ラッシュ時の混み具合は目が回るほどだった。レジには多くの客が列をなし、たくさんパンを持ってきたおばさんに「電車に間に合わへんからもっと急いでくれへん?」とイライラされたり、仕事帰りの疲れ果てたサラリーマンに「千円でよろしいでしょうか」と確かめると、「出しとるから千円に決まっとるやろが!」とお札を投げつけられたりした。しかし、絶え間なく来る客のレジをこなすためには、そんなことでいちいち動揺してはいられない。私はお客さんを「人」だと思わないようにした。
閉店時には、たくさん余ったパンをゴミ袋に入れて捨てた。毎日100個以上、多い時は500個以上に上ることもあった。職場の人たちは、無言でパンを捨てていた。だから私も無言でパンを捨てた。ゴミ袋にバサっとパンの入ったカゴを入れれば入れた分だけ疲労がたまっていったが、閉店作業を早く終えるためだけを考えて、無我夢中でパンを捨てなければならない。職場の人は、パンがよく売れると、「パン捨てる量が減るね! 今日は早く帰れそう!」と喜んでいた。もったいないとかそういう感情は持ってはいけなかった。
ここで私が言いたいのは、高校教師は自分の気持ちをわかってくれないとか、駅構内のパン屋の接客は大変だったとか、食品ロスを解決すべきだとか、そういうのではない。
大人の世界に入る、すなわち働いて生きていくためには、物事に感情移入していてはいけないのだということである。一クラス40人も抱える担任が一人一人の生徒の思いを大事にしていては、仕事が前に進まない。無謀な要求をする客や暴言を吐く客にいちいち腹を立てたり、パンを捨てる時に、小麦農家の人やパン職人の思いとか、食べる時のふわふわした感触とかに思いをはせたりしていては、仕事にならないのだ。生徒を生徒と思ってはいけない。人を人と思ってはいけない。食べ物を食べ物と思ってはいけない。
そうじゃないと自分が疲れ果てて、滅んでしまう。
他の職業でもきっとそうだ。医者は患者が死んでもいちいち悲しみに暮れていては他の患者の治療ができない。鉄道会社の人は、人身事故が起こっても、線路に身を投げた人がどんなものを背負っていて、どんな思いで飛び込んだのかを考えていては仕事ができない。塾の先生は、多くの生徒を偏差値の高い学校に行かせることを考えて、一人一人の生徒の気持ちなんか考えない。学校の先生は、生徒のいじめや不登校問題に関しては、親や教育委員会への対応を真っ先に考えなければならない。
私は学生の頃、こんなふうに「大人」に対して諦めの感情を抱いていた。
どうせ人と人とは分かり合えないことの方が多い。
社会に出たら我慢することだらけだ。
だから感情的になってはいけない。我慢の度合いを軽減するために、できるだけ自分の感情は持たない方がいい。
仕事なんてお金をもらえればそれでいいのだ。
平日は「大人」の自分を演じて、休日には自分の思うように、好きなことをすればいい。
そういう生き方でいいや、と思っていた。
だから、仕事はできるだけ楽な方がいい。
安定してお給料をもらえて、残業も少なく、休日もちゃんとある。
そんな場所に勤めるべきだ、と信じて疑わなかった。
満員電車ではなく、できるだけ空いた車両に乗り込もうと必死だったのだ。
大人の世界なんて幻滅することばかりである。
だから 、好きなことを仕事にしてはいけない。好きなものが好きでなくなってしまうから。
そんな道を自ら選び、1年が経った。
毎日8時間、会社という組織の一員として任された仕事をする。
電車に揺られて帰路につく。
ご飯を食べ、風呂に入り、寝る。
すぐにまた朝がくる。
1日があっという間に終わっていく。
同じことの繰り返しで、1週間があっという間に終わっていく。
それの繰り返しで、1か月があっという間に終わっていく。
なんてことのない生活である。
むしろ何の不自由もない、ありがたい生活である。
しかし、私は日が経つにつれて恐怖を感じてきた。
私は毎日、時間が経つのを待っている。
いや、もっと言うなら、時間を乱雑に使うようになった。
早く時間よ、経て、と願う自分がいる。
まるで、カレンダーの日付に自らバツをつけて、毎日をつぶしているかのようだ。
時間が早く経ってほしいから、愛想笑いでごまかす。
謝らなくていい場面なのに、謝ってその場をやり過ごす。
人身事故で通勤電車が遅れていると聞き、ため息をつく。
それでいて、自分が何に向かっているのかわからない。
むしろどこにも向かうべき場所がない。
急いでいるのに、目的地がない。
まるで、環状線の満員電車にただただ揺られているだけのようだ。
こうして1年過ごしていると、時間が一瞬で過ぎ去ってしまった。
あまりにも淡白に、毎日が終わっていった。
そのことに、私は大きな危機を感じた。
このまま社会という満員電車に乗って、あの頃幻滅した「大人」という生き物に自分もなって、気がつけば年を取って、死んでいくのか?
あの頃の大人への「諦め」が 「諦め」のまま終わっていくのか?
生徒を数値でしか見ない教師に、店員に大量のパンを平気で捨てさせるパン屋に、何も抗えないまま死んでいくのか?
私は、大人というものを、社会というものを、達観したつもりでいて、本当はそこから逃げていたのだ。逃げて、逃げて、早く時間が経つのを待っていた。
でも、自分はどこにも向かっていなかった。
社会人になってから1年が経った今、自分の乗っている満員電車からすぐさま降りたい衝動に駆られている。それは、今の仕事を辞めたい欲求とは少し違う。
人間を人間だと思いたいのだ。
ただ、時間を、命を、噛み締めて生きたい。
自分の感情を大事にしたい。
社会人として世に出たからには、時には我慢しなければならないこともあるだろうし、割り切らないといけないこともあるだろう。しかし、自分の感情を押し殺すことはしたくない。
苦しいことは苦しいし、哀しいことは哀しい。ムカつくことはムカつくし、イラつくことはイラつくのだ。理不尽なことには腹が立つし、傷ついたら泣きたくなるのだ。
感情に揺さぶられる勇気を持っていたいと思う。
「そうして、一体どうなるのか?」と言われれば、それはわからない。
自分がこれからどこに向かうのかもわからない。実際、今の仕事を続けるのかもわからない。
でも、自分に正直に生きていたい。そうすれば、他人の感情に、他人の人生に敏感でいられると思うから。
自分の人生に時間をかけて過ごしていきたい。生きている限り、できるだけ多くのことを感じていたい。
今はただ強くそう思うのだ。
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