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プロフェッショナル・ゼミ

「あたし霊感があるの」と言う女について《プロフェッショナル・ゼミ》


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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:石村 英美子

「うわ、何連れてきたの……」

ゆう子ちゃんは私が現れるなり顔をしかめた。彼女の視線は私ではなく、私の左肩の上、空中を見ている。他の人に同じことをしているのは何度か見たが、私にやられるのは初めてだ。何を連れてきたのかと聞かれても、私は何も連れてきた覚えはない。

「えっと、なんか居る?」
「うん、ここ来る前に、霊園とか寺とか行かなかった?」
「行ってないよ。あ、神社抜けて来た」
「それだ!」

……どれだよ。
この場合「えっ!? なに何?」とか言いながら戸惑うのが正解なのは分かっている。でも私はそれに付き合ってあげられるほど人間ができてないし、社交上手でもない。「えーーっと……」とマヌケな事を言いながら誤魔化そうとしてみた。が、ゆう子ちゃんは決して逃してはくれない。

「ちょっ、そこ座って」
「あ、はい」
「本当は、もう一回そこに戻って離れてもらう方がいいんだけど」
「もう日も暮れたし……」
「うん、夜は行かない方がいい。一応やってみるね」

何を?
ゆう子ちゃんはカバンからジップロックに入れた「粗塩」を取り出し、私の肩口にパラパラ振った。ドトールコーヒーで下味を付けられるのはなかなか恥ずかしい。隣の女性が、見ないふりしてガン見している。でも、やめてくれとはなぜか言えない。ゆう子ちゃんは何かをブツブツ唱えた後、私の背中をバシバシ叩いた。ちょっとむせたが、我慢できない痛さではない。

「多分、大丈夫だと思う」
「あ、ありがとう」

全くもって腑に落ちないが、一応お礼は言った。ゆう子ちゃん曰く、私付いて来ていたのは亀が大好きだった小学生の男の子で、交通事故で亡くなったのだと言う。確かに私が通って来た神社の池には亀がたくさんいて、天気のいい日には「親亀の背中に子亀を乗せて子亀の背中に孫亀……」的な光景が見られる。男の子はそこにいて、通りがかった私にうっかり付いて来たのだそうだ。

うそやん。

私は、こう言った話は信じない。ゆう子ちゃんは私の家を知っていて、神社のひょうたん池だって知る術がないわけじゃない。私の行動パターンだって分かっているだろう。亀がいれば必ず池を見るし、鳩がいれば餌をやる、赤ん坊がいれば変な顔をするし、猫がいれば撫でくりまわす。事実、その池で私はしばらく亀を眺めてからここに来た。彼女は蓄積したデータに基づいて、話をでっち上げたのだ。

ゆう子ちゃんの事は基本的に好きだが、この部分に関してだけは、ちょっと苦手だ。にも関わらず「それって嘘じゃね?」と言えないのは、それが彼女のアイデンティティーであり、犯すべきではない領域なのが分かるからだ。

ある種の人間は、この手口で人の気を引こうとする。
「霊感がある」
これは、何も持たぬ人間が「特別な人間」になる手っ取り早い方法だ。だいたい子供の虚言がこじれたものだと私は認識していて、超能力があるだとか、予知夢を見るだとか言うのと同じようなものだと考えている。そう言い続けることで、彼女らが生きやすくなるなら、別に我慢できないほどでも無い。ゆう子ちゃんは「念のため、ちょっと分けてあげるね。これ、ちゃんとした塩だから」と、ペーパーナプキンで塩を包んで私に持たせてくれた。私がゆう子ちゃんにとって「気を引いておきたい相手」であるしるしとして、ありがたく御塩を頂戴した。

しかし世の中には、こう言ったものにあからさまに敵意を示す人もいる。
インチキだ。イカサマだ。科学的根拠がない。
やたらと糾弾したがる人たちは、虚言癖の人たちよりもっと苦手だ。そんなの、インチキやったら放っておいたらええやないですか、幽霊の一人や二人居たってあなたの腹が痛むわけじゃなし、と思ってしまう。その熱のこもり加減に(それが正論であっても)うんざりし、必要以上の暴言に「そんなにひどい言い方しないで」と、かばいたくなるのだ。

そう、かばいたくなる。自分は信じてないくせに。

理由ははっきりしている。
私は心の中で「母親」をかばっているのだ。
母は「霊感がある女」だった。

物心ついた時から、お母ちゃんは死んだ人に会った話を普通にしていた。数年前に亡くなった親戚のおじさん、病院の大部屋で一緒だったおばあちゃん。世間話の登場人物に、平気でこの世ならざる御仁が混じっている。そんな中で育ったので、真夏の心霊特集番組を見るにつけ「なんか、怖がらせようとしすぎだなぁ」などと思っていた。

子供だった私は、母の話を虚言だなんて思ってはいなかったが、だからと言って全部が本当だとも思っていなかった。ただ、「お母ちゃんにとっての本当」なのだと思っていた。

しかし、お母ちゃんの言うことが怖くない訳じゃなかった。
「観音様が、喉が乾いたって言っている」と言い出し、裏山にある観音堂に連れだって行くと、小動物が荒らしたのか、お供えの水が入ったコップが割れてしまっていたり、何も聞こえないのに「救急車が来た」と言った数分後に訃報の電話がかかって来たり、知り合いのおじさんに挨拶した後、ボソッと「ジョン(犬)は死んで何年も経つけど、まだおいちゃんに着いて来ちょるねぇ」と言ったり。だから、お母ちゃんが無言で私の顔をじーっと見ていると、何を言い出すのかと怖かった。これがテストの赤点の事などだったら「なんだ」とホッとしたくらいだ。別の意味で怖かったが。

ただ、一度だけ、本当に嫌だったことがある。

夏休みも近い七月だった。中学生の私は、高熱を出した。風邪は引いてない。お腹も壊してない。ただただ、熱だけ39℃まで上がった。そこまでしんどくなかったが、はたから見たらフラフラとはしていたようだ。おかゆを作ってもらったが、あまり食べられなかったので、妹が谷口商店で買って来てくれたホームランバーを食べた。扇風機に当たりながらアイスを食べると、すごい速さで解けるのだなぁ、などとぼんやり考えていた。

お母ちゃんは、眉間にしわを寄せて私の顔を見ていた。「わー、見てるー」と心の中で思っていた。そして、アイスが棒だけになると、お母ちゃんは言った。

「車に乗んなさい」

命令口調だった。ベタベタになった手を洗おうとしたが、お母ちゃんは「いいから」と私を急がせた。軽自動車の助手席に座り、シートベルトを締める間も無く車は発進した。病院に連れて行かれるのだなぁと、当然のように思っていた。しかし、車は市街地をそのまま抜け、じいちゃんちの山の方へ向かって行った。疑問でいっぱいだったが、何も訊けなかった。ハンドルを握るお母ちゃんが、ものすごく怖い顔をしていたからだ。そうしてそのまま山道を抜け、現在でも携帯が圏外になる山奥のじいちゃんちに着いた。

お母ちゃんはエンジンを切りサイドブレーキを引くと、無言で山に登って行った。手には線香とマッチを握っていた。私も後を追って山道を登ったが、どうにも体が重くてどんどん引き離された。

暑いのと熱があるのとでクラクラしながら、細く滑りやすい山道を登った先に、納骨堂があった。竹山を切り開いて作られた納骨堂は、そこだけぽっかりと浮かぶように陽が当たっている。

お墓の前で、お母ちゃんは何かを睨みつけていた。私がそばまで来ると、低い声で言った。

「……いいかげんにしやんよ」

私に言ったのではなかった。お母ちゃんはまっすぐ前を見たままだった。そしてこうも言った。

「ちゃんと連れて来たけんが、もうよかやんね」

誰と話しているんだろう? しかし、それを尋ねることは出来なかった。お母ちゃんは線香の束に火を着けると、半分を私に手渡した。促されるまま墓石に大量の線香をあげ、目を閉じて手を合わせた。蝉の声と、竹の葉が擦れるザワザワという音と、遠くでかすかにチェーンソーの音が聞こえた。

「帰るよ」

目を開けると、お母ちゃんはもう来た道を戻ろうとしていた。置いて行かれたくなかったので、小走りで付いていこうとすると、お母ちゃんは「またお盆に来っでねぇ」と振り向かずに言った。それも、私に言ったのでは無いようだった。

再び車に乗り込んだ時に、体が軽くなっていることに気付いた。帰りに寄り道して、流しそうめん屋さんでそうめんを食べた。美味しかったのでおかわりをして食べた。家に帰り着くと、妹がカレーを作るためにジャガイモと人参の皮をむいていた。続きを手伝おうかと思ったが、とても眠くてすぐに寝入ってしまった。

目が覚めると暗くなっていた。もう夕飯は終わっていて、カレーの匂いがした。お母ちゃんは、叔父さん、つまり自分の弟に電話をしていた。
その話の内容から、大体のことが分かった。

お母ちゃんによると、原因はじいちゃんだった。
二年前に亡くなったじいちゃんは、わがままでちょっと偏屈な人だった。喘息で入院していて、付き添いが必要でも(お母ちゃんを含む)来てくれた人の言うことを聞かず、きつい言い方をして当たったりした。どうしても大人が来れない時には、孫たちの中で一番年長の私が付き添いに駆り出された。

じいちゃんは昔の人にしては背が高く、嶋田久作のような風貌も手伝ってか孫たちから怖がられていた。私はじいちゃんが好きでも嫌いでもなかったが、じいちゃんはおそらく私のことが好きだった。薬を飲みたくないとか我儘を言う事も無かったし、じいちゃんの好物「ミロ」を作ってあげると「英美子が作ったとが、いっちゃん美味しか」と言っていた。じいちゃんと過ごした最後の春休みの終わりには、お小遣いを五千円くれた。どケチで有名だったじいちゃんが「小学生に五千円もやるなんて」と親族がざわついたそうだ。

先週じいちゃんの三回忌法要があったが、私は部活の試合があって行かなかった。お気に入りだった私が来なかったことで、じいちゃんは少し腹を立てたようなのだ。

「じいちゃんは、何でも思った通りにならんとすまんかったでねぇ。もう熱は下がっちょるけど、今度またしたら怒るよ、って言って来た。しかし、死んじょっても、性格は変わらんとやねぇ」

何それ。私、じいちゃんにたたられたの?
何だか腑に落ちなかったが、お母ちゃんはまるでただの「しょうがない人」としてじいちゃんの話をしていた。当たり前すぎて、私に説明さえしなかったくらいだ。

ただ、この件に関しては腑に落ちない代わりに怖くも無かった。あのじいちゃんなら、やりそうだ。怖かったとすれば、納骨堂に行くまでのお母ちゃんの醸す空気だけだった。本当にじいちゃんのせいで熱が出たのだとしたら、それは嫌だけど「じいちゃんか……しょうがないなぁ」と思うしかない。ほんとに嫌だったけど。

あれから随分年月が経ち、私はあの時のお母ちゃんと同じくらいの歳になった。お母ちゃんはもう完全に「おばあちゃん」の歳になっている。あの頃のように、するすると山道を登ることは、もう出来ないだろう。近ごろは、あまり故人に会った話もしなくなったが、お母ちゃんの周りの人々はもう多くが「故人」になっているから、今でも以前と同じように亡くなった人たちに会うのなら、忙しくてしょうがないと思う。

現在の私は、幽霊とかそういうのを信じない。
こんな母の元で育ったのにもかかわらず、いつの頃からか死んだらそれでおしまいで、この世からは綺麗さっぱり消えて無くなるのだと考えるようになった。その人が残した仕事や考えは残るかもしれないが、都合の良い「幽霊」的なものは生きている人間の頭の中で像を結んでいるだけだと思っている。

だけど。
別に居たって構わない。
お母ちゃんの見たもの感じたものが、本当でも嘘でもいい。あの時、私の熱はちゃんと下がったし、「娘を法事に連れて行かなかった」というお母ちゃんの負い目も解消された。ゆう子ちゃんがした事も、元気が無い私に架空の原因を作って追い払おうとしてくれたのかもしれない。

私はこう捉えている。
幽霊は、ストーリーだ。人が人の心を救うためのストーリーなのだ。
だって、思いを向ける対象が「無」になってしまったなんて、そんなの辛すぎる。だから、無いものを「ある」ことにしたって構わないじゃないか。本当は、私だって見えたらいいなと思うことがある。感じられたらいいなと思うことがある。怖いものも見えてしまうかもしれないけれど、それでも、もう一度会うことができたらいいなと、思う相手がいるのだ。

だから、私のように「見えない」人たちへお願いしたい。どうぞ彼女たちを責めないで。お金儲けに利用しようとする不届者もいるけれど、ほとんどの場合は、ただ優しい嘘を、自分と自分に関わる人についているだけなのだから。

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